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どうやら、私は面倒ごとが好きらしい。否、ただのお人好しなのかもしれない。

そんな悲しいこと聞かされたら、誰だって協力したくもなるだろう。いや、私だけかも知れないが。

斯くしてしてリン・クライン宅。

よくよく考えれば―いや、よくよく考えなくても初対面の女の子の家に上がる年上の男性の構図は危ない。

「ディンさんは女性に見えるし、僕は男に見えるから問題ない!」って言われたけれど、それ多分現問題が消えただけで、同じ位…というかほぼ同じ「初対面の男の子の家に上がる年上の女性って構図はまずい」って問題が新しく出てくるだけだから。

「着きましたよ。此処が僕のお家…リンの邸宅だァ!」

如何にも厨二病という感じのポーズで紹介してきたリン・クライン少女のお家は、築60年位であろうか。そのくらいの古い、がしかし味も感じられるような二階建アパートであった。

「邸宅の意味分かっていらっしゃいますか?」

「家って意味だろ?」

謎のテンション。ニコニコだ。こいつ実は嘘ついてんじゃないのか?もしかして女児を淫行じゃなくて女児に淫行されたのではないのか?…流石に自意識過剰過ぎるか。

なんで淫なんだよ。

「『大きい』家な」

「私の思い出がいっぱい詰まってでっかっくなってんだよ!」

なんだその言い返しにくいジョーク…

「そ…そうなのか」

「…って!なに肯定しちゃってるんですか!会話のテンポ落ちるじゃないですか!」

それ否定もできないしどう突っ込んだら良かったんだよ…

もーとしかめっ面で言われた後、行きますよ!と何故か怒られてしまった。どう返したらいいの…

リン宅は二階の角部屋だそうだ。

「ただいまー」

未だに笑うことをやめないクライン。

「…って、居ないんだったな」

と少し元気が無くなった。ほんの少しだったのだが、何故か私は分かった。初対面でここまで分かるんだから、何か運命的なものがあるんじゃないか?と思ってしまった。

なんとなく頭を撫でてやった。それが最善策な気がした。すると顔は帽子で見えないが、息遣いで泣いていることは分かった。そうだな、そりゃそうだ。


「腕掴んでいい?」

弱ってる子にお願いされては断れない。

承諾すると、少女は腕を掴んで声を出して本格的に泣き出した。

ちなみに未だ玄関である。一歩も進めていない。そろそろ進みたいと言いたいところなのだが、何文他人の家なので言いにくい。そして家の主もこの状態である。いや、別に急ぐことではないからいいのだが。

この生暖かい水が腕を伝う感覚をしばらく感じているのもいいだろう。


 


5分…


 


10分…


 


15分…


そろそろ泣き止まないとこいつ干からびそうだが、それより気になるのは物音がしないことだ。そりゃこの部屋には私とクラインしか居ないので当たり前だが、しかしそうでは無い。隣の部屋からも下の部屋からも物音が一つもしないのだ。

アパート。それも中々の年季が入ったここだ。なにも生活音がしないということもないと思うのだが。

しかし部屋に入る光を見る限り、まだ陽の光が蜜柑色の光に変わり始めた頃なので、外出中という線もあるだろう。


否、こういう現実逃避は止めることにした。


この街の人間は怪雨の降った昨日に、大半の人間がなんらかの形でこの場に居なくなってしまった。桃のケースを見ると殺されたのが妥当かも知れないが、クラインの話を聞く限りは、この子の両親の血痕はなかったのだろうと思われるので真偽は不明。

何故我々は残っているのかも不明。

現実逃避をせずに話をまとめるとこんな所だろうか。

私は残されている人間は10代だという仮説を考えたのだが、それであればもっとクラインみたく彷徨っている人間がもっと多く居ただろう。

しかし、私、クライン、ニーナの私がこれまでに出会った3人の因果関係はそれ以外には思いつかなかった。


兎にも角にも、この家の玄関より先に行くことが大事だ。血痕が本当にないかも確かめたいところではあるし。

しかし其の為にはこのか弱いレディをどうにかしなければならない。もうそろそろ我慢の限界だ。

意を決して「そろそろ中に入りたいんだけれど…」と私が言うと、そうだねと言って、涙を目尻に抱えたまま、満面の笑みで「中に入ろっか!」

そうやって無理し過ぎるのは良くないとは思うんだが、どうもそれが魅力的だった。目尻に溜めた塩水が蜜柑色に反射し、そして今迄で一番の笑顔が、窓の外からの蜜柑色で顔の堀を深めて影を作ったその笑顔が、妙に魅力的であった。

しかし私がそこで言う言葉は一つしか考えれなかった。この感情を塞ぐ一つの言葉しか、ここでは言えなかった。

「無理すんな。そんな作り笑顔したって、こっちも苦しい気持ちになっちまう。」

自分で自分の欲求を抑える発言。しかしこうなければ、後々自分が辛くなるだけだしこの行動は正解だ。当たり前のことだろう。

ヒックと沢山泣いた後になる吃逆のようで、そうで無い感じのあれが止まらなくなっているクラインに、家を案内してもらった。

流石角部屋といった所か。とても広い。

玄関は目の前に壁があって、左にしか行けない構造になっていた。そこから6畳程の和室があり、そこにテーブルとテレビがあった。普段はそこで暮らしているらしい。そして奥の閉まっている部屋は寝室だそうだ。襖が閉めてあった。右に行くとキッチンと水回り。どちらにせよ私が求めている情報だ。

「ここから」

「分かってる」

クラインは自らでその空間を露見させることが、どうも出来ずにいる様だったのでキッチンの方の扉に手をかけようとした時のそれだ。

いざ中を見ると、ある一つを除けば本当に何も無かった。ごくごく普通の生活感があるキッチンであった。

「焦げた目玉焼きは食べたし、換気もしたしお皿も洗ったよ」とそう補足してくれた。

確かに焦げ臭い匂いは無いし、使い終わった食器も見当たらない。その風体で家事がしっかり出来るのか。偉いな。

さて、部屋に入って最初に言ったある一つについて話そう。

それは衣服だった。クライン母には申し訳ないが、下着も全て置いてある事を確認した。クライン曰く、それだけはどうしても怖くて放置したらしい。確かにこれは怖い。服の散らばり方は、例えば突然透明人間になって服がそのまま落下したみたいな、そういう感じだった。

其の後父親のも確かめると、それもまた寝ていた時そのままの形だと思われるそれであった。死体の後をチョークでなぞったアレみたいな感じだ。

それも確認したが、やはり下着諸共そこに同じ形状で存在した。 


そして肝心の血痕は、クラインが昔鼻血で汚してしまって汚れが取れなくなったという枕以外は”その家のどこにも存在しなかった”


となれば桃がレアケースなのか、この両親がレアケースなのかわからない。せめて同じ様であれば良かったのに。

そんなありもしない虚像のことを話しながら、私はクライン宅を後にした。

自分の中での推測をありったけクラインに説明した。クラインは大筋は理解して、わかったと応えた。そしてクラインは提案した。

「手当たり次第に家のチャ…イムを押して、応答がな…ければ窓でも割って入ったら良いんじゃ無いですか?」とまだ吃逆の様なものが止まらないのか、変な所で止めながらそう話した。

成程、度胸の無い私には思い付き用が無い様な妙案だった。

ここまで人が居なくなっているという推測に添いつつ、チャイムという保険をかけるというとか。

「良い考えだな」と短く伝えると、少し嬉しそうに、自然に笑った。

前言撤回、今の笑顔の方が綺麗だ。伝える勇気は無いけれど。

しかしそれでもやっぱり元気が無く、肩を時々上下に揺らすクラインを見ていれれず、頭を撫でてやった。我ながら思い切りのある行動である。

そうするとクラインは、また帽子で顔が見えるのを防止して、手と一言言って私の方に掌を向けてきた。ので掌を擽ってやろうかと思ったが、未だに痙攣しているクラインに可哀想だという気持ちが勝って、私は素直に手を繋いでやる事にした。そういう所が少女なんだよなぁと思う反面、これは誘惑してるんじゃ無いかとも思えたが、そんな事はどうでもいい。私は少し冷たくて小さな手を、しっかりと握ってやった。

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