第四章①

 その舌打ちの音を、僕は昼白色に照らされた天井を見上げながら聞いていた。聖白百合総合病院の診察室で横たわり、僕はまた再検査を受けていたのだ。理由はいたって単純で、友音だけでなく成美のネガティブの感情を僕が引き継いだからだ。結果は予想通りと言うかある意味予定通りと言うか、僕のウェアラブルデバイスに表示されている通りの結果となっている。

 つまるところ、僕の《死に至る病》は僕が最初にここに運ばれてきたときよりも格段に悪化していた。実際に数値として見せられると中々堪えるものがあるが、しかし僕には椅子に座る非常に不機嫌な満石さんの様子の方が気になっていた。

「最近なー、どーも《死に至る病》のはっせー頻度が上がっとるんだよなー」

 そう言って満石さんは、虚空を見上げながら苛立たしげに足を組み替えた。その目に写っているのは、僕のカルテなのか、最近増加しているという《死に至る病》の発生分布なのか、はたまたその両方なのか。何れにせよ、満石さんの眼前には、良くない結果が映っているに違いない。

「他の看護隊がとーちゃくする前に、患者がなるみーの元へ駆けつけれたのは、他の《純白の天使》が出払ってた、つー事情もおーいにかんけーするんだー」

「へー、そうなんですか」

「そーなですか、じゃなーい!」

 なんとなく返した僕の相槌に、満石さんが目を吊り上げながら反応する。

「ど、どうしたんですか?」

「どーしたもこーしたもあるかー! そーんな他人事みたいにいいやがってー! あーれ程勝手に出ていくなと言ったろーがっ!」

 地団駄を踏む満石さんに狼狽しながらも、僕はなんとか口を開く。

「で、でも、友音たちを助けろって僕に言ったのは、満石さんじゃないですか! だから僕は連絡を受けて、直ぐに成美の所へ飛び出していったっていうのに」

「そーだけどそーじゃななーい!」

「そんな理不尽な!」

 満石さんは右手で乱暴に髪を掻き毟りながら、口元を歪める。

「まーた《死に至る病》がしんこーしている。行ってなるみーからネガティブなかんじょーを引き受ければどーなるか、わかっていただろーに、お前は!」

「だからって、成美を放っておく選択は出来なかったでしょう?」

 そう言うと、満石さんはまた忌々しげに舌打ちをした。満石さんもわかっているのだ。あの時、成美の所へ行けるのは僕しかいなかった。僕が行かなければ、僕が彼女の絶望を受け入れなければ、今頃成美はどうなっていたのかわからない。僕の《死に至る病》が悪化しようとも、それ以外に選択肢がなかったのだ。

「こーんなはずでは、なかったのだ。本来なら、患者の病はもっとちょーき的に進行する予定だった。ゆねーやなるみーにも、こーんなに短期間でネガティブなかんじょーが溜まる様なやつらじゃねーし、溜まってもじゅーぶん自分の中でしょーか出来る。だからこそ《純白の天使》に選ばれたんだー。しかし――」

「《死に至る病》に罹る患者の発生頻度が高いから、ネガティブな感情を処理しきれない?」

 僕の疑問に、満石さんは眉間にしわを寄せて頷く。

「ここまで来ると、作為的なものを感じるな―」

「作為的なって、《死に至る病》の感染を誰かが誘発させている、ってことですか?」

「感染なのか、はつびょーをきゅーそくに促しているのか、まだわからんがなー」

「……そんなこと、出来るんですか」

 満石さんの言葉に、僕は愕然となる。《死に至る病》の患者を作為的に増やせるということは、その行き着く先は精神病の集団感染(パンデミック)。細菌やウィルスであれば特効薬等の開発次第で対策が打てるが、精神病ではそれが出来ない。何せ《死に至る病》は自分の中から生まれたネガティブな感情が元凶だ。自らそれを克服するか、外部から、つまり《純白の天使》からポジティブな感情を注入するより対策手段がない。そういった一応の対策手段はあるが、現状聖白百合総合病院だけでは手が回らなくなって来ているし、そもそもその《純白の天使》も人間だ。人間なら誰しもネガティブになる瞬間もある。そう、友音や成美がそうであったように。

 満石さんはこめかみ右手で解すと、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「まーだ、かくてーってわけじゃーねーがなー。とは言え、お前みてーなレアケースもいるから、あながち可能性を否定しきれねーんだよなー」

 そう言われてしまうと、《死に至る病》に罹りながら理性を保っている初のケースと言われる僕としては、苦笑いを浮かべるしかなかった。

「しかしなー、患者。あまり急激な《死に至る病》のしんこーは、ほんとーに危険だぞ。今もギリギリで《悪魔堕ち》になってねーだけで、今度きゅーげきなしんこーがあった場合、お前は確実に《悪魔堕ち》になる。その事だけは、肝にめーじとけよ?」

「わかりました。でも、《死に至る病》に罹っていても僕は理性を保っているんですから、そんなに心配はないんじゃないですか?」

 それは、一種の賭けかもしれない考え方だけれども。そう思いながら横目で見てみると、満石さんが鬼の形相をしていた。

「だーかーらー! どーしてお前はそーゆー判断になんだ、患者! しろーと判断がびょーきではいちばーん危ないのがわからんのかー!」

 満石さんに怒鳴られながらも、僕はベッドから起き上がる。視界に二通のメッセージ通知を知らせるアイコンが表示されるが、それは一旦無視した。

「でも、そんなに言うのなら、僕を治療してしまうのが一番いいんじゃないですか? それとも、まだ被検体としての僕を手放せませんか?」

「そ、それは……」

 言い淀む満石さんへ、僕は肩をすくめて返事をした。僕がいる事で、どうやら最近湧き上がる希望の性能改善の目が出てきたようなのだ。満石さんとしても今後死に至る病と戦うために、戦力アップは必要だと考えているのだろう。歯がゆいだろうが、僕という被検体を今手放すわけにはいかないのだ。

「別にいいですよ、元々そういう話でしたし。《死に至る病》の救命のための被検体、そして第十六看護隊の皆を助けるために、僕はここにいます。だから、ありがとうございます、満石さん」

「……なーにがだー?」

「心配してくれたことが。友音たち三人だけじゃなくて、僕も含めて、心配してくれて、ありがとうございます。僕は今、幸せに生きる道をまた一歩、進めたような気分ですよ。だから、心配しないで下さい」

 気まずそうに、満石さんは目を逸らした。そんな彼女に、以前から気になっていた事を僕は問いかける。

「そう言えば、満石さんは《純白の天使》にならないんですか? 人が足りないというのなら、出来る人がやればいいんだと思いますが」

 それを聞いて、満石さんは心底嫌そうな顔を浮かべる。

「患者。ちゃーんと今のワシを見てみろ。《純白の天使》が出来るよーなタイプに見えるかー? 見えねーだろ? 今のワシはな、絶えず溢れ出に溢れ出てくるアイディアまとめーにまとめて《湧き上がる希望》と《白妙服》のけんきゅー開発、そして《死に至る病》の施術に鮮血を注いでいるんだよー」

「……そうですか。ちなみに、もう今日僕の診察は以上ですか?」

「そーだが、何かよーじでも?」

「ええ、少しばかり」

 診察室を出ようとする僕の背に、尚も満石さんからの問いかけが投げかけられる。

「どーこに行くんだー?」

 僕は先程表示された通知を一瞥すると、苦笑いを浮かべながら、こう返した。

「幸せに生きられるように、神頼みでもしようかと」

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