第一章(裏)
第1話 哀れな少年と倒錯の濫觴
ある日、二人の男女がまぐわい、新たな生命を母体に宿した。しかし、それは二人にとっては望むべきものではなく、"まぐわいの副産物"としか思われていなかった。そのことが判明すると、男側は激怒し堕胎するよう説得した。しかし二人には堕胎するお金すらなく、仕方なく国からの支援を受けながら産むことにした。
そして一人の少年が誕生した。彼の最悪な人生の幕開けである。
二人は授かった子を"死なない"程度に育てた。必要最低限の食料や身の回りの世話など、とにかく最低限のことしかされなかった。生まれた時から愛を受けずに育った彼は年齢を重ねるごとに父親から暴力を受けるようになった。理由は金銭の不足である。子は成長するごとに費用がかかる。あろうことか金銭の不足を少年のせいにして、父親からは暴力を母親からは罵倒をされていた。
「お前がいるからっ!俺たちがこんなに苦しむんだ!」
とんでくる暴力の嵐。必死に両手で防ぐも、小さすぎるその身体では虚しくも効果はない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
ただひたすらに謝罪を行い、相手の苛立ちが消えるまでその謝罪を続ける。
(どうして僕が謝らないといけないの?僕は悪い事をしたの?)
彼の心に黒い影は忍び寄る。
転機が訪れたのは小学校に入学して間もない頃。身体の痣や痩身な姿を見た学校の職員により、ついに親から受けていたもの全てが明らかになった。
しかし、時すでに遅し。産まれた頃から愛情を受けなかった彼の心はすでに死んでいた。正常な判断が取れず、彼は周囲の人間を全て敵だと認識するようになった。
親や周囲の人からこれ以上の不利益を被らないように相手の言動を隅々まで観察して先読みし、不機嫌にさせないようにする力。相手の欲求につけ込み、自分の駒にする力。そんな普通の生活では必要のない力に磨きがかかっていったのだ。
「今日から隣の席だね!よろしく!」
「うん!私は……」
「そうなんだ!僕の名前は…」
「なんだかすごく明るいね。私も元気が出てきた!毎年緊張してるんだけど…くんなら緊張せずに仲良くなれそう!」
「僕も君みたいな子でよかった。色々と楽しくなりそうだから…」
初めて自分と同年代の子と出会う少年。自身の経験的に味方を増やすことが集団生活を送る上での最大の利点だと考えた彼は、周囲の子に対して心を掌握していくようになる。
「はい、じゃあ〜……さん!この問題の答えを発表してもらおうかな」
「え!?えーっと…」
「答えは0.75だよ」
小声で隣の席の子を助ける少年。彼はすでに返報生の原理について理解しており、その布石を打っていた。
「あ!0.75です!」
「そう!正解!良くできました」
「ありがとね。……くん!」
人間は受けた恩がたくさんあればあるほど、その恩を受けた人からの要求は断りづらくなる。なんと彼は小学生からこれを用いて自分に最高なメリットがくるように仕向けていたのだ。しかも生徒だけではなかった。
「先生…。僕辛くって…。どうして生きてるんだろうって考えちゃうんです」
「今まで辛かったよね。でももういいのよ。好きなように生きていけるの」
彼の事情を知っている教職員は、彼に対して同情の念を与えた。すでに力のあるもの、すなわち大人は力のないものに対して一定の慈愛心を持つ事を知り、巧みに利用していった。都合が悪くなれば自分の過去を持ち出しては同情をさせた。怪しむ大人もいたが、事情が事情なだけに直接言ってくる者はいなかった。
そうして彼は人の心理に興味を持ち、次第にこの実験はエスカレートしていく。
ある程度まで表面上の友人が増えた頃。
「◯◯ってなんだか変だよね。いつも俺を変な目で見てきてさ。すげー不愉快だわ。なんかみんなも嫌いって言ってたし、あいつこの学校に要らないんじゃない?」
少年が周りの子全員個々に同じ事を伝える。みんなも、◯◯は変わってる、嫌な奴、そういう印象を相手の中に落とし込む。すると人間は他者から聞いた確証もないことにも関わらず、みんなが思ってると勘違いして、今までは何とも思っていなかったのが突然変わってるように見え、嫌悪感を抱く。そうなってくると彼にとっては一人の人間を脱落させることはいとも容易い。
人間は"共通の敵"を作った際に最大限の協力関係が構築される。これを知った彼は邪魔な奴は排除して、自分に利益のある奴だけ周りに置くようになった。こうなってくると、もはや学校は彼が治める国のようになったのだ。
しかし、彼の心にはいつもこの感情があった。
(生きるってなんでこんなに辛いんだろう)
親の呵責が判明した後、施設に送られた少年。なぜ自分は生まれてきたのか。自分の存在する理由は?普通の幼い子が思いもしない事を考えていた。暮らし易くはなったが、その中に自分の生きる理由を見出せない少年。
そしてさらに追い討ちをかけたのは送られた施設だった。施設に入っても彼の地獄は変わらなかった。表面上はなんらかの事情で親と暮らせない子を引き取り育ててくれる養護施設。しかし、その裏では酷い扱いをされていたのだ。痣などの証拠にならない程度の暴力、囚人以上にみっちり決められた生活スケジュール。彼にとっては四六時中監視されるこの生活の方が苦しかった。
しかし、学校という実験場で培った能力により、巧みに施設職員の様子を見ては先読みして行動し、味方を増やしながら自分に不利益が降りかからないように生活していた。
彼にとっては同じ施設の子は駒だった。厄災を回避するためにありとあらゆる手段を用いて、この駒になすりつける。
そんな生活を送っていた。目的のためならば手段は問わない。ただ最後、自分に完全な利益さえあれば他はどうなろうと構わない。そういう風に生活をした。
中学校になると、相手の心理を掌握し活用する力にさらに磨きがかかった。通常の子ならば思春期を迎えだすこの頃。淡い恋愛や熱い青春を謳歌する子が多い中、彼にとってはただの実験場になんら変わりはなかった。高次元の自己実現の欲求、男女の恋愛、これらはすべて彼のおもちゃになっていた。どうすれば相手の自己実現をつついて挑発、侮辱、促進、停滞、諦念、滅却させられるか、はたまたどうすれば女性が好意を抱くのか、その好意を抱いた女性はどこまで酷いことをすれば逆になくなるのかなど様々な実験を行い、人間の心理について経験で覚えていったのだ。
そして運命の日。一人虚しくそそくさと帰っていた時、ついに彼の頭に抱いてはいけない考えが浮かび上がった。
(人は死んだらどうなるんだろう)
帰路の途中にある知らないマンションに侵入して最上階へ一目散に走り、自分が暮らしていた街を見下ろしながら期待を胸に立ち尽くす少年。
(命が無くなる、死ぬ、消える、怖い、怖い、怖い、……楽しいな)
あろうことか少年は今まで本気で楽しいことを体験しなかったため、恐怖に震える身体、速くなる鼓動を胸の高鳴りと勘違いし、楽しいと感じてしまったのだ。
そこから先は死に対する興味が彼を満たした。それと同時に更なる心理掌握のために、言葉を磨いた。言葉を磨くために知識をつけた。そうして一人の少年、神楽才人が誕生したのである。
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