第2話 天狗の契約


 すっかり夜は更けた。だが真夜中だというのに天朝の都には光が灯っている。都の人々はすっかりとお祭り気分であった。町中に提灯の火が灯りあちこちで笑い声が響く。どんちゃん騒ぎだ。酒を飲み、顔を真っ赤にしている者までいる。

 そんな中、都の大広場。櫓の下に集う人々、その内の一人として陽太が居た。

「まだ日の出まで時間があるっていうのにすごい人だ。なあ姫華」

「…………」

「姫華?」

 姫華はぷるぷると震えているばかりで返事がない。肩にポンと手を置く。

「あんまり緊張しすぎるなよ、お前なら出来るって」

「む、武者震いよ!」

 明らかに無理をしていた。陽太は気を使う事にする。

「甘酒でも買って来るよ、なんか飲めば落ち着くだろ」

「う、うん。お願い」

 人々の中を掻き分け一旦、姫華の傍を離れる陽太。そのまま、甘酒の売っている店がある都の門の方へと向かう。


「はい甘酒」

「どうも」

 お代を払い店主から木の器を受け取る。そして大広場へと戻ろうとした陽太の視界の端に大太刀を背負った悟堂の姿が映った。門の外に向けて睨みを利かせている。

 近づく陽太。

「お疲れ様です。悟堂さん」

「ん? おお、陽太か。なんだ甘酒の差し入れか? 気が利くじゃねえか」

「あ、これは……ええ、そうです。悟堂さんは見回りですよね?」

 甘酒ならばまた買えばいいかと悟堂に手渡す陽太。

「ああ、この祭り騒ぎに誘われて妖魔がいつ現れるか分からんからな」

「妖魔が……でも、悟堂さんが居れば安心ですね! いざとなれば鎧天もあるし」

「出来れば鎧天を使うような妖魔なんぞ相手にしたくないがなぁ」

「そんなにすごいんですか鎧天って」

 ふむと顎を撫でて遠くを見るような目をする悟堂。

「実はな、一度だけ鎧天の動くところを見たことがある」

「えっ」

「俺が五つの時、もう三十年は前か、山の向こうに馬鹿でかい妖魔が現れてこっちを覗き込んできたんだ」

「山って……あの麓まで裂けて谷が出来てるあの山ですか!? それより大きいってそんな無茶苦茶な」

「その谷な、鎧天が創ったんだ」

 一瞬、何を言っているのか分からなかった。陽太はふと上まで行くのに一日はかかりそうな山を見やる。暗くてよく見えないが確かにそこにあるはずだ。

「谷を、作った?」

「ああ、そうだ。鎧天はな、山ごと妖魔を斬っちまったんだよ」

 ずずっと甘酒をすする悟堂。

「そんな馬鹿な」

「だが俺は確かに見たぞ、その時の当代の社守が鎧天を持ち出して山ごと妖魔を切り伏せるのをな」

 思わず茫然となる。危険過ぎるために力を小分けにしたという話だったのに、

 ならば完全であればいかほど力を持つのか、力を小分けにした天狗の気持ちが分かるような気がした。思わず懐の小刀を意識する。

(鎧天の……力が使える……)

 それはどれほど魅力的な事だろう。陽太は思う。そんな力があれば、もう妖魔を恐れる事も無くなる。

『全ての妖魔を討ち祓い人々の生活に平穏を取り戻す』

 それが陽太の夢であった。しかし今までは荒唐無稽だと自ら悟り諦めていた。だが、

 鎧天の力を是が非でも我が物としたい。そんな気分だった。鎧天を纏い妖魔を討ち滅ぼす旅に出るのだ。

 そこで黙り込んでいる陽太を怪訝に思ったのか悟堂が声をかける。

「なんだそんな険しい顔しやがって。ほらだんだん夜明けが近づいてきたぞ。鎧天が見たいんじゃなかったのか?」

「あ、そうでした……俺、行かなきゃ」

 姫華のために甘酒を買いに来ていた事を忘れていた。悟堂に頭を下げてその場を去った。


「ほい甘酒」

「もう、おっそーい!」

「悪い悪い、ちょっと悟堂さんと話し込んじゃって」

「ふーん、、なんの話?」

「鎧天があの向こうの山を斬ったって話」

「ああ……それうちのお祖父ちゃんの話だわ」

「え!? あの頑陸がんろく爺さんが!?」

「その時でも。もう六十超えてたっていうのに現役だったらしいから驚きよねぇ」

「驚きっていうか……でもあの爺さんなら今でもやりかねん……」

「あはは! 言えてる、というかそれも知らなかったの陽太。いつもお祖父ちゃん『山裂き頑陸』ってよく呼ばれてたじゃない。ほら宴会の時とか。よっ山裂き頑陸天朝一! って」

「あっそういえば、てっきり山を裂くほど怖いからだとばかり……まさか本当に裂いていたなんて」

「ほんと信じらんないわよねえ」

 甘酒を一口飲む姫華。

 見つめる先は夜空、段々と、ほんのりと、その色が、宵闇がうっすらと照らされていく。

「もうすぐ夜明けね。私行かなきゃ」

 甘酒を飲み干し、器を陽太に手渡す姫華。ぱん! と顔を手のひらで打つ。

「気合い入ってるな」

「百年に一度の大仕事だからね」

 姫華が櫓を登ろうとした、まさにその時であった。

 大広場に集まる人々の中、一人が夜空を指して言った。

「おい、ありゃなんだ」

 一人、また一人と夜空を見上げに気づく。

「流れ星……?」

「にしちゃでかくないか?」

「というかこっちに向かって来てるような……」


「おい。逃げろ! ありゃ火の玉だ!」


 阿鼻叫喚、大広場は逃げ惑う人々で大慌てになった。迫る巨大な火の玉にどこへ逃げればいいのか分からず皆が四方八方に行きかい騒ぎは止まらない。

「なんだよあれ……」

 陽太は、その場に立ち尽くして息を飲む。それでもどんどんと火の玉はこちらへと向かって来る。

「逃げるなさい陽太!」

「逃げるたって何処に!?」

「あの火の玉は真っ直ぐ都向かって来てる。門から外に出れば安全なはず……!」

「じゃあみんなにもそう伝えないと!」

「それは私の役割しごと、後は私に任せて陽太は逃げて」

「そんな事出来るかよ!」

 陽太が激昂した。姫華がその勢いにたじろぐ。

「陽太……?」

「もう大事な家族を置いて逃げるなんてしたくないんだよ……!」

 その声は震えていた。なんの力もない少年でしかない自分に腹が立って仕方ない。怒りで思わず身体が震えていたのだ。

「分かった、傍にいて陽太。一緒に櫓の上まで来て」

 姫華が陽太の思いを汲み取り手を差し出す。

「おう!」

 手を勢いよく握る陽太。二人は共に鎧天がある櫓の上まで登って行った。


「みんな落ち着いて! 門の方に逃げて一旦、都から出るの! お願いみんな聞いて! 門の向こうなら安全だから!」

 櫓の上からの巫女の指示は効果があったようだ。四方八方に散らばっていた皆が一斉に門を目指し進み始める。その光景に安堵する二人。

 しかし火の玉は迫る一方であった。その巨大さは真夏の太陽もかくやと言った具合だった。

 そして大広間から人がいなくなる頃合い、火の玉はもう目の前だった、


 そして巨大な火の玉は


「……え?」

「……へ?」

 櫓に残って避難誘導をしていた二人は素っ頓狂な声をあげる。

 そして思わず膝から崩れ落ちへたり込む。

「なんだよ驚かせやがって……」

「寿命縮まるかと思った……」

 しかしそこでは終わらない。櫓を駆けあがる音が一つ、思わず立ち上がり警戒する二人。

「姫華、陽太、無事か!?」

「なんだ悟堂さんか……」

 陽太が嘆息する。

 下から顔を出して来たのは門で見張りをしていたはずの悟堂であった。

「悟堂さんも見たでしょ火の玉なら消えちゃったわよ」

 しかし悟堂の様相は安堵のそれとは違っていた。

「馬鹿野郎! よく見ろ! ありゃ妖魔の大群だ!」

 火の玉の明るさと消えた時の暗さの落差で見えないでいたが夜空が終わりを告げ薄明かりがさして来た今ならはっきりと分かる。

 それは空飛ぶ異形の大群だった。

「空を飛ぶ妖魔……って」

「まさか天狗!?」

「ああ、大勢で来なさったぜ」

 日ノ出大太刀を抜く悟堂。

 そこで一匹の天狗が群れから離れこちらへと飛んで来た。

「まずは一匹ってとこかあ!?」

 大太刀を構える悟堂、しかし天狗は櫓の前まで来るとその異形の手のひらをこちらに向けた。それはまるで猛禽の足のようであった。

『待て人間、こちらに争う気はない。我々は「契約」を果たしに来ただけだ」

「『契約』だと……?」

「それって鎧天の伝説にあった……?」

 悟堂と姫華が怪訝な顔をする、陽太はただ目の前の異形に釘付けになっていた。

 人型の大鷲。そう形容した方が一番近いような見た目をしていた。

『千年後の今日こんにち、鎧天を人間より返還せり』

『これが人間に鎧天を条件なり』

「貸し渡す? 鎧天は借り物だったって言うのか?」

『如何にも』

 鎧天ならば今ここにある。これを渡せば天狗達は素直に帰るというのだろうか。

 だが。

「鎧天を渡したら俺達はどうやって妖魔からその身を守ればいい!?」

 陽太が叫ぶ。何も掴めず逃げ去った過去を思い出しながら。

『人里を守るのならば、そこにある大太刀で充分であろう。鎧天は人間には過ぎたる力。そうが判断しただけのこと』

 そこで姫華が反応を示す。

「魔縁様? 鎧天を人間に渡した天狗は迦楼羅でしょう?」

 そこで天狗の鳥面とりづらが歪む。

『チッ……今の大天狗が魔縁様というだけの事……契約は契約だ。さあ鎧天を寄越せ」

「あっ、今チッって舌打ちしたわよこいつ!」

 迦楼羅の名前をだした瞬間、態度が豹変したのは間違いない。

「その魔縁って奴は何が目的で鎧天を返せなんて言って来たんだ」

『……目的などない、ただ契約を果たしに来ただけだ』

「なんだ今の間は」

 さらに天狗の鳥面が歪む。

『あまり調子に乗るなよ人間風情が! 今この場で、この都を焼き払って手に入れてもいいのだぞ!』

 凄い剣幕だった。しかし先ほどの火の玉。あれを見るに恐らく上空に待機している天狗全員が都に火を放てばひとたまりもないだろう。

 悟堂が大太刀を構えながら前に出る。

「鎧天ならこの中だ」

 箱を大太刀で指す悟堂。

「悟堂さん!? 鎧天こんな怪しい奴に渡すつもりですか!?」

 陽太が驚いた顔で悟堂を見やる。姫華も口には出さないが同じ表情をしていた、しかし天狗はそんな二人をお構いなしに箱へと手を伸ばす。

『おお! この中にかの鎧天が!』

 ひゅんっと風を斬る音が鳴った。

「ただし、アンタには本当の事を話してもらう。魔縁っていう奴の目的も全部な」

 天狗の首元に大太刀が添えられていた。目にも止まらぬ早業であった。

『我に何かあれば都に火を放つように上の仲間に伝えてある』

「こっからじゃあ、ちょうど櫓の屋根でなにが起きてるか分からねえんじゃねぇかなあ」

 にやりと笑う悟堂。

『貴様。そこまで図ってここまで誘い込んだのか!』

「命までは取りはしねえ。だが事と次第によっちゃあ腕や足の一本や二本は覚悟してもらおうか」

 そこで天狗は参ったかのように両手を上げる。しかしその表情には笑みが張り付いていた。

『ククッ! ハハハッ! そこまで絶望したいならば聞けよ人間! 我らが大天狗魔縁様は鎧天を持って全てを焼き尽くし地上を天狗の楽園になさろうとしておられるのだ!』

「なっ!? あっ、おい何を!?」

 一頻り高笑いした後。天狗はおもむろにその首を大太刀へと食い込ませていった。そしてそのまま勢いよく自ら首をはね。己の首を櫓の外に投げ込んだ。

「しまった! 上の奴らからの火が来るぞ!」

「悟堂さん! 鎧天を!」

 姫華が叫ぶ、悟堂はその言葉を聞き箱に手をかける。

「まさか本当に使う事になるなんてな!」

 その時だった。

 櫓に立ったまま残った天狗の身体が動きだし悟堂の身体を貫いたのは。


「が、はっ!」


「悟堂さん!?」

 陽太が思わず声を上げる、悟堂と共に鎧天の箱を開けようとしていた姫華も思わずそちらを向き絶望する。

 しかし。

「俺の事はいい! 陽太ァ! お前がやれぇ!」

「俺が!?」

「早くしろぉ! 天狗共が火を放つ前に早く!」

 血反吐を吐く悟堂。姫華が鎧天の箱を開け終える。真っ直ぐと陽太へと向き直る。

「巫女の私からもお願いする。陽太、鎧天を纏って戦って!」

 確かに陽太は鎧天の力を望んだ。しかし、まさかこんな形になろうとは、誰が思ったか。これは自分に釣り合わぬ力を望んだ代償か? 命の恩人を目の前で失う事になるなんて思わなかった。

 だが、状況はそんな陽太の心中を汲んではくれない。

「いい? 私と一緒に日ノ出小刀を抜いてこう唱えて……」

 鎧天を起動するための呪文を陽太に教える姫華。

 懐から日ノ出小刀をとりだす陽太。

 鏡合わせのように真っ直ぐお互いに見つめ合うように小刀を構える。

 そして陽太と姫華は小刀を抜き放ち、陽太が呪文を唱える。

『オン・ガルダヤ・ソワカ!』


 


 その陽光は箱を飛び出すと一斉に陽太の下へと集う。

 その姿は、赤と金に装飾された鎧武者であった。

『これが……鎧天!」

 陽太は光輝く刀を手に空の天狗の群れを睨んだ。

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