第2話 偶然が必然を招くなんて知らなかった
東京で忙しく生活していた僕は、蓼科に来て最初の3日で一日中家にこもって課題に取り組むことに限界を感じていた。毎朝、講義に行き、終わった後は近くのカフェで勉強し、学費を貯めるために家庭教師のバイトをしてフル稼働していた1週間前のあの生活の名残は今は微塵もない。
自宅学習にすでに行き詰っていた僕は、翌日から一日一回は車を飛ばして、隣町のファストフードまでコーヒーを買いに行ったり、食料を買いに行ったりしてリフレッシュするようにした。もともと、一人でいることが苦手ではない僕にとって、この外出は誰と会うわけでも無く、とにかく外の空気をすってオンオフをつけようという目的にとどまっていた。
そんな生活を続けて数日たったあの日、たまたま大学の先輩が仕事がテレワークに切り替わったと言って訪ねてきた。東京都の緊急事態宣言が出る前日だったが、久々に顔を合わせて話したところ、動画サイトで名を馳せる企業に勤めていた先輩はすでにだいぶ前からテレワークだったと聞き、まじっすかと思わず聞いたのは言うまでもない。そして、お互い独身の身、こんなにいろいろなことが制限されだしたのに自由なものだなと内心思わずにはいられなかったものだ。
先輩が来た翌日、二人でコーヒーを買いに行った。コーヒーくらい家で飲めばよいのだが、そのコーヒー一杯のための外出がオンオフを切り替える貴重な時間なのだ。
いつも通り、隣町のファストフードのドライブスルーに入ろうとすると、渋滞している。店内飲食をするために来てるわけでも無いからと迷っていたところ、先輩が店内誰もいないから、車を停めて店内で仕事をしたいと言ってきた。毎日通っていたファストフード店なのに、店内でコーヒーを飲むのは今日が初めてで新鮮にさえ思えた。
僕たちは横並びで間隔をあけて座っていた。僕はなかなか会えない家庭教師をしている子どもたちに飛び出すカードを作っていた。その様子を、注文待ちの小さな男の子がじっと見ている。僕もその視線に気づき、子ども相手は慣れているので声をかけた。
「近くで見てみない?」
「お兄さん何やっているの?」とすぐにその子どもが話しかけてきた。その子のお母さんもこちらを一瞥し、にこっと笑顔を向けてきたものの、すぐにスマホに目を落とした。どうするのと子どもに話しかけて注文を決めかねている様子がなんだかとてもほほえましくてついついそちらを見てしまっていた。
その親子の様子を後ろから見てると、どうも地元の人ではなさそうだ。カジュアルな格好をしているけど、都会の雰囲気を醸し出してた。
きっと僕と同じように早いうちに移動してきたのだろう。そんなことを考えていると、ふと、その子どもの顔を前にも見たことがある気がしてきた。いやきっと勘違いだろうと必死に頭の中を回転させてると、会計をしているその親子が何やらもたついている。そして、店員と何かを話してたと思ったら品も受け取らず店を出ようとしていた時に、目が合った。マスクの隙間から見えた、その目に愛おしさを覚えた。
「お財布忘れてきちゃったみたい!」という言葉を残して、その人は駐車中の車に向かっていった。ちょうどその時、駐車場が混んできたので、微妙なところに停めてあった車を移動させに僕も駐車場に向かった。
いや、それは先輩に対するただの口実だったのかもしれない。その親子、いやそのお母さんの一瞬の笑顔とそのただ1回の会話に何か特別なものを感じたから、自然と足が動いたのかもしれない。
僕が車を移動させようと店を出たときにはその親子の姿はどこにもなかった。僕は、思わずそれを残念と感じていることに気が付いてこの感情に驚きを隠せなかった。とにもかくにも、空いている端のスペースに車を停めなおして、降りて驚いた。
帰ったと思っていたさっきの親子が隣に駐車中の車の中で小銭を数えているのが窓ガラス越しに見えたからだ。扉を閉める音に気付いた、運転席の彼女が僕の方を向いた。僕は声をかけずにはいられなかった。
ただ、困っている彼女にお金を貸したいと思っていただけだった。同時にその子どもへのまなざしや横顔から目が離せないのも事実だった。ただ、僕はわかっていたお金を貸すというそれだけだということも。
僕に気づいて車から降りてきた親子に、僕は1000円札を一枚差し出した。お母さんはいぶかしげにその様子を見つめる。そうか、1000円じゃ足りないのかと思った僕は、
「2000円使ってください。返さなくていいので、お子さんにランチ買ってあげてください」
と言いながらお金を差し出したのだが、金額の問題では無さそうだ。お母さんは躊躇している。やっと僕は気づいた。知らない若者からいきなりお金どうぞと言われても、サンキュー!と言って
簡単にもらうわけにもいかないはずだ。それを横で見ていた、子どもが差し出した1000円だけを受け取り
「お兄さんありがとう!ママ買ってくるね!」
と一目散に店内に向かって走って行ってしまったから、そのお母さんは
「本当にすみません、ありがとう!おなかがすいていてどーにもならなかったから、本当に助かります。でも、知らない人からお金をもらってしまうというのは、子どもの手前良くないことなので後ほどお金を返したいので、連絡先を教えてもらえますか?いつもならドライブスルーなのに、たまたま今日は混んでて店内に行ったから助かっちゃいました。」と言ってきた。
蓼科に来ていなかったら僕たちは出会わなかった。いつも通り、ドライブスルーを利用していたら僕たちは出会ってなかった。彼女がお財布を忘れていなかったらこの出会いはなかった。そう考えるといくつもの偶然の重なりあいは、僕の心に火をつけるのに十分だった。僕はもう一度彼女に会いたかった。
会えるかどうかはわからなかったけど、お金を返してくれる理由で会えることでもよかった。連絡してほしかったから何のためらいもなく連絡先を交換した。
登録がうまくできているのか心配で、レシートの裏に連絡先を書いて帰り際にもう一度渡す念の入れようだった。それくらい、僕はもう一度どうしても彼女に会いたくなっていた。
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