第36話 妹が怖すぎる美少女は、僕の依り代と添い寝する




「ふぅ……」


 トイレから戻って彩香さんの部屋に入ると……景色が変わっていた。真ん中にあったはずの机もないし、床には教科書が散らばっている。

 クーラーは轟音を立てているし、部屋は冬かと思うほど寒いし、何より——勉強机に向かっているのは、青いヘアバンドをしている少女だった。


 彼女を取り巻く空気は鋭く尖っていて、武闘や”気”なんてものには疎い僕ですら肌がピリピリと刺される感覚を得る。

 彼女は彩香さんに野性味を足して、不良にした感じだった。

 ——下手な説明になるのも無理もない。僕の生存本能が、いますぐここから立ち去れと警鐘を鳴らしていた。


 水を飲むためだろう、顔を上げた彼女と目が合う。途端、僕の体は金縛りにあったように硬直してしまった。

 切れ長で吊り上がっている目が細まる。薄く、形の整った唇が開いた。


 恐怖に、喉の奥で息が渦巻いた。


「あぁ"……? お前誰だ?」


 彼女が席を立ったと同時、その時には彼女は僕の前に迫っていた。

 彼女は残像が見えないほど速く、僕は反応できないままに胸ぐらを掴まれて持ち上げられる。

 つり上がった目で下から睨め上げられるだけで、心臓が震えた。


 瞬時に自分の立場を判断して、正直に答えることにする。こちらには部屋を間違えたこと以外にやましいことはない。


「ぼ、僕は、あ、彩香さんにべ、勉強会で呼ばれて……」

「は? お前男だろ」

「じゃあ逆に女に見えるの!?」


 思わずツッコむと、隣の部屋の扉がガチャリと開いた。

 中から彩香さんが顔を出し、こちらを見て、目を丸くする。

 助かった、と安堵の息を吐いた。多分僕をつかんでいるのは……妹さんなんだろう、とも同時に認識する。


「亜希奈ッ!」

「うるさい叫ぶな」

「柚を下ろしなさいッ!」

「ったく……柚? あぁ、コイツがか……。へぇ、呼ぶのが女ってのは嘘か」


 僕を品定めするように全身を見回した後、彼女はニヤリと口角をあげた。

 ドスの利いた声が心臓をすくみ上がらせる。


「おいお前」

「ひゃっ、ひゃいっ……」

「よくあのじゃじゃ馬を手懐けたな」


 彼女は僕を意外にも丁寧に床に下ろして部屋へと戻る。バタン、と目の前の扉が閉まる。

 情けないとは思いつつもへなへなと座り込んでしまう。恐怖で心臓がばくばくと跳ねていた。


 切れ長で吊り上って、まるで目を細めたチーターのような形をしている目は、圧倒的な恐怖を僕に与えた。

 じゃじゃ馬は君だよ、とは言い返せなかった。


 彩香さんは大きなため息を一つ、こめかみを押さえてしかめっ面をして、僕を部屋に手招いた。

 もちろん、彩香さんの部屋だ。恐怖は彩香さんの部屋の香りで吹き飛んだことなど、余談の一つに過ぎない。



 *



 部屋に戻って事情を聞いた後、情報を纏める。


「要するに、末っ子中三JCこと亜希奈ちゃんはケンカがバカほど強い、ってこと?」

「そう。攻撃的な超能力だから……」

「例えば?」

「端的に言うと、亜希奈がパ……」


 別にバカにしてるわけでも幼いと思ってるわけでもないから、パパって呼んで構わないんだよ? とココロの中で言ってあげると、彩香さんは声に出さずに『大きなお世話』と言った。

 そして話を続ける。


「お父さんと亜希奈が二人だけで外出したときにオヤジ狩りに遭って……返り討ちにしちゃったぐらい……」

「うわぁ……何歳のとき? あと相手何人?」

「5歳、相手は5人グループだったはず……。最高速度は確か、100km/h」

「ってことは秒速約30m!?」


 彩香さんは顔を顰めて頷いた。

 愕然としつつも、残像の確認すら危うい速度で移動してたのを思い出して、納得してしまった。


「まぁ、今はもう超能力、使えないけど。それでも、身体能力は健在らしくて、すごいの……」

「え? 今は使えないの? それであの速さ?」

「そう。私たち中学に上がったぐらいには全然使えなくなっ――なんでもないっ!」

「え? いま彩香さん使えてるじゃん。使えなくなったってどういう——」

「忘れて! 今の話はなかったことにしてっ!」

「……まぁ、分かったけどさ」


 これ以上問い詰めても彩香さんが困る……というかイヤがるだけなので大人しく退くことにする。

 超能力関係の話は女子の胸とムダ毛並みにデリケートなことだから無闇に聞くのはやめよう、と好奇心を諌めた。


 彩香さんはもじもじしたあと、ペンを握ってノートに文字を彫り始めた。この会話は終わり、ということだろう。

 ちなみに『彫る』に関してはニュアンス的には間違っていない。筆圧が高いのだ。彩香さんのシャーペンの芯は0.7。それでも高い頻度で折れている。

 高校生で0.7使ってる人初めて見た……。


「うるさい。字が下手くそとかうるさい黙れ」


 曰く、超能力に頼りすぎたせいで手先は器用じゃないらしい。

 そのくせリズム刻むのは上手いよなぁ。スゴいなぁ、と感想を零すと彩香さんは少し照れて目を伏せた。


「ピアノやってたから……」

「あぁなるほどね」


 その後、彩香さんが究極にデレることもなくに勉強会は終わった。



 *



「彩香、今日は勉強会ちゃんと出来た?」

「うん、もちろん」

「え~私も会ってみたかったなぁ~。でしょ? だっけ?」

「そう」


 首をかしげる茜ねぇに頷いて、生姜焼きをご飯の上に載せる。

 対面して座る亜希奈がニヤニヤしはじめたので、目を逸らした。柚が帰った後にしっかり言い含めておいたので、暴露することはないだろう。不安ながらも信じておく。


 そんな私を見てかお母さんが怪訝そうな顔をしたあとに、あぁなるほどと笑みを浮かべた。

 なにがなるほどなのかはよくわからないけれど。

 お父さんが遠慮がちに油の多い生姜焼きの肉を取った。


「その~咲ちゃん? って子とはいつも仲良くしてるのか?」

「そうそう。今年から私お弁当作るの増やしたでしょ?」

「あぁ、そうだな。もしかしてその咲ちゃんにか?」

「うん。食べてくれるとき、すっごい笑顔だから。嬉しくなっちゃって」


 そのとき、ふと亜希奈と目が合う。いつも不機嫌そうに吊り上がってる目が小悪魔チックなものに変わっていた。

 亜希奈は私の会話の『咲ちゃん』が『柚』であることを知ってるんだった! と、数秒前の記憶を忘れて無駄なことを言ってしまった自分を恨む。

 亜希奈はただ笑みを深めるだけだった。


「そうか……あぁ茜。昨日の帰り遅かったようだが、どこ行ってたんだ? メールしたけど返信しなかっただろ?」

「えと〜、それは〜私ともだちと遊びに出てて〜」

「まさか男はいないだろうな? 夜遅くまで男と一緒に遊んだら変なことに巻き込まれるからな?」


 茜ねぇの歯切れの悪い回答にお父さんの体がぷるぷると震え出す。

 これだから勉強会に来た友達の名前を嘘つく必要があるのだ。別に、家族に柚のことを話すのが恥ずかしいわけじゃない。

 お母さんがなぜか目を細めてふぅんと頷いた。首をかしげると、なんでもないとお母さんはかぶりを振った。


「いないよ? そりゃだって、彼氏作るのまだ早いし?」

「本当か?」


 茜ねぇは天然ぶってそう躱す。

 大嘘だ。茜ねぇに彼氏がいることは、お父さんを除いて周知の事実だ。

 超能力未来予知が使えた頃の茜ねぇだったら簡単に逃げ切れただろうに、と思う。


「……」


 お父さんの鋭い声に茜ねぇが固まりかける。超能力者でもないのにお父さんはときどき察しがすごくいい。

 どうやって仲裁しようか策を組み立てかけた瞬間、亜希奈が音を立てて茶碗を置いた。一瞬、私たちの意識がそちらに向く。


「るっさい。過保護、うざい」


 娘に言われると悲しくなる言葉ランキング一位。『うざい』

 お父さんがその場に崩れ落ちる。


 亜希奈は淡々と食器をシンクに戻し、ごちそうさまと小さく呟いて食堂を出て行った。

 茜ねぇは少し迷った後、そそくさと食器洗いに逃げていく。

 食卓にはどんよりとした空気が漂った。


 私はため息を一つ、ご飯を掻き込んで早急に部屋に戻ることにした。こんなナーバスな雰囲気だけれど、部屋に戻れば嬉しいモノが二つある。


 一つは柚が座っていたクッション。枕として活用しよう。


 そしてもう一つは……。


 今日、柚が忘れていった依り代ジャンパーが部屋に残っている。それを胸に抱いて今日は寝よう。

 ココロが嬉しさで飛び跳ねた。


 柚をジャンパーを抱きしめてあげようか、それとも後ろから抱きしめてもらおうか……。布団をジャンパーでくるんで等身大の柚を作るのもありかもしれない。

 手と足でホールドしていっぱい可愛がってあげよう……いや、可愛がってもらおうかな? どっちでもいっか。


 えっちぃ妄想もしてしまったけれど……まぁドキドキするしなんでもいいか。


 何故だか、お母さんが私を生暖かいながらも、どこか冷ややかな目で私を見ていた。







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