第4章 kumotsu

 望結はゆっくりと瞼を開けた。

 近くで何やら話し声が聞こえる。

 彼女は眼を細めた。

 窓から差し込む白い日差しが眩しい。

「目が覚めたようね」

 聞き覚えのある声が、彼女に優しく語り掛けた。

 彼女を助けてくれた女性だった。

「ここは・・・? 」

 望結は上半身を起こすと周囲を見回した。

 十畳ほどの部屋にベッドが一つ。ベッドの横には小さなキャビネットと冷蔵庫があり、そばには小型のテレビが備え付けてある。

「病院よ。無理に起きなくても大丈夫だから。楽にしてなさい」

 彼女に促され、望結は再びベッドに身を横たえた。

「ごめんなさい、お礼を言うのを贈れてしまって。助けて頂いて、有難うございます」

 望結は慌てて彼女に礼を述べた。

「いえいえ、たまたま通りかかっただけだから」

 彼女は照れ臭そうに笑った。

 ほわっとした彼女の温和な表情に、望結はほっとしながらも妙な違和感を覚えていた。

 あの時の、刃の様な殺気に満ちた表情――鬼神と呼ぶにふさわしい立ち振る舞いがが一切感じられない対照的な雰囲気に、望結は戸惑いを覚えていたのだ。

「あ、ごめん、名前言ってなかったよね。私、日月凛かづきりん。大学の事務員です」

 凜はそう言うと小さくお辞儀をした。

「学校の、事務員さん? 」

 望結は大きく目を見開き、彼女を見つめた。

 大学の事務員が、何故銃や警棒を所持しているのか。それにあの射撃の腕前や警棒術はどう見ても素人じゃない。実戦経験者だ。

「私は――」

「久内望結さん、ですよね? 」

 凜が、恐る恐る望結に尋ねた。

「え、どうして私の名前を? 」

 望結は訝し気に彼女を見つめた。

「ごめんなさい。病院に運ぶ時、ご家族に連絡しなきゃと思って学生証を見てしまいました」

 凜は申し訳なさそうに手を合わせたると、望結にに頭を下げた。

「いえ、それでしたら・・・家族には連絡していただいたのですか? 」

「はい。お母様と連絡が取れまして、怪我はありませんけど念の為入院した事をお伝えしています」

 凜がそこまで話した所で、足早に駆け込んできた看護師と医師に会話が中断された。

「よかった。意識が戻ったんだね。付き添いの肩から連絡を受けてさ。ほっとしたよ」

 壮年の男性医師が眼鏡の奥から優しい眼で望結を見つめた。

 看護師が手早く脈を取り、血圧を測る。

「もう大丈夫だね。念の為、今日はゆっくり体を休めて。明日には退院出来るよ」

「有難う御座います」

 望結は医師達に深々と頭を下げた。

「日月さん、私の携帯、どこにあるかご存じですか? 母に連絡しておきたいんです 」

 医師達が退出したのを見計らって、望結は日月に話し掛けた。

「分かった。取ったげるね。横のキャビネットに入っているから」

 日月はキャビネットから彼女の携帯を取り出し、手渡した。

 望結は大きく深呼吸すると、母親に電話を掛けた。

 事情をどう説明しようか。

 あの地獄絵図を言葉にするのは、どうしても気が引けた。

 決意が付かないうちに、母が電話に出た。

「もしもし、みーちゃん? 大丈夫なの? 」

 母は狼狽した様子でたたみかける様に彼女に話し掛けて来た。

「お母さん、大丈夫だよ。どこも怪我はしていないから。明日には退院出来るって」

「よかった・・・でも、あんな大事故が起きるなんて」

 母が、安堵の声を上げた。

「大事故? 」

「そうよ? みーちゃん、覚えてないの? 爆発事故だって。テレビでも大騒ぎになっているわよ」

 電話の向こうで、母が驚きの声を上げる。

「そう、なんだ・・・」

 母の言葉に、望結は首を傾げた。

 あれが事故?

 事故なんかじゃない。事件だ。

 それも、原因不明の――違う。

 原因不明なんかじゃない。

 あれを食べてから、みんなおかしくなったのだ。

「みーちゃん、助けって下さった方は? 」

「大学の職員さんだよ。今も付き添ってくれてる」

「本当? ちょっと代わってくれない? 」

「あ、ちょっと待って」

 望結は携帯を顔から話すと、凜を見つめた。

「日月さん、お母さんがお話をしたいそうなんですけど、いいですか? 」

「はい、いいですよ」

 凜は望結から携帯を受け取ると、彼女の母親に話し掛けた。

 望結の母親は凜に俺を述べているらしく、凜は終始恐縮した面持ちで受け答えしていた。

 望結の母親がお礼をしたいので連絡先を教えて欲しいといったのか、凜は丁寧に断りを入れ、それを辞退していた。

「久内さん、携帯戻しますね」

「はい」

 望結は凜から携帯を受け取った。

 母は望結に後で必ず凜にお礼をするように伝えると電話を切った。

「日月さん、母が言ってたんですけど、あれ、ニュースで流れたんですか? 」

 望結は探る様に凜を見つめた。

「うん。テレビやネットニュースでも大きく取り上げられえてる。今は、フラッシュバックするといけないから、あまり見ない方がいいと思うんだけど」

「大丈夫、見たいです・・・ちょっと見てみます」

 望結は携帯のサイトから最新ニュースを検索した。

「あった! 」

 望結の通っている大学名が御大見出しに上がっている。

 ニュースの動画を開く。

 夥しい数の救急車とパトカー、そして消防の車両が、キャンバスの中を埋め尽くしていた。

 望結は、ニュースの見出しを凝視した。

『原因不明の爆発事故』

 見出しには、そう大きく記されている。

「日月さん、おかしいです・・・」

 望結は震える声で凜を見つめた。

 凜は戸惑いの色を浮かべながら望結を見た。

「おかしいって・・・どうして? 」

「あれは、爆発事故なんかじゃない」

 望結は憤慨した。

 何かがおかしい。

 自分は夢でも見ていたというのか。確かに、あの血生臭い斬撃を目の当たりにしているのだ。

「久内さん、私があなたを見つけたのは、海洋生物学研究室のそばの通路なの。たまたま、そばを通りかかったら、ものすごい爆発音がして・・・慌てて見に言ったら研究室の壁が吹っ飛び、大勢の学生が下敷きになってた。研究室の中もぐしゃぐしゃだった」

「そんな――じゃあ、先輩や同級生は? 」

 望結の問い掛けに、凜は首を横に振った。

「言い難いんだけど・・・あの周囲にいた人々は、みんな即死だった。生き残ったのはあなただけよ」

「え? 」

 望結は愕然とした。自分だけが生き残った・・・じゃあ、事実を知っているのは自分だけなのか。

「さっきまで、あなたはひどくうなされていたわ。多分、悪い夢を見ていたんだと思う。仕方ないわよね。あんな酷い光景を目の当たりにしてるんだもの」

 凜が、慰めるかのように、望結に優しく語り掛けた。

(あれは、夢だったのか・・・) 

 それなら、辻褄は合う。どう考えても民間人の凜が銃器を携帯出来る訳がないのだ。

 納得がいかないものの、納得せざるを得ない事実が、無理矢理記憶の中の空白のピースを埋めようとしていく。

 それに抗おうにも、彼女を援護する者はいない。当の凜ですら、事故だと言い切っているのだ。

「それと、久内さんが来ていた服だけど、汚れてたから、私が洗濯しておいたからね。横のキャビネットに入れてあるから。今、はいてるショーツは病院で買った奴だから、ごめん、あんまりかわいくないんだなあ」

 凜は申し訳なさそうに望結に語った。

「有難うございます」

 望結は頬を赤らめながら、凜に頭を下げた。

(そうだ・・・私、失禁したんだ。それも両方)

 あの時は恐怖が先走り、羞恥感は全く感じられなかったものの、今頃になってそれが意識下にむくむくと影を落とした。

「仕方ないよ。状況が状況だし。正直言うと、私もちょっとちびったから」

 凜が赤面しながら望結を慰めた。

「飲み物を買って来るね? 何が飲みたい? 」

 凜が、今だ表情を曇らせている望結にそっと声を掛けた。

 気を紛らせようとする、彼女気遣いだった。

「あ、すみません。じゃあ、私、カフェオレの温かいのでお願いします」

「分かったわ」

 凜は頷くと椅子から立ち上がった。

「日月さん」

 望結が、戸口に向かう凜の背中に声を掛けた。

「私が見た悪夢の話、聞いてくれます? 」

 凜が、ゆっくりと振り向いた。

「あの時、研究室で――」

「久内さん」

 話し出した望結の言葉を、凜が被せる様に遮った。

「その話は、後で」

 凜は、望結を一瞥すると病室を出て行った。

 望結は震えていた。

 さっき凜が望結に向けた眼。

 あれは、あの時と同じものだ。

 望結を追う、清美と菅野に向けられていたものと・・・。

 

 


 

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