その目の意味を知る話

sio@百合好き

第1話


 「私と付き合って欲しいのですが」


 たくさんの葛藤の果てに絞り出した言葉は、夕暮れの校舎に小さく消えていった。蛍光灯を点ける余裕もなく色濃い影がそこらに出来ている。それがまるで自分の気持ちのように、赤色と黒とがぽつぽつと点在しているように思えた。

 私が意を決して思いを告げた相手は、一つ上の先輩である。成績優秀の文武両道、憧れる要素がいくつもある中で、私はその『何を考えているのか分からない』所に惹かれていた。漆黒の艶やかな髪を流し、みなが凛々しいと評価する表情よりもなお、私はその目の暗澹さに心を撃たれたのだ。


 「ふうん」


 鼻を鳴らす様子でありながらも、その目は私を捉えない。路肩の蟻にでもなった気分だ。きっとこの人にとって同じ事なのだろうけど、人として、いや、高望みか。せめて私というものの存在を見てくれたら、なんていう酷く鬱々とした気持ちを抱えていた。

 その目に写りたい。

 だから私はこうして、彼女の気を引きたいと愛の言葉を告げるのだ。歪である事は理解していたけれど、想う事を辞められないのなら、玉砕してでも前を向かなければならないから。


 「私の事が好きって、どの程度なの?」


 帰ってきた言葉に逡巡し、思考を巡らせた。面積や体積ではあるまい。なら何で例えるなら妥当なのだろう。高さか、深さか。いっそ突拍子もなく星や空気にでも例えるのが正解だろうか。


 「………具体的には、ちょっと」


 暫く時間を貰ったのに、私は答えを見つけられなかった。そもそも彼女の事を知りたいからと告白したのであって、適切な回答が出せるのならこの様な事などしていない。

 開き直り、と言えばそれまでだ。しかし絵空事を闇雲に口にするよりは誠意があるのではないかと、私は自己満足にも己の答えに納得していた。


 「そう」


 素っ気無い、たった二文字の音。どの様に受け取ったのかは分からないが、表情に変化はないのだから興味もないのだろう。何故それを問うたのかも不明で、やはり理解してみたいと、こんな場合でもないのに胸が一つ鳴っていた。

 影に染まるセーラー服と、仄暗いまなこ。まるで現存してしまった幽霊のような、理解の枠を超え人々を魅了してやまない彼女は、


 「私のお願いを聞いてくれたら、いいよ」


 などと、私に光を与えた。

 それにすかさず食いつくのは御行儀がよろしくないが、吟味する分には構わないだろう。しかし対価を求められたという事をどう受け止めれば良いのだろうか。取引に値すると認められた事を喜ぶべきなのか、はたまた、無理無謀の類を押し付けるつもりなのかと危機感を抱くべきなのか。

 

 「その、お願いとは?」


 なんにしろ内容を知らなければ応える事は出来ない。それを聞いて是非を返せばいいのだけど、つい天秤は彼女に傾きがちだ。元より対等ではないのだから、不平等な契約を結ぶのだろう。そんな苦々しい気持ちまで加わって、なのに断れる気が微塵もないのだと内心で頭を抱える。

 ならせめて、可能な範囲でありますように。

 祈る事しか出来ない自分は、なんて滑稽なのだろうか。


 「うん。-------犬とセックスして見せて」


 はて、日本語とはかように難しいものだっただろうか。暗喩にしても難解が過ぎる。お前は犬なのだから這いつくばれ、にしてはセックスという単語が分かりかねるし、犬との交尾から連想される状況を、今に当てはめる事も困難だ。

 早々にと白旗を上げ、私は肩を竦めた。


 「どのような意味でしょう?」

 「そのままだよ」

 「あら」


 簡単に与えられた回答に、余計に理解できない物が増えてしまった。これではまるで禅問答の様だ、なんて魅力的なこの人に笑いかける。


 「どのような意味があるのですか?」

 「私が満足する」

 「酷いお人」


 その曇った目には嗜虐心でも宿っていたのだろうか。その割には興奮する事もなく淡々と返されるのが不思議でたまらないが、少しだけ見えた光に嘆息する他ない。

 想い人から犬に操を捨てろと言われてて、肯ける人間はどれだけいるのだろう。


 「それをしたら、私は貴女を理解できますか?」

 「そんな事は知らない」

 「そうですか。いえ、それもそうですね」


 彼女が満足するだけの、虚しい行為でしかないのだろう。けれど、彼女がその歪んだ充足感を得るために交際すらもするのであれば。


 「構いませんよ。お手柔らかにと、お願いしたくはございますが」

 「……………正気?犬だよ?」

 「お喜びください、初モノですよ」

 「………………………馬鹿じゃないの?」


 私を試したのは、貴女ではないですか。

 最初の質問に対する返答に、これではご満足頂けないようだ。意外と可愛らしい一面があるのだな、なんて思わず口元が緩んでしまう。


 「犬とセックスするくらいには、好きですから」

 「……………」


 あえて言い直せば、彼女は目を逸らし、とうとう私というものに見向きもしなくなってしまった。流石に重すぎたか、なんて自分の呆れそうな口説き文句を反芻してから、口を開いた。


 「いかがなさいますか?」


 本来であれば、提示された条件を飲むのだから私に解答権が与えられていた筈だ。それでも彼女との先のやり取りから、まだ覆す事が出来るのだと、精一杯の余裕を見せつける。

 きっと、私は断って欲しかったのだ。

 暗澹たるまなこに恋をした、滑稽な自分を。


 「いいよ、付き合おっか」

 「感謝します」


 浮上したそれは、少し力が付いていた。まるで決闘でも申し込まれたのですかと問いたくなるような、幼い一面。

 もしも雲が晴れたらどうなるのだろう。

 私こそが彼女を、路肩の石とするのだろうか。


 「手始めに、慣らすのにお付き合い下さいましね」

 「………………それは、考えとく」

 「ふふ」


 自分に失笑してから、まだ理解には遠く及ばない恋人に手を差し伸べた。

 どうしてだか繋いでくれたそれを握り返し、私はどうしたら良いのだろうかと思案する。


 「帰りましょうか」

 「…………そう、だね」


 闇を払えばいいのか、深淵を目指し突き落とせばいいのか。

 予想外の展開に己の選択肢が増え、困り物だと夕暮れの校舎を後にする。理解出来ない人といるのだから、私まで堕ちていくのだろうか。














 「ところで、私、犬を飼っておりませんが」

 「私も飼ってない」


 






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