第10話
十三歳になった僕は、一人で暮らしている。毎日、畑と家畜の手入れをして、空いた時間で勉強をした。祖父が生きているときは、勉強は嫌いでは無かった。今は、追い立てられるように勉強した。もう、誰も僕に何かを教えてくれる人はいないのだ。
人は絶望に魅入られたとき、深い闇に飲み込まれる。と言ったのは誰だったか。いつか読んだ図書館の本で、その言葉が印象に残っていた。
もうすぐ春が来る。冬の間、家畜が何頭も魔物にやられてしまったから、また増やさねばならない。
かじかむ指を、閉じたり開いたりしながら息を吹きかける。夏の暑さには耐えられるが、冬の寒さはどうにもならない。一日中家にこもって毛布を被っていたいが、それでも腹は減るし、家畜の世話をしなければならない。生きて行くのは、こんなにも孤独でつらい物だと言うことを、この三年間で否という程思い知らされた。自分一人では、石油ストーブが恐くて上手く火を付けられなかった。
魔物とは何なのだろうか。物語の中の魔物は、みんな勇者に退治される。今、僕はこの世界に残された最後の人類だ。つまり、僕が魔物を退治する勇者になるのだ。いつか、魔物退治の旅に出るのだ。
そう思いながら、僕は毎日棒きれを振り回していた。旧時代では、剣術という格闘術があったらしい。それを真似ているつもりだが、それを評価してくれる人は誰もいない。
図鑑を取り出してみた。祖父の手作りだった。魔物のことや、大きな鳥のこと、首が二つある狼や足の生えた魚もいた。そういった生き物は、他の文献ではファンタジー小説の挿絵以外には見たことが無かった。図鑑の巻頭には、人類死滅後と書かれている。だから、製本されている旧時代の図鑑には載っていない動物ばかりなのだ。
僕はあとどれくらい生きるだろうか。祖父ほどは生きられないだろう。
空に向かって息を吐いた。白い吐息が空に溶けて消えた。
この世界の成り立ちが知りたかった。少なくとも、どうして旧時代の人類は滅びたのか。どうして、自分だけ生き残ったのか。祖父たちはどうして生き残ったのか。僕の両親はどこへ行ってしまったのか。何も教わらないまま、祖父は死んでしまった。
今にして思えば、祖父は意図的に僕に教えないようにしていたように思う。その理由を知るものは、もうこの世にはいない。
僕はあれ以来、町には極力近づかないようにしていた。町に近づくだけで、あの日のことを思い出してしまう。あのレッサーデーモンの姿が蘇ってきて、恐怖に包まれる。
こんな時、冒険小説なら流浪の勇者がやってきて、敵を根絶やしにしてくれるのに。現実にはそんな都合の良いことは起こらないことに失望していた。
あの頃、主人公は自分だと思っていた。しかし、祖父が死んでからは無力な自分に絶望した。
祖父がいなくなって、僕は道しるべを失ってしまった。この先、どうやって生きてどうやって死ねば良いのかわからない。誰にも出会わず、ひっそりとどこかで独りで死ぬのだろう。そう思うとやりきれない。
「あ・・・・・・」
トイレットペーパが無くなってしまった。ストックももう無いはずだ。町に調達しに行かねばならない。尻が拭けないのは危機的状況である。
空を見上げて、はあ、と溜息をついた。空はどこまでも飛んで行けそうなほど蒼く、風は穏やかなのに、僕の心の中は空っぽなままだった。
軽トラのエンジンをかける。シートが堅く、揺れが体に伝わってくる。しばらくそのままでいた。
鳥が一羽、飛んだ。頭が二つあり、奇妙な声を上げて飛んだ。それを見て、狼に会いたくなった。狼の餌場に捨てた骨や残飯は無くなっているので、彼らが生きていることはわかった。ただ、足跡が少なくなった気がする。それが心配だった。
彼らは滅多に姿を見せない。たまに聞こえる遠吠えだけが、彼らの存在を伝えていた。
軽トラを走らせる。あの日、連れて帰った祖父はすっかり冷たい、ただの肉の塊になっていた。あのときのおじさんの顔を、今でも覚えている。驚いた風でも、悲しむ風でも無く、ただ、祖父の死を受け入れた顔だった。きっと、もういつ死んでもおかしくない状態だったのだろう。今まで見たことも無いくらい優しい表情で、ソッと祖父のはげ頭を撫でた。そして、僕が生きて帰ってきたことを褒めた。
キャンプの時みたいに、炎を起こした。大きな炎だ。僕は炎の前に木で組んだ箱を置き、その中に祖父を寝かせた。祖父を囲んで祖父が好きだった酒を舐め、祖父に語りかけた。
元々、他にも人がいたらしい。それぞれがここで出会い暮らした。まず祖父が住んでいて、そこにおじさんたちが集まってきたのだ。それなら、まだこの場所を見つけていない人がいてもおかしくないと僕は思っている。いつか、他の人間に出会うことを僕は夢見ている。
ひとしきり祖父の思い出話をした後、夜が明けてきた。祖父の遺体を炎の中に投げ入れた。煙になった祖父を、僕はいつまでも見上げていた。
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