第2話 ドラゴンの楽園。




 ふわふわ。

 頬擦りをすれば、その温かな感触を味わう。

 まるで、雲の上にいる心地良さ。

 再び、意識は眠りの淵に落ちようとする。

 けれども、空腹で目覚めてしまった。流石に昨日から何も食べていないお腹は、激しく訴えてキュルルルッと音を鳴らす。

 何か食べないと、本当に動けなくなる。

 そう思い、目を開くと、空を目にした。薄い青い色の空。夜が明けた。

 長い前髪を上げて、上半身を起こす。

 ぼんやりとしながら、お腹を摩る。

 この白いもふもふは、なんだろう。

 オリーブグリーンに艶めく羽根が重なったもふもふ。指先でそれを撫で付けてみてから、思い出した。昨日のドラゴン。

 私を包んでいるのは、ドラゴンだと気付く。オリーブグリーンに艶めく白い翼と尻尾。昨夜のドラゴンしかいない。

 もふもふのドラゴンに包まれて目覚めるなんて、なんて幻想的だろう。

 今度は、ぽーっと頬を赤らめて、ドラゴンの頭を探した。

 もぞっと動いたかと思えば、翼の向こうから瞳を見付ける。

 ペリドットに縁取られた丸い黒い瞳。

 ずっと寄り添ってくれていたのか。


「えっと……ありがとうございます」


 言葉が通じるかはわからないけれど、私はお礼を伝えることにした。

 それとも身振り手振りで伝えるべきだろうか。

 ありがとうを伝える身振り手振りってなんだ?

 ペコッと頭を下げてみたけれど、頭を下げるのはどちらかといえば謝罪の意味を示すのではないのか。

 いや、ドラゴン界の身振り手振りは、人間界とは違うと思うけれども。

 じゃあ、私はもっとドラゴンっぽく接してみるべきか。

 よし。ならば、こうだ。

 頭をグリグリと押し付けてみた。髪が長い私は、当然のように乱れる。頭ボサボサの出来やがりだが、これで感謝が伝わっただろうと、ドヤ顔をした。

 ドラゴンは、不思議そうに私を見つめる。

 そのあとに、前足を伸ばして、髪を撫でてくれた。

 髪が整えられた私がポカンとしている間に、するりと私から離れると翼を広げて飛んでいく。


「……伝わったの、か……?」


 こてんと首を傾げてしまう。

 一晩そばにいてくれたお礼は、伝わったのだろうか。

 今の行動、発想が年相応の五歳児だな、と思う。

 さて、また一人になってしまった。足を抱えて、どうするかを考える。

 丘の上から、何か食べ物がないかを探してみた。吹き上がる風が冷たい。紫色に透ける白銀の髪が、遊ぶように舞うから、そっと両手で押さえ付ける。

 私が着ているのは、使い古したワンピース。くたびれた襟と半袖とくるぶしまで届く広がる裾。母親のお古だ。

 服、変えたいな。捨ててしまいたい。

 ギュッと裾を握り締めて、左右を見回す。

 えっと丘を下った先から来た。確か、そのずっと先から連れて来られたのだ。だから、この先が私が暮らしていた家のある街に辿り着くだろう。

 戻るわけには、いかない。

 だから、反対側に進もうかな。

 森が果てしなく続いているようだ。子どもの足だと、どれくらいの時間がかかるだろうか。

 その前に、食事だ。何かの木の実なら、見付かるはず。だって森の中だもの。……魔物に見付かって、食べられそうだけれど。


「えっ? あれ?」


 ポトポトと上から、甘い香りを放つものが落ちてきた。

 赤色と桃色のグラデーションの皮は、とても薄いようだ。落ちた拍子に破れてしまい、果汁を落とす。より、甘い香りが鼻に届く。

 それを手に取り、顔を上げて見れば、さっきのドラゴンが旋回をしていた。そして、風とともに私の隣に降り立つ。


「……私に、くれるの?」


 この甘い実を、私のために持ってきてくれたのだろう。

 確認で尋ねてみたら、コクリと頷いて顔を押し付けてきた。

 いいよ、という身振りだと解釈をして、薄い皮をめくり、果実にかぶり付く。桃のように柔らかで甘い果肉と、果汁が溢れ出て、口の中はいっぱいになった。二回ほど咀嚼をして、ゴックンと飲み込んだ。


「美味しい! ありがとうございます!!」


 私は満面の笑みでお礼を伝えてから、再び果実にかじり付く。

 小さな黒い種が残るまで、果肉を食べ尽くした。その頃には、手は果汁でベトベト。何か拭くものはないかと周りを見たみたけれど、果物とドラゴンだけ。美しい羽毛のドラゴンを汚すわけにもいかず、私は自分の裾を掴み、それで拭いた。しょうがない。どうせ新しい服を見付けるつもりだもの。

 リンゴのサイズの果物を一つ食べて、お腹は十分満たされた。子どもだからだろう。元々、少食だったのもある。

 もう一つの果物はどうしたものか。ドラゴンに差し出してみたけれど、自分で食べなさいと言わんばかりに顔で押し戻された。


「ありがとう。あとで食べるね」


 私はそばに置いて、また考えることにする。

 お腹は満たした。次はどうしようか。

 残った黒い種を転がしながら、どうするかを考えた。

 黒曜石のような種だな。いやそんなことよりも、今後のことを考えよう。

 何か、生きる理由を作って、生きていかないと。

 なんとなく生きる、はきっと私には無理な話なのだろう。前世の性分だろうか。

 なんとなく生きる、なんて多分、普通の幸せを手に入れた人の特権なのかもしれない。

 不幸を感じることなく、両親から愛情をもらって育った人の幸せな人生の歩み方。夢を見付けられなくても、しっかりしたところに就職をして、生き甲斐を感じながらも働いて、そして愛する人を見付けて結婚して子どもを授かり、両親にしてもらったように愛情を注いで育てていく。

 私はそんな幸せな人生を求めていたけれど、前世では手に入れることが出来なかったのだろう。

 来世に期待をして、私は私で生きる理由を握り締めて生きていた。そのはず。思い出せないけれども、そんな気がする。


「むぅー」


 唇を突き上げて、唸った。

 今現在の私も何か生きる理由を見付けて、生きなければいけないと思う。


「来世に期待するのは、もうやめだ!」


 私は声を上げて立ち上がった。


「願っても叶うとは限らないんだ! もう“普通の幸せ”は手に入らないから、“特別な幸せ”を手に入れてやる!」


 拳を固めて、どーんと言い放つ。

 望んだ普通の人生は手に入らない。

 だから、私は特別な幸せを望み、手に入れることにした。


「……“特別な幸せ”は、何かさっぱりわからないけれど」


 ちょっと俯いてしまう。

 全然内容が思い付かない。

 前世をはっきり思い出せたら、これもはっきり想像出来たのだろうか。

 まぁいいっか。思い出せないものはしょうがない。


「それは生きていくうちに見付かるはず!」


 結構、前向きになってきた。

 息巻く私は、”特別な幸せ“を手に入れるために、生きていくと決める。

 そこで風が吹いて、泳ぐように靡く髪が視界に入った。

 アメジストのような髪を見て、私は思い付く。


「これからは、アメジストって名乗る!」


 今までは数えるほどしか名前を呼ばれていないし、その名前を使う度に捨てた両親が付けたものだと思い出すのは嫌だから、名前を変えて生きることに決めた。


「私はアメジスト! そう呼んでね!」


 ドラゴンにそう笑いかけたけれど、本当にそう呼べたら驚いてしまう。

 数秒の間、私を見つめていたドラゴンは、私に前足を差し出した。かぎ爪のある手。見てみれば、何もない。物を差し出したわけではないようだ。じゃあ、この手はなんだろう。

 とりあえず、自分の左手を重ねてみた。


「キューゥ」


 口を開いたドラゴンがそう声を響かせ始めると、左の手首が熱くなる。

 淡い光が集まったかと思えば、ポンッと爽快な音を立てて羽が生えた。

 そう羽である。ドラゴンと同じ形の天使のような翼が四つ。でも大きさは、まるでリストバンドになるくらいの小ささ。

 手首に羽が生えてしまった衝撃で、固まってしまった。


「えっと、これは……なんですか?」


 そう問うても、私にわかる言葉が返ってくるわけもない。

 ドラゴンの方は、ちょくちょく私の言葉を理解しているようだけれど、人間の言葉を話してくれないときっとわからないだろう。

 すると、ドラゴンは身を屈めた。

 まるで上に乗れと言っている気がして、私は果物を片手に「乗ればいいの?」と問いながらも首元に跨る。乗った途端に、天使のような大きな翼を羽ばたかせて、ドラゴンは飛んだ。

 当然、飛ぶということが初めてな私はおっかなびっくりして、羽毛の首にしっかりとしがみ付いた。ギュッと足でも挟み込み、なんとか落ちないように必死だ。

 怖いだけなので、目もしっかりと閉じた。

 早く地上に降りてくれないかな、と念じていると、風が止んだ。

 バサバサと羽ばたく音が、耳に届く。でも、私を乗せたドラゴンは止まってくれたようだ。じゃあこの音は、なんだろう。羽ばたく音以外にも、何やら騒がしい音がする。

 おそるおそると目を開けばーーーーーー滝を目にした。

 水飛沫を撒き散らして、虹を作りながら、水を流していく滝があったのだ。

 それだけじゃない。ドラゴンだ。

 水色に艶めく鱗を持つ白いドラゴンが、たくさんいたのだ。右を向いても、左を向いても、さらには下を向いても、上を向いてもいる。羽ばたいて飛んでいるのは、そのドラゴン達だ。

 なんて綺麗なーーーーーードラゴンの楽園だろう。

 神秘的だ。美しい。

 目を輝かせて見惚れていたけれど、決して天使のような翼を持つドラゴンから離れなかった。しがみ付いたまま。

 まだ幼いドラゴンが巣の中で、キュウキュウと鳴いているけれど、私を一飲み出来そうな巨大なドラゴンもいる。崖の上だ。

 ちょっとおっかなく思ってもいる。

 青い瞳でじっと見られていることを知りつつも、私は羽毛のドラゴンの首を、ギュウッと腕で締め付けた。

 なんで私、ここに連れてこられたのだろうか。

 もしや、私を食べるため!?

 そのための果物だったのか!?

 太らせて食べる魂胆だったのか、怖い!!

 ガクガクと震えそうな私を呼ぶかのように、羽毛のドラゴンは「キュー」と声をかけてきた。


「……」


 優しげなペリドットに縁取られた黒い瞳を見て、そんな魂胆はないと感じる。少しビクビクしながらも、私はそっと地面に降り立つ。

 サクッと草を踏む音を聞き付けたかのように、ドラゴン達の瞳が私に集中した気がした。この世界の食物連鎖はまだわからないけれど、きっと上位にいるはずのドラゴンに囲まれている。

 人間だって、食べるのではないだろうか。

 特に、崖の上の超巨大なドラゴン。さっきから凝視してくる。食べたいのかな、私のこと。恐怖で泣いてしまいそうなのをグッと堪えて、私は羽毛のドラゴンだけを見た。


「キューゥ!」


 そのドラゴンが、その場に響かせるように声を上げる。

 そうすれば、左手首の小さな四つの翼に光が集まった。バサッとドラゴンが翼を動かせば、私の手首の翼も羽ばたくように動く。

 連動している……?

 このドラゴンと繋がったということ……?

 なんなんだろうか。

 ふと、気付けば周囲のドラゴン達が、こうべを垂れていた。

 まるで私に向かって、ドラゴン達がお辞儀をしているかのような、圧倒されるような光景。

 崖の上の超巨大ドラゴンさえも、顔を伏せて目を閉じている。

 何がなんだかわからないけれども。

 確かに私は“特別な何か”に、一歩、近付いたと感じた。



 

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