第5章 hakujitsumu

「すみません、何から何まで」

 望結は凜に礼を述べた。

「そんな。気にしなくてもいいよ」

 凜は目を細めると望結に語り掛けた。

 病院の駐車場に停められたオレンジ色のハッチバックの乗用車が、ハザードを点滅させて二人に場所を示す。。

 凜は颯爽とした足取りで車に歩み寄ると運転席に、望結は遠慮がちに助手席に乗り込んだ。

 凜は車を起動させると、静かに病院の駐車場を後にした。

 アパートまで送るという凜の申し出に、望結は申し訳なくも感じながらも

お願いする事にしたのだ。

 色々と話をしている中で、凜は望結と同じ大学の政経学部出身で、二つ年上である事が分かった。学生時代、部活で武道か何かしていたか尋ねたのだが、全く経験が無いとの事で、バイトばかりしていたそうだ。

 やはり、あれは夢だったのだろうか。

 あの時、妖と化した友人を瞬時に倒した身のこなしは、どう考えても素人には見えなかった。

 研究室で、霜月が持ち込んだ妙なものを食べたのも、実は夢だったのかもしれない。

 たぶん、そうなのだろう。

 第一、あの妙なものだっておかし過ぎる。細かくスライスされ、唯一残ったへたの様な末端部は、見る見るうちに再生し始めていた。

 それに、友人や先輩達が、急に理性と人間性を失って、他の生徒達を襲い始めるなんて、まったく理由が分からないし、常識的にあり得ない話だ。

 あれが全て夢だったのなら、無理矢理だが辻褄はあう。

 病室で凜に遮られてから、望結はまだ彼女には夢の内容を話していない。

 このまま、胸の内にしまっておいた方がいいかもしれない。

 彼らは事故で亡くなったのだ――その方が、誰も傷つかなくて済むような気がした。

「早速だけど。久内さん、あの時の悪夢の話、聞かせてくれる? 」

 不意に、凜が望結に声を掛けた。

「え、あ、はい」

 予想外の凜の言葉に、望結は狼狽した。

 望結は悟った。

 昨日病院で話すのを制したのは、誰かに聞かれるとまずい内容だという事か。

(でも、どうして・・・ひょっとして! )

 望結の身体ががくがくと震える。

 あれは、やっぱり夢じゃなかったのか・・・。

 望結は激しく咳き込んだ。

 極度の緊張とストレスに、彼女の気道が細く収束したのだ。

 凜は車を近くのコンビニの駐車場に停めると、優しく背中を摩った。

「無理しなくてもいいよ。悪夢がそこまで苦しめるなら、忘れた方がいい」

 凜の優しい語り口が、望結の心を包み込んだ。

「大丈夫です。話します」

 望結は吐き出すように言霊を紡いだ。 霜月准教授が持ち込んだ得体の知れないものを食べたから、皆がおかしくなった事を。そして、突然、驚異的な力を発現して他の学生達を殺害した事を。

「凄いお話ね・・・それで、久内さんも、食べたの? その、よく分からないものを」

 凜の眼が、望結をじっと見つめた。

「はい、食べました・・・美味しかったんです。今までにあんなに美味しいお肉を食べた事が無かった」

 望結は目を伏せた。

「でも怖いんです。もしあれが夢じゃなかったとしたら、私もいつか、皆みたいになるんじゃないかって・・・」

 望結の眼から、大粒の涙がこぼれる。

 ああなる前に、自分も死ねばよかったのではないか――そんな思いが、彼女の意識を重く苛んでいた。

 凜は微笑むと、望結をぐっと抱きしめた。

 望結は凜の柔らかな双丘に顔を埋めた。

 凛の温かな体温と甘酸っぱい芳香に、 望結はほっとする様な安らぎを覚えていた。

「あなたは大丈夫よ。体が受け入れたから」

 凜が、望結の耳元でそっと囁いた。

「えっ? 」

 望結は眼を見開くと、凜を凝視した。

「どう言う事・・・なんですか? 」

 彼女は震える声で凜に問い掛けた。

「あなた達が食べたもの、ほうって生き物なの」

ほう? 」

 望結は眉を顰めた。

 初めて聞く名だ。彼女が学んだ海洋生物の中に、それらしいものはいない。

「白沢図という中国の古書に記されているんだけど、今風に言えばUMAかな」

 凜の言葉に、望結は息を呑んだ。

 あれはやっぱり普通の生き物じゃなかったのだ。

「その古書に、ほうを食べたらどうなるとかってのは書いてあるんですか? 」

 望結は生唾を呑み込んだ。

「怪力を得て武道に秀でる様になるそうよ」

「当たってる・・・」

「でも、現実的にはちょっと違う。誰もが強靭的な力を得られるわけじゃないのよ・・・今から二年前に、隣の県であった大火災、覚えてる? 」

「火事ですか・・・あっ! 」

 望結は思い出した。彼女が高学生の時、近接の県の山村で村自体が壊滅する大火災が起きていた。火元は不明で、不審火の声もあるが、村民のほとんどが焼け死ぬという大惨事だったのだ。

「あの火災の裏では、実は今回と同じような事件が起きているの」

 凜は暗い表情を浮かべると、唇を開いた。

「今回と同じって・・・やっぱり、夢じゃなかったんだ」

 望結は震える声で吐き出すように呟いた。

「ええ。もし久内さんが封を食べていないのなら、悪夢と言う事にしておこうと思ったの。その方が、あなたの為だし」

 凜は望結の眼をじっと見つめながら彼女に語り掛けた。

「あの村の悲劇は、久内さんが体験したのと同様に、まさに地獄絵図だった」

「現場にいたんですか? 」

 望結は怪訝な表情を浮かべた。

 偶然にしては出来過ぎている。今回は大学構内で起きた事件だから、事務職の彼女が現れるのに違和感はなかったものの、あの事件が発生したのは、確か山深い山村だった。

 これと言った観光資源がある訳でもなく、そうそう立ち寄るような場所ではない。

「まあ、偶然――と言っても信じられないでしょ? 」

 凜は苦笑を浮かべた。

 望結が抱いた懐疑心を彼女は瞬時に感じ取ったのだ。

「え、いや、まあ」

 図星だっただけに、望結は慌てて口ごもりながら取り繕うと、そっと目線を伏せた。

「私ね、とある組織に所属しているの」

 凜は、望結から目線を逸らすと、徐に呟いた。







 



 

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