第8章 konwaku

 警察への通報は隣接する部屋の住民からのものだった。

 男の罵声と物音に驚いて通報したらしく、初めは喧嘩だと思ったらしいのだが、女性一人住まいの部屋から複数の男の声がしたので妙だと思ったようだ。

 部屋の鍵はアパートの管理会社である不動産屋から堂々持ち出している。

 不動産屋の従業員の話では、警察関係者と名乗る男が二人、店舗に現れ、先日大学であった爆発事故の容疑者の家宅捜査をしたいと話して合いかぎを貸すよう求めて来たそうだ。従業員は今年新卒で入ったばかりの男性で、見せられた警察手帳もリアルだった為、彼は少しの疑いも無く鍵を渡してしまったらしい。

 真っ青な顔をした当人と不動産屋の社長が、早速菓子折りを手に謝罪に来たが、そうそう簡単に許せるものではなかった。

 警官の聞き取りが終わり、彼らが立ち去ると、漸くアパートは日常の静寂を取り戻した。

 望結は疲れ切った表情でベッドに腰を降ろした。

「あいつら何者なんだろ」

 望結は背を丸めると、床をぼんやりと見つめた。

「望結ちゃんは、都市伝説とか興味ある? 」

 凜は望結の横に腰を降ろすと、徐に彼女に問い掛けた。

「あんまりないです。時々SNSの動画配信見る位で」

 望結は僅かに首を傾げた。学校で陰謀論とか地震がどうのとか騒いでいる友人達に話は合わすものの、彼女自身は興味がある訳ではなかった。

「そう・・・」

 凜は微笑むとすっくと立ちあがった。

 彼女は携帯を取り出すと、素早くキーを叩き、望結の鼻先に突き出した。

 凜が携帯のメモアプリに打ち込んだ文字が、望結の眼に飛び込んで来る。


 ここを出ましょう。あなたは狙われている。

 とりあえず衣類と最低限必要なものをバックに詰めて。


「えっ! 」

 望結は驚きの声を上げた。すると凜は再び携帯に文字を打ち、彼女の目の前に提示した。


 声を出さないで。

 盗聴されているかもしれない。


 望結は生唾を呑み込むと、黙って頷いた。

 クローゼットからリュックと大きめのバックを取り出すと衣類や下着を詰めこめるだけ詰め込んだ。


 パソコンは持って行ってもいい?

 

 望結は携帯に文字を打つと、そっと凜に見せた。

 凜は片手を上げて望結を制すると、置いて行くようにゼスチャーで示した。


 いったんは服だけ。家電は後日にしましょう。


 凜に携帯を見せられ、望結は黙って頷いた。

 尋常ではない事態に自分は巻き込まれているのだ――凜の険しい表情から、望結はそう悟っていた。

 二人は足早に部屋を出ると、車に乗り込んだ。

 凜はエンジンを起動させると車のナビ画面を注視した。

 そこには車のボディを示すシルエットが映し出されており、運転席と後部座席のドア近くに、赤い光が点滅している。

 凜は不愉快そうに顔を顰めると、車外の降り立ち、車の周囲を屈みながら歩き始めた。

 やがて再び車に戻ると、何事も無かったかのようにアクセルを踏み込んだ。

 車はアパートの駐車場を離れ、車道を進んで行く。

「もうしゃべってもいいよ」

 凜が望結に声を掛けた。

「さっき、車の周りで何してたんですか? 」

 望結は不思議そうに凜に尋ねた。

「GPSの端末がつけられてた。ご丁寧に二ヶ所もね。外してその辺りに転がしといたけど。ひょっとしたら盗聴機能も付いているやつかも知れない」

「まさか、さっきの連中? 」 

 望結の顔が蒼褪める。

「恐らく」

「あいつ等、何者なんですか? 」

 望結は恐る恐る凜に尋ねた。

「隠形」

 凜はそう、言葉短く呟いた。

「おんぎょう? 」

 望結は首を傾げた。

 聞いた事が無かった。興味が無いとは言え、何かしらの妖しげな組織名は友人との会話の中で嫌でも聞こえて来るので多少は分かる。

 だが、凜が告げた組織の名は、全く耳にした事が無かったのだ。

「隠す形で隠形。その名の通り、表舞台には決して姿を現さない得体の知れない組織。私達は組織そのものの存在は把握しているものの、その正体はまだわかっていないの。さっき私達を襲ってきた連中は、隠形に雇われた身に過ぎない」

「秘密結社、みたいな」

「まあ、そんな感じ。彼らは歴史の陰で暗躍して来た。彼らの信念は極端な選民思想。自分達は選ばれた存在であり、種を牽引する存在であるとの理念の基に活動を続けているの」

「テロリスト集団? 」

「それに近いかもね。宗教とは違う、独自の理念と信念に囚われ蠢く集団って言えばいいかな」

「あのう・・・もう一つ聞いていいですか? 」

 望結が遠慮がちにおすおずと凜に声を掛けた。

「凜さんって何者なんですか? 公安でも、別班でもないって言ってたけど」

 望結が凜の香をを覗き込んだ。

「内緒――って思ったけど、ま、いいか。ここまで関わったら仕方がないよね」

 凜はそう言うと、大きく深呼吸をした。そして、意を決したかのように、言葉を紡ぎ始めた。

「私の組織は警察でも自衛隊でもない。全く別の存在。組織としての正式な名は持たない。通称Fと呼ばれているの」

 凜が微笑みながら望結に答えを返す。

 望結はそれをただ淡々と耳にとどめていた。

 冗談みたいな話だった。

 秘密結社とそれに対峙する政府の裏組織の存在。

 普段、望結が苦笑を浮かべながら聞いている友人の都市伝説放談が、内容はともあれ、それに似通ったものが現実的に存在するものなのか。

 猜疑心に囚われながらも、望結は凜の話をゆっくり咀嚼していた。

「これからどこに行くんです? 」

 望結は凜に尋ねた。凜と行動する事に不安は抱いてはいなかったが、ただ行き先が気になった。

 自分を狙う相手は、その存在すら掴めさせない輩なのだ。幾らちゃんとしたホテルに身を隠した所で、生半可なセキュリティーなんかじゃ全く役に立たないだろう。

「望結ちゃんが良ければ、たちまちはとりあえず私のマンションにと思って」

「有難うございます」

 望結は安堵した。凜がそばにいてくれる事こそが、望結にとっては最高のセキュリティーだった。プライバシーの問題はあるが、今はそうも言ってられない。

「安心して。さっきまで追手がついて来てたけど、やっとまいたから」

「えっ! 」

 凜の言葉に、望結は驚きの余りに座ったまま飛び上がった。

 そう言えば、さっきから何度か同じ場所をぐるぐる回っているような気がする。

 今思えば、あれは後続を断つ為の行為だったのだ。

 車は住宅街を離れ、市街の中心地へと望結達を誘っていく。

 さっきまでの閑散とした住宅地とは違い、様々な店舗やビルが建ち並ぶ国道を車は進んで行く。

「ここのマンション」

 凜は車の速度を落とすと、ウインカーを点滅させた。

「凄い・・・」

 望結は車窓越しに外を見上げた。

 十階建位だろうか。否、もっとあるかもしれない。

 一階は商業施設となっており、二階からが住居となっている。駅前と好立地の上に、かなりの敷地を閉めている。

 凜は車を駐車場に停めると、望結の荷物を担ぎ上げ、先に立って歩きだす。

 住居棟への入り口で、凜はロックのキーに暗証番号を打ち込んだ。

 広いエントランスに入ると、管理人室に目つきの鋭い中年男性の姿があった。

 監視カメラも至る所に取り付けられており、セキュリティーはかなりしっかりしているようだ。

 彼女の部屋は八階だった。ドアを開けると長い廊下が目の前にある。その廊下の両側にドアがいくつかあり、突き当りのドアの摺り硝子からは明るい光が漏れていた。

「広いんですね。部屋幾つあるんですか?」

「4LDKよ」

「ご家族と一緒に住んでいるんですか? 」

「私一人だけ」

「えっ? 」

 望結は目を丸くした。 

(一人で生活しながら、これだけの部屋数のマンションに住めるなんて・・・そんなに給料いいの? )

 彼女は羨望の眼差しで前を歩く凜の背中を見つめた。

「ここ使ってくれる? 客室代わりに使っている部屋だから遠慮しなくていいよ」

 凜は廊下の途中で立ち止まると、一室のドアを開けた。

 十畳程の広さの洋室。フローリングの床にダブルベッド、クローゼットにチェスト、ドレッサーにテレビや小型冷蔵庫まである。

「いいんですか? こんないい部屋」

 望結は嘆息をついた。

 てっきり一時的にアパートの一室で凜と暮らす事をイメージしていた彼女にとって、思いも寄らぬ展開だった。

「とりあえず荷物はここにおいて。リビングでお茶しよ」

「はい」

 凜に従い、望結は荷物を部屋に残すと廊下に出た。

 凜はまっすぐ廊下を進み、凜が突き当りのドアを開ける。

 途端に、明るい光が二人を包み込む。。

 二十畳程の空間に、ソファーとローテーブル、そして巨大なテレビとオーディオセットがあり、その奥には広いキッチンがあった。

「あ、適当に座ってください」

 凜に勧められるままに、望結はソファーに腰を降ろした。

 程良いクッションが、彼女の下半身を心地良く包み込む。

 望結は吐息をついた。

 家具も決して安普請なものじゃない。部屋に相応するだけの高級感が感じられる。

「紅茶、大丈夫ですか? 」

「大丈夫です」

 望結がそう答えると、凜がトレイにティ―カップとクッキーを盛ったバスケットを載せて現れた。

「どうぞ」

「有難うございます」

 望結はちょこんと頭を下げると、カップを手に取る。

 ほんのりと甘みを帯びた、抜けるような爽やかな香りが鼻孔を擽る。それは、非日常的な事態に翻弄されて疲弊しきった彼女の精神を優しく包み込んだ。

「アパートに残してきた荷物は、うちのスタッフが明日にでも持って来てくれるから。盗聴機とかついていないか調べた上でね」

「あ、あそこのアパート、家具家電付きの所なんです。荷物と言ってもそんなにないですから」

「そうなんだ。だったら楽々運べるから良かった」

 凜は頷くと、ティ―カップを手に取った。

「凜さん、私、何で狙われたんですか? 」

 望結はティーカップを皿に戻すと、不安げな眼差しで凜を見つめた。

「封に選ばれた者――憑代だから」

「え? 」

「封を食べても凶変しない人の事。彼らはある目的の為に、憑代を探している」

「ある目的って? 」

「人類淘汰。勿論、自分達以外のね。極端な選民思想が生んだ狂気よ。憑代を集めて配下に置き、それを人知れず実行に移そうとしている」

 凜は表情を嫌悪で露骨に歪めると、忌々し気に吐き捨てた。

「私が封を食べたって事、どうやって知ったのだろう・・・」

 望結は首を傾げた。

 封を焼いて食べたのは研究室の中だ。ドアは閉められており、誰にも分からないはず。匂いは廊下まで漂っていたが、肉を焼いているとは分かるものの、それが封だと分かるはずがなかった。

 知っているのは、あの時、研究室内にいた者だけだ。

 だが、あの時凶変した者達は、皆、凜に消去されたはず――否。

 いる。

 一人いる。

 霜月だ。

 彼は前日にも封を食べており、当日も真っ先に肉を口に運んだが、凶変する事も無く、凜の話では遺体の中にもいなかった。

「霜月先生って、ひょっとして隠形? 」

 望結は凜を驚きの表情で見つめた。

「かもしれない。そうだとすると、辻褄が合う」

「辻褄? 」

「彼が、研究室の学生を利用して検証実験を行ったのかも」

 凜は目を伏せながらティーカップをテーブルに戻す。

「検証実験って・・・封を食べたらどうなるか試したってこと? 」

「そう。自分と同じような憑代になる者はいないかどうか。でも、もし彼が隠形なら、自身で食べる事はないし」

「どうして? 」

「隠形は憑代を道具としか見ていないから。自分達が凶変するリスクを冒してまで、超人化しようとは思ってはいないらしい。憑代を集めて無敵の部隊を創り上げ、それを影から操ろうとしている素振りがあるの」

「ずるいですね。自分達の手を汚さないようにしているのか」

 望結は憤慨した。もしそうだとしたら、自分達は愚かな思想家の身勝手な欲望の為に被害を被ったのだ。

「でも、安心してね。彼らはもう、簡単には望結ちゃんに手を出せない」

「え、どうして? 」

「望結ちゃんは私達が守る。それに望結ちゃん自身が覚醒したしね」

「覚醒? 」

「そ。アパートで巨漢を一人ぶっ飛ばしたでしょ」

「あ、あの時・・・」

 確かに。武道経験も何も無い彼女が、あの時赤子に手を捻る様に巨漢を倒したのだ。

「奴らが荒療治に出るのは、憑代が覚醒する前に捕獲して洗脳しなきゃならないから。覚醒したら、簡単には手が出せないしね。同じ憑代を使うなら分かるけど。でも、今回ので分かった。奴らはまだ憑代を手中にしていない。あの男達、猛者かもしれないけど、憑代じゃなかった」

 凜は口元に笑みを浮かべた。

 望結は静かに語る凜の話に耳を傾けながら、黙ったまま何度も頷いた。

 凜の紡ぐ言霊に、望結は何となくほっとした安堵感を覚えていた。

 

 


 







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