第四章②

 教会のステンドグラスを通して、色鮮やかな光が室内を照らしている。その光を受けてもピクリともしない木製の長椅子は、まるで神に頭を垂れる寡黙な老修道者のようだ。慇懃な彼らは教会の最奥に建てられた巨大な十字架を前にして、前後に等間隔、左右に同数佇んでいる。そんな彼らよりも数歩前に歩み出て、十字架の前で跪き、わたくしは祈りを捧げていた。聖白百合総合病院附属高等学校の校内に建つこの教会の中にいるのは、今はわたくししかいない。何処か遠くで鳥の囀りが聞こえてくるのを聞きながら、わたくしは内なる主に祈りの言葉を口にする。

「神よ。どうかわたくしたちに、今日も安息の日をお与え下さい。健やかなる日をお与え下さい。願わくば、迷えるわたくしたちをお導き下さい。全ては神の御心のままに」

 紡いだ言葉が宙に溶ける間際、教会の扉が開かれた。蝶番が軋み、金属の擦れる重低音。入口から純粋な光が差し込み、その中を人が通ってこちらにやって来る。その足音に振り向けば、そこに居たのは最近何かと友音さんと成美さんが話題に上げる――

「鹿山さん?」

「しー! しー! オルセンさん、悪いけど静かに! 追われてるから、匿って欲しいんだっ!」

 右手の人差指を自分の口元に当て、何やら鹿山さんはわたくしに何かを必死にアピールしようとしている。あれは一体、何のアピールなのだろう? 腕を組み、右手を頬に当てて考え、思い至った事を口にしてみる。

「あらあら、いけませんわ、鹿山さん。いくら人が見てないからって、こんな所で口づけを求められてもわたくし、困ってしまいます」

「いやいや、そんなこと求めてないから!」

「こういう困ったときは、友音さんと成美さんに相談してみましょう」

「そこは神に聞かないの! っていうかそれは本当に止めてっ!」

「うふふっ。冗談ですよ、冗談」

 自分のウェアラブルデバイスには、先程からわたくし宛に友音さんと成美さんが鹿山さんを見つけたら自分に引き渡して欲しいと、それぞれ個別にメッセージが送られて来ていた。大方、あの二人のどちらか片方に肩入れするような事を鹿山さんがしてしまったのだろう。うふふっ。鹿山さんがいらしてから、あの二人は随分と可愛らしくなりましたね。

 とは言え、助けを求めてきた人を追い返すような真似をわたくしが出来るはずもなく、友音さんと成美さんには自分は病院では見かけなかったと、嘘でもなければ真実でもない返答を返しておく。

「そちらの椅子に掛けてお待ち下さいな。友音さんと成美さんには、見なかったとお伝えしておきましたから」

 それを聞いた鹿山さんが、安心したような、げんなりしたような表情で、ぐったりとなって長椅子に横たわった。

「くっそー、満石さん、何が大岡裁きに耐えられなくなったら教会に行け、だよ。匿ってもらうにも一苦労じゃないか」

「あらあら、友音さんと成美さん、お呼びするならどちらの方がいいですか? 鹿山さん」

「ごめんなさい!」

「あらあら、両名をご希望ですか? 欲張りですね、鹿山さん」

「本当にごめんなさいっ!」

 うふふっ。素直な方は好きですよ。ええ、素直が一番。自分を偽っては、神の御心に添えませんからね。

「それで、本日はどういったご用件でお二人から追われているんですか?」

「それが、わからないんだよねぇ」

 鹿山さんは本当に不思議そうに、小首を傾げる。

「昨日、成美のためにお昼は成美の好きなジャムたっぷりのサンドイッチを作ったんだ。それで、友音と成美の三人でお昼を食べることになって――」

 なるほど。今回は、成美さんの方に肩入れしてしまったのですね。

「成美があとから来るって事になって、先に友音と合流したんだ。友音は昨日料理の練習がしたいからって僕の分もお弁当を作ってきていて先に食べてたんだけど――」

「あらあら、まさか両方だったとは。流石にわたくしの想定を越えておりましたね」

 全くどうして、こんな事になっているのやら。鹿山さんもご自身のご病気、《死に至る病》の問題もお有りでしょうから自分の事で周りが見えなくなる事もあるでしょうが、後僅かばかりでも他の方に目を向けてあげてもいいと思うのですけれど。

「な、なに? どうしたの? オルセンさん」

「いえ、これもきっと神のお導きなのですね」

「だ、だから何が?」

 面食らう鹿山さんへ、わたくしは微笑みを返す。本当に、この方と知り合って以来純白の天使でのお仕事は増えましたが、日常生活はだいぶ賑やかになりました。

「そう言えばオルセンさんは、いつも教会にいるの?」

「ええ、そうですよ。祈るべきことがありますから」

 鹿山さんは長椅子から立ち上がると、わたくしの方へとやって来る。やがてわたくしに並ぶように立ち、目の前の巨大な十字架を仰ぎ見るようにして見つめた。自分はそのまま、彼を見上げている。

「オルセンさんは、何を祈っているの?」

「皆に幸あれと」

「オルセンさんは、何に祈っているの?」

「無論、神様に」

「オルセンさんは、何故祈っているの?」

「神の御心を知るために」

「オルセンさんは、いつから祈っているの?」

「わたくしが、孤児として拾われたその時から」

 そこまで聞いて鹿山さんは、教会の十字架からわたくしの方へと視線を移した。わたくしは相も変わらず、この話をするときはいつも突き放した言い方になってしまうな、と思いながら微笑みを浮かべ続ける。

「わたくし、自分の本当の名前も、両親の事もわからないんです。何処の生まれかもわからず、たまたまカトリック系の教会に捨てられていて、育ててくださった方がいらして、教会でわたくしを育ててくださる事になった三人の方からそれぞれ名前を頂いて、わたくしは今に、レギーネ・Y・オルセンになったのです。わたくしの親代わりとなってくださった三人が務めていた教会は《白翼医療師団》の運営しているもので、《死に至る病》の事もその時から知っていました。わたくしは三人が《純白の天使》だったこともあり、彼女たちに育てられた自分の生きる道はこれだと思って、《純白の天使》になったのです」

 わたくしはそこで言葉を切り、目の前の十字架を見上げて両手を組んだ。

「わたくしは、運が良かったのだと思います。育ててくださる方が居て、わたくしに愛情を注いでここまで育ててくださいました。それでも正直に告白させて頂ければ、自分の両親を知らないことや、出自がわからないことに心を痛めた時期もありました。涙で枕を濡らした時もありました。それを、神の信仰心で乗り越えたのです」

「つまり、信仰心で悩みを乗り越えた、ということ?」

 鹿山さんの雰囲気が、少しだけ張りつめたものに変わった。そう感じたのはわたくしの気のせいかもしれないけれど、それでもこの方は一歩わたくしの方へと踏み出して、疑問を口にする。

「祈れば、悩みは解決出来るものなの? ネガティブな感情ではなくポジティブな感情を保っているの?」

「正確には、対話、でしょうか?」

「対話?」

 よくわからないという顔になった鹿山さんにどう言えば伝わるのか、わたくしは右手の人差指を唇に当て、迷いながらも言葉を紡いでいく。

「人は誰しも、辛い時、悲しい時に出くわすものです。そんな時に、わたくしは神に祈るのです。主よ、わたくしは一体どうするべきなのでしょう? どうすればこの辛い状況を、悲しい事態を乗り越えられるのでしょう? と」

「辛い状況や、悲しい事態そのものを、神様に解決してもらえるように祈らないの? 後、内なる神ということは、オルセンさんはカトリックではなく、プロテスタントなの?」

「もちろん、それで自分が進むべき道を見いだせるのであれば、それで構いません。カトリックもプロテスタントも、同様です。どの宗派に属するのか? という形式的な話は、あまり重要ではありません。わたくしの様に、問題を解決する方法を神との対話で導き出すような祈り方もあれば、鹿山さんのおっしゃる通り問題そのものを神へ祈っても構いません。大切なのは、どうすれば、どう問いかければ、どう祈れば自分が救われるのか? ということなのです」

 わたくしの話を聞いた鹿山さんは、ばつが悪そうに頭をかいた。

「……気を悪くしたら申し訳ないんだけど、一ついいかな?」

「はい。何でしょうか?」

「何だか話を聞いていると、オルセンさんは神様を信じていると言うよりは、上手く使っているという様に聞こえたんだけど」

「それの、何がいけないんでしょうか?」

「え! だって、でも……」

 驚愕の表情を浮かべる鹿山さんに、わたくしは相変わらず少し突き放す様に、苦笑いを浮かべた。

「何度も申し上げる通り、わたくしが神に祈るのは、わたくし自身が進むべき道を見出すためです。ネガティブな感情を克服するために、神の御心を知ろうとしているのです。決して、神を盲信し、妄信し、猛進するためではありません」

「でも、それで神様が答えをくれなかったら、オルセンさんはどうするの?」

「もちろん、決まっています。全て、神様におまかせしますわ」

 信じられないといった表情で、鹿山さんはわたくしの顔を見つめる。

「……それで、いいの?」

「ええ、もちろん。『信じるものは救われる。苦楽は常に人にあり。自分で解決出来ぬのなら、神に頼るのも致し方なし。悩みは全て神に任せ、任せた後は朗らかに過ごすべし』ですね! これは、わたくしを育ててくださった方からの受け売りなのですけれど、全くもってその通りだと思います。だからこそ、神様は必ずいるのです」

 そしてわたくしはこれ以上は何も言うことはないというように、胸の前で十字を切って両手を組む。目を閉じたのは神へ祈るためではなく、自分を育ててくれたあの三人を思い出すためだった。ここまで育ててくれて、わたくしの事を思い日本への留学を勧めてくれたあの人たちには、本当に感謝しても仕切れない。だからこそ、今は彼女たちへの申し訳なさで一杯だった。身の上話をしてから突き放すように信仰の話をしたのは、これ以上こちらに踏み込んできて欲しくなかったからだ。三人が今のわたくしを見れば、無意味に他人との距離を取ろうとしているように感じるだろう。わたくしの行動は、きっと彼女たちが望んでいるものとは違うもののはずだ。あの人たちはきっと、本音を語り合える、心からの交流をわたくしが日本で行うことを望んでいるはずだから。でも、今のわたくしにはそれが出来ていなかった。鹿山さんも、わたくしの態度に戸惑って目を開いたのだが――

「僕もね、両親と死別してるんだ」

 成美や満石さんから聞いてるかもしれないけど、と言って、鹿山さんは笑った。突然の事に二の句を継げずにいると、わたくしのそんな反応を知ってか知らずか、鹿山さんは滔々と話を続けていく。

「両親と死に別れたのは、僕が幼稚園を卒業して小学校に上る前の事だった。ついこないだまで、あれはただの交通事故だと思っていたけど、この前両親の死には《死に至る病》が関わっているって知ったんだ」

 その話は、わたくしも成美さんたちから聞いている。鹿山さんたちの家族は、運悪く《死に至る病》の患者と遭遇し、《純白の天使》が到着する前に鹿山さんのご両親は――

「僕の両親は《死に至る病》に罹った患者に襲われ、殺された。僕はまだあの時は小さくて、成美の叔父さんと叔母さんから、僕たちの乗った車がダンプカーと衝突事故を起こしたんだって言葉を、そのまま信じていたんだ。何せ、僕の覚えている事故の記憶は、僕を必死に抱きしめる両親の温もりと、彼らから零れ落ちた血の臭い。そして僕の目を見てうわ言のように、繰り返し繰り返し言われた、二人の言葉だけだったんだから」

 彼の言葉に、わたくしは思わず生唾を飲み込んだ。

「その言葉とは、一体何だったのですか?」

「父は僕の目を見てこう言った。『お前は必死に生きろ』って。母は僕の瞳を見てこう言った。『お前は誰よりも幸せになれるんだよ』って。何度も何度も、飽きるほど同じ言葉を繰り返して、繰り返さなくなった時に、僕は両親が死んだ事を知ったんだ」

 紡いでいた言葉が解け、鹿山さんが疲れたように力ない笑みを浮かべる。

「だから僕は、必死に生きないといけないんだよ。誰よりも幸せになるために。それが僕の親が、今際の際僕に残した遺言だから。そのためなら、僕はどんな努力だって惜しみはしないのさ」

 鹿山さんの顔を見て、わたくしの胸の奥に鈍い痛みが広がる。彼の幸せに生きたいというある種の強迫観念的な行動は、きっと両親との死別が原因なのだろう。しかしそれ以上に、何故鹿山さんが突然身の上話をし始めたのか、わたくしはそちらの理由のほうが気になった。

「……どうして、今その話をわたくしに?」

「え? だって、オルセンさんが気にしてるみたいだったから」

 意味が分からず、わたくしは首をかしげる。

「わたくしが? 何を?」

「気のせいだったら申し訳ないけど、オルセンさんは僕を突き放そうとしているみたいだったから」

 その言葉に、わたくしは息を飲んだ。

「……そう思ったのでしたら、近づかなければいいのでは?」

「そうも行かないよ。僕は、オルセンさんがどうやって悩みを解決しているのか、少しでも深く理解したいんだから。だから悪いけど、突き放されても、踏み込ませてもらうよ。オルセンさんが孤児だったことを打ち明けて僕との距離を取ろうとするなら、僕は両親と死別の話を打ち明けて距離を縮める」

「自分の辛い過去を共有し合うことで対等になる、ということですか?」

「単純に、先に辛い過去を打ち明けてくれたんだから、僕もそうしなきゃって気持ちも、もちろんあったんだけどね。でも、同じような思いを、両親と別れた共通の経験が互いにあるのなら、少しは安心して話せるでしょ? だから、何故僕を遠ざけようとしたのか教えてよ」

 あまりにも強引で傲慢な考え方に、思わずわたくしは笑ってしまった。笑いすぎて出てきた涙を拭いながら、わたくしは鹿山さんの質問に答える。

「わたくしが最初に自分の出自の事を話すのは、わたくしの信仰を理解してもらいやすくするためです」

「信仰を?」

 鹿山さんは、よくわからないとでも言う様に首を捻った。そんな彼に向かって、わたくしは言葉を紡いでいく。

「ええ。両親に捨てられたというわかりやすく、可哀想な過去を明かせば、多くの方がわたくしが神に縋るのも仕方がない、と納得してくれるんです。特に神に祈ることに馴染みの薄い日本の方は、神の存在を肯定する事にハードルがあるようですので」

「つまり、オルセンさんは相手を突き放し、詮索されない様な状況を作ることで、自分が神に祈れる状態を維持し続けている、神様を上手く使って悩みを解決出来る状態にしている、ということかな?」

「ええ、その通りです。それにそもそも、神様の存在自体を疑っている方も、大勢いらっしゃいますから」

 留学してきてから今まで、何人かわたくしの信仰に対して質問をされたことがある。その度鹿山さんへ説明したような事を伝えると、皆一様に不思議な顔を浮かべるのだ。

 例えるなら、サンタクロースからのプレゼントに、自分の欲しかった物が入っていないとわかった時に子供が浮かべるような、そんな顔。まるでわたくしが純粋無垢で、神にこの身全てを差し出していなければおかしいとでも言うかのような、あの表情。そんな顔ばかり見せられていたからか、わたくしの方もわたくしの信仰を問われた時は、何処か冷たくあしらうような態度になってしまっていた。彼ら彼女らも悪気があったわけではないのだろうし、そういった態度は改めなくてはならないと思っているのだが、どうにも上手く行かず、今も鹿山さんに対して、少し突き放した態度になってしまっていのだ。

 しかし、彼は突き放しても尚、一歩踏み込んできた。

「別に、そういう神様がいてもいいんじゃないのかな?」

「え……?」

 彼の言葉に、わたくしは思わずそうつぶやいた。

「オルセンさんのさっきの言葉に完全に同意するよ。キリストだろうがヤハウェだろうが、仏陀だろうがお釈迦様だろうが、それこそ八百万の神だってなんだっていい。オルセンさんが救われるのなら、オルセンさんが祈って救われると思う存在に存分に祈ればいいよ。大切なのは、祈って悩みが解決出来るという、そういう信仰なんだと、僕は思うしね」

 何やら納得したように頷きながら、鹿山さんは教会をぐるりと見渡した。

「僕自身、神様の存在を否定する材料は持ち合わせていない。神様の不在を証明するのは、自分自身の、たった一人幸せに生きる方法すら見つけられない僕には荷が重すぎるよ。ひょっとしたら神様っていう存在は、その辺の椅子の裏に隠れているかもしれない。全く、オルセンさんの養親の言う通りだと思う。信じるものは、救われるのさ」

 その言い草に、またわたくしの口が、微笑みの形を作り出す。

「鹿山さんは、不思議な、いえ、おかしな方ですね」

「そうかな? 別におかしいとは思わないけど。何せ、オルセンさんがどうやってネガティブな感情ではなくポジティブな感情を保っているのか、わかったんだからね」

 そう言って、鹿山さんはさも嬉しそうに笑った。

「オルセンさんは、神という内なる自分との対話の中で、悩みを解消していってるんだね。そして、大きすぎる悩みは何処かにいる神様に丸投げしちゃうと」

 満足するようにわたくしに背を向けて伸びをする鹿山さんの姿を見て、自分は彼のことが気になっていることに気がついた。神の存在どころかわたくしの信仰すら否定しなかった鹿山さんに、わたくしは興味を抱いている。

「そう言えば一つ、僕はオルセンさんの祈りで興味があることがあるんだけど」

「はい、なんでしょう?」

 突如振り向いた鹿山さんへ、わたくしは抱いた想いを少しも出すこと無く、いつも通りの微笑を浮かべて返答した。

「オルセンさんが神様に祈るのはいいと思うんだけど、最終的にどうなりたい、っていうのは、オルセンさんの中にあったりするの?」

「どう、なりたい?」

 鹿山さんのおっしゃられている事がよくわからず、わたくしは更に聞き返す。

「それは、どういうことでしょうか?」

「つまり、祈った末、オルセンさんはどんな幸せを手にしたいの? オルセンさんは、祈ってどういう幸せを欲しているの?」

「どんな幸せ、ですか?」

 この質問には少し、自分の微笑に照れが入った。自分の左手を頬に当てつつ、両の頬が熱くなるのを感じながら、それでもわたくしは鹿山さんの質問に答えていく。

「そうですねぇ。わたくし、王子様を、待っているんだと思います」

「え? ちょっと声が小さくて聞き取り辛かったんだけど」

「で、ですから、わたくしは白馬の王子様がやって来てくれる事を願ってんるんですっ!」

 気恥ずかしさに頬を染め、わたくしは最後はやけくそ気味にそう言った。

「先程お話した通り、わたくしは孤児、自分の両親に捨てられています。ですから、両親すら捨てた自分を受け入れてくれる、守ってくれるような人と温かい家庭を築ければいいなぁ、と、そんな事を考えているんです」

「それで、白馬の王子様?」

「じょ、女子高生が白馬の王子様的な存在に少し憧れを持っているのはいけませんか? 流石に少女趣味っぽすぎますかっ!」

「い、いや、いいと思うよ。可愛らしくて」

 わたくしの勢いに押されてか、鹿山さんの笑みは若干引き攣っている。しかし今のわたくしには、わたくしの乙女発言に引いている様にしか見えず、自分自身の恥ずかしさを誤魔化すために、思わずこんな質問が口をついた。

「なら、鹿山さんの悩みは一体何なんですか?」

 言った後に、わたくしは激しく後悔した。鹿山さんの目下の問題は一つ、《死に至る病》しかない。彼の《死に至る病》は深刻化し、《悪魔堕ち》も視野に入っているのだ。今一番の悩みといえば、それしかない。そして悩みというのは、本人が自覚しているものなら、わざわざその存在をひけらかすようなものではない。傷口に塩を塗り込むような、そんな愚行だ。鹿山さんがわたくしを責めるような事を言われても、仕方がない。しかし、鹿山さんは――

「僕の悩み、か。そうだなぁ……」

 そしてさして考えもせず、彼はあっけらかんと、あくまで淡々と、当たり前のようにわたくしの両目を見つめて、こう言った。

「僕はいつも、どうすれば幸せに生きることが出来るのか、そればかり、それだけをずっと、悩んでいるよ」

 自分が罹った病気も、その大きさも知っているのに、それでも鹿山さんはそう言った。そう言って、薄く笑った。その表情と、その笑みを見つめ返し、わたくしも改めて思う。

 この人はやっぱり、面白い、と。

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