第三章③
「ふーむ。わかってはいたが、やーっぱり悪化しとるなー」
診察室に入って来た満石さんは、開口一番そう言った。今日は聖白百合総合病院で、僕は再検査を行っている。その理由は一つ。友音のネガティブな感情を僕が引き受けたからだ。当然のことながら、僕の《死に至る病》は悪化しているはず。出来ればそのあたりの話を今朝成美ちゃんとしたかったのだが、まんまと逃げられてしまった。どうにも成美ちゃんは、《死に至る病》に感染してから僕を避けているように思える。身内が《死に至る病》に罹っていると、《純白の天使》の昇進とかに響くのだろうか? でも同じ聖白百合総合病院で働く叔父さんと叔母さんはそんな素振りも見せない。もう少ししっかりと、《死に至る病》について成美ちゃんと話したいんだけど……。
彼女の方が、この病気を知る先輩だ。この病気との付き合い方は、きっと僕が幸せに生きるのに役立つはず。
「どーだ? 《死に至る病》が進行していると、自分で実感する時はあるかー? 患者」
「いえ、特にそういう事はないですが……」
今日は先日とは違い、拘束具はされていない。コンタクトレンズ型のウェアラブルデバイスも着用可能だった。満石さんから送られてきた自分の診断結果を眺め、数値的に自分の病気が悪化している事はわかるものの、その実感が全くなかった。しかし、そんな僕を見て、満石さんは快活に笑う。
「嘘付け―、患者。お前、前にもまして幸せに生きたい、という気持ちが強くなっとらんかー? 例えば今朝、なるみーになーんか変な事きーたりとかなー」
満石さんの言葉に、僕の心臓が跳ねる。
「変な事は、聞いてませんよ」
「そーか。まぁ、昔話ぐらいちーと付き合ってやれよー、患者」
「……成美ちゃんから、何か聞いたんですか?」
「何をだー?」
「別に、何も……」
「そーか」
少し、座りが悪い気がする。僕は満石さんから話しかけられる前に、口を開いた。
「そういえば、僕は被検体として役に立っているのでしょうか?」
「んー? んー、わからんなぁ」
「わからんなぁ、って……」
満石さんの随分投げやりな言葉に、僕は思わず絶句した。
「満石さんが僕を被験体にするって言って、衛生看護科まで編入させたんですよ?」
「わーってるって。せかすな患者。りせーが残ってる《死に至る病》の患者なんてお前が初のケースなんだよ。ワシも手探りなんだー」
「でも、《悪魔堕ち》の中には一応会話出来る人たちもいたって……」
「ほんとーに、いちおー出来るって感じだぞ? 《悪魔堕ち》は思考が極端に偏り過ぎてるからー、自分の理論に則って行動しているだけだ。話はつーじねーんだ」
「なら、僕は、どうなんですか?」
「んー? 患者かぁ?」
「前に、満石さん言ってましたよね? 僕は、思考が偏っているって」
だから僕も、まともに話せていそうというのは勘違いで、既に狂った思考になっているじゃないだろうか? 不安が頭をもたげるが、そんな僕の悩みを満石さんは下品な笑いで一蹴した。
「ばーか。だから、《悪魔堕ち》になった患者の会話の通じなさは、そんな比じゃねーんだよ。お前のはただのごーまんだから、心配すんなー」
自分がまだまともな思考をしていると保証してもらえたことは嬉しいが、しかしだからと言ってこんなにも傲慢傲慢と言われるのは、まだ釈然としない。
何故だろう? 僕はただ、幸せに生きたいと思っているだけなのに。それが人よりも、少しばかり強いだけなのに。
「それでー? 最近どーなんだー? 患者」
「? 何がですか?」
急に話を振られてきょとんとしていると、満石さんがとんでもないことを言い始めた。
「決まっとるだろーが。第十六看護隊の、他の三人とのかんけーだよ。もー三、四人としけこんだのかー?」
「何言ってるんですか! そんなわけないでしょうっ!」
そもそも、四人目はどこにいるというのだろうか? そんな風に慌てる僕を見て、満石さんは楽しそうに笑う。
「しかし、最近ゆねーとは仲がいいみたいじゃないかー、患者」
「ああ、一緒に戦ってからは仲間意識を持ってもらえたのか、出会って一言目に罵倒はなくなりましたよ。その代り、拳が飛んでくるようになりましたが」
「いーことじゃないかー」
「どこがですか! こっちは冷や冷やものなのに、成美ちゃんも変に絡んでくるし、大変なんですよ、最近……」
本当に、最近成美ちゃんとちゃんと話せていない。一緒の家に住んでいるからついつい先延ばしにしてしまっていたけれど、どこかでちゃんと僕の《死に至る病》について会話した方がいいだろう。僕の幼馴染は押しが強そうに見えて、どうにも最後の一歩を踏み出すのが苦手なのだから。思案顔の僕を見て、満石さんがいやらしく笑う。
「いやー、どーもせーしゅんっぽい感じになっとるよーだなー」
「満石さんが無駄に複雑にしてるんですよ! 僕が《死に至る病》に関わるのを成美ちゃんがあんなに嫌がる原因がわからないんで、今の状況が続けば続くだけ成美ちゃんの機嫌が悪くなるし……」
「……んー? なんだ? まーだ言ってねーのか? あいつ」
「え? 何をです?」
僕の問いかけに対し、満石さんは珍しく真剣に悩んだ後、いつものだらしない表情に相好を崩した。
「まー、そこはワシがいわないほーがいいんだろーなぁ、うん」
「え、何なんですか? 気になるから教えてくださいよ」
「だーめ。どーしてもゆねーとなるみーのおーおか裁きに耐えられなくなったら、きょーかいに行くんだなー。あそこはれぎーねーがいるから、匿ってもらえるはずだぞー」
「大岡裁きって……」
「んー? けっこー適切なひょーげんだろー? まー今回は、りょーほー子供の手を放そーとしないところが悲劇的かもなー」
「そんな、他人事みたいに……」
「結局患者の問題、ワシの問題じゃないからなー。他人事さー」
「酷過ぎでしょ、満石さん……」
満石さんは快活に笑った後、僕のウェアラブルデバイスにある映像データを送って来た。どうやらライブ配信らしく、映像の画質があまり安定しない。
「この映像は?」
「出勤ちゅーの、話題の三人さー」
見れば確かに、翼を生やした三人の天使が宙を舞っていた。ビルの上を走り、時にはその翼で空を飛ぶ。その映像を、監視カメラやドローンが撮影し、僕らのウェアラブルデバイスに送信しているのだ。
「これを見るのは、患者は二度目だったかー?」
「ええ、最初は友音を追うのに見ました」
「お前、勝手に飛び出すなよなー。あんなに街中のカメラに目撃されると、いんぺーこーさくが大変なんだぞー」
「追えって言ったの、満石さんじゃないですか! それもすっごい剣幕でっ!」
「確かにワシは追えとは言ったが、だからってお前なー。限度があるだろーが。もー少し世を忍ばんかー」
「それは、申し訳ないと思ってますけど。でも、なんの訓練も受けてないんですから、仕方がないじゃないですか……」
「次からは、ちゃーんとワシのゆーどーに従って外でろよー。絶対だぞー」
「……はい。すみませんでした」
僕の謝罪に満足したのか、満石さんは満足そうに頷いた。そのタイミングで、僕のウェアラブルデバイスに新たなデータが送られてくる。
「これは?」
「今第十六看護隊が追ってる、《死に至る病》に感染した患者のプロファイルデータだなー」
その言葉に興味を覚え、僕もそのデータを読んでいく。
「これ、僕の時も送られてきたんですか?」
「いんやー、集められた時だけだよー。患者の時は、あの三人が現場に着くか着かないかぐらいにはつびょーしたから、間に合わんかったんだー」
「監視社会ですね」
「《死に至る病》の感染シグナルをウェアラブルデバイスが受信した時だけだがなー。まーそれでも、警察のデータベースと連携して、病院への通院履歴、会社の健康診断、逮捕歴や、ネットじょーへどんな書き込みやがぞーのアップロードを行っているのか等の行動履歴から、どーにかこーにかデータを突合させとる状態、というのが正直なげんじょーでな。プライバシーの問題もあるし、こじんじょーほーは法律上せーめーの危機などじゃないと、開示してくれんからなー。《死に至る病》はつびょー時にデータを組み合わせて《死に至る病》に罹りやすい患者の傾向分析を行っているが、まだまだ原因リアルタイムのとくてーまで行かんのだよー、患者」
「データアナリティクスってやつですか?」
「ビッグデータのかつよーだなんて嘯かれてひさしーが、その中から使えるデータやゆーこーな組み合わせを見つけるのは、いっつもひとくろーさ。何せ、じょーほーを次から次へと無限に増やすからなー人は」
そこで珍しく、満石さんは深い溜息を付いた。
「患者のそーき発見に使えるか使えないかーぐらいのところまで、よーやくこぎつけたが、いやはやー、人間のかんじょーはむずかしー。かんじょーの元は単純な電気信号だが、その単純な電気信号が脳内で幾重にも重なり合えば、もはやそれは無限だからなー。かくちょー現実をにちじょー化した現在も、人間らしー人工知能を作れはするが、人間と全く同じ人工知能が出来ないのはー、まだ人間が人間の感情を理解し切っていないからだろうねー」
「その、人間の感情を理解し切れば、人間は、幸せに生きる事は出来るんですか?」
期待を込めて満石さんの表情を、僕は伺う。しかし、彼女は大きく首を振るだけだった。
「わからんー。ワシにだって、わからんことはおーいのさー」
しかしその後、満石さんは悪魔のように口角を吊り上げる。
「だからこそ、お前のよーなイレギュラーには期待しているんだよー、患者。少なくとも、《死に至る病》という限定的な人の心、その中でもぜつぼーというかんじょーの動きなら、イレギュラーな点から学べることも多いはずだからなー」
「そ、そうですか……」
それ以外、僕が返せたリアクションはなかったはずだ。しかし満石さん的にはもっと別のリアクションを期待していたようで、少し不満げな表情を浮かべている。しかし、ウェアラブルデバイスが映し出す第十六看護隊の戦闘も佳境という事で、彼女はそれ以上何も言わなかった。映像では山口という患者に対し、友音が近距離、成美ちゃんが中距離、オルセンさんが遠距離と、それぞれ役割を決めて戦闘を行っている。この役割分担は第十六看護隊が組まれた当初から取られているらしく、いわば鉄板と言ってもいい陣形だ。
だが、どうにも様子がおかしい。成美ちゃんの動きが、いつもより鈍く感じるのだ。
「満石さん、成美ちゃんの《湧き上がる希望》の出力、見れますか?」
「んー? いいぞー」
満石さんの言葉と共に僕のウェアラブルデバイスに表示されたそれは、いつもより明らかに少ない数値を示しており――
『きゃぁぁぁあああっ!』
成美ちゃんの不調を現実に落とし込んだかのように、僕の幼馴染は負傷してしまうのだった。
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