第8話 生きた器械
第三章・横浜発 2<生きた器械>
三月中旬、伊藤俊輔は水戸の志士たちを
そしてこの頃、俊輔には
俊輔を
俊輔はこれでとうとう
辞令は次のように書かれていた。
「先年より吉田
ちなみに山尾
やはり俊輔と一緒に「仕事に励んだ」ことが評価されたのであろうか。
京都に着いた俊輔は久しぶりに聞多と会った。そして
「俺は現在、藩の重役に“
俊輔は最初、聞多が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。
「願い出るって……、幕府がまたヨーロッパへ使節でも派遣するのか?もしそうだとしても洋行希望者は他にも大勢いるだろう?ワシらが選ばれるとは限らんぞ」
「いや、幕府は関係ない。我が藩の留学生として行くのだ」
「だから何なのだ、それは?」
「
「密航!?」
「シィー!でかい声を出すな。これは藩内でも極秘の話なんだぞ」
俊輔はまったく
(密航してロンドンへ行くなどと、こいつはまったく何という恐ろしいことを考える奴だ……)
俊輔はあまりに
「……とにかく、即答はできん。少し考えさせてくれ。萩では嫁を取ったばかりだし、近々父上が上京する予定もある。それに桂さんにも聞いてみなければならん」
「それはもちろん、そうだろう。ただ、お前にだけは言っておくが、俺はこの洋行が実現した
聞多は養子に入った際に志道家の女性と結婚しており、すでに娘が一人いる。
志道家から井上家へ戻るということは、その妻と娘と
このあと俊輔は久坂玄瑞にも再会した。そしてそれとなく久坂に、聞多の密航の件を知っているか聞いてみた。
久坂は
「もちろん知っている。俺は今そんな
「そうか。桂さんは賛成か……」
「というよりも、桂さんは自分自身が行くことを申し出ていたぐらいだ。ただしもちろん、今あの人に何年も藩を空けられたら我が藩はどうにもならん。だからそれは
「この前の
「その通り。今は朝廷を先頭に全国一丸となって攘夷実行を
「もちろん。それが松陰先生の教えだったからな」
「そうだ。さすが俊輔は我ら松下村塾の一員だ。聞多とは違う」
俊輔はこの時、聞多の密航に参加すべきか、久坂の
洋行は俊輔にとって年来の
かたや長州へ帰っての攘夷実行は松下村塾生として当然の選択肢であり、なにより俊輔が準士雇という侍の端くれになれたのも、松陰の松下村塾生として尊王攘夷に命を
この時の俊輔からすれば、久坂、入江たちのほうに参加して戦っている姿こそが、普通に予想された自分の将来像だった。
この頃ちょうど山尾庸三と野村
以前何度か書いたように、山尾は洋行を強く希望している人間である。
ちなみに聞多と山尾の関係は、以前横浜で
それゆえ聞多は密航の計画をくわだてた際、すぐに山尾を誘った。山尾が以前から洋行を希望していたことを聞多はよく知っていたからだ。
無論、山尾は一も二もなく賛成した。
そこで山尾はさらに、以前から付き合いのあった野村弥吉もこの計画に誘った。
野村の家は
もちろん野村も喜んで密航計画に参加する
この密航仲間の三人を代表して、聞多が藩の重役である
周布は「どうせ聞多のことだから、また洋行の許可願いの件であろう」とすべてお見通しだった。それで他人に立ち聞きされないよう
周布というと以前「酔っ払って問題(特に土佐藩との問題)ばかり起こしていた人物」という印象しかないかも知れないが、これでもれっきとした藩の重役で藩の政策決定に大きな影響力を持っている人物なのだ。
「なんだ聞多、また洋行願いの
「この
「なんだと?聞多。まさかまた蒸気船でも買えというのではあるまいな。昨年買った壬戌丸、今年買った癸亥丸で、すでに我が藩は手一杯じゃ」
「いえ。そのような器械ではありません。買い入れて頂きたいのは“
「なに?“生きた器械”だと?」
「はい。私と野村、山尾をイギリスへ行かせてくだされば、将来我が長州が開国する時に
「ハハハ、なるほど、“生きた器械”か!上手いこと言うたわ!」
「器械をイギリスへ送るだけですから、これなら万一の場合、幕府への言い訳にもなるでしょう」
「バカもの。幕府にそのような
「それではお許し頂いたということで?」
「元々ワシはお前たちの洋行に反対しておらん。他の重役が幕府に
「周布様、もし仮に洋行する人間が増えた場合、それも許可して頂けますでしょうか?」
「どのみち洋行する者は
周布が許可したことにより聞多たちの「英国留学」は藩から許可が
四月十八日、聞多、野村、山尾の三人に次のような辞令が
「海外への留学希望の件は了承した。今のご時世では幕府に海外留学を願い出ても許可され
そして三人には留学費用として一人二百両(合計六百両)が与えられることになった。
一方この頃横浜では、三月下旬以降やや緊張
神奈川
すでにイギリス艦隊が出現してから
しかし、この横浜を襲撃するために京都を出発した
横浜のサトウの住居では、サトウと高岡が日本の政治状況について話し合っていた。
高岡はサトウに日本側の事情を説明した。
「京都で新しい事情が発生したため、
サトウは疑問に思っていたことを高岡に尋ねた。
「
「分かりません。とにかくこれで、先日サトウさんに話した“老中より偉い人”からの回答延期願いもご破算になりました」
この少し前に“老中より偉い人”からひそかに高岡へ連絡が来て、サトウ経由でニールに回答期限の延期を
本来の最高責任者である将軍家茂と一橋慶喜がいつ江戸へ戻ってくるのか?その
高岡は話を続けた。
「近い内に外国奉行の竹本様がまたこちらへ
数日後、京都へ行って将軍に会ってきた竹本が横浜のイギリス公使館へやって来た。
この時、外国奉行
イギリス側の代表はもちろん代理公使のニールだが、フランスのベルクールも同席した。ちなみにサトウはまだ同席する立場にはなっていない。
まず最初に、前回の会談で英仏側から提案された「軍事援助」の話から始まった。
ニールは竹本にたずねた。
「この前の提案ついて、京都で
竹本は答えた。
「将軍は両国の援助に対し非常に感謝していたが、やはり自分の力で解決したいので援助は受けられない、との回答である」
「了解した。その件はこれで終わりとしよう」
ニールは無表情で答えた。ただしその隣りに座っているベルクールは、多少不快な表情をして押し黙っていた。
つづいて賠償金支払いの問題に移った。竹本はとにかく回答期限の延長を求めてニールに食い下がった。
「あと数日、なんとか延長してもらいたい!」
しかし竹本の期限延長の訴えはすべてニールに拒否された。
「これまで何度も延長を認めてきた。これ以上の延長は一切認められない」
竹本はもはや賠償金の支払いを認めるしかなかった。
あとは「どうやって内密に支払うか」という選択肢しか残っていなかった。最終的な落とし所として「分割払いで支払う」ということが決まり、この日の会談は終了した。
ニールとしては、とにかく幕府の賠償金支払いにひとまず
この会談に通訳として同席した福地源一郎は、江戸へ戻って上司の田辺
「それで福地君、会談の様子はどうだった?」
「
「そうか。やはり外国奉行
「薩摩が斬ったんだから、薩摩に責任を取らせりゃ良いんですよ」
「バカを言うな、福地君。薩摩も日本の一部であり、
「しかし
「先日、京から戻って来られた小笠原
「おそらく朝廷の
「あまり
この田辺と福地は数年後、外国奉行の一員としてヨーロッパへ派遣されることになる。ただし福地は(先の会談に同席した柴田も)半年前に帰国した「竹内使節」の一員だったのでヨーロッパの事情についてかなり詳しい人間である。
ちなみにこの頃、清河たち浪士組は横浜襲撃用の軍資金を調達するために江戸の豪商から「
四月十日、横浜襲撃を五日後に控えた清河は「
そして山手の丘の上に登って横浜の町を
(私がこの横浜を焼き払って攘夷のさきがけとなるのだ)
清河は自分の手によって横浜が火の海になっている様子を想像した。
ところで読者は覚えているかどうか?前年の生麦事件の直後に俊輔の恩師だった
実はこの「横浜襲撃」は、この時代の志士が何度も試みた「攘夷実行の定番手段」だったのである。
このしばらく後に、今度一万円札の顔になる
また俊輔自体も、あの御殿山焼き討ちの際に
「そんなことはこの当時、
と答えている。
横浜の山手から清河が視察しているすぐ近くに、ヘボン邸が建っている。さらにそのすぐ近くにはサトウが住んでいるイギリス公使館もある。サトウはこの日、ヘボンのところへ訪れていた。
お茶を飲みながらヘボンはサトウに語りかけた。
「三日前に江戸の公使館が火事で焼けて、我が国の公使も横浜へ移らざるを得なくなったらしい」
「やはり御殿山と同じように放火ですか?」
「まだよく分かっていないが、横浜焼き討ちの噂もあるぐらいだから、多分そうだろう。それで神奈川までは守りきれないので『神奈川のアメリカ人は全員横浜へ移るように』と日本側から説得された。もうすぐブラウン氏も横浜へ移ってくるだろう」
当時、江戸のアメリカ公使館は
サトウは話を変えた。
「そうですか。ところで日本語辞書の作成作業は順調ですか?」
「君も知っての通り、日本語は非常に
この当時ヘボンの祖国アメリカは南北戦争の真っ最中だった。
余談だが、この日の六日後には榎本
そして横浜襲撃予定日の二日前(四月十三日)、清河は麻布
暗殺したのは幕臣で浪士組幹部の佐々木
佐々木が「お久しぶりです」と笠の
清河は死を予感していたのか、それとも二日後の横浜襲撃で討ち死にするのを見越してのものか、彼はこの日
清河の死によって浪士組の結成以前から清河と一緒に行動してきた山岡鉄太郎は
清河たち過激派指導部が取り除かれた浪士組は「
ちなみに、この二年ほど前には麻布
さらにもう一つ余談を付け加えると、ヒュースケンは「通訳」だったから暗殺されたのである。
それだけ「通訳」は貴重な存在であり、日本人と外国人の
要するにサトウが
一方、清河が暗殺される二日前の四月十一日、京都では“
一ケ月前の“賀茂社行幸”と同様、今回も盛大な行列となった。しかし将軍
これは一橋
「この
そう進言し、代わりに慶喜が将軍
行列が石清水八幡に到着する頃にはすでに夜中になっていた。
今回の行幸も“攘夷祈願”が目的だったのだが、実はひそかに八幡宮で帝から“攘夷の
もしこれを受け取ってしまえば将軍は“攘夷”(この場合は“外国への宣戦布告”と同義)を避けるのが難しくなる。
今回は将軍が参列していないので名代の慶喜に節刀を
ところが、いつまで待っても慶喜は八幡宮にのぼってこない。
実は慶喜は腹痛と称して途中から行列を離れて京都へ引き返し、節刀の授与を回避したのだった。
この時の慶喜の事情については後年、彼がいろいろと(仮病ではなくて本当に腹痛だったのだと)説明しているが、本当のところはよく分からない。ともかくも、彼は尊王攘夷派のたくらみから上手く
しかしながら尊王攘夷派の勢いはその後も
四月十七日、三条大橋の
「これ以上、攘夷実行を引き伸ばすようなら将軍に対して
という張り紙がなされた。
将軍を
これより少し前の話ではあるが、将軍が朝廷に江戸への帰還を申し出た際、長州の過激派が
「将軍が江戸へ帰るというのなら仕方がない。
と叫んでいたことがあった。
特に
この男は
このとき高杉は周布政之助のところを訪れて
「私は将軍を斬るための名刀を持ってないので、何か
と申し出たところ周布は藩主から
「行くがよい。ワシも後から続く」
と言ったという。
このとき周布に酒が入っていたのか入ってなかったのか、それは定かではないけれど確かにこの男なら、そう言ったとしてもあまり違和感はない。
実際この時は将軍が江戸帰還をあきらめたので、この計画は立ち消えになった。
ちなみに高杉はこのあと萩へ帰り、今度こそ“
とにかく京都における将軍の立場というのは、これほど追いつめられていたという事である。
その後も慶喜や幕閣は朝廷との
しかし四月二十日、ついに朝廷に押し切られ
「五月十日をもって“攘夷”の期日とする」
と朝廷に回答してしまったのである。
ただしこの場合の“攘夷”というのは「
さらに、これは慶喜の
彼はひそかに、ある計画をたくらんでいたのである。
(どうせ出来ぬ攘夷実行であれば、期日は早いほうが良い。我に策あり)
そしてこの二日後、慶喜は京都を
江戸で攘夷実行の指揮を
このような国家レベルの
俊輔は聞多から「藩から洋行の内定を得た」と聞かされた時、強烈に
「ワシも行きたい!」
と思った。
こんな好機は将来二度と無いかも知れないのだから、俊輔としては当然の感情だっただろう。
それ以降、俊輔はどうにかして横浜へ行って聞多たち三人に加わろうと、そのための策を
そしてついに、そのことを上司の桂に打ち明けて相談した。
桂はブスッとした表情で俊輔に言った。
「私の洋行が藩から却下されたというのに、お前はその私をさしおいて自分が洋行に行こうと言うのかね?まったく良い度胸だな」
俊輔は苦しい表情で言い訳をした。
「いえ、決して桂さんをないがしろにするものではございません。私が洋行するのは将来桂さんが洋行する時に役立てるよう
「この藩が死ぬほど忙しい最中に、私は藩から散々使い倒され、お前たちはノンビリと海外留学か。なぜ逆じゃないんだ?お前たちが日本に残って死ぬ思いをし、私が海外へ行ってノンビリしたって良いじゃないか。そうだろう?」
俊輔は少し桂が気の毒なようにも思えた。
(確かにこの人はなまじ地位と能力があるせいで、藩から使い倒されている。しかも思いつめやすい性格だからなあ……)
といって、俊輔には桂に同情している
「将軍を京へ連れ出して攘夷を誓わせるのに一番尽力されたのは桂さんではないですか。もう少しでその成果が
「しかしな、俊輔。こんな私でもお前の力が頼りなのだよ。お前のように気骨があって知恵もある、そういう使える人間は
「お
まったく俊輔の言う通りなのである。
桂は俊輔に言いたいことをぶちまけたせいか、自身の洋行希望についてはあきらめがついた。
そして「ふう」と
「まったくお前がうらやましいよ。私がお前の身分であれば……」
と言いかけて、やめた。
俊輔は冷たい表情で桂をじっと見ている。
桂はすぐ俊輔に謝った。
「いや、すまん。今のは
桂と俊輔の付き合いは長い。桂も俊輔が自分の身分を気にしていることを重々承知している。
もちろん、そのために俊輔が暗殺の仕事に手を
この翌日、桂は俊輔に仕事を依頼した。
「現在、攘夷実行を目前に控えているにもかかわらず、我が藩では武器が不足している。俊輔。一万両を用意するから横浜へ行って、買えるだけの鉄砲を買ってきてくれ」
俊輔は一瞬ハッとなったが、そのあと思わず目から涙がこぼれ出た。
「桂さん……」
「後はお前
俊輔は桂に感謝の言葉を述べた。
「……松陰先生と来原さんの志を果たすために、私は横浜へ行きます。ご恩は決して忘れません」
こうして俊輔は、桂のお
ただし、この一万両がまったく違った形でその効力をあらわすことになろうとは、桂も俊輔も想像だにしなかったであろう。
それから数日後、俊輔は父
ちょうどこの頃、十蔵も藩の仕事で京都へ出て来ていたのだ。
「父上にはお変わりもなく、なによりでございます」
「うむ。お
「はあ……。さようですな」
俊輔にとっては複雑であった。
洋行へ行けば
「どうした?俊輔。あまり嬉しくなさそうだな」
「いえいえ、もちろん嬉しいですとも」
「すみ子もよくできた
「……承知いたしました……」
「どうした?元気がないではないか。何か悩みごとでもあるのか?」
「いえいえ、最近いろんなことがあり過ぎて、少し気疲れをしているだけです」
自分が洋行へ行くことを父に打ち明けるべきかどうか、俊輔は心の中で
けれども、そんなことを父に打ち明けたら父は
「実は、悩みごとはあるのです」
「さもあろう。これだけ藩が
「伊藤家のため、我が藩のため、今、私はどうすべきか?最近少々悩んでおります」
「うむ。そうか……。
俊輔は、まさに自分が思っていたのと同じ答えを述べてくれた父に感謝した。
さらに心の中で
そして二度と会えないかもしれない父の顔をしっかりと自分の目に焼きつけた。
なにしろ俊輔は、これから地球の裏側まで留学に行くのだ。
この当時はちょっとした国内の旅行でも家族と再会できないことは
俊輔は、これが最後になるかもしれない父との時間を大切に過ごした。
このあと俊輔は聞多に「自分も洋行に参加する」と伝えに行った。
「聞多。ワシも洋行に参加するぞ!藩の正式な許可を得ている暇がないので、このまま横浜へ行って事後承諾の形をとる。なに、桂さんの了解があるから大丈夫だ」
「おお!そうか。良かったのう。俺もお主と一緒に行けて嬉しいぞ」
「ワシは先に横浜へ行って、お主らが来るのを待っている。グズグズせずにさっさと来てくれよ」
「おう。俺たちも準備が
そして俊輔はすぐに京都を発って横浜へ向かった。
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