第90話 暖められた美少女は、僕を特別扱いする




 空は青く澄み渡り、空気は冷たくピンと張り詰めた十一月の下旬。登校中のことだった。

 僕はぽんぽんと、彩香さんが作ってくれた手袋を叩き、隣を見る。そこにいる彩香さんは、自分の手に白い息を吹きかけてスリスリ擦り合わせていた。


「ねぇ彩香さん」

「なに?」

「手、寒くない?」

「――なに? 今日は攻めっ気があるね」

「別にぃ? なんとなく、寒くないかなって」

「そ。柚は? 手、寒くない?」

「僕は寒くないよ? 彩香さんの手袋のおかげで」

「そ。じゃあそれ外して。柚の手であっためて」


 恥ずかしくなった。僕の手で彩香さんの手をあっためるのか。

 照れつつ彩香さん側――つまり右手の手袋を外して彩香さんに渡すと、以心伝心、彩香さんはその手袋を彼女の右手につける。


 そうして、冷えた彩香さんの左手を取り、握る。

 ぎゅっと握ってやると、彩香さんも握り返す。少しでも熱が早く移るように、と願いつつ。

 そこから数歩進んだところで彩香さんが言った。


「トランスフォームしていい?」

「え? 巨大化するの?」

「しないって別に。ちょっと変形していい?」

「……よくわかんないけど、お好きにどうぞ」


 嘘だ。実は分かってる。彩香さんは普通に手を繋ぐんじゃ飽き足りないと言っているのだ。別の握り方で私の手を温めて、と。

 でも恥ずかしくて、分からないフリをする。


「嘘、知ってるくせに」


 彩香さんは念話で『柚だけ恥ずかしいのから逃げるのはずるい』とわけのわからないことを僕に言いつつ、指の隙間に細い指を入れ、絡める。


 そこで、僕はある小説を思い出した。そうだ、こういうシーンではよく男側がやることといえば。

 繋いだ手を引っ張って彩香さんを引き寄せ、僕のジャージのポケットの中に繋いだ手を突っ込む。

 このジャンパーの裏ポケットにカイロを入れているので、暖かかい。暖かいから、ちょっと僕の顔は赤くなっているのだ。


 そんな僕の言い訳を彩香さんはスルーしてくれた。——というか、彼女自身、僕をからかう余裕がなかったのだろう。

 顔は赤く、彩香さんが開いた口から言葉が出てくるのには、少し間があった。


「――……積極的な柚もいいね」

「そりゃどうも……」

「でも、負けてばっかもやだ。ねぇ柚」

「そもそも勝負してないんだけど……なに?」

「うるさい。ねぇ、首元寒くない?」

「――寒くな……いや、寒いな〜」

「ん、わかった。じゃあ温めてあげる」


 彩香さんの意図を察した僕は、本当はあまり寒くないけど、嘘をついた。


 すると彩香さんは更に僕と身を寄せ、ロングマフラーを解き、僕の首に巻く。予想通りだった。

 恥ずかしいけど、少し嬉しい。楽しい。

 ドキドキしていると、彩香さんが僕の耳元に口を寄せ、誘うように囁いた。


「電車とかバスとか、動いてなかったら抱きしめてあげたんだけど……。それは教室でね?」

「――断ったら殺す?」

「拗ねる。拗ねて教室で柚の膝の上に座る」

「それ拗ねてるって言うの?」

「さぁ? 私、このまま柚に論破され続けたら柚のその口ふざぐけど。——……もちろん、私の口で」


 ニヤッと笑った彩香さんは幼稚な、けれど妖美な脅迫をする。おもわず、その唇に見惚れてしまった。

 見つめていると、彩香さんはちょっと顔を赤くしてドンと僕に体当たりして、照れ隠し。そのついでに後ろからやってきた車を避けた。

 そうして僕を見上げ、にふふと笑う。


「こういうとき、男は車道側に立つもんだよ?」

「え〜……めんどくさ。彩香さんが僕のこと守ってよ」

「——……柚のそんな不精で無粋でキラキラしてないところ、受け入れてあげるの私だけなんだから、感謝して?」

「恩着せがましいなぁ……まぁいいけど。

 でも、彩香さんの甘え症の相手をしてあげてるのはいつも僕なんだから、感謝してくれてもいいんだぜ☆」


 イケボで言ったつもりが、彩香さんはドン引きした顔で僕から少し離れてしまった。

 でも繋いだ手は、ぎゅっと握られたままだった。


 ――ちょっと痛い。けど、あったまってきた。



 *



「彩香さん、好きです……付き合ってください……」


 僕はそう、まっすぐ前を向いて言う。

 恥ずかしさで真っ赤になった顔を隠したくなるけど我慢して、照れて尻すぼみになりそうな声をなんとか張って、言う。


 けれど、我慢できなくなって結局僕は顔を手で覆い、ベッドに飛び込んでバタバタ足を振る。


「きゃぁ~……はっず! はっず! これめちゃくちゃ恥ずかしい! てか家でひとりで告白の練習とかキッモ! 僕キッモ!」


 いつものごとく家には誰もいないので、僕は大声で叫んで火照った顔を冷まそうとする。頬を押さえる手は、僕の体温が上がるのをハッキリと感知していた。


 何を隠そう。この告白の練習をしていることを隠そう。やっぱり恥ずかしいから詳細を話すのはやめた。


 まず一つ言えるのは、黒歴史として積み重なる僕の思い出が、最近になって急激に増えているということだ。主に告白の練習によって。


 もう一つ言えるのは、彩香さんに告白したいということだ。そのときになれば、恥ずかしさと不安で口から出てくる言葉は見当違いのものばかりなのだが……。


「はぁ……どうしよ、マジで……」


 僕が告白したい、と強く思うようになったのは先週のことがあったから。思い出したくもない、その日の終礼中。彩香さんは『呼び出し』の手紙を鞄から見つけたのだった。



 *



 彩香さんには校門で待っててと言われたけど、気になる。

 僕は抜き足差し足、彩香さんが呼び出しされた場所、屋上階段へと近づき、少しだけ階段をのぼる。


 踊り場に落ちる影を見るに、人は二人。

 一人はシルエットで分かる。彩香さんだ。

 予想は的中、彩香さんの声が聞こえた。


「呼び出しの理由はなんとなく察するけど、何かな?」


 あれ、彩香さんってこんなに優しい声音だすっけ?

 そう思うと、心臓がドクドクと跳ね出す。その原因は興奮じゃない。動揺、不安、虚無感によるもの。


 もう一人の影は彩香さんのよりも短く、どうやら一年生のもののようだった。彼の声は震えていたけれど、それと同時に芯があった。


「あの……その、俺、体育祭で活躍してるのを見て、カッコいいと思って、それと――あ、あのときは怪我したのを助けてくださってありがとうございます……」

「まぁ、救護係だったからね」

「それで――……その、俺と、付き合ってもらえませんかっ」


 影がお辞儀をする。

 僕は自分が嫌いになっていた。


 彩香さんが誰かと喋っている。それも僕と喋るときのテキトウでだるそうで、からかう声じゃなくて、僕のあまり知らない優しい声で。

 その事実が嫌いだ。この現状が嫌いだ。あの男が嫌いだ。消えてしまえ。なくなってしまえ。

 ——そう思ってる自分は、もっと死んでしまえ。


「付き合う、ね」

「は、はい……。俺、先輩のことが好きなんですっ」


 そう思う僕がいて、そんな僕は独占欲がかなり強いんだって分かって、情けなくて気持ち悪くてバカな自分が厭になって。


 目の前がぼやけて、鼻が詰まり、胸が苦しくなる。

 それで気付く。

 泣いてるのか。僕は泣いてるのか。——他人が告白されるのを聞いているだけで? 泣くの?


 嗚咽が漏れそうになって、慌てて口を押さえて階段から離れ、もうこれ以上、彩香さんが誰かとおしゃべりするのを聞いていたくないと、待ち合わせの校門へと向かった。



 *



「私さ、好きな人いるの」

「えっ……」

「私、その人の前では自分のこと隠さなくて済むの。

 その人は自分のことを隠さない——というか隠せない。それと同時に私のことを受け入れてくれる。

 私はヤンデレだし、ツンデレだし、気まぐれだし。でも彼はそれを受け入れてくれる」

「え、あ……お、俺も、べつに、せ、先輩の本性とかそんなのきにしな――」

「ごめん、端的に言うね。私、君と友達になる気はもちろん、カップルになる気もないの。

 理由、たくさんあるけど一つだけ言うね」


 あ~私、初対面の後輩に何やってんだろ。普通に断ればいいじゃん。バカじゃないの。無駄に目の前の相手を傷つけるなんて。

 私サイテーだ。この子を利用して、私は自分の気持ちを整理しようとしているんだ。私、死んじゃえばいいのに。

 冷えたココロの一面がそう呟いた。


 それと同時に、言う。


「最初から彼だけが特別だったの。じゃあね」


 子供の頃は無条件で使えた超能力は、いつしか『誰か』の近くにいるとき以外、使えなくなっていた。

 その『誰か』は世界中にたくさんいる。だけど規則性はない。男だったり女だったり、大人だったり子供だったり。

 そしてその『誰か』に柚が入っていた。ただそれだけの話。


 超能力のせいで人間関係や幼少期を壊された私は人付き合いに興味がもてなかった。友達は指で数えるほど、もちろんいくつかの幼い恋心を除けば恋愛経験はゼロ。

 そんな中、柚が私の前の席に現れた。初めての同年代でクラスメイトの『誰か』である彼は、私の興味を誘った。そして私に超能力を使わせた。

 そしてさらに、彼は、私を好奇心の渦へと引きずり込む。私は彼のことをもっと知りたいと思う。


 ——だって彼のココロは、最初から私をチラチラと見ていたから。冬の空みたいに、澄んでいたから。それでいて、どこか暖かかったから。


「おまたせ」


 外の寒い風に身をすくめて、私は見慣れた柚の肩を叩く。

 振り返った柚の顔はなぜか、泣きそうなのを堪えた後、という言葉で表現するのが完璧だった。

 目は真っ赤で、なんども擦った跡が見える。彼のポケットは膨れていて、中には丸まったティッシュが見える。


 首を傾げて状況を知ろうと、ココロを読もうとすると、先に柚が鼻の詰まった声で聞いた。


「告白、受けた?」


 バカ、受けるわけがない。柚の告白以外を受けるわけがない。

 ——そこまでは言えない。


「バカ、受けてない」

「そ……」


 私の真似のつもりか、興味ないのを装った柚の返事がおかしく思えて、笑いを堪える。

 そうしながらココロを読めば、柚が先ほどまで何を思い、何をしていたのか、その大体が分かった。


 ——はてさて、あと何ヶ月待てば彼は告白してくれるのであろうか。

 そんな思いを隠すようにして私は彼をからかう。


「私は誰かさん以外の告白なんて受ける気ないよ? だってその『誰か』さんは特別なんだから」


 ニコッと笑って不意打ちに手をつなぐと、彼はたじたじになった。それがどうしても愛おしく思える。

 顔は別段可愛くもかっこ良くもないというのに。


 でもやっぱり彼は特別だ。好きだ。








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