第五章②
「おーまえは、自分がなーにをしたのかわーかっているのか? かーやまっ!」
診察室中に響く満石さんの怒鳴り声に、僕は思わず耳を塞ぐ。僕が《悪魔堕ち》になってから精密検査を終えるまで一週間、満石さんは一言も口を聞いてくれなかった。そう、今の今までは。
「きーているのかー! このごーまんがっ!」
「そんなに大きな声を出さなくても、聞こえてますよ」
僕はウェアラブルデバイスを操作し、視界に診断結果を表示させる。するとものの見事に、僕の体は真っ赤に塗りたくられていた。まるで子供がいたずらに、真っ白なキャンパスへペンキをこぼしたような有様だ。つまりそれは、僕の病状がそれだけ悪化したという事になる。その事に対して、満石さんは怒っているのだろう。しかし、一方的になじられる謂れはない。
「でも、しょうがないじゃないですか。僕が《悪魔堕ち》にならなければあの《悪魔堕ち》の治療は難しかったですし、レギーネも助かりませんでしたよ」
《悪魔堕ち》との死闘の後、例によって例の如く、僕はオルセンさんからレギーネと呼ぶように強要されていた。
「うーるさい! そーんなことは、わーかっとるっ!」
「だったら、落ち着いてくださいよ!」
僕の発言を肯定しながらも、満石さんの激情は収まらない。苛立つ満石さんは腕を組み、歯軋りしながら、体を万力で潰されたかのように呻きながら言葉を発した。
「……ちりょーするぞ、かんじゃー」
「……何ですって?」
満石さんの言葉に、僕は思わず飛び上がりそうになった。
「あれだけ僕が頼んでも治療しようだなんて、一言も言わなかったじゃないですか。どうして今さらそんな事を言うんです?」
「……ぎりぎりなんだ。ほんとーに、今お前のじょーたいは、ほんとーに危ういんだよ、かーやま」
苦渋の表情を浮かべる満石さんを見て、僕は改めて自分の病状が深刻な状態であるのだと悟る。しかし――
「いえ、治療はやめましょう」
「……何? 今、なーんといった、かーやま」
「ですから、このまま研究を続けようと言っているんです」
今まで散々治療して欲しいと頼んでいた僕の心変わりに、満石さんが面を食らう。その反応は至極真っ当なものなのだが、僕も今ギリギリの状態なのだ。何か、もう少しで、何かを掴めそうな、言葉で言い表せない実感が、僕の中にあるのだ。自分が幸せに生きるために、何が必要なのかを、掴める気がするのだ。だから僕は、ここで絶対に引くわけにはいかない。
「かんじゃー。自分がなーにをいっているのか、わーかってるのかー?」
剣呑な表情を浮かべる満石さんに、僕は大きく頷きを返す。
「自分の体の事は、自分が良くわかっています」
「びょーにんは大概、みーんなそう言うんだ」
「でも、《悪魔堕ち》の研究が出来るのは、今しかないんじゃないですか?」
僕の言葉で、満石さんの瞳に迷いが生じる。そう、理性を残している《死に至る病》の患者が珍しいなら、それが深刻化した《悪魔堕ち》でありながら会話ができる程理性を残す被験体(僕)は、満石さんに取って喉から手が出る程欲しい存在に違いない。
「……心の病が、人体に与えるえーきょーは、お前が考えている程甘くはないぞ」
「でも、僕はもう《悪魔堕ち》になっているんですよ? これ以上堕ちようがないじゃないですか」
言葉を詰まらせる満石さんに畳みかけるように、僕は満石さんへ、彼女が僕を被検体にしてから上げてきた成果の資料を送る。
「僕を被検体にした成果は、満石さんが一番良くご存じでしょう? 僕が来てから、《湧き上がる希望》の出力が三パーセントも上昇しました。僕が今の状態でいる事で、友音たちに、《純白の天使》とそれを擁する《白翼医療師団》に貢献出来ています」
「それは……」
「今僕を治療してしまえば、今まで順調に進んでいた《死に至る病》への戦力増加が遅れる事になるんですよ? それでもいいと、満石さんは考えているんですか?」
「だがっ!」
「《湧き上がる希望》の性能は上がりました。友音たちだけでなく、聖白百合総合病院に属する《純白の天使》たちの戦力が底上げされているんですよ。今までみたいに僕が《死に至る病》を発病した患者と向き合うような機会は各段に減るはずです。病状が深刻化する機会が少なくなるのに、
我ながら、嫌な言い回しになったと思う。何せ友音たちの安全と満石さんの探求心を人質に、自分の言い分を通そうとしているのだから。でも、幸せに生きたいという願いが叶えられそうな今の状況を、僕は手放すことは出来ない。
「……お前は、もー二度と出撃させないからなーっ!」
やがて満石さんは苦虫を噛み潰したようにそう吐き捨てると、自分の怒りを撒き散らす様に髪を振るい、診察室から出ていった。その後姿を見て、僕は満足そうに頷いた。僕は、賭けに勝ったのだ。これで自分は、幸せに生きる道に一歩近づくことが出来た。そう思うと、顔に自然と笑みが浮かぶ。しかし鏡に映ったその笑みは、自分でも不気味だと感じるぐらい歪で、どうしようもない程に歪んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます