第11章 sengi
その手の主は凜だった。
彼女は右手一本で霜月の動きを制すると、眼で望結に後方に下がるよう指示する。
刹那、霜月は腕を振り上げた。
凜の身体が大きく中空を舞う。
が、彼女は猫の様な柔らかな動きで体を捻ると、静かに両脚で地に降り立った。
「見た事があると思ったら、大学の事務のお姉さんじゃないの。なかなかやるねえ」
霜月は嬉しそうににやにやと笑う――次の瞬間、彼は大きく踏み込むと一気に凜との間合いを詰めた。
が、急速に押し迫る敵意の存在に対して、凜は落ち着いた表情で動向を窺っていた。
彼の拳をぎりぎりで交わすとその腕を取り、相手の勢いを殺さないままに自身の体術の捻りを加算し地に叩きつける。
長身の霜月の身体が大きく弧を描き、地に叩きつけられた。
常人なら一瞬呼吸が止まり、反撃する気力を瞬時に根こそぎ刈り取られてしまうだろう。
だが霜月は違った。
両脚で思いっきり空を蹴って跳ね起きると、体勢を整え、滑る様な足さばきで再び凜との間合いを詰める。
霜月の右拳が凜を襲う。
残像すら軌道に残さない超高速の拳が凜を捉える
が、其の軌道の先に凜はいない。
霜月の拳を僅かに躱しながら、彼女は同時に拳を彼の顔面目掛けて撃ち込む。
見事なカウンターパンチ。
霜月はそれを片手でガード。
が、威力に押されてたまらず吹っ飛ぶ。
凜は攻撃をやめない。
軽快なステップで霜月との間合いを詰めたまま、上体の崩れた彼の腹部を蹴り上げる。
霜月の身体が大きく中空を舞う。
それに並走する影。
凜だ。
霜月の身体が最頂点に達した時、凜は彼の背中目掛け、高く振り上げた脚を鉞の様に振り下ろす。
超強烈な踵落としを喰らった霜月は上昇時の倍以上の速度で地表に突き刺さる。
大地を揺るがす爆音と同時に、霜月を中心にアスファルトの路面に放射状の無数の亀裂が走った。
追い打ちをかけるように、凜の両脚が霜月の腹部を貫く――寸前。
霜月は左掌で彼女の両脚を受け止めた。
「お姉さん、パンツ丸見えだぜ」
霜月は口元に猥雑な笑みを浮かべると、無造作に凜を校舎の壁目掛けて投げつけた。
壁にぶつかる――コンマ1秒前に、凜は体勢を整えると、両手両足で壁に対して垂直に吸い付く様にして貼り付き、更に跳躍。
既に立ち上がって身構えている霜月の目掛け、凜は地面と平行に飛ぶ。
凜が拳を結ぶ。
迎え撃つ霜月は咆哮を上げると、完璧な反撃体勢で凜にカウンターとなる掌底を放つ。
拳を結んでいた凜の手が緩む。
凜の手が大きく円を描き、掌底を撃つ霜月の腕を絡み取る。
凜はそれを支点にし、体を反転させると右足の爪先に全体重を掛ける。
彼女の右足が、上腕が伸び切り無防備となった首を襲う。
霜月は咄嗟に左腕でそれをガード。
凜は後方に跳び、二人の間に再び間合いが生じる。
「あんた、普通じゃないな。ひょっとして『封』の適合者か? 」
霜月は意味深な笑みを浮かべながらも、凜を捉える眼には常人なら見つめられただけで卒倒するレベルの研ぎ澄まされた狂気を孕んでいた。
勿論、そんな奴の探りに凜は答えない。
彼女は無言のまま霜月を凝視しながら、次に仕掛ける隙を伺っていた。
「続きはまた今度。出来れば争わずに同志として迎えたい。二人共ね」
霜月は側方に大きく跳躍。両サイドに立ち並ぶ校舎の壁を交互に蹴りながら、研究室とは対面の校舎屋上に姿を消した。
「望結ちゃん、大丈夫? 」
「大丈夫です。凜さんこそ」
「私は大丈夫」
凜は額の汗を手の甲で拭うと、静かに笑った。
後方でざわざわと人の気配がする。
男女の学生らしき姿が数名。スマホで動画を取りながら歩いている所を見ると、事故現場をSNSにアップしようと企んでいるのか。一見、ここの学生の様に見えるが、そうじゃないかもしれない。
「行きましょう。変に色々聞かれても困るから」
凜はそう望結に囁いた。
望結は黙って頷くと、何事も無かったかのように歩き始めた。
彼らはどうやらここの学生らしく、先程の戦闘で生じた地面の亀裂を見つけて、昨日までは無かったはずだとか何やら騒いでいる。
「望結ちゃんやるじゃない。携帯を通話にしてくれていた御陰で状況が分かったよ」
「ありがとうございます。咄嗟にやったんですけど、役に立てて良かったです」
先程霜月が現れた時、望結はさり気なく凜の携帯に電話を掛け、会話が聞けるようにしたのだ。
事態に気付いた凜はすぐさまGPS機能を確認し、現場に駆け付けたのだった。
「流石にあの状況じゃあ、後は追えなかったけど、多分また現れるから注意してね」
「はい」
「霜月は『隠形』のこと、知らなかったのよね? 」
凜の問い掛けに、望結は頷いた。
「でも彼の考えは『隠形』と同じ様な感じでした」
「独自でテロをやりかねないって事か・・・『封』を持っているだけに達が悪い」
凜は忌々し気に吐き捨てた。
「テロ? 」
「うん。でも彼が最初に始めるのは、多分仲間集めね」
「仲間集め? 」
「そう。行動を起こすにも一人では限界があるし、ましてや彼は捜査上の重要人物な訳だから、身動きがとりづらいはずだし」
「ひょっとして、研究室のみんなに食べさせたのも? 」
「それが目的だと思う。顔馴染みの方が、後々やりやすいだろうし、指示も飛ばしやすいからね。」
「酷い」
「心配なのは、彼が『隠形』に加わったとしたら、自身の力に加えて人的にも経済的にも強いネットワークを手に入れることが出来る」
「考え方が一緒だから、可能性はあります」
「そうよね」
不意に、彼女の携帯が鳴った。
「はい――あ、どうだった? そう・・・有難う」
彼女は通話を切ると気だるげに吐息をついた。
「一応、別動隊に霜月の追跡を頼んだけど、駄目だったって」
「いくら身体能力が化け物並みでも、あんな派手な動きをすれば人目を引きますよね。例え雑踏に紛れようにも、この界隈は学生ばかり。霜月先生は重要参考人だから、姿を見かければ誰かがすぐに通報するか、動画をSNSに上げるだろうし・・・ひょっとしたら、まだ大学の構内にいて、近くの物陰から私達の様子を伺っていたりして」
「まさか――!? 」
望結の突拍子の無い推察に凜は苦笑する――直後、脇の側道から黒い影が飛び出して来た。
「わっ! 」
悲鳴を上げたのは影の方だ。
凜と望結は反射的に影を躱した刹那、影の主は足がもつれたのか派手に転倒した。
デニムにグレイのカットソー姿の少年が、路面に俯せになって倒れている。
「大丈夫? 」
望結は慌てて彼の傍らにしゃがみこむ。
「だ、大丈夫です。お姉さん達は大丈夫ですか? 」
少年はきょどきょどしながら望結を見つめた。
「大丈夫、そもそもぶつかってないし」
「そうですか・・・良かった」
彼はほっとした表情を浮かべると、ゆっくりと立ち上がった。
中学生くらいだろうか。背丈は凜と同じ位だが、まだあどけない顔つきをしている。声もまだ低くなく、顔ににきびもない。外観的にはまだ第二次性徴前の様にも見えた。
「ひょっとして、君、中学生? 」
凜が彼に優しく語り掛けた。
「はい、中一です」
凜に真正面から見つめられて緊張したのか、彼は恥ずかしそうに俯く。
「どうしてここに来たの? 」
「お父さんがいた研究室が見たくて」
「いたって事は・・・ひょっとして、この前の事故で亡くなった? 」
「いえ、死んではいないんですが、行方不明になったって」
「えつ? 」
凜と望結は顔を見合わせた。
「ひょっとして、君のお父さんって・・・」
望結は生唾をごくりと嚥下した。
「霜月 覇弥人です」
彼は顔をあげるとはっきりと言葉を紡いだ。
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