第11話 薩英戦争
第四章・イギリス 2<薩英戦争>
この頃、横浜ではイギリス艦隊の鹿児島
「生麦事件の処理について幕府が薩摩藩に何も強制できない以上、イギリス自身が薩摩藩に強制するしかない」
このように判断したニール代理公使は、自分が直接艦隊を
この日、ユーリアラス号の司令室でニールとキューパー提督が遠征計画の打ち合わせをした。
キューパー提督はニールに尋ねた。
「やはり目的地は、下関ではなくて鹿児島ですか?」
「ええ。
一、イギリス士官
二、被害関係者への賠償金として2万5千ポンド(10万ドル)の支払いを要求
三、この要求を
という、この通達のことである。
「それで提督はどのように艦隊を
「日本の地方政府との
ニールはキューパー提督の弱腰姿勢に
「それではあまりにも少な過ぎます。相手にナメられて、交渉事が不利になります。少なくとも軍艦七隻は必要です」
「そんなに
「いや。日本人は常に時間稼ぎを狙って問題を先送りしようとします。だからこちらは大艦隊で
結局キューパー提督は七隻の軍艦を
その七隻とは旗艦ユーリアラス号、パール号、パーシューズ号、アーガス号、コケット号、レースホース号、ハヴォック号であった。
ニールやキューパー提督が乗るユーリアラス号には
そしてサトウとウィリスはアーガス号に乗り込むことになった。他の公使館員もそれぞれの艦に
鹿児島遠征を控えたサトウとウィリスはいつもの居間でお茶を飲みながら、その鹿児島遠征のことを語り合った。
ウィリスはサトウに鹿児島遠征の日程が決まったことを告げた。
「鹿児島へ出発するのは8月6日(六月二十二日)と決まった」
「そうか。楽しみだなー。鹿児島旅行」
「まあ……シーボルトの件は、あまり気にするなよ」
「えっ?なんで?もともと全然気にしてないよ」
「そうか。それなら良かった。だけど、俺はサトウが旗艦で通訳の仕事をすべきだと思うぜ。同じ船に乗れるのは嬉しいけどな」
「ありがとう。でも、確かにまだ会話の点ではシーボルトのほうが上かも知れないよ。こっちはまだ日本に来て一年弱。あいつはもう四年も日本に住んでるんだから」
「でも英語はまだまだ
「そう言えば、あいつがサン・オブ・ガン(卑劣な奴)を「鉄砲の息子」と日本語に訳してたのを見たことがあるよ」
「ハハハ、そいつは傑作だ」
「日本語の読解力ではあいつに負けない自信はあるけど、結局は日本人通訳がいないと正しく読めない点では同じだから、今は仕方がないよ。なに、すぐに追い越してみせるさ」
さらにサトウは語った。
「とにかく、今はこの横浜を出て鹿児島へ行ける解放感で一杯だよ。たまにはこの横浜から飛び出して、どっか旅行に行きたいと思ってたんだ」
「そうだな。鹿児島はどんなところだろうな。行くのが待ち遠しいよ」
サトウとウィリスはこの時、鹿児島で戦争が待ち受けているとは夢にも思っていなかった。
そして六月二十二日(8月6日)イギリス艦隊は鹿児島へ向かって出発した。
一方、薩摩藩はイギリス艦隊の
鹿児島湾沿岸の砲台を着々と強化し、日々砲撃訓練に
なにしろ薩摩は生麦事件における自分たちの
そしてなにより薩摩は
藩上層部の方針は開国とはいえ、多くの薩摩藩士は他藩同様、攘夷の感情が強い。敵が
これに加えて、幕府から伝達されたイギリスの要求が誤って伝わり、その事がいっそう薩摩側の
二月にニールから幕府へ通告書が届けられた際、福沢諭吉たちが大至急、徹夜で
「島津
と誤って伝わってしまったのだ。
この要求を見て薩摩側が
このような事情もあって、薩摩藩は鹿児島湾内の十ヵ所に砲台を整備して軍事訓練をくり返していた。
「イギリス艦隊出発」の情報を得た薩摩藩の
イギリス艦隊は比較的ゆっくりと進んだので鹿児島まで六日間かかった。しかし飛脚が鹿児島に到着したのはイギリス艦隊到着の十二日後。家老が到着したのは更にその七日後だった。要するに江戸からの情報は間に合わなかったのだ。
にもかかわらず、薩摩藩はイギリス艦隊襲来の情報を事前に入手していた。
入手したのは、長崎にいた五代
六月二十三日(8月7日)、この日長崎にいた五代は重大な情報を入手して
その五代のいる部屋には、五代のビジネスパートナーであり友人でもあるグラバーもいた。
五代はため息まじりにつぶやいた。
「まさかイギリス艦隊が長崎へ寄らずに、直接鹿児島へ向かうとは……」
日本語を話せるグラバーが五代に語りかけた。
「ミスター・レニーの情報なので間違いありません。イギリス艦隊は昨日出発してます」
この部屋には少し前までイギリス軍の軍医であるレニーという人物がいたのだが、すでに先ほどこの部屋から立ち去って長崎港へ向かった。上海行きの船に乗る時間が迫っていたからだった。
彼は横浜から上海へ行く途中たまたま長崎へ立ち寄ってグラバーに会いに来た。その時グラバーがレニーから「イギリス艦隊出発」の情報を聞き、前々からその情報を知りたがっていた五代に知らせたのだった。
イギリス人グラバーは四年前に来日して長崎で貿易商を
五代は思いつめた表情で語った。
「ミスターグラバーに
「何度も言いましたように、私はただの
続けてグラバーは厳しい表情で五代に忠告した。
「いいですか。これだけは必ず守ってください。薩摩からは絶対、先に大砲を撃たない事。長州の
「分かっておる。とにかく俺は急いで鹿児島へ戻る。もしも生きておったら、また会おう。ミスターグラバー」
「幸運を祈ります、五代サン。グッドラック」
五代は長崎から鹿児島へ急行した。
翌日、五代が鹿児島の
「五代君。君も私と同じ
前述したように、松木は幕府の竹内
松木は話を続けた。
「それで、君はやはり
「はい。この鹿児島を
「分かっている。だから私も小松様を通じて和平交渉をお
とにかく二人は藩主
藩主父子の近くには家老・小松
「そうか。イギリスが七隻の軍艦を率いて、数日中に
五代の報告を聞いた久光は意気
それで五代がふたたび意見を述べた。
「つきましては、恐れながら申し上げたき
「申してみよ」
「イギリスとの和平交渉はもはや不可能なのでございましょうか?」
これに中山が反論した。
「
この中山の意見に五代が答えた。
「それは誤解でございます。イギリスは国父様の首級を求めてはおりません。犯人の処刑を求めているだけでございます」
ここで大久保が意見を差し挟んだ。
「それは良かった。しかし和平交渉など
中山がさらに五代に反論した。
「おはんは長崎でイギリス人と付き合って、イギリスかぶれになってしもたんじゃなかか?」
五代は和平交渉をあきらめて別の進言をすることにした。
「……それならば、せめて蒸気船三隻を
同じ船奉行である松木もこの案に同意した。そして五代は進言を続けた。
「あの蒸気船は
ここで五代の進言をさえぎるように中山が大声で反論した。
「ならん!敵を前にして
五代と松木は
“卑怯”という単語が出てしまっては、
結局、蒸気船の湾外への
横浜を出港したイギリス艦隊は順調に鹿児島へ向かっていた。
サトウやウィリスの記録によると航海中は天候も良く、アーガス号の士官たちと楽しく
六月二十七日(8月11日)午後、イギリス艦隊は薩摩半島の
これをうけて山川で監視していた薩摩藩の見張り番は、すぐに
薩摩藩士たちはすぐに持ち場の砲台へ向かった。
その中には若き日の西郷
一方、鹿児島の町人に対しては退去命令を出して町から
イギリス艦隊は鹿児島湾へ来るのが初めてで詳しい
ウィリスは故郷への手紙の中で
「緑の木々が美しく作物は豊かで想像以上に素晴らしい風景です。この景色を心ゆくまで味わうことができたら最高でしょう」
と鹿児島湾の風景を絶賛している。
しかしそのウィリス自身が、後に
イギリス艦隊はこの日の夜、鹿児島市街の南方のあたりに
翌六月二十八日(8月12日)、イギリス艦隊はゆっくりと北上して鹿児島市街の
キューパー提督は薩摩藩の
とはいえ、イギリス人から見れば
とりあえずキューパー提督は湾内の測量および偵察の任務を部下に命じた。
一方、薩摩側も各部隊に「命令があるまで発砲禁止」と
この日、薩摩藩の
船内の応接室で薩英両者の談判が開始され、ニールは伊地知にイギリスの要求書を渡した。これにはイギリスの要求が英語、オランダ語、日本語の三通りで書いてあった。
伊地知はニールやキューパー提督に薩摩側の事情を説明し、それをシーボルトが通訳した。
「現在、我が藩主は
これにニールが答えた。
「国が大変な時にのんきなものだ。とにかく急いで連絡をとって回答すべし」
「それでは、我が方の外国人
ニールはキューパー提督に耳打ちして相談した。
「我々に上陸するように言ってきてますが、私はこの連中のことが信用できません。絶対に
「私もそう思う」
ニールは伊地知の提案を拒否すると伝えた。
「その提案は拒否する。我々の要求はすべてその書類に書いてある。あとはそちら側で判断して回答すればよろしい」
ニールの予想通り、実際、薩摩側は
ニールたちを人質に取るか、殺害する計画があったと言われている。
この日の会談はこれで終了となり、伊地知は陸地へと帰っていった。
同じ頃、イギリスの偵察部隊が
「もし薩摩が回答を
とニールはキューパー提督に提案した。
キューパー提督はただちにこの案を了承した。
翌六月二十九日(8月13日)、薩摩側では軍議が開かれ、
実はこの二人、生麦事件の
奈良原は最初にリチャードソンに斬りつけた人物で、海江田はそのとどめを刺した人物である(ただしリチャードソンに斬りつけたのは
ちなみに二人が提案した奇襲作戦とは次の通りである。
「斬り込み隊を各十名ずつ小舟に乗せて、敵の各艦に
「その際、斬り込み隊はスイカ売りに化けておく。そしてスイカを売ると称して敵艦に乗り込む」
「大砲の合図で
段取りは以上である。
(なんちゅう無謀な作戦じゃ……)
しかし久光はこの作戦を了承した。
「うむ。それはすこぶる良案である。ただし、敵の軍艦は無傷で手に入れたい。大砲は実弾ではなくて空砲を使うように」
「チェストー!承知しもした!」
この「スイカ売り奇襲作戦」は久光の
陸から小舟が数隻、それぞれ狙いを定めたイギリス艦へ向かって
ユーリアラス号へは海江田と奈良原、さらに三十名ほどの藩士たちが向かった。海江田は「高官」と称して返答書を持参している名目であるが、実はそんなものは持って来ていない。
海江田たちの小舟はユーリアラス号の
「何の用ですか?」
「返書を持参したので船にあげてほしい」
「では、返書を持っている人、一人、上がってきなさい」
薩摩藩士が一人、タラップをあがっていった。その男にシーボルトがたずねた。
「あなた、返書を持ってますか?」
「いや」
「返書を持ってないのになぜ上がってきたのですか!?」
次にまた一人、薩摩藩士があがっていった。
「あなた、返書を持ってますか?」
「いや」
その後も次々と薩摩藩士たちはタラップをあがっていった。シーボルトは怒って大声で注意した。
「ダメです!降りなさい!」
薩摩藩士たちが反論した。
「“高官”が応接に出向く際は、多数の
ここでさすがにシーボルトもこの連中の
すると小銃を持った水兵たちが一斉に甲板にあらわれて海江田たちを包囲した。水兵は全員小銃を海江田たちに向けていつでも発射できる態勢をとった。そしてニールも様子を見るために甲板へやって来た。
薩摩側は海江田、奈良原など十数名の藩士たちがすでにユーリアラス号の
海江田は奈良原に自分の考えを伝えた。
「思ったよりも警戒が厳しいが、こうなったら斬り死にするまででごわす」
「承知しもした」
シーボルトは海江田に船内へ入るように言った。
「それでは返書を持っている人は船内に入ってください」
海江田と奈良原は「おう」と答えて船内へ向かおうとした。もはや全員、船の上で斬り死にするつもりである。
ところがちょうどその時、別の小舟がユーリアラス号に近づいてきた。
「おーい、海江田ー、奈良原ー!
それは計画中止を知らせる小舟であった。
陸から作戦の動向を監視していた小松帯刀が、計画中止の決断を
旗艦ユーリアラス号では武装したイギリス兵たちに包囲され、それ以外の艦では言葉が通じず、スイカ売りに変装した斬り込み隊は甲板に上がることすら出来なかった。そのため小松が中止を決断したのだった。
海江田はシーボルトに事情を説明した。
「返書の内容に誤りがあったので、すぐに引き返すよう命令があった。返書は後で改めて持参する」
そう言って全員ユーリアラス号から引きあげていった。
ニールはこの薩摩側の行動に不審な点を感じたものの、まさかこんな
しかも自分の目の前に「生麦事件の犯人」がいるとは想像もしなかった。それでニールは「
後年サトウは次のように手記で語っている。
「彼らは
余談だが、現在
そしてこの日の夜、薩摩側からユーリアラス号に返書が届けられた。日本語の
この日本語の読解にシーボルトとサトウが関わったのはもちろんのこととして、実はこの時一人の日本人がこの読解に関わっている。
彼は
サトウたちが返書の読解作業を進めていくと、書き出しこそ「人命より
「犯人を見つけ出すことは難しい」
「大名行列を
「今回のイギリス艦隊の来訪について幕府から何も聞いていないので我々の
といったようなことが書かれており、イギリス側の要求に対して全くの「ゼロ回答」という内容だった。
当然の
翌七月一日(8月14日)の朝、薩摩藩の
しかしニールは面会を
「イギリスの要求を薩摩が拒絶したので、もはやキューパー提督に事態の解決について
宣戦布告に
これを受けて薩摩側は臨戦態勢に入った。
ただし各砲台には改めて「命令があるまで絶対に撃ってはならぬ」と
この日は午後から天候が
ニールから事態の解決について一任されたキューパー提督は、二日前にニールと話し合って決めた通り、薩摩の蒸気船三隻を
キューパー提督はパール号の艦長を呼んで、翌朝、艦隊の一部をひきいて薩摩の蒸気船を拿捕するように命じた。
薩摩藩がこの蒸気船三隻を買うために賠償金の三倍の額を支払っている、ということをイギリス側は知っていた。ニールもキューパー提督も、これを
翌七月二日(8月15日)、天候は前日よりもさらに悪化した。どうやら台風が来たようだった。
この日の早朝、サトウが乗っているアーガス号を含めた五隻の艦隊が、薩摩の蒸気船三隻を拿捕するため
そしてサトウもアーガス号の隊長の通訳として敵艦に乗り込むことになった。
サトウが実戦の現場で働くことになるのは、これが初めてである。もちろんサトウは非常に緊張した。しかしまた興奮もしていた。
サトウが乗ったアーガス号は薩摩の
その時、
「
しかし乗組員たちは異議を唱えた。
「ないごてでごわすか?」
「まだ開戦の命令は出ておらん!」
「じゃっどん、敵から
「まだ
五代は説得を続けた。
「ただし、奴らが無茶を言うようなら俺が用意した爆弾で、イギリス人を
こういった五代の説得によって乗組員たちは総員、船から退去した。青鷹丸には五代と松木だけが残った。
乗組員たちの退去と入れ替わるように、青鷹丸に接舷したアーガス号から水兵たちが乗り込んで来た。もちろんサトウも一緒である。
サトウは隊長と一緒に船の司令室に入った。そこには五代と松木がいた。
そこでサトウは日本語で「手を
五代と松木は素直に両手を挙げたが、松木が英語でサトウに問いかけた。
「宣戦布告もなく、いきなり当方の船を略奪するとは不法行為ではないのか?」
サトウは驚いた。
(こんな所に英語を話す日本人がいるとは……)
そしてサトウは松木の質問に英語で答えた。
「不法行為はあなたたちの生麦での殺人である」
松木はそれ以上何も言わなかった。代わりに五代がサトウにたずねた。無論、日本語である。
「私は船長の五代と申す。抵抗するつもりはないので乗組員が退去するのを見逃して欲しい。まだ逃げ遅れている乗組員もいると思うが、彼らをそのまま逃がしてもらいたい」
サトウは水兵の隊長に通訳して、そのことの確認をとった。
「よろしい。武器を捨てて全員
この頃にはアーガス以外のイギリス軍艦が他の二
五代はサトウに話しかけた。
「ところであなたの名前は?」
「私の名前はサトウです」
「サトウ?また日本人のような名前だな」
「いつも日本人から言われます」
「ところでどうだろう?サトウさん。我々をこのままロンドンまで連れて行ってもらえないだろうか?」
「ロンドンへ行ってどうするつもりですか?」
ここで松木が代わってサトウに話を続けた。
「我々二人は日英の戦争が無益であると知っている。そのことをイギリス政府に説明したいのだ」
「……どのみち私が決められることではありません」
サトウは水兵の隊長にこのことを話してみた。
「それはやはり無理な話ですね。それに我々は
そこで松木が必死の
「我々はもう鹿児島へは戻れないのだ。戻れば死罪か切腹である。……実はこの船には爆弾が
松木の発言を聞いてサトウは
「何ですって?!」
五代は松木の発言をさえぎろうとした。
「松木さん!なぜそのことを……」
「五代君。今ここで自爆してサトウ君たちを
サトウは
「分かりました。それではあなた方を旗艦へ連行します。しかしその前に、その爆弾のある場所を教えてください」
五代と松木は船内に仕掛けてあった爆弾の場所をサトウに教え、そのあとユーリアラス号へ連れて行かれた。
サトウとしてはまったく
蒸気船三隻を
ニールは満足そうにキューパー提督に語りかけた。
「無事、薩摩の蒸気船を
「うむ。これで薩摩も我々に
「ええ。しばらくすれば薩摩から交渉の使者がやって来るでしょう」
「なんならこのまま戦利品として横浜へ持ち帰って、
当時イギリス海軍では船を
この時キューパー提督の気分はまさに
ところが、である。
逆にこの蒸気船三隻の拿捕をうけて、
薩摩藩の各砲台は数日前から応戦準備を
この時イギリス側はちょうどランチタイムだった。サトウとウィリスもランチを食べていた。
「何か今、大砲の音がしなかった?ウィリス」
「多分、正午の合図の号砲だろ」
同時にユーリアラス号の司令室でランチを食べていたニールとキューパー提督に「薩摩が砲撃を開始した」との連絡が入った。
二人は食べてた食事を
イギリス艦隊は念のため砲台から離れた位置に
またパーシュース号も
ニールとキューパー提督は困惑していた。
そもそも横浜出発の当初から「薩摩が攻撃してくる」ということをまったく想定していなかったのである。
ユーリアラス号のジョスリング艦長がキューパー提督に急いで反撃するよう進言した。
「提督!こうなった以上、薩摩を
「うーん……」
キューパー提督はまだ迷っている。
そこへニールもキューパー提督に急いで反撃するよう
「提督!何をためらってるんですか!艦長の言う通り、薩摩を叩きましょう!」
「しかし、そうなると
「
「うーん……」
せっかくの戦利品を焼却するのは
焼却命令を受けたアーガス号の水兵たちは、さっそく船内の
サトウもこれに便乗した。どうせ焼いてしまうのだから、良く言えば「有効活用」といった気持ちもあったろう(悪く言えば文字通り、火事場泥棒だが)。
彼らは武器、
後にサトウは語っている。
「砲弾の下にさらされると異常な興奮を覚えるものだが、荒れ狂う天候がいっそう人々の心を揺さぶった」
そういった掠奪活動が一時間ほど続き、その後、船底に穴をあけて火を放った。
総額30万ドルという賠償金の三倍の金額で薩摩藩が購入した三隻の蒸気船は、こうして海の
この間、イギリス艦隊の本隊がどうしていたのか?というと、実はあまり反撃できていなかった。
旗艦ユーリアラス号の戦闘準備が二時間遅れたためである。
その原因は、これはサトウの手記が引用元となって広く知れ渡っている話だが、幕府から支払われた生麦賠償金の十数万ドルが
午後二時、イギリス艦隊はようやく本格的に反撃を開始した。
旗艦ユーリアラス号を先頭に
艦隊から集中砲火を浴びた祇園之洲砲台はあっという間に壊滅した。
イギリス艦隊はそこから南下して、次の砲台へ攻撃に向かった。
ところが暴風雨の影響もあり、この時イギリス艦隊は薩摩側の
まさにこの暴風雨は薩摩にとって「神風」と呼ぶべきものであったろう。
イギリス艦隊の行く手に待ち構えていた
後年サトウは次のように手記で語っている。
「パッと立ち上がる
この時イギリス艦隊は旗艦ユーリアラス号を先頭にして進んでいたので、当然の
日本語文書を翻訳するためにユーリアラス号に乗っていた清水
「これは
と手記で述べている。
「艦の砲門にガラリと弾丸が飛び込み」というのは
確かに砲撃による被害が集中したのは旗艦ユーリアラス号だったが、他の軍艦のほとんどが、程度の差こそあれ被害を受けた。
かたや薩摩側もイギリス艦隊の砲撃によってほとんどの砲台が使用不能に
この戦いで初めて実戦投入された、長射程で、しかも
ユーリアラス号は合計13門のアームストロング砲を
ところがそのアームストロング砲の
すでに集中砲火を
同じ頃、戦列の後ろの方にいたレースホース号が
このレースホース号を救出するためにサトウが乗ったアーガス号と、さらにコケット号が救援に向かった。アーガス号はレースホース号をロープで引っ張るために、ボートを降ろしてロープを
サトウはそれを心配そうに船の上から見守った。
(この嵐の中、ボートであそこまでたどり着けるんだろうか?)
薩摩の砲台は壊滅していたとはいえ、ごく一部発射可能な大砲があり、それが時々サトウたちのアーガス号めがけて砲撃をおこなった。その内の数発がアーガス号のマストと
そしてついに、アーガス号がロープで引っ張ってレースホース号は
その後もイギリス艦隊の一部は攻撃を続行して
さらに
このロケット弾によって市街地で火災が発生。その火災が
事前に市街地から町人を退去させていた薩摩藩の判断は、まさしく正解だったと言えよう。鹿児島の大火災は
この日の晩、イギリス艦隊は桜島の近くに停泊した。そしてサトウとウィリスはアーガス号からこの火事の景色をながめていた。
後にサトウは語っている。
「たちのぼる煙や炎が
同じくウィリスは次のように手紙に書き記している。
「これが戦争というものの恐ろしい現実であり、
実際、この鹿児島の市街地を焼いたことは、後にイギリス議会で追及されることになる。
その頃ユーリアラス号の
「カシワという名の、英語を話す日本人がいると聞いて来たのですが、やはりあなたでしたか」
「いや驚いた。まさかこんな所で卯三郎さんに会えるとは思わなかった」
「松木先生に英語を習ったおかげで、私もこうして鹿児島まで
五代と松木はこの時捕虜となってユーリアラス号の一室にいたのだが、その二人に卯三郎が会いに来たのだった。
松木は薩摩人だが江戸での滞在経験が長く、また江戸では有名な蘭学者の一人だった。さらに横浜の
五代が卯三郎にたずねた。
「ところで、
卯三郎は五代と松木に戦争の様子を詳しく語った。
松木はつぶやいた。
「そうか。鹿児島の町は焼かれ、蒸気船三隻も焼き払われてしまったか…」
五代は悔しそうに叫んだ。
「だから
「しかしイギリスも艦長が戦死していたとは……。なんとなく船内の様子で、ただならぬ気配を感じてはいたが…」
と松木がつぶやいた。
それから卯三郎は二人に用件を伝えた。
「それで提督がお二人に聞きたい事があるので司令室に上がって来るようにと申しておりました」
司令室ではニールがキューパー提督に戦争の継続を訴えていた。
「提督。ひょっとしてこのまま艦隊を帰還させるつもりではないでしょうな?」
キューパー提督はその質問に答えなかった。ニールが話を続けた。
「薩摩の砲台を壊滅させたと言っても、あれでは後日すぐに
そこへ卯三郎と一緒に五代と松木がやってきた。
五代はオタニと名乗り、松木はカシワと名乗った。二人とも
イギリス側は二人に薩摩側の防御態勢について
オタニ(五代)が答えた。
「我が薩摩は
それをカシワ(松木)が通訳した。それからしばらく色んな質問に答えた後、捕虜の二人は再び捕虜収容室へ戻っていった。
再びニールがキューパー提督に戦争の継続を訴えた。
「陸上に十万の兵力がいるなど、ウソっぱちに決まってるではないですか!」
オタニ(五代)の
一方この時イギリス側は陸戦のことなどほとんど想定してなかったので、詳しい史料は不明だが、多めに見積もっても陸戦兵力は千名前後だったのではなかろうか。無論イギリス側には優秀な
ニールが続けて「ぜひとも陸戦隊の上陸作戦を……」と言おうとした時に、キューパー提督がキッパリと言い放った。
「一兵たりとも上陸はさせん!作戦実行の責任者は私である。これ以上、作戦実行への
ニールは食い下がった。
「この遠征の目的を果たさないまま帰還する気ですか!」
それでもキューパー提督の考えは変わらなかった。
「それほど薩摩を叩きのめしたいのなら、もっと
結局イギリスは上陸作戦を取りやめた。
この後、翌日にも小競り合いはあったものの、これ以降の戦いは割愛することにする。
イギリス艦隊は応急修理のために二日ほど鹿児島湾内に(もちろん
一応数字で表すと、この戦争の結果は次の通りである。
イギリス:戦死者13名、負傷者50名 (戦死者にはユーリアラス号の艦長、副艦長を含む)
薩摩藩:戦死者5名、負傷者10数名
(※一般に広く伝わっている説に
イギリス艦隊はハボック号以外、すべての艦で負傷者が出ており、特にその大半は旗艦ユーリアラス号に集中していた。
一方、薩摩側は死傷者数こそ少ないものの、全砲台を破壊され、市街地の約一割が焼失し、30万ドルで買った三隻の蒸気船が沈没、さらに琉球船などの船団が焼き払われ、集成館の工場群も破壊された。
薩摩は
この戦争の後、薩摩藩内では
元々薩摩藩は「過激な攘夷は不可」の方針であったが、薩英戦争を経験することによってはからずもその方針がより明確となった。薩摩藩はこれ以降「
かたや撤退していったイギリス艦隊のほうではキューパー提督の消極策に不満を唱える声が多かった。
サトウはこの当時、次のような感想を日記に書いている。
「我々のほとんどは強い不満を抱いたまま引き上げた。もし、あと数日間、
しかし後年になって書いた手記では、サトウは次のように語っている。
「石炭、食料、弾薬の補給を確保できないことが撤退の原因だったかも知れない」
ところで、ユーリアラス号の捕虜として横浜へ連れていかれた五代と松木は、イギリス軍から解放されたものの、薩摩藩はもちろんのこと幕府の目からも
卯三郎は二人を
この二人が歴史の表舞台へ帰ってくるのは再来年のことになる。
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