第9章 izanai
「望結ちん、何怖がってるの? 一緒に遊ぼうよ」
清美がにやにや笑いながら望結を見据えた。
彼女の白衣は鮮血で種に染まり、足元には躯と化した学生達が横たわっている。
「ほら、志保と雫も一緒に遊びたいって」
清美は両手を高々と掲げた。
彼女の手には、二人の友人の生首が握られていた。無造作に掴まれた頭髪からぶら下がるそれは、苦悶の表情に歪み、恨めし気に望結を見つめた。
「望結ちんもこっちへおいでよ」
清美がけらけらと甲高い声で笑った。
足元の躯達が、ゆっくりと起き上がる。
遊ぼうよ。
遊ぼうよ。
こっちへおいでよ。
躯達は手招きしながらゆっくりと望結に近付いて来る。
首の無い志保と雫の身体も、その中にあった。
「来ないで」
望結は必死で言葉を紡いだ。
逃げなければ。
早くここから立ち去らないと。
だが、彼女の意志を拒絶するかのように、体が硬直して動かない。
痺れるような戦慄が、彼女を翻弄する。
このまま殺されるのだ。
彼らに身体を弄ばれ、生きながらにして四肢をばらばらにされるのだ。
望結の下腹部に生暖かい感覚が広がる。
刹那、彼女の体躯を拘束していた緊張が解けた。
「来ないでっ! 」
望結は間近に迫る清美の胸を突き飛ばした。
刹那、清美の身体が水風船の様に破裂し、込み切れとなって四散した。
それは後続の躯達に連鎖し、次々に肉片と化していく。
(何が、起こったの? )
(ひょっとして、これが私の力? )
望結はかっと眼を見開き、眼前に繰り広げられる惨状を見つめていた。
安心しなさい。
大丈夫だから。
望結を、優しい思念が包み込む。
凜だ。
彼女は背後から望結をそっと抱き締めると、愛おし気に頬を摺り寄せた。
「大丈夫? 」
望結は、はっと目を開いた。
気が付くと、凜が心配そうに望結を覗き込んでいた。
彼女は客室のベッドに横たわっていた。
あれは、夢だったのだ。
望結はそう悟ると、安堵の吐息をついた。
「ごめん、勝手に部屋には行っちゃって。望結ちゃん、凄く魘されてたから」
凜が眉毛をハの字にすると、申し訳なさそうに望結に頭を下げた。
「いえ、そんな・・・こちらこそ心配かけちゃってごめんなさい」
望結は体をベッドから起こすと、慌てて凜に頭を下げる。
「怖い夢でも見てたの? 」
凜はベッドの傍らに腰を降ろすと、優しく望結に語り掛けた。
「はい・・・」
望結は凜にさっき垣間見た悪夢を、凜に事細かく話した。
「あの事件がトラウマになったのかも」
凜が表情を曇らせた。
「凜さん、怖いのは友達の凶変よりも自分自身がなんです。まだどれ位かも分からない憑代の力が。自分でちゃんとコントロール出来るのかなって」
「確かにね、そう思うよね」
凜が、しみじみ頷く。
「でも大丈夫。理性がある限りコントロール出来るよ。凶変した人達は、封の恩恵に授かりながらも理性を失った状態だと考えて」
「そうなんですか? 」
望結は凜の眼をじっと見つめた。
彼女は自分を安心させるためにそう言っているだけではないのか。
疑ってはいけないと思う。
こうやって親身になって自分を助けてくれる凜に猜疑の眼を向けるのは失礼だとは思う。
だが、現実的に起こり得る危機感に直面している以上、本音を言うと欲しいのは、優しさを纏った虚偽ではなく、厳しくても避けられない現実の把握だった。
「そう。理性があれば、無意識のうちにコントロールしてくれる」
「本当なんですか? 」
「本当よ・・・私には分かる。私も、憑代だから」
凜は穏やかな表情を浮かべながら、そっと望結に囁いた。
「え? 」
望結は驚愕した。大きく見開いた眼で、傍らの凜を凝視した。
掛け布団の上で、彼女の指が強張る。
「私も食べたの。封をね」
「いつ、ですか? 」
望結は生唾を呑み込んだ。
喉がごくりと大きく音を立てる。
「三年前。あの事件の起きた山村で」
凜が、ゆっくりと語り始める。
当時、学生だった凜は、友人達四人とあの山村にキャンプに出掛けたらしい。
村では過疎化対策としてキャンプ場を設営し、その記念イベントしてジビエ祭りを開催することになったのだ。そのタイミングで奇しくもツチノコ目撃の情報が相次いだものだから、これをチャンスとばかりにジビエとツチノコを売り物にした大イベントへと拡大。キャンプ場は全て埋まり、テレビ局も数社訪れ、関係者はマスコミの取材で大わらわだったらしい。
凜達が参加したのは祭の最終日だった。
猪や鹿肉を格安で手に入れ、友人達とバーべキューを楽しんでいた所、イベントの関係者と名乗る青年から肉の差し入れを貰ったのだ。彼はジビエのおすそ分けだと言い残すと、他のキャンパー達にも配っていたそうだ。
凜達はそれが何の肉か分からないままに、その場で焼いて食べた。その美味しさは全ての肉の味が消し飛んでしまう程で、彼女達は奪い合う様に食べたらしい。
異変が起きたのは、その直後。みんなで食後の珈琲タイムを楽しんでいる時だった。
友人達が腹を押え乍ら、次々苦しみ始めたのだ。見ると、周囲のキャンパー達も同様に苦し身悶えている。
何が起こったのか――凜は、焦りながらも瞬時に原因を探った。
答えは簡単だった。どう考えてもさっき貰った肉が妖しい。
悪質なフードテロ?
肉に薬剤が仕込んであったのか?
凜が周囲を見回すと、自分以外のキャンパー達は皆、地に転がりのたうち回っていた。
(今のところ、無事なのは自分だけ――私が動くしかない)
凜は慌てて携帯を取り出し、救急要請しようとしたものの、電波が微弱なのか通じない。
凜は走った。管理棟ならきっと固定電話がある。
彼女が管理棟に飛び込むと、既に何人かの客が口々に二人の女性事務員に救急要請を依頼していた。
凜も大勢のキャンパーが苦しんでいるのを伝えると、女子事務員は青ざめた顔で電話を掛け続けた。
「繋がらない・・・電話がつながらないんです」
事務員が悲痛な声を上げた。二つある固定電話がどちらも通じないらしい。
(これは・・・間違いなくテロだ)
凜がそう確信した刹那、事務所棟のドアが乱暴に蹴破られた。
凜達はぎょっとした表情でそちらに目線を向けた。
若い男女が数名。イベント参加の客の様だ。
だが、その姿は凄惨だった。彼らの身体は自分達が戻したであろう吐瀉物と深紅の染みで汚れ切っていたのだ。
『――さん、大丈夫なの? 」
凜と同じくらいの女性が、知り合いらしく、頭の青年に声を掛けた。
青年は、彼女を見つけると、にこにこ笑みを浮かべながら無言のまま近付いた。
彼女は安堵の表情を浮かべると、青年に駆け寄った。
次の瞬間、彼女の身体が中に浮いた。
青年の右手の指が、彼女の顔に食い込んでいた。彼は彼女の顔を右手で鷲掴みにすると、其のまま宙に持ち上げたのだ。
彼女の顔が天井を仰ぎ、頸椎を圧迫する。
彼に口を押えられ、呼吸が出来ないのか、苦しそうに手足をばたばたさせている。
不意に彼女の手足が力を失った。力無く伸び切った両脚を覆うデニムのパンツに、黒々と染みが広がっていく。
誰も動けなかった。
余りにも非現実的な動向に思考が混迷し、誰もがどう動けばよいのか判断出来無くなっていた。
女性客の一人が悲鳴を上げる。
同時に、時が再び動き始めた。
非現実的な光景の呪縛が、其の悲鳴によって解けたのだ。
ただ、それで救われたわけではなかった。
新たな地獄が、凜達を襲う。
事務所棟に雪崩れ込んで来た人々が、室内にいた人々に次々に襲いかかったのだ。
幸いにも凜は戸口の近くにいた為、慌てて外に脱出した。
だが、外は事務所棟以上の地獄絵図が展開していた。
キャンパー達がイベントスタッフに次々と襲いかかっていたのだ。
首や手足がもがれた遺体があちらこちらに転がり、その周囲には血の水溜まりが生じていた。
「助けてくれつ! 」
村民のボランティアらしい壮年の男性が、二人の女性に襲われている。
凜の友人だった。
「やめてっ! 」
凜は友人を男性から引き離そうと駆け寄った。
男性の首に掛けられた友人の手にしがみ付き、引き放そうと試みる。
が、彼女が満身の力を込めても、友人の腕は鋼の様にびくともしない。
凜の友人はうっとおしそうに彼女を睨みつけると、軽く左腕で払いのけた。
プロボクサーのボディブローをも凌ぐ衝撃が凜の腹部を襲う。
凜は体をくの字に折り曲げたまま、土手に生い茂る薮の中を突き抜けた。
人間離れした力の応酬だった。
凜は幾つもの雑木を薙ぎ倒した後、アスファルトの路面に叩きつけられた。
彼女はゆっくりと身を起こした。
不思議と痛みは感じない。
異常な状況に、彼女の体内で爆発的に生み出された、アドレナリンの成せる技なのだろうか。
凜は道を麓に向かって走った。途中にもキャンプ場が隣接しており、そちらの管理棟に助けを求めるしかなかった。
あれだけの衝撃を受けたにもかかわらず、彼女は一切怪我を負っていなかったのだ。
凜の視界にもう一つのキャンプ場が映る。
だが、そこは凜達のキャンプ場よりも更に酷い状態に陥っていた。
管理棟は火を放たれたらしく、紅蓮の炎を上げて燃え上がり、周辺には躯と化した客達の痕跡が散乱していた。その躯の間を蠢く無数の影は、間違いなく正気の者達ではないのは明らかだった。
こうなったら、キャンプ場の下にある集落まで、助けを呼びに行かないといけない。
凜は坂道を下った。が、それも無駄だとわかった。
集落から、血だらけの服を着た無数の若者がこちらに向かって歩いて来るのが見えたのだ。手に、村民の生首や腕といった戦利品をぶら下げながら。
終わったのだ。
凜はそう思った。
彼女の両脚はその機能を失い、崩れる様にその場にへたり込んだ。
血だらけの青年達は、嬉しそうな笑みを浮かべながら、凜を見つめた。
彼らの眼が、猟奇に輝く。
新しい獲物を見つけた喜びに、雄叫びを上げながら凜に駆け寄って来る。
刹那、間近で爆音が響き、青年の首が吹っ飛んだ。
振り向くと、モスグリーンの服を身に着けた二人の男が凜の背後に立っていた。
彼らはショットガンで次々に青年達を倒していく。
「大丈夫ですか? 」
男の一人が凜に声を掛けた。声質から想像すると、明らかに凜より年上の様に感じられた。
「生存者一名発見。直ちに救護班の出動を要請します」
男がトランシーバーで仲間とやり取りをしているのが聞こえた。
それを聞いて安心したのか、凜はそのまま気絶してしまい、そこから先はよく覚えていない。気が付いた時にはベッドの上だったという。
「望結ちゃん、安心して。あの時、私も大小もれなく漏らしてたから」
凜が恥ずかしそうに舌を出す。
「その後、私も得体の知れない連中に突き纏われるようになった。それで、私は助けてくれたFに保護され、その後覚醒した憑代の力を買われて組織に加わり、今に至るって訳」
「そう・・・だったんだ」
望結は頷いた。話を聞いて、彼女の強さも分かったような気がする。不謹慎ではあるが、何よりも救われたのが、凜も彼女と同じ境遇だったと知った事だった。
「凜さん、お願いがあります」
望結はおずおずと凜を見つめた。
「何? 」
「今日一緒に寝てもらえませんか・・・また悪夢を見そうで、怖くて」
「いいわよ、でもその前に――」
凜は望結の横に添い寝をすると、徐に彼女のスエットパンツの右手を滑り込ませた。
「きゃっ、何を――」
戸惑う望結を尻目に、凜が淫猥な笑みを浮かべた。
「パンティ―履き替えてからにする、それとも後の方がいいかな」
凜の指が、望結のパンティーを探る様に這い、クロッチの上から彼女の淫谷をなぞった。
凜は知っていたのだ。望結が悪夢にうなされて僅かながら粗相をしてしまったのを。
「望結ちゃん、恐怖を撃退するにはどうすればいいか知ってる? 」
「え、それは、何? 」
思いも寄らぬ凜の行動に、望結は冷静さを喪失し、拒むという選択肢すら見失っていた。
「エッチな事をすればいいの」
凜がそっと望結の唇に唇を重ねた。
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