第2話 クロワール家

 無事に宿泊地の“紅月の宿こうげつのやど”に到着した俺は、すぐさま明日の準備へと取り掛かった。ここ王都アウジールでは、王宮があるためか交通網が整っており、多くの物が出入りする大都市である。そんな大都市で生計を立てるために、必死でクエストをこなす冒険者にとって、武器というのは自分の命を守ってくれる大切なものだ。だからこそ、その手入れを怠る者は自分の命を粗末にする者と同義と取れる。必死に小刀の研磨と明日のクエストで使う予定だった、布の補修を行なっていた。気づけば大都市も静かに寝入る夜更けとなっていた。

 いつもの就寝時間をとうに超えている。早めに床に就きたいと考えていると、なにやらベッドの方が騒がしくなったので、手入れ作業を止め、ベッドの方へ向かった。見てみるとそこには両手両足を縄で縛られ、おまけに口までもが布で塞がれている女の子が横たえられている。なんてひどい。いったい誰がこんなことを。

 ……俺だった。さきほどの小路地でちょっとだけ痛い思いをして気を失ってもらった少女だった。あの後、丁寧に止血し、お得意の最終クエストで集めた薬草の一部を毎回、回復薬に調合していたので、それできれいにしてあげた。目を覚ました時、騒がれても困るので、拘束した状態で、俺の止まっている部屋のベッドに寝かせていた。

 目を覚ました少女は、自分の状態に驚き、なにが起こったのかと混乱しているかのように、ジタバタしていた。話せない状態だと、こちらも困るので、解放してあげよう。


「拘束具はすべて外すね。そのかわり、君の存在がばれると困るから騒がしくしないでね。」


 きっとさきほどの事を覚えているだろうから、怖がらせないように、満面の営業スマイルを女の子に向けた。彼女は俺の顔を見るや否や、全身の血の気がサッと引いたように真っ青になり事の顛末を思い出す。しまった。笑ったことにより、かえって一層狂気の殺戮者として女の子の瞳に映ってしまった。

 彼女は恐れおののいたのか、恐る恐るゆっくりと頷いた。全てを外すと彼女の饒舌ぶりが炸裂する。


「わ、わたしをどうするつもり!?というか、あれからどうなったの?何でわたし、生きてるの?」


 勢いよく質問が飛び出す。しかし、体はどこか恐怖によって縛られているかのように小刻みに震えている。まるで獲物に狙われた雛鳥のように、体は震えながらも口はパクパクと元気に動かしていた。大丈夫、俺は怖くないからそんなに怯えないで。と心で祈祷しながら彼女に近づく。


「突然の出来事で混乱していると思うけど、とりあえず落ち着いて。俺に君を殺したり何かしたりする気はないから。」


 そう声をかけると、不思議そうな顔でこちらを見る女の子。どこか胡散臭いな…と言わんばかりに疑っている様子が見てわかる。


「君を助けるって言っただろ?しっかり安全な場所まで、安全な経路で運んできたから安心してよ。」


 俺が慣れない手つきで女の子を安心させてあげようと声をかけるも、俺の努力はむなしく、聞きたいのはそんなことじゃないと言わんばかりにかみつくような声を荒げる。


「助けるも何も突然私に傷をつけて、よくそんなことが言えるわね!?」


 なんだ、意外と元気だな。これなら俺も頑張る必要はないか。彼女の様子は震えながらも俺に勇ましく向かってくる。体の震えは武者震いのようだ。彼女にいつまでも怯えられているようでは今後の計画が一向に進まなくなるため、まずは彼女の信頼を得ることが先決だ。


「ここは紅月の宿。俺が3週間前から滞在している宿屋だ。そして、傷は回復薬で綺麗に治しておいた。効率よく移動するためにあえて刺したんだ。ごめんね。」

「……。なんでわざわざ刺すのよ!死んだかと思ったじゃない…。」


 少し涙目になりながら大きな声で叫んだ。隣にいるから、そんな大声じゃなくても聞こえるのだが。よほどあの出来事が彼女の中でおぞましいものだったのだろう。うつむいたままでボソッとつぶやく。


「あなた、わたしが誰だか知ってるの?もし知っててやってるなら、命知らずの大馬鹿も…」

「知ってるよ。アンネラ・クロワール王女でしょ?」


 俺は食い気味に答えた。実際、この街でアンネラ王女を知ってるのはごく僅かだろう。彼女は王女ではあるものの、第三王女に位置しており、公の場にはまず姿を見せない。俺も彼女に実際に会うのは初めてだ。

 自分の素性をしている人に初めて会って驚いたのか、うつむいていた顔はまっすぐ俺を見つめていた。少しは信頼されただろうか。


「どうして知ってるの?私の存在は公になっていないはずよ?」


 驚いた表情と共に、どこか警戒心を持ったのが垣間見える。素性の知らない男が自分の事を知っているのだから怖くて当たり前か。


「残念だけどそれは秘密。今は答えられない。」


 話してしまってもいい気はするが、彼女に話すと計画が失敗するリスクが僅かながらにもある。それを考えると今は話すことが出来ない。それに、彼女自身にも危険が迫る可能性がある。


「ほんとに不思議なやつね。王家の身と知っていながらもかかわってくるなんて命知らずにもほどがあるわよ。」


 だいぶ落ち着いてきたのか、彼女の表情に少しだけ笑みが戻った。確かにこの町、アウジールを治めているクロワール家は色々と表には出していない事がたくさんあると噂になっている。現にこの第三王女も隠されていたことから、何やら国民が知ってはいけないことがたくさんあるのだろう。


「何も知らない人間を助けるほうが俺は命知らずだと思うけどね。」


 今度は営業スマイルじゃなくて彼女の笑みに答えるように、俺も少しだけ笑って答えた。

 個人的には、何も知らないやつにかかわるほうがデメリットは多い。助けた後に何か俺にメリットはあるのか、または助けたやつが実は極悪人で逆にやられるなんて話もあるくらいだ。

 そう心の中で反論していると、次第に彼女の表情が怒に染まっていく。ほんとに感情豊かな子だな。


「助けるにしたって、なにも刺さなくてもいいじゃない!ほんっとに痛かったんだから!」


 思い出したかのように、怒をあらわにしながら言う。一応は王女という立場だから、こういった自分の身が傷つくなんて経験はほとんどしていないのだろう。冒険者をやっているとそういった傷なんてものは日常茶飯事の為、俺にとっては普通なんだが。


「足手まといになるから気を失ってもらったんだよ。効率性やその後の動向を考えると、ああするしかなかったんだ。」


 俺の意向がなかなか伝わらない。どう考えてもあの場ではあの手段が正解だ。現にここまで安全に運べているし、追手も来ている様子はない。大成功だというのに何が不満なのだろうか。


「あのね。一応王女って身分なんだから一通りのことは出来るわよ!足手まといになんてならないし、何もあんな手段取らなくたって……。」


 王女だからきっと何もできないだろうと思われたくないのか、しっかり反論してくる。正直君が俊足だろうが、超人だろうがそんなことは関係なく、あの場では間違いなくあの方法が正解なんだ。それを伝えるために彼女に一から説明した。


「まず気になったのは靴だ。君はあの時、ヒールを履いていた。走りづらかったのか、右足のほうが震えは強かった。だいぶ重心を右にかけていたんだと思う。そして、こんな城と対角線上に位置している方面まで逃げてくるなんて、よっぽどその追手はしつこいんじゃないのかい?そういう状況だから君はきっと計画的に逃げたんではなく、咄嗟に何かから逃げたんだよね?」


 ヒールで逃げるのもおかしいし、何より格好がどう見てもどこかの貴族ですと言わんばかりの純白な白いドレスを身に付けている。首には大きな赤い宝石が入ったネックレスまでつけてるし。そんなどう考えても逃げにくそうな格好で逃げようと計画する奴はいないだろう。


「あなた意外とよく見てるのね…。にしても抱えて行くとか、何か別の手立てを考えてほしかったわ。」


 抱えていくなんて滅相もない。それこそ、確実に抱えた俺が人さらいに見えてしまうだろう。そもそも、その格好の時点で移動方法は一択に絞られる。


「そうだね。でも、君には曲がりなりにも王家に属するものだ。だから君にもあるんでしょ?あれが。そのせいで君が生きていることが筒抜けなんだから、追手をこれ以上増やさないためにも君をいったんロストする必要があったんだ。」

「っ!?どうして家紋のことまで知ってるの?あなたはいったい…。」


 今日一番の驚いている表情だ。

 王家にかかわる者のみが知る王家の紋章。これを知っているということは少なくとも何らかのカタチで王家の者とつながっていることが証明される。

 この王家の紋章は元々、執事や護衛が主君の容態を知るために作られた古い魔法の一種だ。これがあると例え逃げたとしても、この状況の追手の手はやまないだろう。

 王家のものが身を挺してまで、外に逃げたのはどう考えてもおかしかった。なぜなら護衛兵がたくさんいる城の中のほうがどう考えても安全だからだ。それにこの第三王女は公になっていない存在。そこから俺はある仮設をあの場でたてたんだ。


「君は父親、レオンザード王に殺されそうになってるんじゃない?」


 この発言を聞いた途端、アンネラは隠していた杖をこちらに向けた。何か知られてはまずいことを知られてしまったと思ったのか、彼女は殺意を秘めた瞳をこちらに向けてきた。

 人間はよく他人や周りに与えた損害に対して、ごめんなさい、と口にする。それはいけない事をすでに行なってしまってから出る言葉。つまるところ”謝罪“といわれるものだ。罪を謝る言葉。そもそもこの謝るは口から言葉を発するという意味から来ている。そして、読みの”あやまる“は誤るから来ており、まとめると、間違いを犯したことを認め、口から言葉を発するという意味を持っている。たいていの罪を犯す者は、事が終わってからこの謝罪を口にする。それはそうだ、事が終わってからでないと自分の罪を認めるという動作は不可能だからだ。罪を罪と知っていながら、かつ謝る気持ちを持ちつつその罪を実行する者は少数派だろう。そして、目の前の可憐な王女もまた、少数派に属する者だった。


「ごめんなさい。」


 その一言と共に、杖の先から蒼白い雷流ほとばしる。その瞬間、部屋全体にまで閃光がほとばしり、視界は白に包まれ何も見えなくなった。かすかに最後に見えたのはアンネラの目から落ちる一滴の雫。君は一体どんな状況でこうなってしまったのか。

 俺の頭の中にはすでにその問いに対する答えがあった。

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