東洲斎江戸日和(その8)
蔦屋重三郎は、吉原の名花である花扇を床の間の生け花に見立て、山東京伝と扇屋の主と三人で酒を酌み交わし、連歌など吟じて遊んでいた。
ようやく病が癒えた蔦重には、仲ノ町から聞こえてくる三下がりの清掻三味線の嫋々たる音色が、はらわたに沁みた。
「やあ、お待たせ」
薄くなった頭を下げた大田南畝が座敷に入って来るなり、
「重さん、あんた狙われてるぜ」
と真顔でいうので、蔦重の快気祝いのつもりだった場の空気が、たちまち一変した。
「めでたい席に、なんということを」
すでに酔の回った京伝が、口を尖らした。
「『命が狙われている』などと穏やかではありませんな。お戯れを」
いつもは穏やかな楼主が、めずらしく気色ばんだ。
「いきなりで申し訳ない」
平謝りの南畝は、かけつけ三杯とばかりに花扇から盃を受け、
「ともかくこれを・・・」
と瓦版を畳に広げた。
蔦重と京伝が、そろって覗き込んだ。
上段が籤の当り番号で、中段に紀文の花見の宴の錦絵、下段に洒落た外題が配された豪華な瓦版だった。
「この瓦版と重さんの命とどんなつながりが?」
京伝が、目をこすって身を乗り出した。
「まず中段の紀文の花見を見てほしい。紀文とはじつは公方さまだ」
「見たことも屁を嗅いだこともねえ。似てるのかね」
京伝がちゃちゃを入れた。
「京伝先生。似てるとか似ていないではなく、雰囲気だよ、雰囲気。紀文を囲む六人の花魁は、公方さまの側室をあらわす。解説には、いかに紀文が色好みかが書いてある」
みんなは、うなずきながら黙って聞いていた。
「公方さまが、この瓦版はじぶんの贅沢好みと色好み揶揄しておると怒っておる」
「へえ。家斉公も下世話な瓦版などを読むのかね」
京伝がまぜっかえすのを、南畝は無視して、
「この絵を描いたのは、写楽。外題は山東京伝。企画した黒幕は蔦屋重三郎、と断じる幕府の重役がおる。この三人を処罰せよと息巻いておる」
「写楽は、ふたりなので四人ということだが。どらどら」
京伝が瓦版を手に取り、近眼の目を近寄せて瓦版にしばらく見入った。
「錦絵は、さすがにすごい写実力だ。この手は、十辺舎一九の洒落斎では無理だ。やはり東洲斎。しかし、この外題は京伝さまの格調がない三文戯作者の手だ。ところで、蔦屋さんも瓦版も企画するんで?」
京伝は、にやつきながら蔦重に話を振った。
それを受けた蔦重もにやりと笑い、
「こんな瓦版で、手鎖や身代半減では、この蔦屋重三郎これ以上身が持たん」
と首を振ったが、半分は本音だろう。
「すでに、この瓦版を彫った者、摺った者、売り歩いた者は殺された。東洲斎も襲われた。次は、山東京伝と蔦屋重三郎」
「ひええ」
何があってもへこたれない京伝は、どこまでもお道化者を演じた。
京伝から瓦版を横から奪い取った蔦重は、懐から眼鏡を取り出し、東洲斎の描いた紀文花見の図に見入った。
「東洲斎が、いまいちど歌舞伎の役者絵を描いてくれたらうれしいのだが。しょせん戯作者でしかない十辺舎一九では、上っ面をなぞった通り一遍の絵しか描けない」
そういって嘆く蔦重に、まったく同感の京伝も、しきりとうなずいた。
・・・たしかに東洲斎が加わらない役者の錦絵は売れなくなっていた。
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