幕間:もしもフラグが立ってたら:3

「では、お先に失礼します」


「はーい、お疲れさま〜」


 総務部保守課。

 個別の部屋があるわけではなく、総務部の端っこの島を割り当てられているだけで、基本的には総務部全体と一括り。特に不満はない。


 時刻は午後6時30分を回ったところ。

 午前9時始まりで、昼食1時間休憩があるので、午後6時がこの会社の定時だ。既にほとんどの人が退社している。

 逆に私は今残業してるのでちょっとまずい。ちゃんと残業代を出してくれる会社なので、長時間残業はコスト的にもよろしくないのだ。


「山崎さんー、そろそろ上がってくれないと困りますよー」


 総務部長の丸井さんからお小言が降ってきたので、慌ててPCをシャットダウンさせる。

 この部長はおっとりしてるように見えて油断ならない。実際、少し前に「もうちょっとだけ」って粘ってたら、いきなりPCの電源ボタンを押されたし……


「美沙さん、帰りましょうよ〜」


「はいはい」


 真琴ちゃんがさらに後ろから急かしてくる。最近はずっとそうだ。

 朝は祖父である会長と高級車に乗って出社してくるのに、帰りは私の車に乗り、うちで夕飯を一緒にしてから、家まで送り届けてる。

 まあ、そんなに遠くないし、夕飯の食材にととんでもない高級品が降ってくるので、不満も何もないんだけどね。


 ネックストラップを外し、ドアのカードリーダーにかざすと「ピッ」という音とともに、施錠が外れる。同時に退室が打刻される一般的なやつだ。

 真琴ちゃんや由香里さんなんかは経験があるやつだし、若い人はあっさりと慣れてくれた。

 今までのタイムカードが良いという人もいるので、それはそれで残してある。月末にSaaSに打ち込みする手間はかかるけど、まあ打刻忘れの確認と一緒にやれば問題ない。


「お爺ちゃんもこれ楽でいいなって言ってましたよ」


「まあ、そうだよね。勤怠入力しなくてよくなるもんね」


 IoTとかスマートオフィスとか言葉だけが持て囃されてるけど、実際の労力が減ることがやっぱり一番効くんだよなあ……


「美沙さん、そろそろ私、美沙さんのご両親に紹介されてもいいと思うんですけど?」


「え、あ、うん、そうだね」


 いきなり言われるとちょっとビビるんだけど?

 まあでも、転職のごたごたも落ち着いたし、帰省するかな……


「じゃ、次の三連休ぐらいかな。実家、一緒に行く?」


「行きます!」


***


 実家までは正直遠い。遠いって言っても車で二時間ぐらい?

 昔は私鉄があったんだけど、それも私が高校卒業する頃に廃線になっちゃったし……


「すごい田舎なんですね……」


「あはは、それだけが取り柄かな」


 助手席の真琴ちゃんが窓の外を眺めて驚いている。

 正真正銘の田舎であることだけが、取り柄みたいなものだ。樹々香る美味しい空気、透き通る綺麗な川。中途半端な田舎ではこうは行かないだろう。


「見えてきたよ。あの中腹に神社がある山、その麓に家が見えるでしょ。あれが私の実家」


「え、すごい大きくないです?」


「田舎だからね」


 そう、本物の田舎の家は大きいのだ。平屋で。

 二階などという概念は存在しない。土地なら横に広くあるんだから上に積む必要がない。


「実はうちよりもお金持ち?」


「いやいやいや、土地があるだけだよ。あの山だってうちの所有地だけどさ、売っても買い手がつかないの。毎年、固定資産税取られるし、親も嘆いてるよ」


 車を止めるのも駐車場的なアスファルトではないし、ましてやコンクリートでもない。普通に砂利が敷いてあるだけの空き地みたいなところ。


「よいしょっと。久しぶりだなー」


「美沙さん、この石段の先は見えてた神社なんですよね?」


「そうだよ。先に行ってみる?」


「はい!」


 街暮らしのお嬢様には珍しいのかな。

 軽い足取りで登っていく真琴ちゃんをゆっくりと追いかける。

 転職前の派遣にいた時は帰省できなかったから何年ぶりだろう……


「早く早く!」


 急かされて、ちょっと小走りで駆け上がったら膝が……くっ……


「はあ……」


「美沙さん、もうちょっと運動しましょうね?」


 デスクワークの弊害なのかなあ。

 昔はこの石段でトレーニングとかしてたんだけど……


「ふう、ここからの眺めも久々」


「すごい景色!」


 振り向くと目の前に広がるのは村全体。

 樹々が生い茂る山に挟まれて清流が流れており、民家がまばらに点在するだけ。

 帰ってきたんだなって実感が……


「ワフッ!」


 あれ、この声は? と振り向くと、


「クロスケ!?」


「ワフワフッ!」


 黒柴の成犬がダッシュで走ってきて、私はそれをしゃがんで受け止める。

 高校の頃、妹がねだって飼い始めた黒柴のクロスケ。


「久しぶりだね、クロスケ」


「クゥ〜ン」


「もう! クロスケ、急にどこ行ったのよ!」


 わしわしとクロスケを撫でている私の耳に、また懐かしい声が聞こえた。

 妹の沙耶香の声だ。


「沙耶香! こっちこっち!」


 私はそう声を上げ、沙耶香の方を向いた。

 そこには……


 え……


 人のような真っ黒な塊が立っていた……

 え、沙耶香……?


 その黒い塊は地面を侵食し、徐々に境内を黒く染めていく。

 何が……


「うわっ!」


 抱いていたはずのクロスケが溶け落ちるように消えた……


「えっ? クロスケ? えっ? えっ?」


 振り返ると真琴ちゃんもいなくなっている……

 え、嫌だ……

 そんな……

 何が……

 私……


***


 見慣れた天井ってこれか……


 私はゆっくりと体を起こす。

 木窓から光が漏れていないので、まだ夜中か日の出前ぐらいかな。

 隣のベッドではルルが穏やかな寝息をたてている。


 改めて沙耶香とクロスケと真琴ちゃんの顔を思い出し、思い出せることに安堵した。

 次に両親の顔を思い出す。思い出せる……


 涙があふれて止まらない……


 いつの間にか起きていたクロスケが私を心配そうに眺めているのに気がついた。

 その頭を撫でてあげると、私の涙がようやく止まる。

 はあ、引きずってたかな、まだ……


「う〜ん、ミシャ〜……」


 ルルがそんな寝言を言い、思わず声を出して笑いそうになってしまった。


 みんなごめんね。

 でも、私、こっちで楽しくやれてるから……

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