第19話

 放課後。


 カフェ『未来志向』で高野さんを手伝いながらクリスマスのディスプレイに取り掛かっていると、ドアの音がカランカランと、鳴り響いた。


 本格的なディナータイム突入直前の、6時。クリスマスツリーも登場して一層華やかに変わった店内に、制服姿にコートを羽織った司君が現れた。


「こんばんは」


「お、来たね!白井君」


 黒いエプロン姿の高野さんが声をかけると彼はコートを脱いで軽く会釈し、案内された一番奥の席へと座った。


 私は彼が座る席に、水とおしぼりを運んだ。


「いらっしゃい!司君」


「沙織さん、似合いますね。制服姿」


 白いブラウスの上に、金色の文字で『未来志向』と左下に小さく書かれた黒いエプロン姿の私を、彼はじっと見つめていた。


「そう?…ありがとう」


 仕事スタイルを誰かに褒められたのは初めてで、何だか物凄く照れてしまう。


「今日は仕事、何時までですか?」


「9時半まで。…本当にいいの?」


「うん。終わるまで待っています。…もしかして、帰りは高野さんも一緒ですか?」


「ううん、高野さんは閉店した後も1時間くらい仕事があるから、滅多に一緒には帰らないの。だから、…ありがとう」


「いえ。それなら良かったです!」


 彼は私の言葉を聞くとすごく嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。


 ずっと待っててもらうのは、何だか申し訳ないけど。本当にいいのかな…?

 

「何か、食べる?」


「いえ、今はホットコーヒーだけにします」


「かしこまりました」


 私がカウンターへ戻ると彼は鞄から眼鏡ケースと小さなパソコンを取り出し、何かの作業を始めようとしていた。


 高野さんがカウンターの中でコーヒーを準備しながら、私に声をかけた。


「有沢さん、これ、どうかな?」


 高野さんは濃いグリーンのコーヒーカップを見せてくれた。取っ手部分がゴールドで縁取りされたサンタクロース色の赤で出来ており、親指大くらいのスノーボールが、受け皿にちょこんと2つ、乗っている。


「わぁ!これ、可愛いですね!」


「そう。クリスマス期間限定サービス!スノーボールがカップの色に映えるでしょ?」


「さすが高野さん!女性客とか喜びそう!」


 司君は、甘いお菓子好きかな?




「お待たせしました」


 グリーンのカップに入ったコーヒーを司君の席に運ぶと、黒縁眼鏡をかけて真剣な表情でキーボードを打っていた彼は顔を上げ、私と目が合うとゆっくり、優しい微笑みを浮かべた。


 どきっと、胸が鳴る。

 やっぱり眼鏡、似合うなぁ!


「可愛い色のカップですね!」


 まるで私だけに向けてくれた、特別な笑顔の様に思えてしまう。


「今の時期だけ、登場するの」


「これは…?」

 彼は、グリーンの皿の上に乗っているスノーボールを指差した。


「あ、これね、クリスマス期間限定サービスだって!司君、甘いお菓子好き?」


「大好きです!沙織さんは?」


「私も!」


「ああっ!!」


 彼は突然目を見開いて叫び、私の顔を急に見つめた。




「えっ?!!」




 ぽん。




 と、彼は白いスノーボールを、

 私の口の中に、さっと入れた。








 ……唇に、

 彼の、指の感触。








 にっこりと、

 天使の様な笑顔を見せる、司君。




「美味しいですか?」





「……」





「…あれ?…どうしたの?沙織さん」







 ……。







 ……甘い。











 …時間差で、急激に、猛烈な恥ずかしさが襲ってきた。












「…顔、真っ赤ですね」














 彼は私の表情を上目遣いに見つめながら、

 少し意地悪そうに笑っている。






 ……さくさくさくさく。





 ……ごくん。








「……もう、ダメだよこっちは仕事中...」




 どきどきし過ぎて、言葉が全く続かない。







 彼は笑いながら、

 もう一つのスノーボールを、私に手渡した。







「はい!」






「…?」






 彼は目を瞑って、口を少しだけ開けている。






 …もしかして…これって…?






「沙織さん早く!隣の席の人がいないうちに!」






 ……!






 確かにこの席は一番奥なので、他の席やカウンターからは死角になっているけれど。













 彼は黙って口を開け、

 目を瞑ってじっと待っている。














 …また、私をからかってる…!!











 少し対抗心が芽生えてしまい、

 私は彼の口の中に、

 手渡されたスノーボールを放り込んだ。











 ぱくっ。












 彼は、ぱちっと目を開けて、

 もぐもぐとそれを食べ終えてから、






「あ!これ、美味しいですね!」

 と言ってコーヒーを一口飲み、









「沙織さんが食べさせてくれたから、かな」

 と、至福の表情を浮かべている。















 …もう!!!














「仕事に戻る…!ごゆっくり!!」








 ダメだ、全然敵わない。





 私は震える手を引っ込めて踵を返し、足早にカウンターへと撤退した。


 高野さんが私の顔を見て心配そうに、声をかけてくれた。


「…何かあったの?顔が真っ赤だけど」


「いえ全く。…ホントに、全然!」


「…大丈夫?」


「…大丈夫です!」


「今日やっぱり俺も、一緒に帰ろうか?」


「いえ、ご心配なさらず!問題ありませんから!」


「…そう?」







 指に残る、この感触。

 彼の柔らかい唇の…。








 まだ今も、残っている。










 完全に私、翻弄されている。





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