第6話 文字

 案内されたのは、先ほどの埃っぽい倉庫のような部屋とはまるで別世界。明るい陽射しが部屋の中を照らす。室内には簡素に見えるベッドとほぼ空のオープン棚が二つ、それと壁際に机と椅子のワンセットがあるだけの、質素な造りの部屋だけれど。

 いや、窓にはさりげなく植物が飾ってあるし、ベッドも質素に見えるけど、よく見ると脚に細かい彫刻がされていたり、細かいところまで行き届いている。

「こちらがユウト様のお部屋となります。こちらの城に滞在されている間はこのお部屋をご利用くださいませ」

 エルヴィラがそう言って頭を下げる。この子がまるで専属召使のようだ、と優翔は呆れる。それほどまでに好待遇なのは、勇者と思われているからなのか。

「ユウトが何を考えてるのか、なんとなくわかるけど」

 後ろからレオンが笑いながら声をかける。その声にはっとして振り向くと、いかにも面白そうなレオンと気まずそうなコンラート。思わず口も半開きになった阿呆な顔、見られたかな。

「あそこは僕の密談部屋、だよ。ちゃんと僕の屋敷は別にあるから、心配しないでよ」

 廃嫡されたとはいっても王族なんだから、と笑う。

「王族のことはまたおいおい説明するよ。まずは子供向けの教書を用意しないとだね」

「レオン様、それはこちらに用意してございます」

 エルヴィラがすかさず棚を指さす。わずかにその棚の中には絵本のような本が数冊入っているのが見えた。

「まずは文字の読み書きです。その後、ユウト様の興味に合わせて学ぶことを考えさせて頂きます」

 なるほど。幼児が文字に親しむための本ってことか。

 馬鹿にされている、とは思えない。けれど、さすがに幼児扱いはないんじゃないか。いや確かにこの世界の知識は幼児レベルだけど、とユウトは一人葛藤する。が、そんなことは知らない三人は更に何やら話をしていた。

「じゃあユウト、僕はこれで。一応毎日様子見にくるよ」

 レオンは役目は終わった、とでも言わんばかりに去っていく。残ったのは何を考えているのかわからない美少女と、無表情の武人だけ。なんとなく、ユウトは心細さを覚えた。



 外国語を覚えるつもりで学んだこの国の文字は、どうやら英語とは違い、日本語と同じ表音文字のようだった。何とか簡単な書物を読めるようになるまで三日、簡単な手紙を書けるようになるまでそれから一週間がかかった。

 学習塾で受験対策をするよりも勉強したような気がする。それこそ、食事と睡眠以外はほとんど全て文字の勉強に費やしていた。

 それでも読める書物は子供向け程度の難易度が限界だ。それ以上になると一冊読むのにどれだけかかるのか、見当もつかない。

 この世界の常識は知らないから、もちろん識字率がどうなのかもわからない。けれど、たとえ識字率が低かったとしても、読み書きできるに越したことはない。日本だって、過去に読み書きできずに損をしていた人が大勢いたという話だ。歴史で学んだだけだけれど。

 エルヴィラからようやく合格点をもらえたところで、コンラートが難しい顔をして部屋にやってきた。

「エルヴィラ嬢、ユウト殿をお借りしてもよろしいですか」

「そうですね。明日からの教材を用意しないといけませんので、この後のことはコンラートにお任せします」

 エルヴィラがコンラートと優翔に一礼して部屋を出る。相変わらずエルヴィラの仕草には隙がない、と考えていると、コンラートが優翔に声をかけた。

「ユウト殿、エルヴィラ嬢は厳しかったですか」

「そりゃあもう」

 子供向けの絵本を音読させられた回数は、50回を超えた辺りで数えるのをやめた。最後の方は中身を丸暗記したけれど、今度はその丸暗記した内容を何百回と書かされた。

 昨日聞いた話だと、その本にはこの世界の文字が全て入っているらしい。日本のいろは唄みたいなもんらしい。だから、その本を全て読み書きできれば文字は問題ないらしいけれど、効率がいいのかよくわからない。

「彼女は完璧主義のきらいがありますからね。ではユウト殿、少々体はなまっておりませんか」

 優翔のうんざりとした声音に笑い、コンラートは少しいたずらっぽい目をした。

 この一週間、エルヴィラの態度はまったく変わらず氷のような無表情だったけれど、コンラートは少年のような態度をすることが増えてきた。優翔の未熟さに親しみを覚えたのか、他の要因なのかはわからない。案外人見知りなのかもしれない。

 それはそうと、確かに一週間碌に運動らしい運動もしていない。机にかじりついて読み書きの反復。そのおかげで合格点をもらったとはいえ、体中が凝り固まっているような不快感がある。

「確かに、ちょっと運動不足な気がするよね」

 そうでしょう、とコンラートは口元に笑みを浮かべた。入室した時の難しい顔はなんだったのか。

「では、訓練場に行きましょう。少しは体を動かすこともするべきです」

「訓練場?」

 初めて聞く場所に、疑問符を投げる。そういえば、この一週間ほとんど部屋から出なかったので、この城についても何も知らない。というか、そもそもたまにやってくるレオンとこの二人、それと食事等の世話をしてくれる数名の他に誰とも会っていない。

「ユウト殿は訓練場は初めてでしょう。そちらに、会わせたい方もいるのです」

 コンラートはそんな優翔の事情もわかっています、とでも言うように言った。

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