1-4 盆会

 翌日の午後、私は識くんを連れて生戸おべ浜に来た。戦時には小規模ながら米軍の揚陸、それに伴う日本軍との戦闘があったとされる場所だが、今は地域の人たちにレジャースポットの様に利用されている。『欧米』が訛って『生戸』になった……とか色んな話があるが、正直そこはどうでも良い。

 私は浜に何度も来た事があるが、どうやら識くんは初めての様だ。と、神様が私にメモ帳を差し出して来た。『今まで逃亡生活だったから、まともに観光する事も無かった』と丸文字で書かれている。

 このメモ帳は、神様と私のコミュニケーションを円滑にする為に私が与えたものだ。筆談だから多少時間はかかるが、逐一ダイナミックでエキセントリックなパントマイムで語られては私が色々保たない。主に腹筋が。

「……識くん、今時期に水辺は危険なの。それに海はこれから何度も来るよ」

「そっか、神様のおうちは島の神社だから……」

 識くんは年相応に、『海に入りたい』『砂浜で遊びたい』とウズウズしている。『私は番村さんの所に行くから遊んできて良いよ』と言いたい所だったのだが、昨晩の事を思い出し言えなかった。彼も海と反対側に歩く私を見て、少し残念そうな顔をした。

「……お盆が過ぎたら、また一緒に来よう。その時はとことん海尽くし」

「やった!乃恋さん、指切りして!!」

 識くんの顔が向日葵の様に、満開の笑顔になる。私は小指を差し出して、少年の、私より二回りほど小さい小指に結んだ。

「ゆーびきーりせーんまーんうーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます、ゆーびきーったっ!」




 生戸浜から山側へ数分歩いた所、壁でも築く様に生えた松の木の中、一軒だけ建つ古民家があった。【番村】という石の表札で、ここが話に聞いた老父の住処だと確信する。

「なんか入りにくい門構えですね」

「それでも、行かなきゃ」

 私はそっと識くんの手を取り、これまた随分と年季の入った黄ばんだインターホンを押す。

 ……普通の家庭なら聞こえてくるはずの『はい』はおろか、戸の向こうで誰か(あるいは何か)が動く気配すら無い。

 と、これから海にでも行こうという水着姿のお姉さん(パッと見20代、ギャルを意識した感じの染めムラがある金髪)が私達に気付いて声を掛けてきた。

「番村さんは諸葛亮みたいな人よ。……三顧の礼って知ってる?」

「……?」

 私は『しょかつりょう』とやらを知らなかった。三顧の礼という言葉も聞いた事はあったが、その真意を理解するには至らない。

 無論識くんも頭上にハテナマークを浮かばせて、この女性は何を言っているのか、理解が出来ない様だった。

「……諸葛亮しょかつりょう孔明こうめい。三国志に出てくる天才軍師よ。彼は蜀の武将にして後の皇帝・劉備玄徳に仕えていたんだけれど、その出会いは惨憺さんたんたるものだったのよ。協力を仰ぐ劉備に対して、諸葛亮はさらりと断った。一度ならず二度までもね」

「三回目は?」

「三回目でようやく折れたのよ。儒教的思想を重んじ、『年長者を敬う』という意識が普通とされた時代、劉備より若い諸葛亮が三度も年長者の頼みを断ったのは異例の事態だったの」

「……で、何の話でしたっけ」

「もう。そこの番村の爺さんの話よ。諸葛亮よろしく、知らない人がどれだけ訪ねても出ては来ないわ……諸葛亮と違って三度じゃとても無理そう。毎日お昼をお弁当屋さんに頼んでるから生きてはいるみたいだけれど」

 気配が無いのは単純に私達を知らないからか?手にしている情報が少ない今、五十嵐さんの言葉を信じるなら、徒利継島に行った事がある番村さんだけが頼みの綱だ、妙な事になっていなければ良いのだが────。

「……自己紹介が遅れたね。私は慈部じぶエリカ、海が好きなしがないフリーライターよ」

「私は十束川 乃恋。独自で幻想学ってのをやってる。……メジャーな学問じゃ無いのでバイトしながら、今は研究の為に調査を」

「僕は乃恋さんにとある調査を依頼した識と言います。普段は小学校ですが、今日は開校記念日なんです」

 どうもエリカは識くんが嘘を吐いた事に気付いていないらしい。今識くんが即座に紡いだいかにもそれらしい嘘を、彼女は何か咎めるでも無くすんなり受け入れてしまった。

「良いわ……とってもそれっぽいじゃない!私、君たちの事ぜひ取材したい!!って言いたいところだけど」

 彼女は海を指さしたあと、掌を合わせて『こめんなさい』と苦笑いした。どれほど興味を惹かれたモノがあっても、結局は海の誘惑に勝てない様である。

「それじゃ、取材はまた今度ね!」

 そう言ってエリカは、名刺も交換しないうちに駆け足で海へ向かってしまった。

 ……今日は正に迎え盆のはずなのだが、彼女は海などに入って大丈夫なのだろうか。




 さて、先程エリカが言った通り番村のお爺さんはいつまで待てど暮らせど出て来る事は無かった。日も暮れて来て、仕方なく帰ろうとしたその時。

『ずっとそこにおったのか、こんな時間まで不気味だぞお前たち』

 突然の嗄れた声と、玄関がのそっと開く音。私もシルシくんも肩をビクンと震わせて、ゆっくりと後ろを見る。

 そこにはやけに肩周りのガッシリとしたお爺さんが一人、玄関先に座り込んだ私たちを見下ろしていた。

「……上がりなさい。お前たちは『碌でもないの』に目を付けられた様だぞ」

 遠くを睨む老父。私も同じ方を見るが、何も見えなかった。

「さぁ早く。家の中なら安全だ」

 私たちは番村のお爺さんの家に招かれた。お爺さんの見た『碌でもないの』は何だったのか、このお爺さんが本当に『徒利継島』の事を教えてくれるのか、私にはまだ判断が出来なかった。

 ────だが。お爺さんが家に入れてくれた事、そして家に入った直後、玄関の磨りガラス越しに見えた【何か】の影が私たちの名前を呼んで戸を叩き続けた事で、少なくともお爺さんが現時点で、私たちの事を見殺しにする気は無い事だけは分かった。

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