2

私は立ち尽くした。

身体の器から頭一つ精神が抜けているような、立っている時に足が固まっていくような、身体の中がしゅわしゅわと弾け、その後に凍っていくような。

そんな感覚が私の中を駆け巡った。

そしてその自主金縛りのようなものが解けた時、なんとなく膝裏を触った。

もう濡れてない。それを確かめるだけの行為だった。

その時

「「「「……に…く…るな…今……るな」」」」

どこかからか一部不明瞭なそんな声が聞こえた。自分がわかる限り近くに人が居た覚えが無かったから、見渡してみた。

やはり命を所有した人間は、私以外居なかった。


今もう一度聴こえて、そして理解した。音が出ているのは桃の口の中からだ。

何故桃が生きていて自分で話しているという線を取らなかったかと言えば、その声が、三重にも四重にもなって耳の中に響きかえり、更に明らかに声帯が違う声も同時に重なって聞こえてくるからである。

桃は胸から吊り上げられるように上半身を起こし、目を生きた人間の様に開き、瞳孔が開きっぱなしの瞳をこちらに向けた。

ホラー映画の何倍も怖いが、実際こうなると喉頭が声帯の方を閉じているんじゃないかと思うほど声も出ないし、数人に足を掴まれているんじゃないかと思うほど足も動かなかった。


その後動けない私と死んだ桃の間には長い間の沈黙が続き、それが現在の状況の不気味さ、非現実さを増させた。

その音は一つ咳払いをした後、最初と同じ言葉をまた繰り返し始めた。何故か聞き取れない場所はいつも同じなその音を発しながら、開ききった瞳孔はまだ私を見つめている。

まだ体がしっかりと動く訳では無いが、先の会話のおかげか、ほんの少しだけ緊張が解け、動ける様な気がした。

そう思った時に私の中の選択肢は一つしかなかった。中枢神経が選んだかの如く、その決断は早かった。

「失礼しまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁす!!!!!!!!」

まっすぐ逃げた。すっごく逃げた。

説明が阿呆になるくらい何も考えずに押し只管(ひたすら)に逃げた。


何も考えずに逃げてきたつもりであったが、気が付いたら家の周辺だった。

何故気付いたかと言えば、それは私が転倒したからからだ。

転倒した後に油っぽい葉が舞っていた為、恐らくこれに滑ったのだろう。

ここまでで分かるように、私は何かしらの事で気分が高騰してしまうと本能のみで動いてしまい、わけがわからなくなってしまう所がある。直したいところではあるが、多分不可能だ。

今度は地面に何もなかったので一安心といったところなのだが、ないということは本当に何もないわけで、頭を大分強めに打ってしまったようだ。とてもズキズキして痛い。明らかに頭痛とは違う外傷の痛みの感覚。そして新しさを物語るかのように強く反復する痛みが、生々しさをより強くさせた。

何故か痛みが和らぐ気がする三角座りをして、頭の痛いところを抑え、顔を足と胴体の間に窄めるあたまいたいポーズを取っていたところ、だいぶヤバイ音したけど生きてる?と背後から声をかけられた。

正直顔を見上げる気が0.01μmも無かったのでそのまま黙っていたら、足音が自分の横を通る

音がした。きっと「どうやらただのしかばねのようだ▼」と解釈したのだろう。

しかし、次耳に入れた音は、「いきてる゛!!!!!!!!!!!!!!!!?」

耳元で叫んだ通りがかりの人間の声だった。


「バカなのか?」心の声が漏れてしまったのがその人間と話した第一声だった。

「だって、僕心配だったんだもん…外誰もいないし。」

やっと顔を上げる気になって、痛いところを片手で抑えつつ、そのまま立ち上がった。

14歳位だろうか。紺の濃いジーンズ素材のオーバーオールを、肩から外して下ろして着ていて、上はベトナム戦争の時に生まれた、愛と平和のシンボルのスマイルマークが大きくデザインされ、その周りを囲むように「Happy Deys!」と印刷してある白色の半袖Tシャツを着ている。幸せそうだなぁ。

帽子もジーンズ素材のワークキャップにこれまたスマイルマークの缶バッチを付けていた。キャップから漏れて首位まで垂れた髪は茶髪であった。この子は私が頭を強くぶつけた衝撃で見えている幻覚じゃ無いのだろうかとも思ったが、もう少し話しても楽しそうだ。奇々怪々な先程迄の出来事を忘れる事も、痛みを忘れることも出来るだろう。

「いやいや少年。こんなに訳が分からない位臭かったら当然だろう?」

「だからってここまで人っ子一人いない事ありますかねぇ?」

急な敬語。こいつもさっきは動揺していたのだろうか。

「まぁ…確かにな。」

そうだ。気にしないように努めていたのだが、こうもはっきり言われてしまうともう何も言い返せない。

「しかし何故お姉さんは外へ?」

「お兄さんなんだけど」

やはり間違えていたか少年。

「女なんですけど」

少女だった。なんだこれ。性別バラバラじゃないか。

会話が止まってしまいお互いに気まずい空気が流れた。

少女は一つ咳払いをして「リン・クラインです。女です。」

握手を求めてきた。

なんとなく自分も咳払いをして「トレル・ディンです。男です。」

握手をし返した。

なんだこの自己紹介。普通は要らない情報を加えた事によって其他の情報が著しく欠落しているじゃないか。

手を離し、ワークキャップのツバを手で下げ「自己紹介忘れてましたね」

と言い、苦笑いに声を乗せただけのような笑い声が聞こえた。

なんだこの子。可愛いな。

「は?」

鍵括弧をかけていないので、本当に心の声が漏れてしまった事に気付いてなかったことをわかってほしい。

「あーいや、その、仕草とがだよ?」

思ったままのことを言った。が。

「それ以外はクソ以下って事ですか?」

地雷踏んだ。

ん?というかこの子はなにに怒ってるんだ?「可愛いな」って言ったことに対してキレてるのかと思えば、一部しか「可愛い」と言わなかった事にキレてたり…

「言動にデリカシーが感じられないんですけど…」

呆れたって声が擬音として聞こえてきそうなおでこに手を置いて横に首を振る動作をする。

「いや待て待て。何にキレてるんだ?」

言ってみた。

「だから!可愛いって言ったり可愛くないって…あ」

わかった。多分こいつ馬鹿だ。何も考えずに思ったことをまっすぐ言ったあのだいいっせいは間違えて無かったのだ。

「あれー?言ってることが矛盾してませんかー???大丈夫ですかー??」

私が出来る最高のイラつく声で言ってやった。

ともあれマウントは取れた。いや別に要らないんだけど。

「むかーっ」

口で言いやがった。むかーっなのは態度で十分過ぎるくらいわかってるから。

「で、私たち初対面だってこと忘れてない?そんなむかーっとか言っちゃっていいのー?」

憎しみ顔が一気に普通になって段々目が大きくなって視線を右往左往させて、口をパクパクさせてきた。いやほんと。そういうとこがアホなんやぞクライン…

「はふん!さしららななあいまもん!」

「焦りすぎて言いたい言葉のア段を発音してから話すな!ていうか元からア段のものが多い文面だから無理矢理感あるだろそれ!」

「はひふわをん、?!さしらなあいまみむめもわをん、?!」

「携帯入力の変換中の文字を全部言うんじゃねぇ!もう本当に何が言いたいかわかんないよ!」

あとなんでこんなに焦ってるの?いや、聞いたのは自分なんだけれど、正直ここまで焦るとは思わなかった。


「…どうです私の演技!」

一旦うつむいたと思ったら顔を上げてそんなことを言ってきた。

私は正直に言ってやることにした。

「演技は美味いけど台詞回しが絶望的に下手なんだよ!」

「ぐへっ」

というかどこから演技?最初からとかないよな?実は頭いいとかないよな?


「というか、私達なんの話してましたっけ」

ここで話を戻してくる少女、もといクライン。

「そもそも中身のある話なんかしていたっけ?」

「「いやいや少年。こんなに訳が分からない位臭かったら当然だろう?」

「だからってここまで人っ子一人いない事ありますかねぇ?」

急な敬語。こいつもさっきは動揺していたのだろうか。

「まぁ…確かにな。」

そうだ。気にしないように努めていたのだが、こうもはっきり言われてしまうともう何も言い返せない。

「しかし何故お姉さんは外へ?」って話してたじゃないですか。」

「文章をコピペするな。君が知り得ない私の心情まで混ざってるから」

ていうか鉤括弧の中に鉤括弧大量発生してるじゃないか。

「しかしそうか。私が外に出ていたのは…というかコピペ出来るんだよな?じゃあ1話の冒頭をコピペしろ。」

「話跨ぐと出来ないんですよねー」

何故…普通登場前だからとかじゃ無いのか?

「わかったよ。説明すればいいんだろ。」

本当に1話冒頭に話してた事を変わらず話した。要約すると、意地で楽器を吹きに行ったってところだ。

「ふむふむ、普通ですね。」

「五月蠅いな」

私に、お前はどうして外にいるんだ?って言われるのをいかにも待っている様子だったので、

「さて、なんでここまで人が少ないんだろうなぁ。」

「貴方はKYなんですか!?空気 読めないやつ な・ん・で・す・か!?」

なんだよその言い回し…やっぱりこいつ面白いなあ。

「わかってるよ。お前はどうして外に?だろ?」

だろ?に答えず続ける。

「僕は、お父さんとお母さんが朝居なくなってた。」

よくそんな事体験したすぐ後にあんな雑談出来たなって話は置いといて。

「何処にもか?何処にも居なかったのか?」

「いつも通りなのに、いつも僕が起きた時には寝ているお父さんも、僕が起きる頃には朝ごはんの準備をしてくれるお母さんも、其々まだ暖かいベットと、火がつけっぱなしですっかり焦げた目玉焼きを残して、消えていた。」

「…」

私がさっきまで経験していたものと並んでしまう程の絶望を、この子は味わっていた。私はついさっき出会った人間だったが、少女は違う。自分を、恐らく最も愛してくれたであろう人間を無くしたのだ。しかし少女のケースはまだ亡骸を見たわけではないから、そこで私とおあいこといったところだ。

まあなんにしろ私が首を突っ込むべきでは無いのだろう。これはきっと少女自身で解決する問題なのだろう。何か言い訳をつけて距離を置こう。

「私は君のために何が出来る?」

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