第25話 蛍光ペンで遊ぶ美少女は、僕に輪ゴムで勝たせない




「柚」

「なに?」


 授業中。呼ばれて後ろを振り返ると、頬に冷たいなにかが当たった。顔を遠ざけて焦点を合わせる……と視界に映る手には黄色い蛍光ペンがある。

 その奥に悪戯っぽく笑う彩香さんが見える。


「ひっかかったぁ〜♪」

「……Yシャツには書いてないよね?」

「……怒るけど?」


 彩香さんは笑みを一転、むすっとした顔でそう言った。そんなことするわけ無い、って意味だろう。


 ほっと安心して頬に手を添えかけて、やめた。

 触ったら余計に滲むかな……?


 数秒の思考のあと、ポケットからアルコールティッシュを取り出した。ツン、とキツいアルコールの匂いが鼻を刺す。嗅ぎ慣れないこの匂いが僕は嫌いじゃない。

 目に入れないように気をつけながら頬に当てると、スーッとして気持ちよかった。


「そこじゃない、動かないで」


 彩香さんが僕の手からティッシュを奪った。

 そして後ろから顔の前に手を回してきて、蛍光ペン攻撃を受けてない頬に手を優しく添えて僕の頭を固定する。

 しなやかな指の動きが、やけに艶かしく思えた。

 反対側の手で頬を拭ってくれる。


 彩香さんが僕の顔を覗き込もうとするから、まるで後ろから頬ずりされるみたいな感覚を覚えて……僕の心拍数は跳ね上がった。

 頸動脈を流れる血の動きを感じる、つまり血圧が高い。血流のドクドクという音が聞こえる。

 彩香さんに聞こえやしないか考えると、更にドキドキした。


 完全に拭い切れたのか、彩香さんが身を乗り出して僕の頭の真横に顔を寄せる。耳に口をつけるぐらい近くでささやいてきた。


「ちゃんと聞こえてるよ、柚のどきどき」


 彩香さんを睨もうとしたけど、目に力が入りそうになかったし、そもそも体から力が抜けて首を回せそうにもなかった。



 *



 授業後。

 蛍光ペン攻撃を警戒しながら彩香さんの方へ体を回す。彩香さんは退屈そうに蛍光ペンのキャップを付けたり外したりしていた。

 そのうち失敗して手に付きそう……とか考えていると案の乗の失敗して、白い指と綺麗な爪に黄色い蛍光ペンの色が付く。


 彩香さんはそれを見て、顔を顰める。

 僕を見上げて、蛍光ペンに目を落とした。再び僕を見上げる。


 何を求めてるのかわかんないけど、手は拭いた方がいいよね。とココロの中で彩香さんに聞きながら、先ほど使って机の隅に置いておいたアルコールティッシュを取る。


 自分で拭くかな? と思ったけど、彩香さんは無言で手をこちらに突き出してきた。

 拭け、という意味だろう。


 彩香さんの手を取って固定し、爪にティッシュを添わせる。ティッシュを優しく上下させながら話題を探して彩香さんを見ると、彩香さんは顔を真っ赤にしていた。

 僕と目が合うと反対の手で口元を押さえて、大げさに首をねじって目をそらす。


「どうしたの?」

「なんでも……ない」

「そう?」


 大丈夫? と聞いてもどうせ大丈夫としか返ってこなさそうなので、黙って拭くことにした。

 全部拭き終えると、彩香さんは耳まで真っ赤にさせたまま小さく一言。


「ありがと……」


 僕の手にあったティッシュをひったくり、ゴミ箱に向かった。



 *



「おはよ、彩香さん」

「柚、おはよ」


 今日はいつも以上に湿度が高く、でも涼しい日だった。

 そんな日は、常にプールの後のような気怠げを感じる。

 リュックを机の横のフックにかけて椅子に座ると、ココロを読んだのか彩香さんが頷いた。


「言いたいこと分かる……」

 

 そして退屈そうに僕の背中でリズムを刻みだした。

 くすぐったくて机の上に逃げると、彩香さんは不満げな顔で僕を見た後、今度は僕の椅子の背もたれで再びリズムを刻み始める。


 それにも飽きたのか、今度は髪の毛を弄り始めた。

 机に座り直して、口を開く。


「彩香さんって結ばないよね、髪の毛」

「え? ……あぁ、水泳の時は結んでるけど」


 出会った当初はセミロングだった彩香さん。

 今は肩より少し下の高さまできている。だけど髪の毛を結んでいるところを見たことがない。

 時々ヘアピンで前髪を横にずらしているぐらいだ。


「髪の毛、どの結び方が好みか分からないし。時々地雷の髪型もあるから」

「はい? 地雷?」

「なんでもない……柚、髪型ってどれが好きなの?」


 そう聞かれて、素直に答えかけて、止まった。

 聞いてくるってことは、言ったらその髪型にしてくれるってこと? ココロの中で聞くと、彩香さんは目を逸らして頷いた。

 少し目の下が赤い……あ、無表情になった。


 このまま彩香さんを観察し続けるのもいいけど、そうすると今日1日、口を聞いてくれなくなりそうなので、僕も目をそらした。

 決して、可愛い彩香さんに僕が照れたわけじゃない。


「ん~……わかんない。でも三つ編みの三つ編みを三つ編みするのはもえるね! あっ、『萌え萌えキュン♡』の『萌え』じゃなくて『ファイヤー!』の方の『燃える』って漢字ね」

「……聞いた私がバカだった」

「ぜったいカッコいいじゃん! 三の三乗だよ!?」

「労力考えたことある?」

「ない」


 即答すると彩香さんは大きな、それは大きなため息を吐いた。

 大事なコトなので二回言いました。テストに出ます。配点は三の三乗点。

 ココロの中で古いネタを転がすと、彩香さんが僕を見てもう一度ため息を吐いた。


 知ってる髪型を脳内で検索する。坊主、ちょんまげ、五分刈り、角刈り……といろいろ出てきたけど、どれも彩香さんには似合いそうになかった。当然か。


 心臓を痛めつけられる方で『睨まれた』ので真面目に考える。

 好きな髪型を思い浮かべている内に、ふと思いついた。


「あっ、ポニーテールってゴムを口にくわえて髪の毛結び直すじゃん? あれを三秒おきにやってほしい! あとポニーテール!」

「……つまりポニーテールそのものではなく、結ぶ過程が好きということ?」

「うんっ!」


 僕の頭の映像がしっかり伝わったと確信して、元気よく答える。


 彩香さんはフリーズすることきっかり三秒、ポケットからゴムを取り出して口にくわえた。そして後ろの髪の毛を掻き上げてまとめていく。

 思わずスマホに手が伸びた。撮影は流石にダメだなと思い、まぶたの裏にこのをしっかり焼き付ける。


「いいよ別に撮っても」


 彩香さんはゴムを落とさないよう、腹話術のように唇を開かずに淡々と言った。

 いいの!? とココロの中で聞き返しておきながら、その返答は待たずにスマホを取り出して、シャッターを切る。

 無駄に間隔の狭い連写機能はこのためにあるのだと知った。


「はぁ……バカ」

「あぐぅ……いって、何すんのさ」


 そう呟いた彩香さんは素早く動いて僕にデコピンする。

 突然の痛みに顔をふらつきつつ、文句を言うと、彩香さんが答えた。


「夢の種、仕込んだだけ」

「夢の種?」

「なんでもない。で、そろそろいい?」

「うんもちろん!」


 過程もいいけど、ポニーテールも見たい。

 彩香さんは少し呆れた顔をしながら唇からゴムを取り、髪の毛に添える。あっという間にポニーテールの完成だ。

 いつもの彩香さんとは全然雰囲気が違った。

 明るめの少女へと大変身だ。


「おぉ……」

「感嘆の声?」


 それほどのもの? と言う意味で聞いたのであれば、答えは一つ。『それほどのもの』だ。ポニーテールはやっぱりイイ。

 可愛い、という感想をココロに零す。彩香さんはちょっとだけ頬を朱に染めた。

 だけど、彩香さんはすぐにポニーテールを解く。

 僕の不満げな顔を見たのか、髪の毛を手で梳きながら言った。


「ポニーテールは首が痛くなるから嫌い。あと髪の毛が首に当たって気に障る」

「えぇ……」

「まぁ……柚がやってほしい、って言うなら時々やってあげなくもない」


 じゃあいますぐ! と叫ぶと彩香さんは鼻で笑った。

 そして素早く髪留めゴムを指に掛け、昨日僕が教えたように指を動かす。昨日の今日でとても滑らかで……途中から違う動きをしはじめた。複雑な指の動きをみつつ、待つこと三秒。


 彩香さんが僕に手の平を向けてゴムから指を抜く。

 ゴムはぺしっ、と僕の額に命中して、思ってたよりも痛かった。


「柚、教えてあげよっか? このゴム鉄砲のやりかた」


 カマトトぶって首を傾げた彩香さんは、表情を小悪魔チックなものに変えて続けた。


「私の勝ちぃ〜って、認めたらだけどね?」


 たった一夜での上達力と応用力に、がっくりと肩を落とすほかなかった。







【おまけ1】指を拭かれる彩香


 これ……ちょっと指輪嵌めてもらってるみたいで……ドキドキする……。



【おまけ2】連写される彩香


 ……にちょっとだけ、悪夢の成分も入れておこう。これはこの連写バカへの制裁だ。

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