第62話 キャッチボールする美少女は、僕の頬で遊びだす
「彩香さん、次ヘタクソって言ったら怒るからね?」
ボールを投げつつ、彩香さんに釘を刺す。
彩香さんは僕が投げたボールを気怠げに追いかけてキャッチして、僕に投げ返す。
梅雨に入って曇天が多くなってきたこの頃。体育のハンドボールの授業。
例に漏れず、ぼっちの天敵である好きな人とペアを組ませる体育教師にめげず――というか習慣を通り越してもう確定事項にすらなってるけど、彩香さんとキャッチボールのペアを組んだ。
ただ今回の授業内容に限っては、彩香さんが僕と組んだのは失敗だと思う。
僕はノーコンで、僕が投げると半分の確率で彩香さんが球拾いに走るハメになる。かといって緩く投げると彩香さんに届かなかったり、結局それでも横に逸れたりと、一周回ってプロピッチャーになれるぐらいに僕はノーコンだ。
だが、申し訳ないと思っているけども、そのたびにヘタクソと言うのはやめて欲しい。
結構ココロに刺さって痛い。
球拾いに出かけた彩香さんに念話でそう訴えると、彩香さんは面倒くさそうに言う。
『ホントのこと。ねぇ、もっと距離詰めてやらない?』
『……そうしてもいい?』
そうして取った距離、たったの5メートル。キャッチボールとは、と思ったけれど、僕が原因なので黙ることにした。
「ん、その通り。付き合ってあげてる私に感謝して」
「あ、はい。ありがとうございます」
このぐらいの距離なら、と油断した僕は少し速めのボールを投げてしまう。そして当然のごとくボールは彩香さんを逸れてあらぬ方向へ飛んでいってしまった。その先は、明らかに眠っているであろう、職務放棄をした体育教師の顔面。
危ないッ! と思った瞬間、彩香さんがボールに向かって手を向けた。そうすると、ボールは空中で突然制止して、ぽとりと落ちる。
超能力、恐るべし。
彩香さんは僕を睨みつけて言った。
「ヘタクソ」
「うぐっ――球技は苦手なんだって……。ごめん……」
「ホント、へたっぴ」
「語尾を可愛くしたからって、傷つくものは傷つくんだよ……」
ぼやきつつ、その場に座り込んで大の字に寝転がると、ボールを取って返ってきた彩香さんが疲れたように言った。
「次から柚が取ってきて」
「そうする。ごめんね」
「まぁいいけど……それとも、サボる?」
彩香さんは砂がおしりにつくのも気にせずに僕の横に座って、いたずらっ子な笑みを浮かべた。
そうしようか、と僕は共犯者の笑みを返す。
彩香さんは手元でボールをいじりながら、もう片方の手で突然、僕の頬をつつき始めた。
前にもこんなことがあったな、と思いつつ聞く。
「なに?」
「別に? ただ、柚のほっぺだなぁって」
「なにそれ。やめてよくすぐったい」
女子に頬をつつかれることに気恥ずかしさが溜まってきて彩香さんの手を振り払うと、彼女はにししと笑った。
からかい声が僕の耳をくすぐる。
「ホントにそれだけ? 照れてるんじゃないの?」
「ココロ読んだら分かるくせに……。こんなの恥ずかしいに決まってるよ」
「んん、顔見れば分かる。赤いから」
言われてすぐ、両手で顔を隠した。そしたら彩香さんはふふっと笑って、今度は僕の手をつつき始める。
手をどけろ、ということらしい。かといって顔を出せば再び頬をつつかれるだけだ。
ただいまより、報復を始める。
「やり返すよ? 彩香さん」
「へぇ、別にいいけど。触ってみる? でも一回だけね」
彩香さんは僕をつつく手をとめて、余裕そうな声音で返した。
半分冗談だったけど、許可されるなら——と、女子の体に触れることを望む己の欲望に従い、身体を起こす。
幸い、今の変態的なココロは読まれておらず、彩香さんは僕に手を突き出していた。
その体勢を見るに、寝転ぼうとしているのだとわかる。
「柚、ジャージ貸して」
「何に使うの?」
「敷物。髪汚れると手入れ大変なんだから」
「――いいけどさ……。それちょっと人格的にどうなの?」
「髪の毛、柚が長いのが好きだから長いのにしてあげてるの。文句言わないの」
めっ、と僕に指を向けながら僕のジャージを奪い取った彩香さんはシワを伸ばしながら地面に敷き、頭がくるであろう部分に袖を重ね、枕を作る。
謎理論で叱られたが、どうやら僕のせいらしいので黙っておく。
決して、彩香さんに叱られたことが嬉しくて、そう感じる自分が恥ずかしくなって黙ったわけではない。
「これからも叱ってあげる」
「今のは嘘だから!」
「柚のココロは嘘つけない。お母さんが言ってた」
ん? と首をかしげると、彩香さんは超能力、と口パクで言いながら寝転がった。なるほどと納得する僕は、すでに彩香さん一家の女性が全員超能力者だということを知っている。
ローテールに結わえられた髪の毛が扇状に広がり、僕のジャージに広がる。彩香さんが頭をのっけた面だけ切り取って宝物にしようか、とか変態的なことを考えてしまった僕は、いたって健全な男子高校生だ。
「……鳥肌が立ったけど聞こえないふりするね」
「どーせ彩香さんもやってるくせに」
「えっ!?」
「ん? いや、僕の今みたいな妄想。え、もしかして図星?」
「あ、うん……(近しいことなら妄想じゃなくてホントにやっちゃってるんだけど……)」
いやそこで頷くのかよ! 僕は彩香さんにココロの中でツッコミを入れたが、彩香さんは遠くを見つめるような顔をしてスルーした。
ちょっと悲しい。
彩香さんは僕を見る方向で横向きに寝転がり、
もふもふと、幸せそうな声を上げている。
話を戻そう。
彩香さんをつついていいのだ。さて、どこをつつこうか。
やはりR18まっしぐらで股の方――は、やめておこう。今彩香さんが目だけで僕を殺害予告してきた。ではやはり胸――も、やめておこう。死ぬ未来しか見えない。
頬に手を伸ばしてみると、彩香さんが目を閉じた。更に近づける。そこで我に返ると、心臓がバクバクと高鳴りを始めていた。
女子の頬に触れるのが、こんなにドキドキすることだなんて、初めて知った。鼓動が苦しくて、腕の方向を転換。
触り慣れた彼女の手へ。でもやっぱりドキドキした。
軽く手の甲をつついてみると、彩香さんが不満げに目を開いて、僕を軽く睨み上げる。
「遠慮しなくていいし」
「あ、いや。でもほっぺは流石に……」
「いいの、私が許す。それとも――恥ずかしくて、ムリ?」
彩香さんは僕を煽りつつ、僕の手首を掴んで自らの頬へと誘導する。
指先が頬に触れる寸前、ぱっと彩香さんが僕の手を放した。あとは自分でしろ、とのことらしい。
一体全体、なんの試練なんだか。
呆れる一方で、ドキドキしてしまう自分の心臓に語りかける。
なかったことになってるけどっ、僕は彩香さんとキスしたことがあるんだ! その場のノリだけどほっぺにキスだってしたんだ! これぐらいいけるだろ!
脳内で叫んでいると、彩香さんの頬に朱の色が走った気がした。すぐに消えたので、見間違いかも知れない。
それを転機に、彩香さんの頬をつつく。
すべすべで柔らかくて、ふにふにしていた。あとヒンヤリ冷たい。そう感じたと同時に、こちらを見つめる彩香さんと目が合って、ビックリして仰け反ってしまう。
「うわぁっ!」
「へぇ、もう終わり? もったいないことしたね、柚」
彩香さんは素早く身体を起こして、僕の腕をつかみ、引き寄せる。バランスが崩れた僕は、彩香さんの真横に並ぶように倒れた。
一切の痛みがないのは、着地寸前に彩香さんが僕を支えてくれたからだ。
彩香さんが慣れた手つきで僕の頬をつつき始めた。もしかして日頃から僕の知らない間に僕の頬をつついてるんじゃないかってぐらいに手慣れていた。
目と目がしっかり合った状態で、頬を触られるのは恥ずかしい。なのに、僕は目をそらせないでいる。
「ふにふに~ふにふに~」
「うぅ……彩香さん、なんか今日いつもと違う……」
「今更? 私、今日は気分がいいの。あと、テンションも高い」
「それに意地悪……」
「そう?」
いつの間にか僕は彩香さんに肩を抱かれた状態で、頬をつつかれていた。彩香さんとの顔が近く、彩香さんが喋るたびにその息を感じる。
彩香さんが僕を抱き寄せて、続けた。
「何でか教えてあげよっか?」
「――なんで?」
「今日はね、体育の授業なの。それが答え」
「え? 体育好きだっけ?」
「別にぃ。ただ体育のおかげで嬉しいことがあるから。柚、目、つむって?」
頬をつつかれつつも、言われたとおり目を閉じる。
ごそり、と彩香さんの起き上がる音がして、耳元で彩香さんの息づかいを感じた。
「今日は体育着、忘れるかもね」
かすれた声の直後、僕の頬をグリグリしていた指が離れ、次に別な感触を覚える。ふわっとした、軽くて一瞬の感触。そしてすぐに頬のグリグリが再開される。
だけど僕はその感触を一瞬のうちに覚えていた。柔らかくてしっとりした何かだったと、わかっていた。
「え? あっ——え?」
「ふふふ」
「な、何やったの!?」
僕は今されたことが気になって、何を言われたかなんて気にもとめていなかった。体を起こして彩香さんを見つめ、聞く。
彩香さんは僕を見てクスクス笑いながら、何したでしょう? と悪戯っぽく聞いてきた。
「ま、まさかだけどっ——き、キスしたの!?」
「さぁ、どうでしょう? 指かもね?」
彩香さんは肩をすくめた後で、不自然に宙に浮いていた人差し指と中指を、僕と見比べる。
そして彩香さんは僕からじっと目をそらさず、おもむろに手を口に近づけ、その指の腹に唇を重ねた。
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