東洲斎江戸日和(その6)

亥ノ刻、神田川左岸の浅草橋と柳橋の間の茅町で、押し込み強盗があった。

ふた間続きのしもた屋のわりと広い土間を使って、主の辰一は錦絵の版の彫りをやっていた。

賊のひとりが、障子戸の隙間に白刃を差し込んで外した心張り棒が、土間に落ちて音がした。

押し込み強盗と思ったが、頬被りをして大小を腰に手挟んだ三人の侍ということは、夜目にもはっきりと分かった。

ふたりが押し入り、三人目が見張りに立って外をうかがっているところへ、牢人者が飛び込んできた。

見張りの侍は素早く抜刀し、正眼に構えたまま、「邪魔が入った」と、中に向かって叫んだ。

中から、もうひとりの侍が姿を現した。

その時、風にあおられて夜空を走る群雲の間から、半月が顔をのぞかせた。

「東洲斎!」

ふたり目の男が叫んだ。

「なんだとお。『飛んで火にいる夏の虫』とはこのこと」

叫んだ見張りの侍が、長刀を突き入れてきた。

かわした東洲斎が、脇差を抜刀しざま、横に払った。

敵もさるもの、長刀の先を下げてこれを受けたが、わずかに脇腹を切られて片膝を突いた。

突如、家の中で火の手があがった。

中から頭らしき侍が、飛び出して手を振った。

脇腹を押さえる侍に肩を貸したふたりは、浅草橋を渡って御門の方へ脱兎のごとく、消えていった。

土間に積まれた版画に油をかけて火を点けたのか、燃え上がった紅蓮の炎は障子戸と襖を舐めつくしていった。

奥座敷に入ると、辰一と内儀とふたりの幼子は無残に斬り殺されていた。

燃え上がる障子戸を押し倒して、外へ出ると、町火消しの一団が路地を入ってきた。

遠くで半鐘が鳴っている。

そろいの半纏を着た町火消しと東洲斎は相対するかたちになった。

手に下げた抜き身を見た東洲斎は、その身をひるがえすと、三人の暗殺者を追うようにして、浅草御門のほうへ一目散に駆け出した。

―「抜き身を引っ提げた髭面の牢人者が、火の中から飛び出して来ました。火を消し終わって、奥の六畳に入ると、親子四人が惨殺されていたのです」

かろうじて辰一のしもた屋だけで類焼を食い止めた町火消しの頭が、やってきた奉行所の役人に報告した。

―「東洲斎から話を聞くしかないかな。あの夜、暮れ六ツ過ぎから、あの辺りで髭面の牢人がうろうろしているのを見た近所のやつらがけっこういる。・・・いや、ひと月前から辰一のところに出入りしていたようだ」

浮多郎を役宅へ呼び出した岡埜は、腕組みをして口をへの字に結んでいた。

「要蔵の大家に聞いたのですが、要蔵が瓦版を企画し、東洲斎先生が絵を描き、辰一が版木を掘り、長次が摺った。それを要蔵が売って歩いた。先生は、瓦版を作りにからむ要蔵と長次が殺されたので、次は辰一と思い定めたのではないでしょうか。それで茅町あたりに潜んで見張っていた・・・」

「浮多郎。相変わらずのへぼ推理だな。だが、これでお終いだ」

「はあ?」

今度は、浮多郎があんぐり口を開ける番だった。

「これ以上この瓦版がらみの殺しの探索はするな、とお奉行からお達しがあった」

岡埜は、逆さに立てた両手の指を外に振り、鶏でも追うように、用の済んだ浮多郎を追い払った。

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