第4話 ハローアナザーワールド

「お帰りなさいませ、ミシャ様」


 館の扉を開けるとシルキーが待ち構えていた。


「ただいまー」


 そして、


「ワフッ」


 私の後ろから現れたクロスケもシルキーにただいまを言うと、シルキーはすうっと後ろに下がってから答える。


「ミシャ様? そちらは?」


「あ、うん、クロスケっていうの。ゴブリンたちに捕まってたから助けてあげたんだけど」


 そう言って頭を撫でると、クロスケは嬉しそうにお座りする。


「以前からのお知り合いですか?」


「うーん、違うけど違わないような感じかなぁ。賢くてちゃんと言うこと聞いてくれるから大丈夫だよ。あ、ひょっとしてシルキーは犬苦手だった?」


 それならちょっと悪いことをしたかな。


「ミシャ様。その子は犬ではありません。ウィナーウルフと呼ばれる狼です」


「あ、やっぱり狼なんだ! どうりで男前なんだねー」


 シルキーは一つため息をついたあと、元の位置まで戻ってきてしゃがむ。


「ウィナーウルフは見目も良く、名前の『勝利を呼ぶ狼』を好んだ貴族に乱獲された過去があり、現在ではかなりの希少種です。仲がよろしいのは理解しましたが、一緒に旅をするとなると随分目立ちますよ?」


 なん……だと……


「ぐぬぬ、それは考える。なんとかする。この子と一緒に旅したいし」


「そうですね……それでは夕飯の支度をしますのでお待ちください」


 シルキーは微笑むと厨房の方へと消えていく。


「ご飯にしましょ」


「ワフッ!」


***


 朝は日の出のあとすぐぐらいに起床。

 デスマで昼夜分からない生活をしてたころから比べると数億倍健康的。

 クロスケは私のベットサイドを寝床と決めたらしい。というか、普段から私と離れたがらない。


「おはよう、シルキー」


「ワフッ」


「ミシャ様、クロスケ様、おはようございます」


 朝食前に館の結界の外を見回る。一応、館の保守点検作業だけど、ただの散歩。


 朝食はオープンサンドとスープ。

 オープンサンドはフランスパンみたいなパンにベーコンのようなものとチーズを挟んだものだ。チーズはヤギのチーズ。牛乳のチーズは高価だという話。牛自体がそもそも高価なものらしい。

 スープは根菜類がメインだが、出汁はフォレビットの骨から取ったと聞いた。正直、すごく美味しい……

 クロスケはスープに干し肉を浸したものをもらっていたが、野菜を避けてたので「野菜も食べないとダメでしょ」って言ったらしぶしぶ食べてた。

 全部食べたので「えらいねー」って頭を撫でてあげると、次の日からは好き嫌いしなくなってた。褒めて伸ばして行こうと思う。


 朝食後、森の探索に出る。

 ロゼお姉様との約束は『ゴブリンをねぐらごと始末する』ことだったので、封印したとはいえ、あの場所に戻ってきてないかを確認しておきたいし。


「クロスケ、行くよー」


「ワフー」


 最初に向かうのは北西にある封印した洞窟のところ。ちゃんと閉まっているのを確認するだけ。

 そのあとは日によって気の向いた方へと足を進める。


 西に進んだ日に一匹だけでふらふらしていたゴブリンを見つけ、クロスケが問答無用で殴り倒してた。多分、あそこにいたうちの一匹なんだろうと思う。

 西の端までいくと南北に延びる街道が見えた。街道を南へ行くと、シルキーが言っていたノティアというこの森に一番近い町に着くらしい。今のところは見るだけ。


 東へ行ってみたが馬車が落ちたところからずっとずっと先へ森が続いていて、途中で諦めて帰った。多分、パルテームとかいう国との国境付近まで続いてるんだろう……


 北側は崖続きで何もなし。崖の上が街道になっているけど、登ってみようとは思わない。多分、道があるだけだから。


 南側は森の中にちょっと開けた場所があったり、そこに珍しい花や果実があったりしてテンションが上がった。美味しくいただけるフォレビットもよく見かけるので、北と東でハズレを引いたあとは、ずっと北西〜西〜南〜帰宅のルートが日課になった。


 お昼ご飯は無し。この世界、基本的にお昼ご飯はないそうだ。朝食が遅めで夕飯が早めらしいし。

 自分もブラック勤務してたころは当然お昼とか無かったし、その前も特にお昼は食べてなかった。お昼食べると眠くなるしね……


 森の探索から帰って来る頃にはもう夕方。本当は帰ってすぐお風呂……にしたいけど、この世界は普通にはお風呂はない。

 というわけで、館の結界内にシャワールームを作った。ルームというかコーナー?

 うん、土壁で目隠しを立てて、木の枝に細かい穴をあけた水桶を釣って水を注ぐだけなんだけど……

 ささっと服を脱ぎ、水の魔法を唱えて木桶に注ぐと簡単シャワーの出来上がり。


「はー、気持ちいいけど、やっぱりお風呂入りたいよねー」


「ワフー」


 まだ春先なので冷水ではなく温水。水魔法に《加熱》する方法を試してみて上手くいったのは良かったと思う。

 頑張ればお風呂も入れそうだけど、残念ながら館には浴室も浴槽も無かった。

 シルキーにこの世界の一般人はどうしてるのか聞いたら、水を汲んできて濡れタオルで拭くらしい。

 石鹸は貴族が使う高価なものらしいが、ロゼお姉様が気を利かせて置いていってくれたのをありがたく使わせてもらっている。


『今はいいけど旅に出たらどうしようかな……』


 日本で生活してたころの清潔感を基準にすると……いや、よく考えたら徹夜しまくってたころって似たようなレベルだったのでは……気にしないようにしよう。あっちはあっち、こっちはこっち。

 これもシルキーに聞いたことだけど、魔術士は《清浄》魔法を使えばすっきりさっぱりとのこと。ただ、さっぱりしすぎてお肌に悪いとかいう話もあるらしい。常在菌だっけ?そういうのもおはだには重要だって聞いたことはある。

 そしてクロスケ。体ぶるぶるして水切ると、せっかく体拭いた私がまた濡れるからやめて?


 夕食はサラダ、シチュー(っぽいもの)、パンが定番。食後のフルーツは森の南側に行くようになってから増えた。

 全て美味しくいただき、食後はお茶を楽しみつつ魔法の勉強。

 天気が良く、月が見える夜は外でやることも多かった。明月の月光浴はなんだか心も落ち着かせてくれる気がする。


 魔法の勉強。

 クロスケが来てから最初に取り掛かったのは『どうにかして変装する感じの魔法』を探すこと。

 ロゼお姉様がくれた館の書庫には、いわゆる百科事典のようなものもあり、ウィナーウルフも絵付きで載ってた。

 絵はまさにクロスケだったし、シルキーの言ってたような『勝利を呼ぶ狼』的な迷信?についても書かれていた。

 乱獲うんぬんの話は書かれた時になかったのか、都合が悪くて書けなかったのか分からないが、とにかく希少だということだけ書かれている。これは確かに連れて歩きづらい……


「クロスケー、一緒に行くのにおめかししてもらうけどいい?」


「ワフ……」


 神妙な顔でオーケーしてもらった。『致し方ござらん……』って感じかな。

 よくよく考えると自分も変装しないと、元の体の持ち主を探されてたらマズいんだよね。

 金髪ふわふわウェーブヘア。喋らなきゃお嬢様だよ。目立つよ。


「ミシャ様、こちらの魔術書はいかがでしょう?」


「ん、ありがと」


 受け取った本のタイトルは『独学で学ぶ身体魔法』だった……


***


「よし、確認終了。問題ないはず!」


 クロスケを縛り付けていた首輪の改良品を試すときが来た。

《爆発》が発動して壊れた部分は破棄し、フォレビットのなめし革を紐にした飾り編みに入れ替え。

《冷却》が付与されている部分には《毛色変化》を上書き。クロスケのカッコいい金色の眉や胸毛は周りの毛色と同じ黒になるはず。

《判定起動》は判定後のロジックを変更して、つけると黒に、外すと元の毛色にすぐ戻るようにしてある。


「つけていい? クロスケ?」


「ワフッ!」


 お座りして神妙に首を差し出すクロスケ。メダル掛けられるアスリートかね、君は。

 飾り編み部分はかなり緩めにし、伸縮可能な編み方にしたので、前みたいにピッタリはめている感じはない。

 首の後ろで留め金を締めるとクロスケの金毛が周りと同じ黒となって溶け込んだ。


「うう、ごめんね……」


 ぎゅっと抱きしめてあげると、クロスケは気にするなと言わんばかりに頬ずりしてくれる。


「このお姿ならブラックウルフということで問題ないでしょう。狩人が良く従えている相棒でもありますし」


 シルキーがそう言ってくれるなら問題ないだろう。さて、次は自分の番。


《起動》《地味化》


 魔銀のペンダントの裏側に書き込まれたそれが起動し、金髪ふわふわウェーブヘアが黒髪さらさらストレートに変化する。

 魔法付与にあたっての名前は……思いつかなかったので。どうせ自分しか使わないし。


「どうかな?」


「ワフッ!」


「完全に印象が変わりましたね。知的で清楚な感じでとてもよろしいかと」


 好評価に心の中でグッとガッツポーズを取ったのち、満足げに頷いてみせた。

 黒髪黒目は転生者テンプレで目立つ可能性があるかなと思ったけど、シルキーに聞いたら『普通ですよ。むしろ庶民よりですね』と言われてしまったので一安心。


「これで準備は完了かな?」


 この変装がうまくいった今日、お昼前の今からこの館を出る予定。ノティアの街までは二時間程で着くらしい。


「ミシャ様、これを」


 シルキーから渡された麻袋を覗くと紙に包まれた……この香りは石鹸!


「ありがとう!」


 どうにか自前で石鹸を手に入れられる目処がたつまでもてばいいんだけど。


「クロスケ様にはこれを」


 シルキーはそういって屈むと、クロスケになかなかにおしゃれなスカーフを巻いてくれる。


「ワフー」


 嬉しそうに胸を張るクロスケ。


「これ、シルキーが作ったの? パッチワークっていうか、キルティングっていうか……」


「はい、ミシャ様の服に手直しする際にはぎれがたくさんできましたので」


 うん、丈直しとかでね……


「凄いね、さすがプロって感じ……」


「ありがとうございます。相棒である狼にこういうスカーフをつけている狩人も多いとのことでしたので」


 クロスケにつけている首輪も目立たなくなったし、何よりスカーフを巻いたことで『人に懐いてる感』がすごく強くなった。


「それでは、ミシャ様、クロスケ様、旅のご無事をお祈りしております」


 微笑んで一礼してくれるシルキー。


「本当に……本当にありがとうね……」


 私は思わず彼女を抱きしめていた。実体がないので抱きしめているつもりだけど。


「行ってきますだからね! また帰ってくるから!」


「はい、心得ております。その時はこの館よりも大きなお屋敷を紹介いただけますよね?」


 う……そう来たか……


「が、頑張ります……」


「ワフッ!」


『そんなの当然です』みたいな返事するんじゃありません、クロスケ……

 シルキーがすっと身を引き、扉の方に目をやるとそれが大きく開かれる。

 クロスケがさっと走り出し、振り向いてしっぽを振る。


「じゃ……行ってきます!」


「はい、いってらっしゃいませ」


 昨日の夜半から降っていた雨は日の出までには止んだようで、今はすっきりと晴れ渡っている。

 迷うことなく踏み出し、振り返ることなく前へ……ここからが本当の『Hello World』なんてね。

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