第二章②

 アタシが所属している部隊名が第十六看護隊であることから、聖白百合総合病院附属高等学校、ひいては聖白百合総合病院が保持している看護隊の数は複数存在している事は容易に想像できるだろう。これは常時同じ人が《死に至る病》に感染した患者と戦い続けるのが現実的ではないからだ。人の感情には波があり、常にポジティブな考えを続けていられるわけではない。戦いっぱなしでは気が病むし、リフレッシュは《純白の天使》たちにも必要だ。だから多くの病院の看護師や医師が普通の病気や怪我と戦っているのと同じように、看護隊はシフトを組んで、ある部隊にストレスがかかり過ぎないよう調整している。緊急時以外は各看護隊と持ち回りで《死に至る病》が発動した場合対応に当たっているのだが――

『おい、ゆねー! なーに勝手に出動してるんだ、お前は!』

 珍しく焦ったような美郷先生の言葉をウェアラブルデバイスから聞きながら、アタシはほくそ笑んでいた。《白妙服》は既に展開済み。《湧き上がる希望》の稼働状況も良好で、今夜死に至る病を発病した患者の元へと月下の元建物の屋上を駆け、一直線に向かっていく。《死に至る病》が活性化するのは専ら夜と、相場が決まっている。これは人間の交感神経と副交感神経の働きが、強く影響しているのだ。

 交感神経は闘争と逃走の神経と呼ばれており、体を動かす時に活性化する神経だ。しかし交感神経は闘争だけでなく緊張感、恐怖感、危機感等、ネガティブな感情でも活性化する。反対に副交感神経は休む、眠る等、リラックスしているような体を修復する時に活性化する神経となる。安心感を得るようなポジティブな時に働くこの副交感神経はその性質上睡眠時、つまり一般的には夜に活性化する。だが極度にネガティブな感情になっている人間はこの副交感神経が上手く働かず、交感神経だけが活性化し、《死に至る病》を発病するのだ。《純白の天使》には常識的な知識だが、《死に至る病》の感染が夜にだけ限定されているということが目撃者を少なくさせ、この病気の隠蔽工作に一役買っているのは言うまでもない。

 夜風を切る疾走感が陸上のトラックを走っているよりも刺激的で、アタシは更に足に力を込めた。この調子なら、アタシが一番乗りだ!

「大丈夫ですよ、美郷先生! アタシが一分一秒無駄にせず、アタシの力で《死に至る病》の患者を治療してみせますからっ!」

『人の話をきけー! お前一人じゃ、不足の事態にまだたいおーできんよ。なるみーとれぎーねーも、今日は非番なんだぞー。今ここにいるのは患者ぐらいしか――』

 聞こえてきた美郷先生の声に、アタシの頬は引きつった。

「そーですかそーですか! アタシ一人じゃ、まだ役不足って言うんですかっ!」

『何を言って――』

「いいですよ! アタシが、アタシ一人でもやれるって事、証明してみせますから! あんな男、アタシには必要ないんですっ!」

 言いたいことだけ言い終えて、アタシは美郷先生との通信を無理やり切断。全てを振り払うように、アタシは更に疾駆していく。やがて、《死に至る病》に感染した患者の姿が見えてきた。その男性は何故だか全身びしょ濡れで、動きが鈍い。患者と向き合う時、いつもは成美が分析し、レギーネの援護があってアタシが近距離戦に持ち込むのだが――

「てやぁぁぁあああっ!」

 掛け声と共に、アタシは患者へ向かって跳躍した。アタシのポジティブな感情をエネルギーに変換し、《湧き上がる希望》が輝きに満ち、唸りを上げる。その唸りに呼応するように、アタシのレッグギアから灼熱の炎が沸き起こった。先手必勝! 繰り出した飛び蹴りが、見事に《死に至る病》を発病した男性へと着弾。ほら、みなさい! アタシ一人でも、十分に《死に至る病》を治療して――

「なっ!」

 アタシが自分の勝利を確信したその直後、男性の姿が四散。宙に水が迸る。熱せられた水が水蒸気へと変わるのを横目に、アタシは自分の迂闊さを呪った。しまった! これは罠だ! 今回の《死に至る病》の患者は水を――

 そこまで考えたところで、アタシの体に衝撃が走る。それは想像通り、《死に至る病》に罹った男性が操る水だった。強かにアタシに向かって打ち付けられるそれを両の拳で叩き落すが、如何せんアタシは炎で相手は水。相性が悪すぎる!

「しまった!」

 何度かの攻防の末、アタシの両手、両足は水の触手に絡めとられてしまう。それでもかまわず、アタシは必死に抵抗した。

「こんなの、すぐに振りほどいて――」

「がぁぁぁあああっ!」

 患者の怒号が、アタシに向かって発せられる。全身に響くようなそれを受けて、アタシは一瞬怯んでしまった。ネガティブな感情は、それだけで《純白の天使》の力を削いでしまう。それが契機となり、《湧き上がる希望》の光と駆動音が、弱まった。まずいっ!

「嫌!」

 今まで自分の体の一部の様に感じていた《白妙服》が、急に鉛に変わってしまったかのように重く感じる。その隙をついて、水の触手が《白妙服》の間に入り込んできた。

「やだ、やめてっ!」

 太ももに、嫌な感触がまとわりつく。脇の間からも粘つく感触がせり上がり、胸の方へと伸びてくる。アタシの、最近の悩みの種へ、それが伸びてくる。

「嫌、何で? こんな、今になって、こんなっ……」

 涙目になりながら必死にもがくが、その足掻きは赤子の抵抗に等しい。何故ならもう、アタシの頭の中はネガティブな感情で一杯になっているからだ。子供の頃から直情的だったアタシは、男女と呼ばれるぐらい、女の子らしくなかった。鹿山にはそれなりに気にしていたなんて言ったけど、嘘だ。本当は、すっごく気にしていた。何で自分は女の子らしく出来ないんだろうって、ずっと悩んでいた。その悩みを振り切るように、あの人の憧れを追い続ける様に、アタシは走り続けた。全力で走った。それでいいと思ったし、今まではそれでよかった。アタシは速く走れれば、それでよかった。でも、それも限界が見えてきた。タイムが、伸びなくなってきたのだ。

 ……何で、今頃、こんなことになるの?

 それはある意味アタシが振り切って来た、女性の象徴。自分の胸の成長が、こんなにも自分を悩ませる。かつて求めた女性らしさを、一度走る事で考えないようにしていたそれを急に眼前に突きつけられて、それをアタシは処理できないまま悩んでいた。ネガティブになっていた。鹿山にも指摘されて、思わず手が出るぐらい悩んでいた。そう、鹿山だ。あいつがいけないんだ。あいつさえいなければ、アタシはまだ、この問題から目を背けていられたんだ。《死に至る病》の患者のくせに普通に話せて、アタシたちの部隊に急に入ってきて、アタシをこんなにも悩ませる。鹿山のせいだ。あいつが悪いんだ。あいつが来たから、きっとアタシは悩むようになったんだ。今力を出せないのも、あいつのせいだ。あいつのせいで、アタシは弱くなったんだ。あいつが、あいつが気になって仕方がない。鹿山の――

「鹿山の、ばかぁぁぁあああっ!」

「だから僕にどんな恨みがあるのさ!」

 そう言って鹿山(アタシの悩みの元凶)は、アタシを捉えていた《死に至る病》の患者に、アタシが出来なかった飛び蹴りを、惚れ惚れするぐらい綺麗に食らわせた。

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