特別編:閑話編 やっぱり彼女は変わらない
特別編6話 水筒に恥じる美少女は、僕のサイコロに翻弄される
「あ、柚くんだぁ~」
日曜日。年末にお世話になったコンビニで再びバイトをしていると、茜さんがレジに来た。そして間延びした声で僕に手を振ってきたので、お辞儀で返す。
茜さんの後ろには、かなり高身長な――ギリギリ170cmとはごまかせない167cmの僕より、十数センチ高い男の人がいた。
僕の視線で気づいたのだろう、茜さんが紹介する。
「この人はね、私のカレシ。にししし……いいでしょ?」
「あ、おめでとうございます……?」
「うんうん、ありがと。でね、このあと内輪差で轢かれそうになる私を助けてくれるの。イケメンでしょ?」
「は?」
「ちょっ、茜ッ、お前何を――」
「大丈夫、柚くんは知ってるよ。超能力のこと」
「そうじゃなくて……お前ってやつは……」
彼氏さんも、茜さんの超能力のことを知っているらしい。
あと、なんだか不穏な未来を聞かされたが、予知能力の茜さんがおっとりしているのだから気にしなくていいのだろう。
カレシの方はこめかみを押さえて呻いているが。
首をすくめる程度にお辞儀をすると、向こうも同じ程度に挨拶を返してきた。
「私アンラッキー属性で事故とか事件に巻き込まれやすいんだぁ~。ま、それはいいや。彩香とは仲良くやってる? あ、フランクフルト、一つちょうだい。もちろん暖めて」
「毎度あり……。まぁ、仲良くやってますよ」
レンジにフランクフルトを入れて、スキャンした商品を袋に詰めていると、茜さんが小銭と一緒にサイコロを僕に渡す。
首を傾げると茜さんは悪戯っぽく言った。
「お守り。あげるよ。彩香と喋るときに握りしめるといいことあるよ」
深く透き通るような、深く吸い込まれそうな、淡い海の色をしたサイコロは、蛍光灯の光を受けて輝いていた。
*
「柚、何食べてるの?」
朝。
ボリボリという僕の咀嚼音が気になったのだろう。本を読んでいた彩香さんは僕を振り向き、首を傾げた。
僕の手元には消しゴム大の若干黄色がかったキューブがある。
口の中に広がる甘いミルクの味に目を細めつつ、僕はリュックの中の袋を手探りで探し当ててチャックを開き、キューブを取り出して彩香さんに渡す。
彩香さんは不可解そうな目で僕を見て、訝しげに匂いを嗅いだ後、キューブを小さく囓った。
「あっま……ミルク味?」
「ん」
頷きつつ、僕は二つ目のキューブに手をつける。
彩香さんは得体の知れない生物を見るかのような目で、僕とキューブを見比べた後、囓り始めた。
その速度は結構速く、見るに、彩香さんもハマったのだと分かる。
二つ目を食べ終えて満足した僕は、彩香さんのキューブのおかわりに応じつつ口の中のキューブの欠片を水で流し込み、言う。
「これね、ミルク用のキューブなんだ」
「ん?」
彩香さんは小さなキューブを両手の指で丁寧に掴んで、リスのように前歯で囓りながら食べている。とてもキュート。
ココロを読んだのだろう、彩香さんは少し頬を染めた後、無表情になった。
僕の回答に首を傾げた彩香さんのために、リュックからキューブが入っている袋を取り出す。そこには母性あふれさせる暖かい色合いのパッケージと、全面にデカデカと書かれた文字。
『赤ちゃん用ミルクキューブ・簡単、お湯で溶かすだけ!』
「んっ――!? んッ! んッ!」
と同時、彩香さんは間違えてキューブを飲み込んでしまい、目を白黒させて胸元を叩く。喉に詰まったらしい。
僕がそれに反応するより先に、彩香さんは僕の水筒を奪い去り、勢いよく傾ける。
水筒の水が口の端からあふれて、彩香さんの頬を伝う。
汚いなぁ、と思う反面、あの水は四万十川より清純なんだろうなぁ、と思った。
何度か喉を鳴らした彩香さんは、ぷはぁ、とかわいらしい声と共に水筒を口から離し、荒く息をした。
「はぁはぁはぁ……の、喉に詰まった……」
「保健室行く?」
「いい……そ、それより、なにそれ?」
垂れた水を手の甲で拭いつつ、彩香さんは机の中央に鎮座する袋に目を凝らす。老眼かな? とココロの中で聞いてみると、彩香さんは軽く僕を睨んだ。
むずがゆい程度の心臓の痛みに顔をしかめて、僕は説明を始めた。
「この前ね、
「な、なんてものを食べさせてるのっ――!」
「ホントは熱湯で溶かすやつなんだけど、ガリガリ囓るほうがいいなって思って。美味しいでしょ?」
「だからっ、それなら私が食べる前に紹介してほしかっ――!」
「ねぇ、美味しかったでしょ?」
「あ――う、うん。まぁ、美味しかったけど……」
圧力をかけて迫ると彩香さんはひるみ、僕から目をそらしながら頷いた。その彩香さんの目線の先に顔を動かしてむりくり目を合わせ、ココロの中で彩香さんに説く。
お子様ランチを大人が食べちゃいけないなんて法律はないのだ、と。
彩香さんは目線で、それは分かってる、と僕に訴えてくる。
ふと僕は気がついて、席に戻りつつ言った。
「彩香さん、まさかだけどさ。僕のことからかうネタを自分で潰したこと、悔やんでる?」
「なっ――柚ッ、もしかして超能力者ッ!? でも物理法則を無視した力なんて存在するわけ――」
「……ご自身がそうでいらっしゃるのにそれ言う? かなり動揺してるね。図星なんだ」
そこで彩香さんは、二重の意味でハッとした。
そして取り繕うように無表情を作るが、もう無駄だ。
彩香さんに勝利したと陽気な気分になった僕は、更にいいことを思いついた。
僕は水筒のキャップを外し――彩香さんに気付かせるため、あえて一瞬、そこで固まってみる。
瞬間、彩香さんの顔がぼわっと赤くなり、直後に本日三度目の無表情になった。そして、いつものニヤニヤ顔。
予想通りだ、と僕は内心ほくそ笑んだ。
彩香さんは僕のココロの表情には気付かず、聞いてくる。
「柚、いいの?」
「え? 何が?」
「ま、気づいてないんだったらいいけど?」
僕を試すように彩香さんは言う。それを僕は首を傾げつつ、水筒に口をつける。
すると、彩香さんのニヤニヤ顔にほのかに赤い色が走った。
「どうしたの?」
「――別にぃ……? 何でもないけどぉ?」
「そっか」
「むぅ……これ、間接キスなの気づいてる?」
「――先に間接キスしたのは彩香さんだけど」
「別にぃ? 私は気にしないし。で、どうなの?」
小悪魔っぽい言葉と裏腹に、彩香さんは自身の唇をなでて、肩を少しだけこわばらせる。もじっ、という効果音がとても似合いそうだった。
目線は少し下を向いて僕と目を合わせず、恥ずかしそうだ。
だが、僕はあまり恥ずかしくなかった。
水を飲むためには間接キスぐらい致し方ないだろう、となぜか割り切れていた。その理由はこれにある。
机の下で握りしめる青いサイコロに目を落とし、僕は茜さんに感謝する。こうして僕は、新アイテムを手に入れた。
我慢できなくなったのか、彩香さんは赤い顔を両手で抑える。
カラン、と水筒の氷が軽い音を奏でた。
*
「柚、今日おかしくない?」
「そう?」
「ん……なんか、反応が鈍い」
6限が終わり、終礼までの時間。
彩香さんは僕を訝しげに眺める。
今日はいろんなことをされた。あ~んでお昼ご飯を食べさせられたり、昼食後に恋人つなぎをされたり……だけど、僕はそこまで恥ずかしくなかった。
むしろ、彩香さんの方が恥ずかしがっていた。
それはもちろん、このサイコロのおかげだ。
考察するに、このサイコロは彩香さんが気づかない程度にココロの声を隠し、また、使用者の感情を吸い取ってくれるものなんだろう。
サイコロはもとの青色に少し緑色が混じった綺麗なマーブル色をしている。綺麗だし、茜さんは何も言っていなかったら危険なことはないんだろう。
たぶん、使用者によって色が変わるんだろう。
「――柚、何隠してるの?」
「え? 別に何も?」
「うそつき。なんかこの感覚懐かしいもん」
「そう? 彩香さんの思い違いじゃない?」
サイコロの存在がバレたらいけない、と僕は肩をすくめる。
どうやら、茜さんは彩香さんにこのサイコロを使っていたことがあるらしい。
彩香さんは低いうなり声を何秒か続けて、やめた。
「……あっ!」
直後、彩香さんは僕の後ろを指さして大声を上げる。
僕は反射でその方向に身体を向ける。と同時、机に衝撃が走り――彩香さんが跳び箱の要領で机を飛び越え、僕の膝に柔らかく座り、僕の手首を掴んだ。
そしてあっと言う間に、手の中にあったサイコロを奪い取られる。彩香さんは獲物をつかみ、したり顔で僕を見た。
「ちょっ、返して!」
「ふふん、やっぱり。茜ねぇのやつだ。どこでもらったの?」
「あ、う……それは……。と、とにかく僕の大切なものだから返して!」
「やだ、だってこれ茜ねぇのだもん。民法上相続権は私のほうが強いの。それに……柚のものなら、つまり相続権はそれこそ一位でしょ?」
僕の膝に座り直し、僕の肩に手を置いて僕に密着した彩香さんはあざとく続ける。
言っている意味は分からなかったが、とても恥ずかしかった。
「ま、今は言わなくていいよ。明日から、いぃ~っぱい、聞いてあげるから」
彩香さんは赤味の混じったサイコロを見せつけつつ、にししと笑った。同時、その意味がわかる。
彩香さんは僕のことを、ノーリスクでからかうことできるようになったのだ、ということに。鬼に金棒とはこのことだ、と。
担任の『終礼するぞ~』と間の延びした声が、やけに耳に響いた。
この日、僕はアイテムを失ってしまった。
PS:今話は番外編の没話を『閑話』として復活したもので、本編には一切の関係がありません。ゆえに、このサイコロは次回以降、存在しなかったものとして扱います。
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