第89話 湯たんぽにされる美少女は、僕の答えを聞いてくれない




 十一月。体育の授業――という名の、相変わらずの自由時間。


 僕らはバスケをやるのにも飽き、体育館の隅の暖房の近くで壁にもたれて座っていた。


 あったかいと思考がぼわぼわして眠くなり、うとうとしながら、船をこぐ体が彩香さんのジャージと擦り合い、ドキドキしながら、僕はゆっくり過ぎる時間を過ごしていた。


「ねぇ柚、甘えたい」

「――んぁ……どうして……?」

「だって、柚の隣で座ってるんだもん」


 彩香さんが唐突に言い、眠くて鈍重な舌を回しながら反応すると、彼女はそう、答えにならない答えを言う。

 そうしてコトン、と。僕の肩に頭をのせてちらっと僕を見上げた。物欲しげな顔に、僕はあくびをかみ殺して聞く。


「何して欲しいの?」

「ん~……頭撫でて」

「了解」


 彩香さんの頭に手を回し、撫でやすいようにこちらに引き込む。ちょうど、僕の胸の前に位置をセットし、綺麗な髪の毛に手を通す。

 さらさらな髪の毛は暖房の熱で暖まっており、撫でている僕が更に眠くなってしまうほどだ。ふわりと上がってくる彩香さんの匂いもまた、僕の眠気を誘う。


 彩香さんは突然の僕の行動に身を縮こまらせたのか、胸の前で腕を畳んだまま動かない。

 ――そして目を点にして僕を見上げ、無表情で言った。


「柚、この体勢首がつらい」

「あ、ごめん」

「かえていい?」


 聞いておきながら、彩香さんは僕の返答も待たずに僕の膝の上に頭をのせる。膝枕、と一言で表せる構図だ。


 見下ろすと目が合った。すると磁石みたいに離せなくなって、見つめ合ったまま僕は彩香さんの頭をなで続ける。

 彼女は自分から倒れたくせに、顔をほわほわと赤くして目を揺らして、ただ僕に頭をなでられ続ける。


 彼女曰く、体の接触面積が多かったり、目が合っていると、勝手に思考が共有されてしまうらしい。

 そしてそれは超能力の対象となっている僕も同じ。ずっと目を合わせていると、少しずつ思考に彩香さんの感情が混じってくる。


 その感情の中には紛れもない信頼と好意を感じてドキッと心臓が跳ねる。その好意の意味は、人としてか恋愛対象としてか。考えるまでもないのに考えてしまう。不安が芽生えてしまう。


 そこで彩香さんはぷしゅぅ、と顔を赤くして僕から顔を隠すようにして、僕のお腹に顔を押し付けた。そして僕のお腹に腕を回す。

 一角度的にイロイロと問題なのだが――とは言えない。


 彼女の吐息がジャージを通してお腹に伝わり、その熱がさらに僕の欲求を引き起こす。もうダメだ。我慢できない。

 ——眠い。


「彩香さん」

「何……? 今、私充電中なんだけど」

「いったん体起こして」

「やだ」

「いいから」


 言うと、彩香さんは不満げに体を起こす。

 その顔は、遊んでいたおもちゃを取り上げられた子供みたいだ。なんで膝枕してくれなんだ。ケチ。

 と彼女は視線で訴えてくる。


 僕はそれを無視して伸ばしていた足を開き、足の裏と裏を合わせるようにして四角形を作る。そして頬を膨らませて正座していた彩香さんの体を、脇の下に手を入れて持ち上げ、ちょうどその四角形のくぼみの中に収める。

 方向は後ろ向き。彩香さんの背中がこちらに向くように、だ。

 うん、ジャストフィット。

 彩香さんの顔は見れないけれど、こっちの方が密着できる。


 真っ赤になった顔で硬直した彩香さんの体に腕を回し、彼女の肩に顎をのせる。この体勢、夏休みの時も思ったけど実は結構落ち着く。

 僕に対して暖房側にいた彼女は、とても暖かくなっていた。


「ん~あったかい……」


 まるで人間湯たんぽを抱きしめているかのようだ。

 ぎゅーっと抱きしめると、その腕に彼女の手がかかる。その手は恥ずかしげにふるふると小刻みに揺れ、揺れる髪の毛から覗く耳は真っ赤に染まっている。


「ゆ、柚は恥ずかしくないの……?」

「別に。彩香さんと一緒にいるわけだし。ちょっと寝るね」

「えっ――……わ、私を甘やかすのは……?」

「じゃあ胸でも揉もうか?」

「っ――ばかっ」


 抱きしめた腕を叩かれるが、全く痛くない。撫でられた、と表現する方が近いぐらいだ。

 これなら本当に揉んでしまってもいいだろうか。そんな邪な考えを消し、

 僕はぎゅっと彩香さんを抱きしめて――



 *



「はっ――……あれ?」

「んん……どうしたの? 柚、夢オチした主人公みたいな声だして」

「いや、ホントに夢オチみたいな……え?」


 目が覚めると、後ろから彩香さんの眠たげな声が聞こえた。

 それと同時に、背中に彩香さんの体を感じる。この固いのは下着だろうか――ん?


 目の前に広がる光景は間違うはずもない、ただの体育館だ。

 自習しているヤツもいれば、ピンポン球でドッチボールしているヤツもいたり、一人でかくれんぼをしているヤツもいる。

 ――体育館に隠れる場所ってある?


 首を傾げた僕に、彩香さんがけげんそうな声を出す。


「柚、どうしたの?」

「ん? っ――! な、なんで僕っ、彩香さんに抱きしめられてるわけ!? あれ!?」

「それは、柚があったかいから人間湯たんぽにって私が使って……。暖かくて私も寝ちゃった。

 柚は柚で、私に抱きしめられてすーすー寝てたし」

「っ……あ、彩香さんさ、僕に甘えてこなかった? あれ、夢?」

「何言ってるの? 柚が頭撫でて~って甘えてきて、私が膝枕してあげたんだけど……。まぁ、それで、私が眠くなって、柚を後ろから抱きかかえたんだけど。

 今日の柚は可愛かった。ぎゅーって抱きしめたら目、とろんってしちゃって……。ふふっ、可愛い……」


 ぽんぽんと頭を撫でられると、それだけで眠気が襲ってくる。

 なんだか夢と現実で正反対のことが起きているような……。

 って、そうじゃない! 彩香さんに抱きしめられるなんて――早く逃げなきゃっ!


 そう体をジタバタさせようとすると、彩香さんが僕をぎゅっと抱きしめて身動きを封じた。

 そして僕の耳に口を寄せて、僕の鼓膜を至近距離で震わせる。

 耳が吐息に包まれてビクッとした僕の体は全く動けなくなってしまっていた。


「だ~め。まだ授業終わるまでまだ20分もあるんだから。柚は私の抱き枕にならなきゃ」

「うぅ……」

「ん、いいこ。お休み」


 そのまま、彩香さんは僕の肩に顎をのせて眠る。

 寝息が耳にかかる度に僕はビクってしてしまい、抱擁から抜け出す機会なんてうかがえるわけもなかった。


 ――そんな言い訳をつらつら、僕は背中に感じる彩香さんの体を堪能していた……な、なんて、そんな事実はないっ……! 今のは嘘!



 *



「ん~……柚? 誤魔化してもだめだよ?」

「え? いやぁ、何言ってるの。一足す二は四でしょ」


 通称マッチ棒。指の数を足し合わせてちょうど五になったら消える。実は必勝法があるゲーム。

 負け確定ルートに入ったと悟った僕は、負けず嫌いの精神を発動させて彩香さんの一本指で叩かれた二本指を四本指に変えたのだった。


 そんな、終礼前の隙間時間のこと。


 彩香さんは二本指で僕の眉間を突き刺し、めっと叱る。


「柚、悪い子」

「彩香さん知ってる? この世の中には三人の人間がいる。一人は数を数えられる人間。残りのもう一人は数を数えられない人間」

「そのアメリカンジョーク古いよ?」

「うっ……じゃ、じゃあ。この世の中は二進法を理解できる人間と、理解できない人間の10イチゼロ種に分割することができる」

「それもネットのパクりでしょ? 全く……」


 彩香さんははぁ、とため息。僕の四本指をぺしっと叩いて言う。


「あなたの視界には女性が一人います。彼女はある男性と仲良く談笑しています。彼女は彼と交際したいと願っています」

「は……? は、はぁ!? ちょっ、その意味って――」

「さぁ? どうでしょう? ご自由にお考えください」

「――……そ、そう」


 彩香さんは自信たっぷりの笑みで肩をすくめて僕の頬を突いた。

 ループする思考は、そのたびに心拍数を上げ、僕の顔を赤くするだけで、答えなんて一つも見つけられなかった。

 すると彼女は僕の耳に口を寄せて囁く。


「柚は何にも言ってくれないの?」

「っ——………………好き……です」


 呟いた時には、彩香さんは自分の席に戻って帰り支度をしていた。








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