第20話
仕事が終わって店の裏口から外へ出ると、細い路地の隅で司君が待っていてくれた。
「お待たせ。ごめんね、寒かったでしょう」
「ううん。外にいたのは少しの間だけですから」
彼の顔を覗き込むと、鼻の頭が少し赤くなっている。
やっぱり寒かったに違いない。
また、申し訳なさで一杯になってしまう。
「沙織さん、家に帰る前に少しだけ、一緒に歩きたい場所があるんです。いいですか?」
「?…うん」
駅から歩いてすぐの場所を華やかにクリスマス装飾で彩った、シャンパンゴールドの長い長い、イルミネーション。
街路樹がライトアップされて、夜の街を明るく、美しく照らしている。
「…綺麗……!」
キラキラ、キラキラ、街が輝いている。
楽しくて、嬉しくて、幸せで。
感謝の気持ちを、私に思い出させてくれる。
「沙織さん、ここに来るのは初めてですか?」
「うん!…存在は知ってたけど、来たのは初めて!…本当はずっと、来てみたかった」
「やった!一緒ですね!」
嬉しそうに、はしゃぎながら私を見て笑う彼。
何だか、不思議な気分。
まさか以前から憧れていた場所に、彼と2人で来る事になるなんて、夢にも思わなかった。
3日前の自分に、聞かせてあげたい。
彼は私に、突然質問してきた。
「沙織さんは、どうしてご両親と一緒にイタリアに行かなかったんですか?」
私は、ちょっと昔を思い出してから、彼の質問に答えた。
「安心させてあげたいな、って思ったの」
少し大きな仲通りの広場には、大きな大きな、クリスマスツリー。
「…?」
赤、紫、青、黄、緑。
思わず足を止め、彼と一緒に見つめてしまう。
「2人がいなくても、一人で生活できるよって」
その色の輝きは、大きな動物が動いているかの様に、ダイナミックに変化していく。
「…」
あたりを彩りながら、ツリーは語りかける。
「子供の頃、私、体がとても弱かったの。だから小説だけが友達だった時もあった」
どんどん光が、この輝きが、変化していきます。楽しいですよ?
だからどうか見ていてください、と。
「もともと腫瘍ができやすい体質みたい。病院通いや入退院や手術が多くて、死ぬかも知れないと思った瞬間も、何度かあった」
まるで私は、生きているみたいでしょう?
どうかお願い。もっとゆっくり、
こちらに注目してください、と。
「私の病気のせいで両親にはずっと、心配や苦労をかけちゃったの」
点滅や変化を繰り返しながら、まるで歌を歌っているかのように。
「でもずっと、優しくしてもらった。だから私、両親に恩返しをしたい」
ワンコーラスを歌い終えるまで、足を止めて聞いていて下さい、とでも訴える様に。
「……沙織さん…」
最初の色に戻るまで、
どうしても、ここに留まり、
彼と一緒にじっと見ずにはいられない。
「中学に入学した時くらいから元気になってきて、徐々に私、生きる事に自信がついてきたから」
彼は、私の手をそっと握り、
「…そうですか。良かった…!」
と言って、笑いかけてくれた。
私も笑って、頷いた。
「これからはもっと、両親には自分たちのために時間を使って欲しいと思って。…だから一度私から離れて、完全に自由になってもらいたかった」
そして再び、彼と一緒に明るい街路樹の中を、手を繋ぎながら歩き出した。
「…苦労をかけた事、申し訳無く感じているんですか?ご両親に」
「うん。一人娘だから…過保護すぎるくらい気にかけてもらったし。…こんな言い方したらいけないのかもしれないけど、少しだけ息苦しかった」
この輝いた、感謝に満ちた光の中。
この出来事こそが、まるで夢のよう。
「ただ沙織さんを、大切にしたかっただけじゃないかな。ご両親は」
「…」
「…申し訳無く感じる必要は無い、と僕は思いますけど」
「…そうかな…」
彼は頷いた。
「それに沙織さんは、もう返してますよね?」
「…?」
「優しさが溢れすぎるくらい、溢れてる」
彼は足を止めて街路樹の真ん中に立ち、両手を広げた。
「この、たくさんの光みたいに」
光を見上げながら彼が深呼吸をすると、彼の吐く白い息が、さっと空気に溶けるのが見えた。まるで一枚の絵画みたいに、彼は光のシャワーに溶け込んでいる。
「お人好し過ぎで、心配になるくらい!」
そして急に照れたように笑いながら、突然私をからかい出す。
「…そう…?」
そんな風に言われると、どんな顔をしていいか、わからなくなってしまう。
「…沙織さんを見ているともう、優しさをご両親に返すどころの騒ぎじゃ無くて…」
彼は、車が通らない道のど真ん中で、
私の体を愛おしそうにぎゅっと、抱きしめた。
「受け取った優しさを、他の誰かにも与えずにはいられない様に、見えますけど」
柑橘系の、あの香りがする。
「…司君…」
私は、彼の背中にそっと手を回して、
その体を、自分から抱きしめ返した。
「…!」
人が見てる。
だけど、そんな事、
今は、どうだっていい。
今ここに、司君と一緒にいられる事は、
私にとって決して、当たり前の事じゃ無い。
「何度か生死の境を彷徨った後、わかっちゃったの」
私は彼に抱き締められながら、囁いた。
「これからどんなに求めてももう、この一瞬は永遠に戻って来ない」
どうしてだろう、
なんだか涙が溢れてきそう。
私は、この出会いを大切にしたい。
「私は今生きていて、司君と一緒にここにいる」
はじめて彼に、自分という人間を、私は正確に伝えたいと思った。
「ただそれだけで、胸が一杯になるくらいの感謝がどんどん、こみ上げてくるの」
彼はそっと私から、体を離した。
はじめて私に出会ったような顔をして。
「…僕も、感謝してる。…沙織さん...?」
「…何?」
今までに見たことの無い、
妖艶とも呼べる様な貌が、彼に宿った。
「もし僕が『キスして』ってお願いしたら、してくれますか?」
……ん?
司君、今なんて言った…?
「僕、あなたとキスしたい」
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