第一章③

「ふーむふむ。中々面白いじょーきょーのよーだねー」

 そう言って診察室へ入って来たのは、非常に目のやり場に困る女性だった。今は一つに束ねた髪を振り解いており、だらしなく着崩した白衣の下からは小麦色に焼けたグラマスな体が見え隠れしている。そんな彼女はベッドに拘束されている僕の前に椅子を引き寄せると、ふんぞり返る様に座り、やたら大胆に足を組み替えた。

「患者。君は、どーこまで聞いている?」

「僕が《死に至る病》に感染している事。その検査のために聖白百合総合病院に収容された事。それ以外、僕は何も聞いてません。僕を調べた、あなたの名前も」

「かーっかっかっか! 挨拶がまだだったねー。ワシの名前は満石 美郷(みついし みさと)。聖白百合総合病院きってのマッドサイエンティストと言えば、ワシのことだよ、患者」

「僕、そんな人に検査されてたんですかっ!」

 聖白百合総合病院って、もっとまともな総合病院だと思ってたんだけど!

 そんな僕の狼狽っぷりを見て満足したのか、更に満石さんはまた豪快に笑った。

「悪いな、患者。ちょーっとばかし、からかい過ぎたよーだ。これでも君らの、聖白百合総合病院附属高等学校衛生看護科のおーじーなんだよ、ワシは。首席でそつぎょーもしとるし、のーりょく的に不足はないはずだ。特にワシが専門分野の、《死に至る病》のせつめーには、ね?」

 満石さんが僕らの学校、しかも衛生看護科のOGで、更に首席で卒業している事も驚きなのに、それに加えて《死に至る病》を専門にしているだって?

「一体、何なんですか? 《死に至る病》って。ただのネットの都市伝説だったんじゃないんですか?」

「都市伝説なんて、実は《死に至る病》は実在しませーん、というじょーほー以外は、全部真実だよ、患者。実際に、患者もネット上のどーがは見ただろー?」

「でも、そんなの拡張現実を使えば簡単に作れる動画じゃないですか? それに、本当に《死に至る病》が存在しているのなら、もっと騒ぎになっているはずじゃないんですか? ネットであんな、都市伝説みたいに面白半分で語られるだけじゃ済まないですよね? 普通」

「だーから、ふつーじゃないんだよー。なーんのためにワシたちが世界中でスマートグラス型からコンタクトレンズ型へウェアラブルデバイスをふきゅーさせたと思っている? 元々ウェアラブルデバイスに期待されていた役割の一つに、ヘルスケアがあるんだぞー。だったら、のーは測定も朝飯前だろー? 耳にかけるよりも、耳の中へ計測器を入れた方が、じょーほーのせーどは高いからなー。当然、検知もしやすくなる」

「そんな……」

「まー、常時情報を脳が処理し続ける事ではっせーした新時代の精神病、《死に至る病》を、その発生起因であるウェアラブルデバイスを更にふきゅーさせる事でしかその早期発病検知を実現出来なかったっつーのは、皮肉でしかねーなー」

 この人は、一体何を言っているんだろう? 今満石さんは、一つの病気、その早期発見のためだけにコンタクトレンズ型のウェアラブルデバイスの普及を自分たちが行ったと言ったのか? 今やウェアラブルデバイスにどれだけの人が関わり、どれだけの産業になっているか、知らないわけないだろうに。

「病気一つのために一大産業を巻き起こすなんて、あなたたちは、一体何者なんですか?」

「人が健やかに生きていくためなら一大さんぎょー起こすぐらい朝飯前さー。それがワシら、《白翼医療師団(Healing Wing Medical Division)》だよ、患者」

 そう言って、満石さんは口角を吊り上げた。

「《死に至る病》は、脳に負荷がかかり過ぎ、本来あるべき所じゃない場所へ脳の電気信号が送られることではっせーするびょーきだ。ふつーは起きねーじしょーだが、せーしんがふあんてーになった状態で拡張現実を見ると、脳が誤認しちまうんだよー」

「誤認?」

「幻肢痛やプラシーボ効果ってのは知ってるかー? 事故で手を失っても、脳がまーだ自分には手が残ってると勘違いしたり、目隠しされたじょーたいでこれは熱した鉄の棒だと言ってたーだの木のヘラを足に当てると水ぶくれになったり、人間の脳は、誤解すると、体にあくえーきょーを及ぼす」

「それが、《死に至る病》の正体……」

「そーさ。ぜつぼーするほどのネガティブなかんじょーが身体、そして周りの物質にまで撒き散らされて、脳がそれも自分の体と誤認しちまう。脳から出る電気信号が体の外に飛び出ちまう程ぜつぼーしてっから、空気中の酸素を燃やしてほのーも出したり、水素とかごーして水を生んだりするんだよー」

「そんな、非常識だ……」

「なーにがひじょーしきだよ。患者も体験しただろー? そして何より」

 そう言って、満石さんは椅子から身を乗り出し、僕に顔を寄せる。

「患者自身が、《死に至る病》に罹ってるじゃねーかよ? なーに駄々っ子みたいにひてーしてんだ? 患者」

 その台詞に、僕は歯噛みした。そう、僕が《死に至る病》に否定的なのは、僕が《死に至る病》に罹っている事を認めたくないからだ。だって、《死に至る病》に罹っているのなら、僕は普通じゃなくなってしまう。

 特別に、なってしまう。『特別』という枠に、はめられてしまう。

 そんなの、だめだ。嫌だ。僕は、普通でいたいんだ。普通で、普通に、幸せに生きていくんだ。そうじゃないと、僕は――

「ま、心配すんな。ワシの気が済んだら、治してやるよ」

「……え?」

「治してやると言ったんだよー。患者の《死に至る病》をなー」

「な、治るんですか?」

「言っただろー? 《死に至る病》は、ワシが専門としているちりょー分野だって。ワシ、医者で研究者だからなー」

「言ってませんよ!」

 拘束されているのも忘れて、僕は思わず身を乗り出した。ベッドが軋み、高速具が病衣に食い込む。でも、そんなこと今の僕には全く気にならない。だって、《死に至る病》が治療出来るのなら、特別じゃなくなる、普通に戻れるじゃないか!

 僕のそんな様子を見て、満石さんは嬉しそうに頷いた。

「なーら、まずは《死に至る病》についての理解を深めろ。自分のびょーきの理解は、ちりょーの第一歩だよー」

「わかりました。《死に至る病》について、詳しく教えてください」

「よろしー。《死に至る病》が、ネガティブな感情、悩みやぜつぼーによってはつびょーすることはせつめーしたな? 故にとーぜん、ぜつぼーの仕方や深さによって、《死に至る病》のはつびょーの仕方と強さが変わるのさー」

「強く絶望すればするほど、《死に至る病》が人体に与える影響は大きい、って言う事ですか?」

「そのとーり。《死に至る病》はその人が抱えている悩みを解決しよーと、人体にあくえーきょーを与えるものさー。何にぜつぼーしているのか? どーゆーふーにその人がそのぜつぼーを解決したいと思っているのかによって、力の強さが変わったり、発火のーりょくが付いたりする」

「悩みを、どう解決するのか、ですか……」

「そーだよ、患者。だから、《死に至る病》が更に悪化すると、《悪魔堕ち(Demonization)》するのさー」

「《悪魔堕ち》?」

「その名のとーりになるのさ。見た目がね。多くの場合、体が完全に闇色に染まる。そして、人の姿から離れていくのさー」

「人じゃ、なくなるってことですか?」

「見た目だけだがねー。もう、人の姿じゃ耐えられない程ぜつぼーしちゃうんだろーなぁー。無論、ぜつぼーの度合いが深い程、ネガティブな感情が強い程、いぎょーに近づいていく。わかりやすいいぎょーのけーたいだと、黒い翼を生やすのさー」

「黒い、翼?」

「《黒翼(Night Wing)》と、ワシたちは呼んでるがねー。大体悪魔堕ちしたやつは、翼生やすんだよなー。無論、《黒翼》の枚数が多ければ多い程、ぜつぼーしてるから治療するこっち側は大変だ」

「でも、そんなのどうやって治療するのですか?」

「ワシら《白翼医療師団》ご自慢の、《純白の天使(Pure white angel)》が治すんだよ。患者も、見ただろー?」

 天使と聞いて僕の脳裏に浮かんだのは、僕の前に現れた、あの三人だった。

 双柳友音。

 絢成美。

 レギーネ・Y・オルセン。

「ワシたち《白翼医療師団》は、《死に至る病》に罹った人間を患者として扱い、病巣の治療、切除を行う、《死に至る病》に対抗すべく結成された団体なのさー。《死に至る病》は心の病。カウンセリングなどを中心とした治療がメインだが、患者は狂暴なケースが多い。患者のぼーそーを止め、救うために武力行使を行う事もある」

「確かに、成美ちゃんたちが《死に至る病》の患者と戦っているのは見ましたけど、でも、あれどういう原理なんですか? あんな狂暴な《死に至る病》の患者と、どうやって戦っているんです?」

「なーに、簡単なことだよー、患者。人間、ネガティブな感情があれば、ポジティブな感情だってある」

「マイナスな方面ではなく、人体にプラス方面で影響を与えている、ってことですか?」

「そのとーりだ、患者。そのために《白翼医療師団》が心血注いで開発したのが、感情変換装置湧き上がる希望(Gushing hope)なのさー。ウェアラブルデバイスに組み込まれた《湧き上がる希望》は、人間の発するポジティブな感情をエネルギーに変換する。これを使う事でポジティブな感情を運動エネルギーや熱などの内部エネルギーへ変換。《純白の天使》がネガティブな感情を発病元とする《死に至る病》に罹った患者と戦うのを、サポートするというわけだ」

 そこまで聞いて、僕は小首を傾げた。

「《湧き上がる希望》は、あくまでもポジティブな感情をエネルギーに変える燃料のようなものなんですよね? だとすると、成美ちゃんたちが持っていたような武器は《湧き上がる希望》からエネルギー供給を受けることで起動している物なんですか?」

「正解だ、患者。中々筋がいーな、お前」

 そう言って、満石さんは快活に笑った。

「あれは《白妙服(White robe)》という、《純白の天使》たちのぶそーだ。あの三人に持たせているのは防護服と武器が一体となっているタイプで、あいつらの学生服に《湧き上がる希望》のエネルギーを流し込むことで展開できるよう調整してあるのさー。武具は、なるべく個々人のせーしつに合わせたものを、ワシがチョイスしているんだ」

「《死に至る病》に対抗するために、《純白の天使》がいる。ネガティブな感情に、ポジティブな感情をぶつける。マイナスにプラスのものをぶつけるというのは、なんとなく僕にも理解できました。でも、だからこそ疑問があるのですが……」

「なんだー? 言ってみろ、患者」

 満石さんは、出来の悪い生徒から突然質問を受けて喜ぶ先生の様に笑った。だから僕は、そのまま質問をぶつける。

「ポジティブな感情って、そんなに長い間持続出来るようなものなのでしょうか? ネガティブな感情は、すぐ湧いてくると思うんですが……」

 そう。鬱病や精神疾患は誰でも罹りうる病なのだ。だからこそ《死に至る病》という新しい病にまで発展しているはずだし、逆に人間皆ポジティブな感情を常に抱けるのであれば、こんな厄介な状態に僕もなっていない。

 そんなことが出来るのなら、何にも煩わされることなく、僕は幸せに生きれるはずなのだ。だからこそ、気になる。どうやって《純白の天使》は、《死に至る病》と戦っているのだろうか?

 かくして僕の質問を受けた満石さんは、天使と一緒に働いているとはとても思えない、悪魔なような笑みを浮かべながら口を開く。

「いいねー。実にいーよ、患者。お前は、ほんとーに筋がいい。患者の言うとーり、ポジティブな感情を保つのは、《死に至る病》に対抗するために必要な出力を保つのは、中々難しいものがあるのさー。だからこそ、十代の若者、特にじょせーが《純白の天使》に多く抜擢されるのさー」

「十代の、女性、ですか?」

「そーさ。ポジティブな感情を、常に強く持てる人ってーのは、そーそーいない。故に、最大出力だ。ポジティブな感情の振れ幅が大きい多感な十代が抜擢されることになる。今のワシみたいにスレた大人じゃー、中々そーもいかんからなー」

「安定した出力よりも、最大瞬間風速を取った、みたいな感じですか?」

「もちろん、ポジティブな考え方が出来るよーな人選はしているがねー」

「なるほど。《純白の天使》が十代を中心に選ばれている理由はわかりました。では、男性ではなく女性が選ばれている理由は何なのでしょう?」

「単純なりゆーさ。脳の形が、男と女じゃ違うんだよー」

 言っていることがわからず、僕は首をかしげる。そんな僕を見て、満石さんは苦笑いをした。

「あー、すまんすまん。ちょーと言葉が足りんかったな。女性と男性では、脳の形が違うのさー。女性のほーが、右脳と左脳を繋ぐ回路の役割を果たす、ぜんこーれんが太いんだ。だから女性の方が、感情の情報量が多い傾向がある。逆に男性は左右の脳をそれぞれ使ってじょーほーを行き来させるから、くーかん認知のーりょくやじょーほー処理のーりょくが高いけーこーがあるのさー。ま、一概にどちらがいい、というわけじゃーないけどなー」

「とはいえ、《死に至る病》に対抗する、という意味では感情の情報量、瞬間最大風速が大きい女性の方が向いている、というわけですか」

「そーゆーこと。だからこそ、男性が《死に至る病》に罹ると、脳の構成上論理的な部分が病に犯されるため、きょーぼーになる傾向が強いかなぁ」

 そこまで聞いて、僕は身震いした。《死に至る病》に罹った僕は、いつもの、普通の思考をしているのだろうか? だから、双柳さんは驚いていたのだ。僕が会話出来る事に。そして、更に嫌なことに気づいてしまった。

「満石さん。質問が一つ、いや、二つあるのですが……」

「なんだー? 言ってみろー」

 悪魔のような笑みを濃くして、満石さんが僕が口を開くのを待っている。

「満石さんは、《湧き上がる希望》が感情変換装置と言っていました。だとすると、《純白の天使》が《死に至る病》を治療する方法は、《純白の天使》が持つポジティブな感情を《白妙服》経由で《死に至る病》を発病した患者に送る事で、ネガティブな感情をポジティブな感情で中和する、であってますか?」

「おー、素晴らしー! 成功だぞー、患者。送るというより、ちゅーにゅーというひょーげんが正しいがなー。で、二つ目の質問はなんだー?」

 ああ、絶対この人気づいている。気づいているけど、満石さんは僕の口から言わせる気だ。僕の気づいてしまった、嫌なことを。

「で、では、二つ目の質問ですが」

「なんだー? 言ってみろー?」

「《死に至る病》に感染している僕は、《純白の天使》がいるこの病院であればすぐに治せるってことですよね? つまり今まで聞いた《死に至る病》の説明や《白翼医療師団》、《悪魔堕ち》の説明も聞く必要なかったってことですよね! 今すぐにでも治療してもらえれば、僕はこんな拘束を受けなくても良かったし、今すぐ普通に戻れるんじゃないんですかっ!」

「おいおい、質問は二つだけじゃなかったのかー? 減点だぞー、患者」

「いいから答えてくださいよ!」

 そう。この聖白百合総合病院なら、今すぐ僕の《死に至る病》を治療することが可能なはずなのだ。それだけの設備があるし、それを可能とする人材、《純白の天使》も少なくとも三人いる事は確認できている。では、何故この目の前のマッドサイエンティストは僕の治療を行おうとしないのか? その答えは既に、満石さん自身が言っている。

「なーに、心配すんなー。ちゃーんとワシが、責任をもって治してやるよ? ワシの気がすんだらなー」

「この人最悪だ! いつ僕を治してくれるんだよっ!」

「いやー、だって患者、めずらしーんだよねー。《死に至る病》に感染してりせー保ってるなんてさー。だからさ、ちょーっとでいいから、ちょーっとの間だけ、ワシの被検体になっててよー」

「いーやーだー! それ言うために今までシリアスモードだったのかよちくしょー!」

 どうにか拘束を解こうと暴れてみるが、全くほどける気配がない。誰だよ、《死に至る病》に罹ったら力が強くなるとか言ってたの!

「悪いなー、患者。流石にワシらも《死に至る病》の患者相手に普通の人間用の拘束具は付けないぞー」

「勘弁してください!」

「じゃー、まずはどれぐらい理性が残ってるのか、ヒアリングさせてくれー」

「人の話聞いてくださいよ!」

 満石さんは実に楽しそうに笑いながら、足を組み直す。虚空を見上げているしぐさから、満石さんの眼前には僕のカルテでも表示されているのだろう。

「しかたないだろー、患者。お前は間違いなく、りせーは保っとるよ。《悪魔堕ち》の中にも、自分のよくぼー中心の会話なら出来る者もいるが、こーんなまともな会話は出来んからなぁ」

「そんなの、僕には関係ないでしょう!」

「いーや、ある。《死に至る病》に罹ってもりせーを保てるとゆーことは、そのげーいんをきゅーめーすれば、《死に至る病》のちりょーに大いに役立つ。一人の医者として、研究者として、お前はひじょーにゆーよーだよ、患者。だから、ワシに教えろ」

 満石さんはそこで軽薄そうな表情を霧散させ、真剣な目で僕の事を見つめる。

「お前は一体、何を願った?」

「ぼ、僕の、願い?」

「そーだ。お前は、何を求めた? 何故それを求めてしまった? そして、何に絶望した?」

「僕は、僕は、ただ、普通に――」

 満石さんに迫られ、僕はただ問われた問いに答えていく。でも、それでも特に変わったことは言っていないはずだ。僕は、幸せに生きたい。人と変わっている事があるとすればそれぐらいで、だから、僕は普通に――

 僕は、幸せに生きたい。

 何故そう願うようになったのかも、自分の両親との死別の事も、全て聞かれるがままに、僕は答えていく。そして、根掘り葉掘り僕の事を聞きつくした満石さんは、満足そうに頷いてこう言った。

「なーにが幸せになりたいだ。お前のその願いは、そこまで突き抜けた願いは、ただのごーまんだよ、患者」

 どこか突き放したような満石さんの返答。そんな反応をされるとは思わなかった僕は、面喰ってしまう。

「傲慢、ですか? 僕が?」

「あーそーだよ、患者。全く持って、お前のその大それたよくぼーは、お前だけで、お前一人だけで叶えよーだなんて、一人だけ叶えられようとするなんて、出来るわけなかろー?」

「叶え、られない?」

 僕は、幸せに生きる事が出来ないの? 父さんと母さんの願いを、僕は叶える事が出来ないの?

 混乱する僕を横目に、満石さんはさも楽しそうに笑っている。

「しかし、そーかそーか。患者の願いが叶ったかどうかは、患者自身が認識するひつよーがある。お前の絶望の場合、それがお前の願いに到達しているかどうかを判断せんといかんからなー。それだけごーまんなら、確かにそーそーりせーはなくせん。お前は自分のごーまん故、絶望を克服するまでりせーをなくせず、自分の絶望と向き合わねばならん。かーっかっかっか。これも、人の業なのかな? どう思う? 患者」

「どう思うって……」

「なーんにせよ、面白いカウンセリングの結果が出た。流石ワシの選んだ被検体だなー」

 上機嫌で笑う満石さんを見ながら、僕の心中は複雑だった。ただ聞かれたことに対して正直に答えただけなのに、何故そんな反応をされなくてはならないのだろう? そんな特別みたいな扱い、僕は求めていないのに。

「と、ゆーわけで、だ、患者。お前は今から、ワシの第十六看護隊に入隊してもらうことにするー」

「じゅうろ? え?」

 満石さんが、またわけのわからないことを言い始めた。

「お前をここに連れてきた《純白の天使》たちの部隊めーだよ、患者。せーしきめーしょーは、聖白百合総合病院附属高等学校衛生看護科第十六看護隊。げーがないめーしょーだし、名前が長いだろー? だから専ら、部隊めーだけで呼ばれるのさー」

「ちょ、ちょっと待ってください! そういう部隊があるのはいいとしても、入隊? 僕が?」

「そーだよー。りせーが残ってるとはいえ、《死に至る病》に罹った患者を野放しには出来んだろー?」

「だったら僕を治療してくださいよ!」

「だーめ。きちょーなサンプルを逃してなるものか」

「今サンプルって言った!」

「びしょーじょ揃いの部隊だぞ? そんな不満がることあるまーい」

「治療されない事が不満なんですよ!」

「一人じゃお前の願いを叶えられんとゆーワシの言葉、気にはならんかねー?」

「それは……」

「頼むよ、患者。あの子たちを、助けてやってくれないか? 絶望しながら、傲慢にも自分の希望を理性的に追い求めるお前にしか、きっとこれは出来んのだ」

 また、急に真剣な表情になる満石さんに、僕は戸惑うことしか出来ない。

「満石さん。あなたは、一体何を――」

 その真意を確かめようと口を開いたタイミングで、診察室の扉が開いた。そして中に入って来たのは、先ほど満石さんが僕に助けて欲しいと言った、あの子たち。

「ちょっと、美郷先生! これは一体どういうことですかっ!」

「……納得、出来ない」

「あらあら。少し落ち着きましょう、皆さん」

 双柳さんは怒りにポニーテールを揺らし、成美ちゃんはイラつきながら眼鏡の位置を直す。オルセンさんはそんな二人を、どこかおっとりとしながら見比べている。その三人を見て、満石さんは溜息を付きながら見返した。

「どーした、お前ら。まだ診察ちゅーだぞ?」

「どうしたもこうしたもありません! 《死に至る病》に罹った患者と、病人と一緒に活動するなんて、正気ですか? 美郷先生!」

 双柳さんの至極真っ当な意見に、成美ちゃんも同調する。

「……双柳の、言う通り。一刻も早く煌を治療し、《死に至る病》とは関わりのない生活をしてもらうべき。あんな目にあったのに、煌はこれ以上死に至る病に関わる必要はない」

 そう言って、成美ちゃんは滅多に見ない強い眼差しで、満石さんを射抜いた。満石さんはその視線を真正面から受け止めても、浮かべた微笑は揺るぎもしない。

「ゆねーとなるみーは、患者に対して冷たいなー」

「病人に対して、適切な処置を求めているだけですっ!」

「……早く、煌を治させて」

「お前は患者の事、どー思ってる? れぎーねー」

 双柳さんと成美ちゃんを無視して、満石さんはオルセンさんへと視線を移す。その視線を受けて、オルセンさんは聖母の様に朗らかに笑った。

「はい、美郷さん。わたくし、こちらの患者さんへは神の御心のまま、慈愛を持って接するべきだと思いまわ」

「それ、結局どういう事なのよ? レギーネ」

 双柳さんの疑問を受けて、オルセンさんは大きく頷く。

「はい。患者さんのなさりたいようになさるべきかと」

「だ、そーだぞ? 患者。お前は、どーしたい?」

「……僕は、幸せに生きたい。それ以外は、どうでもいい」

 脊髄反射で、僕は思わずそうつぶやいた。その言葉に満石さんは満足そうに頷き、オルセンさんは変わらずの微笑で、成美ちゃんは一瞬痛みを感じた様に目を伏せ、双柳さんは不機嫌そうに歯ぎしりした。

「何よ、その漠然とした、無気力な回答! 美郷先生! やっぱりこの患者はすぐに治療して――」

「うるさいぞー、ゆねー。これはけってーじこーだ。この第十六看護隊を預かる、このワシのなー」

 聞く耳持たないとばかりに、満石さんが双柳さんを一蹴する。しかし、双柳さんも簡単には引き下がらない。

「でも、この患者は普通科の生徒ですよね? 入隊するには、衛生看護科に所属しているのが最低条件のはずです」

「そーだなー。だからこの患者は、普通科から衛生看護科に編入させる」

「そんな、横暴です! 唐突に編入させるなんて、他の生徒から不満の声が上がるに決まっていますっ!」

「上がらせなければいーのだろー? ゆねー」

 その言葉に、双柳さんははっとした表情を浮かべる。

「まさか、形だけでも編入試験をこの患者に受けさせた事にするつもりですか? でもそれだって、急に成績が上がれば怪しまれます! 直ぐに不正だって見破られますし、何より不正なんてアタシが許しませんっ!」

「……たぶん、その心配はない」

 今まで自分の味方をしてくれていた成美ちゃんが満石さんを擁護する発言をし始めたため、双柳さんが驚きの表情を浮かべる。

「何? どういうことなの? 成美」

「幸せに生きたいなら、うちにこいよー、患者」

 双柳さんの言葉を遮り、満石さんが僕に言葉を投げかける。投げかけられたそれは僕に何よりも響く言葉で、その言葉は僕が何よりも願ってやまない事だった。そして何より、満石さんが僕に言った、あの言葉が引っかかる。僕の願いは、一人では決して叶える事の出来ないという、あの言葉。なら逆に、一人じゃなければ、僕の願いは叶うのだろうか? 彼女たちと一緒にいれば、第十六看護隊に入隊すれば、僕の願いは、僕は幸せに生きる事が出来るのだろうか?

「何はともあれ、僕が編入試験をクリア出来なければ、この話はなくなりますよね?」

「そうよ! ほら、今からこの患者に編入試験を受けさせましょう! 公正に、公平にねっ!」

 僕の言葉を受けて、双柳さんは意気揚々と頷いた。その様子を見て、僕の成績を、幸せに生きるために必要なことをし続けてきた僕の生き方を知っている成美ちゃんが、深い溜息を付く。

「……美郷。煌の成績データ、既に入手していたのね」

「さー、どーだろーなー? お前はどー思う? かーやま」

「え? 何? どういうことよ? どういうことなのよぉ!」

「あらあら、何も心配することはありませんよ、友音さん。全てはそう、神の御心のままに」

 成美ちゃんのジト目を満石さんは肩をすくめて躱すと、その意味を双柳さんは察することが出来ず狼狽し、オルセンさんは十字を切って全てを受け入れる。そして僕はその後、編入試験を受けることになった。

 どうにも忙しい日になってしまったが、幸せに生きるために、僕は今日、大きな一歩を踏み出したのは間違いないだろう。

 僕は無事に編入試験に合格し。

 明日から新たに、聖白百合総合病院附属高等学校衛生看護科の一年生として、そして三人の《純白の天使》と一人のマッドサイエンティストが集う第十六看護隊に入隊することになった。

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