第5話 戦いの幕開け

 床で寝ることもだいぶ慣れてきた。アンネラがこの部屋に滞在して、二人での夜はこれで二回目だった。アンネラは相変わらず俺と同室にいることが気になっているのか、俺が寝ている方向へ体を向けて警戒しながら床についていた。

 しかし眠りに陥ると寝返りをしたのか今は別の方向を向いていた。いつもの習慣で、早朝に目覚めてしまった俺はギルドへ用があるため外出の準備と身のまわりの整頓をしていた。アンネラは昨日、俺が色々と探っている間にこの部屋で何かをしていたらしいが、特に部屋に変わった痕跡はない為、特に気にせず何をしていたかは追及しなかった。


(しかし昨日の疲れようは異常だったな。何か俺が見落としている点があるだろうか。)


 慎重に計画にミスがないかを改めて頭の中でシミュレートした。見落としている可能性はないかを何度も考えた。今日の動きは俺たちの命がかかっている。慎重にならざるを得なかった。

 今日は昨夜本人に伝えた通り、買い物をしに市場へ出かける日だ。特に何か必要というわけではないが、アンネラ王女をこのタイミングで外に出すことに大きな意味がある。

 だが、ここで大きな問題点がひとつあった。それはアンネラの格好だった。服装は俺が救出した時のままで、いかにも貴族ですとアピールしているかのような服装だ。

 服に関しては魔法で綺麗にしているらしく、着替えていない。このまま外に出ては神殿騎士団パラディンとかそういう問題ではなく、単純に目立ちすぎて危険だ。そのため、俺は以前受注していた布を使い、いわゆる普通のローブを作成していた。縫術は得意ではないものの、自分でやらざるを得ない状況下にあったため、人よりは出来ると自負している。モスの赤い宝玉を用いて、幻術を組み込んでもよいが、この残り一つの宝玉は別の用途で使用するため、今が使い時ではない。それと、アンネラ王女はあくまでもアンネラ王女として外に出てもらわなくては意味がない。

 そうこうしているうちに、ローブが完成した。あまり目立たぬようにということで、黒色のフード付きローブを作成した。この世界の布は便利なもので、着用すると自動的に装着者の採寸に合わせて伸縮するため、特に身体のサイズを知らずとも衣類が作成できる。

 アンネラはまだ起きてこない。何があったかは知らないけど、無理に起こす必要もないので俺は部屋を出て、ギルドの方へと足を運んだ。

 街は昨日となんら変わらぬ雰囲気だった。レオンザード王は俺、もといクロムの忠告を聞き、むやみに神殿騎士団を動かしてはいないようだ。だが実際、まだ油断できない部分がある。俺が去った後に王が考えを変える可能性があるため、それを想定して動かなければならない。その事態に対応するため、先にギルドへの用件は済ませておきたいところだった。


 ギルド内へ入ると、いつも通り冒険者でにぎわっていた。受付のカウンターに、昨日は見られなかった大きな人影があった。


「よう!また草取りクエストか?お前もほんと物好きなやつだな」


 また、でかい声で話しかけてくる。しかし、今日は早朝で皆がクエストを受注しているということもあり、ギルド内はてんやわんやになっている。そのおかげか視線は俺の方に集まりはしなかった。


「今日はクエストの用件で来たんじゃない。実は紅月の館について話がしたい」


 いつもはクエストを受注する際には決まって草取り小僧という名で呼んでくるため、俺が軽くつっこみを入れるところから始まるが、今日は行なわなかった。真面目なトーンで返答したため、その意図が伝わったのかダグラスの表情から笑顔が消える。


「分かった。場所、変えるか」


 受付から外側へ出てこちらに来ると、ついてこい、とギルドの二階へと案内された。二階は基本的に冒険者は立ち入らない部屋だ。ダグラスさんの自室として使用されているため、本人以外は滅多に出入りしない。そんな少し異常な風景に周りの冒険者も二階へ上がっていくダグラスさんを目で追っている。

 部屋に入ると小さなテーブルが真ん中に置いてあり、向かい合うように座椅子が置かれていた。ダグラスさんは奥、俺は手前へと座った。


「で、どうしたんだ。宿泊の延長要請か?」


 ダグラスさんはこんなガタイのいい格好をしていて、知らない人が見るとかなり圧を感じるが、見かけによらず面倒見がいい。俺が宿泊している宿の名前を出すと、ダグラスさんの好意で泊めてもらっているため、延長要請をあの場で受け入れることはできない。他の冒険者へ示しが付かないため、俺をわざわざ自室へ呼んだのだろう。


「いや。違うんだ。…実は、明日頃にこの街から出ようと考えているんだ」


 自分が想像していた内容と真逆の内容が俺の口から出てきて困惑しているようだった。

 しばらく無言の時間が続く。ダグラスさんが俺にこんなに肩入れしてくれるのも恐らく俺の過去にあった出来事が関係しているのだろう。まるで、若くして家を出る娘かのように俺を心配している。


「なぜこの街をでるのか、理由を聞いてもいいか?」


 ダグラスさんなりに葛藤していた部分はあるのだろう。たくさん考えた末に、まずは理由を聞いてから判断するという考えに行きついたようだ。


「とある事情で俺はもうこの街にはいられなくなるからだ」


 本当のことを言ってしまえば、今度はダグラスさんにも危機が迫ってしまう。詳細は伏せるしかなかった。しかし、そんな濁された理由で納得するはずもなかった。


「とある事情ってなんだ。お前、そんな大層なことやらかしたのか?」

「まだ、やってはいない。だが、これはある人を助けるためにしなければならない事なんだ」


 これ以上は聞かないでほしい。俺の気持ちを汲み取ってほしい。そんな雰囲気を出して話した。再び沈黙が訪れる。ドアの外から、若干聞こえてくる冒険者たちの声が気まずいこの空間を中和してくれているようだった。


「……分かった。でも、お前の行き先だけ教えてくれ。それだけは譲れねぇ」


 大の大人が涙目になっている。俺が世話になったこの三年間。ダグラスさんの支援がなければ俺はここまで生きていないだろう。曲がりなりにも、血は繋がっていないが親子と言えるくらいの関係にはなっていた。これが親という生き物なのだろうか。親は子を心配するものなのか。


「エルメスへ向かうつもりだ」


 商業都市エルメス。海浜部に位置しており、多くの国々と取引を行い、また貿易の中継地になっている大都市だ。ここから近くはないが、一応隣国ということになっているため、そう遠くはない。このヘルメスもまた、七英雄の守護者の一族であるランバード家が治めている。クロワール家の魔力のように特に秀でている部分はないが、商業都市といわれるだけあって、一族はそれぞれ生粋の商売センスに長けた一族だとは聞いている。


「資金は足りるのか?何か必要な物はないのか?」


 真っすぐ俺の目を見つめてくるダグラス。俺はそんな真摯な目線に耐え切れなかった。もうこれ以上、ダグラスさんの世話になるわけにはいかない。


「大丈夫だよ。ほんとに三年間お世話になりました。俺は、この世界で幸せに生きていきます」


 そう言い残すと、俺はすぐさま立ち上がり部屋を出る。閉まる扉の隙間から見えるのは、ただただ下を向くダグラスさん。表情は見えなかった。

 階段を降りて、改めてギルド内を見回した。


(お世話になったこのギルド。もう、ここへ来ることはないだろう)


 ギルドを出ようと、出口へ向かうと受付嬢を担当しているサーラさんがこちらへ慌ててやってきた。どうやら受付での俺とダグラスさんとのやり取りの中で、何か感じたものがあったらしい。


「サイトくん。何があったかは聞かないけど。これだけ受け取って欲しい」


 差し出してきたものを見ると、それは小さな袋に入った金貨、すなわちお金だった。


「これ以上、ダグラスさんの世話には……」

「私からの贈り物だよ。ダグラスは関係ないわ」


 俺の返答を予測していたかのように、俺を遮って言い放った。今まで見たことは何回もあるが、普段伸ばし口調のサーラさんがここまで真面目になると、やはり拒否することは出来なかった。

 黙って受け取り、アイテムボックスへとしまう。金貨を包む布には、まだほのかにサーラさんの温もりが残っていた。


「それでいいの。……またね!」


 サーラさんも俺の事情は全て知っている。過去に何があったのか、前の世界で何があったのかを。それゆえにここまで支援をしてくれるのだろう。

 俺のこの世界での親代わりだったダグラスさんとサーラさん。付き合いは本当の家族と比べて短いものの、やはり何も言わなくても伝わるのか、サーラさんもまだ何か言いたげだった。しかし、クエスト受注で忙しいこの早朝に長く担当場所を離れてしまっては他の受付嬢にも迷惑が掛かってしまうからなのか、颯爽と戻っていった。


(また会う時がいつかは分からないけど、お元気で。)


 俺はギルドの出口の真正面に立ち、一礼する。このギルドには本当にお世話になった。いいカモだった。俺の駒になってくれてありがとう。そういう意味での一礼をした。

 俺は軽い足取りでギルドを出て、紅月の宿まで戻った。


 人間という生き物はとても面白い生き物である。俺が日本にいたころは、動物園などという珍しい生き物や、普段見ることが難しい生き物を展示している施設があったが、俺にとって一番珍しくて面白い生き物は人間だ。それは異世界になっても変わらない。

 人間の心理というものは、合理的で理性的に働くものだと認知されているが、実はそうではない。自分の中では合理的に考えているつもりでも、それは結局、本能的に、また過去に培われた道徳心というご立派なものにより偶発的に行っているに過ぎない。

 人類が誕生し、ここまで発展してくるのに多くの争いがあった。言葉という意思疎通の手段を得た人間は、優劣の順位、つまりプライドの主張に走ったのである。マズローの基本的欲求のように、衣食住が安定するとより高度な欲求が発現する。そんな罪深い生き物である人間は互いにどちらが上なのかと身分を作るようになった。当たり前だ。今の人類になる前の旧人の段階で集団生活を送っていた人間は、集団生活をするにおいて責任は付くものの、何かしらのカタチで自分の力を証明したものは群れの中で上の身分となり色々な物資を得られる。このことがすでにインプットされているため、人間は無意識に高位な存在になろうとし、楽したがる。仕方がない。これらはすなわち古典的条件付けにより誘引されているといっても過言ではないだろう。

 優しさも同じだ。人間はそうした高位な者と争うために、群れを作る。その中で誰かが困っているときに、別の誰かが助ける。それは優しさか?いや、違う。優しさは巡ってくる、借りをつくるという言葉があるように、誰かに優しさをかけるとき、人間は見返りを無意識に期待しているのだ。

 だから俺はダグラスさん、サーラさんを利用した。

 俺は突然この世界にやってきて、右も左もわからずうろうろしていた。当然俺も人間ではあるため、動けばその分エネルギーを消費する。歩けど歩けど道は続くもどこだか分からずさまよっていた俺を見つけてくれたのはダグラスさんとサーラさんだった。その時の俺は何日も飲まず食わずで歩いており、かなりやせ細っていた。服装や髪形も不整だった俺を見て同情心が湧いたのだろう。優しさのつもりか俺を助けると言い出し、三年も面倒を見てくれたのだ。この人たちが珍しい部類だとは思うが、ここまで優しさをかける人も少なくはない。

 俺はそんな優しさが大嫌いだった。優しさは嘘であり、培われた道徳心によるものであり、そして確実性が無いからだ。そんな大嫌いな優しさをかけてくるこの二人を利用しようと考えたのだ。利用する際にも細心の注意を払った。人間は自己愛が異常に強い生き物の為、自分自身の身に厄災が降りかかれば、すぐに手のひらを返す。要求しすぎず、断りすぎずを調整して、俺をどんな状況になっても見放さないように操作していた。仮に奴隷制度という者があり、奴隷にされようものなら頃合いを見て殺そうとも考えていた。

 俺にとっては所詮そんな存在だったため、なんとも思わなかった。むしろ、こんな大金を渡してくれたので、旅立つ俺にとってはラッキーだった。



 紅月の宿に到着した。すっかり辺りも明るくなっており、日本で言う午前8時ごろといったところか。日頃から午前中の出入りが激しい俺は、なにせ約三週間も宿泊しているため、紅月の宿の宿主やどぬしには絶大な信頼がおかれている。本来ならば、出入りの際に受付の方へ一声かけなければならないが、一礼するだけで自分の部屋へ上がることが出来る。さらに、アンネラの存在もバレていない。もしアンネラの存在を伝えてしまうと余計なところで情報が漏れる可能性もあるし、二人分の料金を支払わなければならないためだ。最終的な支払いもダグラスが行うため、ダグラスにバレてしまう可能性もある。

 部屋に入ると、朝日に照らされて煌びやかに輝く純白の肌色がすらりと立っていた。一瞬この部屋の時が止まったように感じた。よく見るとそれは下着姿のアンネラだった。手にはいつも着用している白いドレスを持って、今まさに着ようとしている。どうやらアンネラは朝のシャワーを浴び終え、ちょうど着替中だったようだ。


「――――!」


 ひきつったように息を大きく吸い込み、顔が真っ赤に染まる。途端に俺に背を向け小さくしゃがみこむ。


「あ、着替え中だったのか。ごめんね」


 俺は入り口の扉が閉まる前に、再度ドアを押しのけ部屋を出る。本来であればこれは重大な国際問題となっていただろう。王女の露わになった肌を見たともなれば由々しき事態だ。

 なんて謝罪しようかと悩みながら部屋の前で待っていると何やら下の方が騒がしい。聞いたことのある声が、宿屋の受付に対して何かを要求しているようだった。

 正確に聞き取るため、階段の近くまで足を運ぶ。この紅月の宿は二階建てのため、階段の踊り場近くで身を潜めていれば、相手に気づかれることなく目撃することが出来る。慎重に顔だけ壁から出すように覗き見る。

 するとそこには立派な白銀の鎧を纏い、背中には大剣を背負ったいかにも剣士ですという男がいた。あれは神殿騎士団団長のベルナルドだ。王からは慎重に行動せよと命令が出ているはずだったが、大胆にも紅月の宿まで赴き、加えてその宿内に入ってきて宿泊者リストを見せろともめていたのだ。


「この紋章が分からないのか!?俺はクロワール家直属の神殿騎士団だぞ!いいから、現在宿泊している者の名前を教えろと言っているんだ!」

「たとえ神殿騎士団様であられようとも、お客様の個人情報をお見せすることはできません。これは、全ての国の宿で共通事項です」


 神殿騎士団ということを全力でアピールしながら、宿泊者の名簿を見せるように要求していた。いや、あれは要求というよりも脅しに近いともいえるな。

 埒が明かないベルナルドは背中の大剣を抜き、受付に刃を向ける。


「次はないぞ小娘。今すぐ宿泊者の名簿リストを提出しろ」

「ですから……私の権限では、そのようなこと……」


 その瞬間、ベルナルドの大剣は受付嬢の腕を貫いた。赤い血が周囲に飛び散り、受付嬢はその場で倒れこむ。いくら何でもやりすぎだ。何をそんなに焦っているのだろうか。


「次はないと言ったはずだ。急所は避けてやったんだ。立て。二度は言わないぞ。さっさと名簿をよこせ」


 倒れている受付嬢に対して、再び剣の先を向ける。何と命令を下されたかは分からないが、相当焦っているようだった。

 ここで受付嬢には死んでもらった方がこちらに得があるため放っておきたいところだが、俺は以前計画した内容よりも面白い案を思いついたため、それを実行することにした。

 すぐさま幻影の仮面を装備し、クロムになりきる。


「おやおや、あなたもここにいましたか。騎士団長殿。なにやら手荒な方法で命令の遂行をされていますね。穏便にと言われたはずですが?」


 俺はゆっくりと階段を下りていき、クロムになりきって話す。ベルナルドは受付嬢をにらんでいた目のままでこちらへ振りむいた。まずいやつに見られたと思ったのか、急に慌てたように剣をしまう。


「ク、クロム殿。なぜここに…」


 この俺、クロムは王からの命令を知っている者であり、この状況を王に報告できる者でもあるため、まずいと思っているのかバツの悪そうな顔をしている。命令に背いて行動していたという意識があったことがハッキリ分かった。


「仮にも神殿騎士団ともあろう人がまさか、民間の方に命令もなしに傷つけるなんてことしませんよね?」

「くっ……」


 部が悪いと思ったのか、後ずさりしながらこの宿から去って行った。俺は外のベルナルドが完全にこの紅月の宿から離れるのを足音で確認した後、受付嬢のもとへ向かう。

 幸いにもベルナルドの言う通り、急所は外れているらしく、出血量もそこまで多くはなかったが、出血を見たショックなのか気を失っていた。

 俺はすぐさまアイテムボックスから回復薬を取り出し、患部に振りかける。

 見る見るうちに傷は塞がり、元通りのきれいな腕となった。

 この回復薬は通常通り合成したものではないため、普通の回復薬よりも効き目が圧倒的に早い。たぶん俺だけしかこの製法は知らない。

 ひとまず、受付嬢の呼吸と脈があることを確認した後、仮面を外し自分の部屋へと向かう。

 今度はミスを犯さないように、扉をノックして一声かける。


「そろそろ入ってもいい?」


 罪悪感は多少あるものの、下着姿であって全部を見たわけではないし、王女ということさえ除けばぎりぎりセーフだろうと思っていた。

 ゆっくりと扉が開く。


「いいわよ。入って」


 アンネラの許可を得られたため、扉を開け中へ入る。すると、ちょこんと椅子に座りもじもじしだすアンネラ。かなり気まずそうだ。俺は謝罪代わりにアイテムボックスから例の物を取り出し、アンネラに渡す。


「お詫びと言っては何だけど、これ君にあげるよ。そんな恰好じゃ動きづらいだろう?」


 今朝完成したお手製の黒ローブに、動きやすいようにと普通の靴をアンネラの目の前に差し出す。

 顔はこちらを向かずに下を向いたままだったが俺の贈り物はきちんと受け取ってくれた。

 そんなに気を落とすことなのだろうかと疑問に思っていると突然顔を上げ、真っ赤な顔でぽつりとつぶやいた。


「王女の肌を見たのに何なのよその態度。誰にも見られたことないのに。……でも私も、昨日あなたの帰りが遅かったから油断していたわ」


 女性にとっては肌を見せるとはそんなに大変なことなのだろうか。日本にいたときは少なくともそんな風には感じなかったが。この世界特有かもしれない。

 ひとまず、ベルナルドの事もあるのですぐさま動き出したい俺は、なだめるために謝罪の言葉を並べた。


「いや、僕の方こそノックもせずにごめん。昨日もしてなかったよね」


 とりあえず罪の気があるという態度だけ見せておく。


「いいのよ。私もあなたに頼りきってる立場なんだし。私をここまで守ってくれているってことでチャラにしてあげるわ。本当は王女の肌を見たなら即刻死罪なんだからね」


 そういうと、立ち上がり隣の寝室へ向かっていった。王女の肌を見たら死罪か。ずいぶんと重い罪だな。そこに意図がなかったとしても死罪になるのだろうか。

 とりあえず俺もすぐさまこの宿から出られるように荷物をまとめた。約三週間滞在したこの宿ともお別れだ。

 準備を終え、あとは出発という状態でアンネラを待っていると、しっかり渡したものを装着したアンネラがやって来た。フードを深く被っているため、かなり目立たぬようにはなっていた。


「よし。じゃあ昨日も伝えたけど、僕らはここを離れて別のところへ向かうからね。その道中に市場があるから、そこで必要な物を買いそろえよう」


 こくりと無言でうなずく。アンネラには念のため、いかなる時でも外では声を出さないようにと伝えてある。彼女もよっぽど警戒しているのか室内にも関わらず声を発しなかった。アンネラはなるべく自分の顔が外部から見えないように下を向いたままでいる。このままでは前が見づらく、人ごみに入るとはぐれてしまう恐れがあったため、アンネラの手を取り俺が先導するカタチで外へ出た。

 第一関門としては宿を抜けるときにある。宿を出る際にはひと声かけなければならないルールがある。それがちょっとした外出でも適応される為、たまたま宿泊していた客がそこら辺を外出していく風を装うことはできない。

 ここは多少強引な方法で突破するしかない。手順としては、アンネラは受付の待合椅子に座り、ロビーで誰かを待っている風を装う。そのタイミングで俺が何とか受付嬢を奥へと追いやり、その間に入口を通り抜けるというものだった。

 まずは、お互いに別人という印象を与えるため、俺が先に階段を降りて後からアンネラが降りてくる。俺は予定通り受付嬢に話を付ける。


「すみません。この宿の清算をお願いしたいのですが」

「はい。一名様で宿泊されているカグラ様ですね?料金についてはダグラス様がお支払いとの事で、滞在予定期間の四週間よりも早いご出発となりますがよろしかったでしょうか?」

「ああ。構わない。それと…」


 ここで俺は咄嗟に機転を利かせ、受付嬢を何とか奥へ追いやる。幸いにも今は一人しかいないため、予想していたよりも簡単に事が運びそうだ。


「さっき腕を刺されて倒れた受付嬢がいただろう。実はその現場を目撃していた。犯人の顔も見ている。証言させてくれないだろうか?」

「本当ですか!?どうぞ奥でお話しください」


 さきほどベルナルドが事件を起こしてくれて助かった。王へ謁見した際の挑発が多少効いたのか、どことなく焦っていた。

 人間は高い地位を手放したくないがために、上から命じられたことには上手くやらないと、評価が下がってしまうと恐れる生き物だ。だからあの場で挑発をした。すると奴は事を焦ってこの紅月の宿まで必ずやって来ることは簡単に想像できた。そして、宿泊者から洗い出そうとするだろうが、この世界の宿屋は宿泊者の名前は決して外部に漏らしてはならないというルールがあった。ただ特例があって、その都市を治める王からの勅命の場合のみ、情報を開示するそうだ。

 そして情報が得られないベルナルドは焦って何か事件を起こすだろうと考えていた。しかしまさか、民間人を切りつけるところまでやるとは想像していなかった。こちらとしてはあのまま受付嬢を殺してもらった方が、騒ぎに便乗して逃げられるため俺たちにとっては得だったのだが…。

 そうして俺は奥へと案内される際に、アンネラに両手で指示を出す。それを確認したアンネラは宿屋の外へと駆け出して行った。

 俺は奥で事の顛末をすべて話した。神殿騎士団の名前を出すと少し驚いていたようだったが、レオンザード王から勅命を受けていないためけがをした受付嬢の対応は正しい、と少しベルナルドに対して怒りを覚えていた。

 その後予定通り清算処理を済ませ外に出る。

 入口の前では、アンネラがきょろきょろ辺りを警戒しながら待っていた。黒いローブを身に付けた者がこんなあからさまにあたりを見ていると怪しさ満点だ。


「そんなに周りを見ない方がいいよ。かえって怪しまれるからね。大丈夫、落ち着いて普通を装うんだ」


 相当怖がっているのだろうか。アンネラの立場にしてみれば見つかり次第捕らえられて、即刻殺されてしまうのだから無理もない。俺は再びはぐれないようにとアンネラの手を取り、まずは市場へと向かった。

 通り過ぎる人たち一人一人に怯えているアンネラ。誰かの足音が聞こえてきただけで、握っている手が震えだす。


「大丈夫だ。俺の計画に滞りはない。現に今の今まで失敗した事なんて何一つない。だから安心して」


 アンネラの不安を払拭してあげるべく、彼女にも聞こえるようにつぶやく。アンネラはゆっくりと頷くものの、まだ恐怖は消え去っていないようだ。

 あたりを見回しながら順調に進んでいく。市場が近づいてくるにつれて、すれ違う人で冒険者の数も増えてきた。一般の冒険者においても剣を扱うような者はベルナルドのように重装備をしている者もいる。しかし、神殿騎士団は特徴のある紋章がある。盾の中に鷲が描かれた紋章だ。それが防具についているため一瞬で他の冒険者と区別をすることが出来る。

 俺はその紋章を付けたものがいないかを慎重に見分け、着実に目的地の市場へと向かっていた。もうすぐ着くぞと告げようとした時、後方から人の視線を感じた。


(確実に見られている…。)


 ここまで僕らを付けてきていたのだろう。正確に僕らと一定の距離を保ちながらついてくる。間違いない。ベルナルドだ。

 ここまで計算通りにいくものかと自然と笑みがこみ上げる。

 ベルナルドは恐らくだが、かなりプライドの高い人物だ。いつも王から頼りにされており、国一番の騎士として、王の右腕として誇りをもって過ごしていたのだろう。そこで突然現れたクロム・ノワールという人物。正体も分からぬ相手に言いなりになる王。これを見て普通の人間は、次第に頼りにされなくなった自分に危機感を覚え、必ず名誉を挽回しようと躍起になる。そして、先程の宿屋での事件。あそこで俺がクロムとして姿を見せたのは、ヤツに“クロム・ノワールが紅月の宿周辺にいる”という事実を刷り込ませるためだった。そうすることにより、ヤツは表立った行動は出来なくなる。クロムがレオンザード王へ報告してしまうとさらに自分の信用が落ちてしまうからだ。そして次に奴がとる行動は、隠密を実行して怪しいものを見つけようとするだろう。単純な奴ほど操りやすい。


「急遽変更だ。少し人の少ないところへ向かう」


 ベルナルドが俺たちを尾行し始めた段階で、アンネラに聞こえるようにつぶやく。ここでベルナルドに尾行されていなければせっかくの面白い計画が台無しになってしまうため、ひやひやしていたがなんとか僕らを見つけてくれたようだ。

 黒のローブは確かに目立たないが、冒険者が多いこの地区では逆に目立ってしまう色だ。人を隠すなら人の中へという言葉があるように、人は人の集団にまぎれたほうがかえって見つかりにくいということだ。俺はそこを逆手に取った。冒険者の多いこの街は、ローブ単体を装備してクエスト受注する者は少ない。しかも、顔を隠す必要もない為、顔が見えないのも余計に怪しさを醸し出せるというわけだ。ベルナルドが“使”で本当に助かる。

 こみあげてくる笑みを抑えながら人気ひとけの少ない方向である街の隅へと向かっていく。人とすれ違う回数も減ってきたため、アンネラの手の震えも次第に収まってきた。

 街の最端に来ると、そこは街の城壁の資材なのか分からないが色々なものが積み重ねられた、いわゆる資材置き場のような場所へ来た。


「おい。いい加減に姿を現せよ。わざわざこんな人気ひとけの少ないところまで来てやったんだ。ベルナルド」

「ッ!!!!!!!!」


 ベルナルドという言葉に咄嗟にアンネラの体がビクッとなり、繋いでいた手も一層握る力が強まる。予想だにしない神殿騎士団の名前が出たことに驚いているのだろう。


「貴様何者だ。どうやって俺の尾行に気づいた。それになぜ俺の名前を知っている」


 建物の陰に隠れていたベルナルドが姿を現す。ヤツにとっては神楽才人かぐらさいととして姿を現すのは初めてであるため、見知らぬヤツに尾行を気づかれていたという事実が彼を一層警戒させた。すでに大剣が抜かれており、こちらに刃を向けながら歩いてくる。

 ベルナルドの姿を直視したアンネラは、スッと俺の後ろへ隠れる。


「まぁいいや。お前が誰であろうと関係ない。その後ろの黒ローブの奴。お前に用がある」


 大剣を真っすぐアンネラの方へ向け、怪しそうにこちらをじろじろと見てくる。


「おい。そこの後ろの奴。俺に顔を見せろ」


 剣の間合いまで来たのか、俺たちの真正面に立ち、顎でアンネラを名指しする。アンネラは首を横に振り、要求を拒否した。


「俺は神殿騎士団だ。二度は言わない。素性は知らないが神殿騎士団に逆らうということはどうなるか分かってるよな?」


 今度は大剣を両手で構えて腰を落とす。日本にいたころに読んだ本のなかで出てきた西洋剣術の雄牛の構えのような形だ。明らかに何かの攻撃の合図だ。分かり易い。


「お前が探している人ってこいつだろ?」


 俺はそう言い放つと後ろに隠れていたアンネラのフードを取り去る。中に綺麗に収められていたきれいな金髪が宙をなびく。

 アンネラは自分の守り要だったフードを外され、神殿騎士団に自分の事がバレてしまったことに動揺していた。


「やっぱりお前が例の護衛か。俺の名前を知っているということは、その女がどういうやつでどういう指令が出ているか知ってて手を貸してるってことでいいんだよな?」

「ああ」


 アンネラを左手で庇いながら、右手で腰の小刀を抜き出す。ベルナルドの実力が分からないため、注意深く相手を見つめた。


「そんな小さいナイフみたいなんでどうするつもりだ?見たところずいぶん若そうだし、やめときな。命がもったいないぞ。お前は俺に勝てねぇよ」

「あんたこそ無駄に重そうな剣で何が出来るんだよ。それにずいぶん年を取ってそうだし、そんなんじゃ動けねぇだろ」


 奴は挑発に弱いことをすでに知っている。ベルナルドも一応、クロムの忠告が耳に残っているらしく、簡単には仕掛けてこない。


「いいから大人しくそいつを渡せ。お前にとっても悪い話じゃない。そいつを見つけた報酬くらいはくれるだろうよ」

「金はこの後に色々と調達できる予定があるもんで必要ないな」

「あくまですべての事情を知ってそいつの肩を持つんだな?」

「何度も言わせるな。俺がこの小刀、雷疾虎徹らいとくこてつを抜いた時からそのつもりだ」


 そう言うと、構えていたベルナルドの左足がものすごい速さで地面を蹴り、まっすぐにこちらへ切りかかってきた。見かけによらず俊敏な動きだ。ギリギリのところで虎徹を正面に構えベルナルドの刃を受け止め、弾き飛ばす。間違いない。こいつ、身体強化の魔法をかけている。


「ほう…。今の攻撃を止めるとは。どうやらあの胡散臭いやつが言っていた相当の手練れというのはあながち間違いではなさそうだ」


 余裕の笑みを浮かべている。さっきの攻撃は小手先調べだと言わんばかりに、今度は大剣を自分の正面に立てるように構え、何かぶつぶつとつぶやいている。やはりクロワール家直属ということもあり、予想通り魔法を多用してきそうだ。

 長期戦になると魔法に長けている奴のほうが有利になるため、再び挑発する。


「いいから本気で来いよ。おじさん。神殿騎士団なんて所詮そんなしょぼい攻撃しかできないんだろう?」


 今回の挑発は効いたのか、みるみる表情に覇気が宿っていく。どうやら奴は神殿騎士団を馬鹿にすると挑発に乗ってくれるらしい。

 横目でアンネラを見ると、ベルナルドの実力を知っているのか、恐怖で体が完全に固まっていた。


(そうだ。今は俺一人じゃない。アンネラが隣にいる。)


 改めてこの戦いの難易度を再認識した。あまりにも計画に滞りが無い為、どこか有頂天になっていた。ここで俺が負ければすべてが終わる。恐らくアンネラの存在を知っている俺も口封じとして殺されてしまうだろう。全力で戦うしかない。

 俺はこのままここで死ぬわけにはいかない。あの目的を達成するために…。

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