第6話 タイミングがすべて
僕は驚いた。美茶からのメッセージが届いていたからだ。また連絡するねと言われた翌日のことだった。その予想外の連絡の早さに僕は浮足立った。
『もう少ししたら、バスロータリーのそばのオープンテラスのカフェに行くから良かったら、颯馬も来ない?夫が一人で出かけてくればって言ってくれて急に時間ができたの。』
きっと、駿が僕の年齢を伝えたのだろう。美茶は僕の名前を呼び捨てにしてる。嫌な気分はしなかった。むしろ彼女を身近に感じた。同時に彼女の年齢を僕が知ったというのも承知の上の誘いだろう。
公園で、駿と話している時、僕と美茶の別荘が遠くない印象をうけた。むしろ近いんじゃないかと感じた。1年生の男子の説明だからな、曖昧だし、あまり真に受けてなかったのだが、美茶の意味するこのオープンテラスのカフェがどこか瞬時にわかった時点で僕は駿の言っていたことはまんざら間違っていない気がしてきた。
僕はあわてて返信した。美茶からのメッセージが45分も前に送られたものだったからだ。
『今気づいた!まだいる?』
『ごめん、ばたついてまだ出てない。今出るところだから10分くらいでつくよ。』
『了解!僕も出るね』
絶妙のタイミング。そして10分で着く距離。僕が伝えようとしていた時間と同じじゃないか。彼女は僕のいる家のすぐそばに住んでいることを確信した。
外に出た僕は、車のエンジンをかける前に、思わず耳を澄ました。もしかしたら、エンジン音が聞こえるかもしれないと思った。しかし、周りから聞こえるのは鳥のさえずりと木々の擦れる音だけだった。
僕がコーヒーを頼んでテラス席に座ると、程なくして彼女の車が駐車場に入ってくるのがみえた。なんとなく格好良く見せたくて、僕は、勉強中の大量の資料を出して、マーカーのペンを手に握っていた。子ども扱いされたくなかったのだ。
2階に上がってきた美茶は、手を振りながら近づいてきた。そして、遠慮がちにこう言った。
「ここに座っていい?」
僕は、斜めに置かれた四角い机に座っていた。端が、良くて座ったのだが、この配置だと必然的に隣同士になることまで考えてなかったのだ。
「もちろん!ごめんね広い席にすればよかったね。」
「むしろ、端の方が落ち着くしいいんじゃない」
「そうだね。」
二人でコーヒーを飲みながら、家族の話や、名前の話に始まり結婚生活や結婚前の話をしたり、学生生活なんかも話したりした。
「駿と颯馬は二人とも馬がつく名前だね。駿は馬のような優しい目をしてたから、広い大地、広い世界を駆け抜ける優しい人になってほしいと思ってつけたんだよ。颯馬って良い名前だよね。何か由来ある?」
「僕は、親の好きな車のブランドロゴにもある颯爽と駆け抜ける馬のイメージでつけてみたいだよ。馬好きに悪い人はいないってことにしておこう。美茶さんは?」
「母が静岡出身で、美しい茶畑のように、凛としていて、そしてお茶のように人を癒す人になってほしかったんだって。名前とは裏腹に、家ではそんな余裕はなくてイライラして、癒しどころではないけどね。」と、言って屈託なく笑った。
心地よい空間が生まれ、話が途切れることはなかった。僕は嬉しかった、美茶が威張らず馬鹿にせず一人の人として僕と話をしてくれることが。そして彼女もこの非日常の出来ごとをとても楽しんでいることが。
時折、僕らは見つめあった、そのタイミングも同じだった。僕は美茶の中に今までと違う感情が芽生え始めているのを感じた。彼女はそれを隠そうとしていたが、コーヒーカップを持ち上げようとした僕の手と彼女の手が、触れたとき僕を見て一瞬恥ずかしそうな顔をしたのを僕は見逃さなかった。それは、今まで僕が見ていた母親の顔では無かった。
美茶が、切り出した。
「颯馬の家って、あの大きな一本杉を下ったあたり?
駿がそう言っていたから気になって」
「やっぱりそっか。駿が、説明してくれたから気にはなっていたんだけど、美茶さんどのあたり?」
「坂登ったら、すぐ右折して3軒目だよ。」
「ってことは、ものすごく近いよね。車で5分もかからないよね?今度僕のうち教えるね。」
「うん。でもびっくりだよね。偶然が偶然をよんで、そしてタイミングが全部あって、こんなに重なるとなんか特別な気持ちになってしまうよ。」
「僕もそう思ってた。なんだか不思議な気持ちだよね。また会いたいな。」
「そうだね。私もまた会いたいよ。会いたいなと思うけど、また会っていいのか、今すごい葛藤してる。こうやって色んな話をこんなに穏やかに楽しくしてたら、なんか颯馬のこと特別に思い始めるかもしれないから。いや、そんなことないな、元通りの生活始まったらお互い時間に終われる生活に戻るから、今日のこととか楽しい思いでの1ページになるのかな。」
美茶は、僕に会いたい気持ちを伝えてきた。そして、はからずも僕の前で好きになることはない、なってはいけないと言うことを言葉にした。その潔さにかえって好感が持てたし、これからも、この人に会いたい気持ちを倍増させた。
時計に目をやった美茶は、そろそろ帰るねと言うので、僕は駐車場まで見送ることにした。階段を下りる美茶の手を繋ごうとしたがさっきの言葉が気になりぐっと我慢した。自分の今の気持ちを言葉にして伝えて混乱させたくなかったから。でも、振り返った美茶は、それに気づいたのか僕を見て穏やかに笑っていた。
「また、会いたい」
僕はそう言いながら彼女を見送った。
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