第35話 新妻気分の美少女は、僕に未来を約束させる
「で……とうとう来てしまったわけだが……」
夏休み終盤。駅構内のそば屋で早めのお昼ご飯を取ったあと。
地図アプリが示す現在地と、目の前の家を見比べる。驚くことに三階建て。しかもワンフロア80平米ぐらいありそうだ。
彩香さんの家の経済状況ってどうなってるんだろ……。
恐る恐るチャイムを押すと、僕の第一声を遮るように弾んでうわずった『そこで待っててっ』という彩香さんの声がした。
そして家の中からドタドタと足音が聞こえて、ガチャリと扉が開いた。真っ赤な顔で息を切らしている部屋着の彩香さんだった。
彩香さんは満面の笑みで言う。
「柚、おはよっ……おはよ? おはんちは?」
「うんえと~……おはんちは? お邪魔します」
「いま茜ねぇとパ……お父さんとお母さんは外出てるから」
パパ、と言い掛けて言い直した彩香さん。可愛くて吹き出してしまうと、彩香さんが僕を振り返ってキッと睨んだ。
一瞬だけ、久しぶりに心臓を痛めつけられる。
「ナニか悪いっ!?」
「別にぃ?」
そこでムキになる彩香さんも可愛いなぁ、とココロに零すと、彩香さんは顔を背けてそそくさと階段を上った。
その耳は少し赤かった。
三階に上がり、彩香さんの部屋に連れ込まれる。彩香さんの部屋は壁がピンクのTHE女子の部屋でも、無機質さを醸し出すTHE氷の女王の部屋でもなかった。
普通の白い壁紙だし、ベッドの上のぬいぐるみは多くも少なくもない。僕の部屋と似ていると言えば似ている。まぁ、床は片付いてるけど。
ただ。
「っ――」
ドキドキと心臓が跳ね、顔が熱くなるのが分かる。
匂いがすごかった。もちろん鼻がひん曲がるような『臭い』じゃなくて、まるで僕を洗脳するかのような『匂い』。
彩香さんの匂いで肺が一杯になり、ドキドキと心臓が跳ねてしまう。
彩香さんは僕のココロを読んでいないのか、淡々と僕の飲み物のオーダーを取って、トイレの場所だけ教えて部屋を出て行った。荷物を置いたあと、早速トイレに行かせてもらう。
部屋に戻ると、既に彩香さんが麦茶をもって帰ってきていた。僕の座るところにいそいそとクッションを用意する彩香さんは何故か嬉しそうだった。
彩香さんは新婚がどうのこうの、ともごもご呟いたあと頬を染めた。そして勉強机の棚からそわそわと教科書を取り出す。
「えと~渡すの遅れたけど手土産。適当に家族と食べて。五人家族だよね?」
「そう、五人家族。ありがと柚」
母親に持たされたお土産を渡しつつ、クッションに座って部屋を見回す。整理整頓がキチンとされていて、枕元の小さな本棚には僕が貸したままの小説が入れられていた。
僕が映画館であげたうさぎがベッドの布団の上に座っている。
僕の視線に気づいたのか、彩香さんが口を開いた。
「あぁ、いつも柚と一緒に寝てるの」
「はぁッ? 寝てないけどッ?」
「違う、柚がくれたうさぎの柚」
「ぼ、僕の名前付けるんだ……」
「っ――く、くれたから。け、敬意を持って?」
彩香さんはしまった! という顔をした後、赤い顔で首をかしげながら言った。疑問形なところに、今考えた即興の言い訳だと分かる。
女子がぬいぐるみに名前を付けるとき、その名前は好きな人の名前だったりする。
そんなコトが書いてあるブログを過去に読んだことがある。あの文言が、脳内を縦横無尽に駆け回っていた。
彩香さんは僕のコトが好きなんじゃないのか?
「違う、そういうわけじゃない」
「でもっ、名前付けるってことは――」
「自惚れるな変態ナルシストバカ」
冷徹な声に心臓が縮こまる。彩香さんの顔は無表情だったけれど、いつもの照れ隠しの無表情には思えなかった。
でも……僕と目が合うと、無表情を解いて耳を真っ赤に染めてうつむいた。めちゃめちゃドキドキした。
もしかしたら、照れ隠しなのかもしれない。
*
「うぅ~疲れたッ!」
ペンを投げて後ろに倒れ込むと背骨が大きな音をならした。
向かいの彩香さんもため息を一つついたあと、僕と同じくペンを投げた。
目を閉じて伸びをしていると、隣に彩香さんの気配を感じた。目を開けると、彩香さんが僕を覗き込んでいた。
目が合うと、離せなくなる。
頬を指で押される。恥ずかしかったけどやめろと叫ぶほどのことでもないのでじっとすることにした。
それが、いけなかったのかもしれない。
「ぷにゅ~」
彩香さんが効果音を付けながら僕の頬を弄り出す。
つついたり引っ張ったり撫でたり……息を吹きかけたり。
ドキドキと心臓が跳ねる。彩香さんと知り合ってこの四ヶ月、高血圧になることが増えてきた。あと心拍数も爆上がりだ。
思わず目を閉じる。
「柚、ドキドキしてるの?」
「っ……そ、そりゃ――」
女の子に顔を触られたらドキドキしちゃうよ、と続けようとして、声が詰まった。
胸に重みを感じる。おなかの方にサラサラな髪の毛を感じた。
目を開けると、僕の体に寝そべった彩香さんと目が合う。
彩香さんは僕の胸に耳を押し当てながら、目を三日月にして言った。
「柚のどきどき、聞こえてるよ」
「っ――」
「すぅぅぅ……はぁぁぁ……すぅぅぅ……はぁぁぁ……」
彩香さんの深呼吸のリズムが心地よく耳に響く。
吐息が顔にかかる。麦茶とローズミントの匂いがした。
彩香さんは僕から目を離して僕の胸に顔を埋め、背中に腕を回す。彩香さんの息が胸にかかってくすぐったかった。
「柚の匂いがするぅ……♡」
「あ、彩香さん……」
「なにぃ……?」
彩香さんは甘ったるい声を出しながらこちらに顔を見せる。
目はとろんと溶けていて、扇情的に瞳が光っていた。幻覚でしかないがハートすらも見えた気がした。
心臓が今までに無いぐらいの高鳴りを覚える。
「いっ、いつまでこれ続ける気……?」
「……柚が、ずぅぅぅっと、ずぅぅぅっと、私の前にいるって約束したら解放してあげる」
それはまるでプロポーズみたいで、ずっと一緒にいるだなんてそれは婚約の誓いのようで、ドキドキする。
きっと言葉の綾なんだろうとは分かっていたけれど、雰囲気に飲まれた僕は口を開く。
「ず、ずっと一緒にいます……」
「誰と?」
「あ、彩香さんと……」
「そっか……ふふふ……そっかぁ……」
彩香さんの笑みが悪魔っぽいものへと変わり、僕から離れるどころかキツく僕を抱きしめる。
そして真っ赤な耳を僕に見せつけた。
「しっかたないなぁ……いいよ、柚。一緒にいたげる」
片目だけこちらに向けて彩香さんはそう言った後、きゃぁ♡ と叫んで僕のおなかをドスドスと軽く叩いた。
泣きそうなぐらい恥ずかしくなって、実際こぼれた涙を僕は拭った。
なにこれ……幸せすぎでしょ……もうこれ死ぬかもしれない……。
あと……お腹いたすぎて泣く。ぐっ……パンチがみぞうちに入ったっ……げ、ゲロ吐きそう……。さっき食べたソバが——!
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