バス停
乗る予定だったバスがいま発進した。少し迷いながらもバスの到着先にいるはずの待ち合わせ相手に到着が遅れる旨を連絡する。彼とは一年前に私が働いているお店で知り合った。初対面で一目惚れしましたと言われた時は少々驚いたがそこから関係は続いている。キャバクラに来るお客さんには、その場のノリで結婚しようとかプライベートで会おうよなんて言う人は沢山いる。だからそんなことを言われることには慣れていたつもりだが、彼の真剣な目は他の誰とも違っており、ついお店用じゃない連絡先を教えてしまった。仕事終わりにスマホを確認したら彼から来週もお店行きますと連絡が来ており、とても嬉しかったことを今でも覚えている。
待合所では中年の男性がタバコを片手に雑誌を読んでいる。上下黒い服を着た男性が待合所に入ってきて私の斜め前に座る。一つ後ろに座っている女性は大きな声で誰かと電話をしている。
初めて仕事とは関係なしで食事をした時のことだった。彼の選んだお店はとてもセンスが良く、また彼の話は面白かった。こんな人と一緒になれたらと思う一方で何時までも夢を見てられないと思った。本当に好きになる前に自分はバツイチで子持ちであることを告白し、今まで隠していたことを詫びた。すると彼は教えてくれてありがとうと言ってくれた。そのあとその日は子供のことや近くの美味しいレストランについて、その他他愛のない話をした。私の告白は必要以上に深刻には受け止められなかった。
タバコを吸う男性が読む雑誌には、清純派で推していた女優が実は結婚しており子供もいることが記事にされているのが見えた。待合室に入ってきた同年代くらいの女性は一瞬目が合った後、頭の先から爪先までを一瞥してから私の3つ前の席に座る。特別派手な服装はしていないつもりだが夜のお店で働く私からは何か同姓をイラつかせる雰囲気があるのだろうか。それとも私の自意識過剰だろうか。どちらにせよそんなことを考えていることに対して店の同僚たちに申し訳ない気持ちになった。
彼は息子とも仲良くしてくれており、息子も彼に懐いている。今日初めて彼の家族に挨拶に行くが、皆私の境遇を理解した上で歓迎してくれているそうだ。彼と一緒になることにもう障害はないのだろう。けど私の気持ちが追い付いていない。彼はなぜこんな私に良くしてくれるのだろうか。顔だって特別良いわけではなく、どこにでもいるような女だ。
後ろの女性の声が聞こえる。私のこと好き?どこが好きなの?早く会いたい!そんな会話をしている。私もそれくらい純粋に聞いてみたほうがいいのかもしれないが、面倒な女と思われそうで怖い。彼に何か後ろめたい何かがあればと思ってしまう自分もいる。そうすればもっと素直に彼の好意に甘えられる気がする。
一緒に寝ている時に何か夢はないかと聞かれたことをふと思い出した。酔っていたこともあってつい饒舌になってしまっていた私は、海外の貧困に喘ぐ子供達を助けたいと若い頃の夢について話した。一通り話した後に冷静になった私は、今は自分が生きるのに精一杯のくせに何を言ってるのだろうと思った。彼はそんな私に今度町中で募金の呼び掛けでもしてみようよと提案した。そんなことしていいのかなと私が少し困惑すると、俺もあんまり詳しくないからわからないけど呼び掛けがダメなら俺ら二人だけでも募金とかいらない服を送るとかしてみようよと楽しそうに話してくれた。そんなことを語る彼は私には眩しすぎると感じたが少しは見習って行くべきなのだと思う。
気がつくと次のバスが到着していた。周りの人たちは立ち上がり乗車していく。そんな中まだ決断できないを私がいる。携帯電話がバックの中で振動する。携帯電話を開き確認をすると、了解、急がなくて大丈夫だよと彼からメールが入っていた。それを確認した私はこれ以上彼を待たせてられないと思いバスに乗り込んだ。
ドアが閉まりますとアナウンスが流れる。一番前の席に座った私は今バスに乗ったと彼に連絡する。なぜ彼が私のことを好きになってくれたかはわからない。勢いでバスに乗ったがまだ不安もある。しかし、一度くらい信じてみようと思う。彼のことも私自身のことも。それでは出発しますと運転手がアナウンスするとバスが動き出した。徐々にスピードをあげるバスの窓から外を見るともう誰もいない待合室が小さくなっていくのが見えた。
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