第14話 真実への扉

「どう? 」

「あ、待ってよ! 個人情報もあるし。画面にたどり着いたら見せるから」

 美津帆は背後から覗き込もうとする爽を手厳しく制した。眉をひそめながら、しなやかな動きでパソコンのキーを叩く。

 お昼時の診察室。大学の研究室にいた爽に、美津帆から大至急来るよう要請が入ったのだ。彼が慌てて駆けつけると、看護師達は昼食に行ったとかで、美津帆だけが残り、パソコンとにらめっこしていた。

 二日前の是宮との一戦後、目の前に垂直に聳え立つ城壁を、小夜の『魔法』で飛び越えようとした瞬間、二人は現実界へと帰還していた。二人はそのまま睡魔の導きに誘われて熟睡したのだが、翌朝、疲れ切った顔で起きてきた二人を、姉が意味深な笑みを浮かべていたのが爽には気にかかった。

 こいつ、絶対に勘違いしている――そう思いはしたが、説明するタイミングを逃したまま帰路についたので、恐らくは今だ勘違い状態のままなのかもしれなかった。

「あった! 見て、これ」

 美津帆に言われ、爽はパソコンのモニターを覗き込んだ。

 見ると、何かの記念写真だろうか。七人の女性の看護師に囲まれて一人の中年男性が映っている。日に焼けた丸顔に濃い眉毛。短髪の頭髪は、やや頭皮に寂しさを感じられるももの、銀縁眼鏡に覗く瞳からは若々しさと知性の輝きが溢れている。ひょっとしたら実年齢はもっと若いのかもしれない。ただ、はち切れんばかりの腹部を無理矢理白衣に押し込んでいるところからは、それ相応の年齢とも思える。

 写真の中心人物はその雰囲気と身なりから何となく医師であろうと想像はついた。

 画像はエクセルに貼り付けられており、写真の下には『長い間、大変お世話になりました』との文章が書き加えられている。

「送別の挨拶の写真かな? 」

「そうみたい。真ん中に映っている医師がここをやめる時に撮った写真らしいよ。問題はここ。向かって左端の看護師」

 美津帆は細い人差し指でその人物を示した。

「あっ! 」

 爽は思わず声を上げた。

 ナースの姿で微笑みかけている女性――香純だった。

 写真の姿は多分20代半ばくらいだろう。姿は成長した大人の女性だが、要所要所に名残が見て取れる。

「ここの看護師だったのか・・・」

 爽は感慨深げに呟いた。意外だった。思わぬ人物がこんな身近にいたとは。

「この画像を見つけた時には、まじびっくりしたわあ」

 美津帆が大きく吐息をついた。

「彼女はまだここで看護師やってるの? 」

 爽は上ずった声で興奮気味に美津帆に問い掛けた。

「今はもういない。ずっと昔にやめてる」

「そっかあ――本人と生で話が出来ると思ったのに」

「ここの古株の看護師さんに香純の事覚えているか聞いてみたら、彼女、この写真を撮ったすぐ位に妊娠したから結婚しますってここをやめたんだって」

「え、てことは、瀬里沢って事か」

「そう言う事ね」

 美津帆は頷くと、画像を大きく拡大した。お腹をアップにしてそれを確かめようとしたようだが、目立って大きくはない。まだ初期の頃なのだろう。

「でもこんな画像が何故、美津帆のパソコンに? 」

 爽が首を傾げる。

「この診察室に昔いた医師が保存したみたい。パソコンのデータを整理してて、偶然見つけたの。その医師はここをやめて別の病院に移ったらしいんだけどね」

「よくもまあ、消去されずに残っていたもんだ」

 爽が感慨深げに呟く。

「パソコン自体は5年位で更新されるんだけど、大体中身もそのまま更新されるから、結構古いファイルが残ってたりするんよ」

「ふうん・・・じゃあ、この写真に写っている医師がそうなのか? 」

「ううん、その人じゃない。その写真の人は産婦人科にいた医師なんだって。何かの事情で突然ここをやめることになって、それで急遽撮影した記念写真らしいよ」

「へえええ。でも何故自分が映っていない他人の写真を保存したんだろ」

 爽は首を傾げた。ひょっとしたら、後ろに並ぶ看護師の中に気になる人がいたのだろうか――としたら、やることなすことお子様並みだが、妙に微笑ましい。

「この写真の医師に話を聞けないかな」

「それは無理」

 即答で返す美津帆を、爽は不服そうに見つめた。

「その医師、死んだらしい」

 美津帆は声を潜めた。

「えっ! 死んだって・・・」

 爽は驚きの余りに目を見開くと美津帆の顔を覗き込んだ。

「自殺よ。この病院の屋上から飛び降りたの。この写真を撮影した日の夜にね。遺書も何も見つからなかったけど、警察は事件性はないものと判断したそうよ。それと、何故かこの写真は、彼が飛び降りる直前に、この病院のパソコン全部にメールで送信されていたらしい」

「何故・・・」

「分からない。でも、何か引っかかると思わない? 」

「ダイイングメッセージか・・・」

 爽の呟きに、美津帆は黙って頷いた。

「ほとんどの医師が気味悪がって画像は即削除したらしいんだけど、ここの前任者は気になったみたいで、ここをやめるまでの間、時々画像を見ては首を傾げてたみたい。何でも自殺した医師とは仲が良かったらしく、よく一緒にゴルフに行ったりしてたんだって。だから尚更なんだろうね」

「せめてその医師の話でも聴きたいな」

「私もそう思って調べたんだ。でも、移った病院も何年か後にはやめて何処で個人でクリニック始めたらしいんだけど、それ以上の事は分からなかった」

 美津帆は悔しそうに唇を噛んだ。

「そっかあ・・・残念! 」

 爽は落胆の吐息をつくと天井を見上げた。漸く新展開が望めるかと期待した矢先の頓挫だけに、落胆の衝撃もひときわ大きかった。

(あの医師、何か引っ掛かる)

 爽は首を傾げた。初めて見た顔じゃないような気がするのだ。

(あの顔、見た事ある気がする。どこかで会ってる)

 爽は記憶の引き出しを探りながら、一致するピースを検索した。

 某名探偵をリスペクトしてなのか、爽は両手で頭髪をがりがりと搔きまわした。

 吐息をつき、再びパソコンの画像を食い入るように見つめる。

 不意に、爽の眼に聡明な輝きが宿った。

「思い出した! この医師、口伝屋だ! 」

「え? 」

「あの巨大哺乳瓶を倒した街で、俺達に避難するように言った黒服の男がいたろ! この医師の服装を脳内で黒っぽい服装に置き換えてみ? 」

 呆気にとられる美津帆に、爽は興奮気味に説明をした。

 爽に言われるままに、じっと画面を見つめる美津帆の表情が懐疑から驚嘆に急変した。

「ほんとだ・・・あの時のおじさんだ」

「だろ? 」

「びっくりよね・・・でも、何故死んじゃった人が異界にいるんだろ」

 美津帆は額に皺を寄せた。

「それは多分だけど、俺達みたいなヴィジターじゃなくて、異界の住民だからさ。異界の創造主が創り出した――あ、てことは、あの異界の創造主って、登場人物との関連性を追っていけば絞れるような気がする」

「どうかな。もし、現実界で亡くなった人が異界に転生したんだとしたら? 」

 美津帆の返答に爽は頷いた。

「そうかあ、そうとも考えられるんだよな」

 爽は大きく息を吐いた。

 異界の登場人物が、これほどにまで身近にいたのは驚きの事実だった。

 ただ、新たな情報は点であって線ではない。膨大な情報が存在するのも関わらず、あの異界とその登場人物の係わりを紐付ける橋渡し的な情報が全く存在していないのだ。と言うより、何らかの圧力が彼らの行動を分断し、隔離しようとしている様にも見える。

「ごめんね! わざわざ見に来てもらってさあ。診察室のパソコン、セキュリティが厳しくて、ここからは病院外にメール遅れないのよ」

 美津帆は申し訳なさそうに眉を潜めた。

「仕方ないよ。個人情報満載だからな」

 爽は美津帆を気遣い、笑みを浮かべた。

「ここの病院、色々と隠したがる所があるしね。写真の医師の自殺も表立ってニュースになっていないみたいだし。汚職に関与していた某議員を密かに入院させたり、患者の自殺を隠したり・・・この前も投身自殺を図ろうとした患者を助けようとして屋上から転落した医師がいたんだけど、ものの見事にマスコミ関係をシャットアウトしてたしね。まあ、二人とも生きてるから、そこまでマスコミも喰いつなかったのかもしれないけど」

「あまり負の面で有名にはなりたかねえだろうからな。政界や財界の有力者でここの大学出身者、結構いるし、押さえようと思えば簡単にできるんだろね。ましてや、同じ敷地内にいながらも、俺の方にはその手の話は全然入ってこないし」

「あ、そうそう。さっき話に出てた古株の看護師さんに香純の事を聞き出そうとしたんだけど、あんまりいい顔しなかったな。一言だけ『おめでとうって感じじゃなかった』って呟いていたけど、それ以上は話してくれなかった」

 美津帆は腕を組むと顔を顰めた。

「何かあったってこと? 」

 爽は身を乗り出した。

「そこなんだよなあ。出来婚をそうとらえているのか」

「時代錯誤だな。今はざらなのに」

 爽は目を伏せると何度も頷いた。

「今のところ、新しい情報はこの位かな」

「こっちは全くゼロ。今だ瀬里沢の行方も分かんないし」

「そうよね。瀬里沢と会話が出来れば、小夜のことも分かるんだろうしな」

 美津帆は残念そうに呟くと頬杖をついた。

 不意に、爽の携帯が鳴る。

 慌ててデニムのポケットから取り出す。

 姉からだ。

「もしもし、姉ちゃん? どうしたの」

 面倒臭そうに電話にでた爽だったが、すぐにその表情が一転した。

「え? まじそれ・・・ホントかよっ! 姉ちゃんありがとう! まーさんによろしく言っといてっ! 今度飯奢るって」

 興奮して話す爽の声に尋常じゃない事態を予期したのか、美津帆は爽の顔を食い入るように見つめた。

 爽は姉との会話を追えると大きく深呼吸をした。電話での会話が余程の事であったのか、高ぶる気持ちを落ち着けようとしている。

「何かあったの? 」

 なかなか話しだそうとしない爽に、美津帆がじれったそうに問い掛ける。

「小夜の事が分かったんだ」

「えっ! 」

「まーさんが患者さんから聞いたんだって。瀬里沢の父親と付き合いがあった人らしいんだけど。小夜の方とも繋がりがある人らしく、結構レアな情報を話してくれたんだって」

「どんなこと? 」

 美津帆は身を乗り出して爽に迫った。

「小夜さ、瀬里沢の父親の前妻だったらしい」

「えっ・・・ 」

 美津帆の喉が、診察室中に響き渡る程激しく鳴る。皿の様に見開いた眼は、眼鏡のフレームをはみ出る程に巨大化していた。

「小夜と瀬里沢の父親との間に子供はいなかった。小夜はここの病院で不妊治療を受けてたんだって。たぶん、小夜に付き添って足蹴く病院を訪れていた瀬里沢の父親は、香純とここで知り合ったんだろな」

「酷い。奥さんの不妊治療中に浮気してたって事? 」

「ああ。そうこうしているうちに、香純が妊娠したもんだから、跡取りを望んでいた瀬里沢の一族は半ば強引に小夜を追い出し、香純を後妻に迎えたんだ」

「何よそれ! 酷過ぎる! 香純も香純だけど、瀬里沢の家も問題有よね。今度香純と会ったらぶん殴ってやるっ! 」

「やるなら異界でやってくれ! こっちの世界でやったら傷害罪で捕まっちまう」

 目を三角にしていきり立つ美津帆を、爽は苦笑を浮かべながらなだめた。

「小夜だけど、その後再婚して久留島姓になってる。再婚してからも子供はいなかったみたいだ。数年前に旦那さんは病気で亡くなって、今は何処かの病院で看護師をしているらしいよ。小夜も看護師だったとは驚きだけど」

「今、何て言った? 」

 美津帆は頬を紅潮させながら爽を見た。

「え? 」

「小夜の、再婚後の姓! 」

「久留島だけど」

「ああああああっ!」

 突然、絶叫する美津帆。

「え? 何? 」

 状況が呑み込めずにおろおろする爽の胸倉を美津帆はぐいっと掴み上げた。

「私が香純の事を聞いた看護師、姓が久留島なのっ! 」

「え、マジ? かよ! ぐえほっ! 」

「あ、ごめん! 」

 美津帆は思わず締め上げてしまった爽の胸倉から手を離すと、パソコンに向かい、凄まじい速さの指使いでキーを叩いた。

「あった! やっぱり・・・」

 画面を食い入るように見つめる美津帆の声が、小刻みに震えている。

 漸く呼吸が整った爽が見たのは、パソコンのモニターに映し出されたこの病院で勤務する看護師の名簿だった。

 美津帆の目線の先には、一人の看護師の氏名がロックオンされている。

「久留島小夜・・・って事は、小夜はここの病院に? 」

「そう。さっきこの件で色々話を聞いた古株の看護師」

 爽は声にならない叫びを上げた。

「こんな身近にいたんだ。そりゃあ、香純の出来婚におめでとうとは言えないよな」

 爽は腑に落ちた表情で何度も頷いた。

「でもさ、小夜――さん、ここの病院に勤めていた看護師に旦那を奪われたってのに、よくもまあ同じ場所で働く気になったよね」

 美津帆は腕を組んで眉間に皺を寄せた。

「ほんと。普通だったら在り得ない。俺もそこんとこひっかかってて」

 二人は顔を見合わせると同時に吐息をついた。

「何か理由があるのかも」

 美津帆の眼の奥に疑念の光が宿る。

「あるとしたら、何だろ」

 爽は眉間に皺を寄せた。

 小夜がここに勤めだした頃には、香純は既に退職してここにはいないはずだった。

 本人と顔負わすことはないとは言え、彼女はこの病院には辛い記憶しかないはずだ。最愛の夫を奪われ、家からも追い出され、屈辱と苦悩の渦中にあるにもかかわらず、不幸の始まりとなったこの病院で働く気持ちになれるのだろうか。しかも、その渦中に、ここに患者として通院していたのだ。元々ここに勤めていたわけではないせよ、患者と言う立場でありながらも、彼女を知っている関係者は少なからずともいるはずだ。

 普通なら、在り得ないと思う。スキャンダラスな記事に露骨なまでに好奇の目線を注ぐゴシップ好きの輩の格好の餌食になりかねないというのに。

 でも。何か目的があれば。

 自ら地雷原に飛び込んで、屈辱的な歴史を消去して雪辱の思いを晴らしたい一心でなのだろうか。

 無理がある。

 地雷原に飛び込んだところでどうなるというのか。

 何もならない。

 かえって自分をどんどん負の領域に追い込んでいくだけだ。「

 陰で囁かれる噂話の全てが、自分の事であるかのように錯覚しながら、耐え忍ぶ日々を重ねるうちに、溜まりに溜まったストレスが人間性を徐々に湾曲させていく。

 そして、かろうじて押しとどめていた人間性が、全ての倫理観を放棄して暴走した瞬間、最悪の場合、全てが無に帰すのだ。

 自分で自分を。もしくは自分以外を自分の手で。  

 爽は頭を抱えて眼を閉じた。どう考えたってリスク以外何もない彼女の選択に、彼は戸惑いを感じていた。

「メールで送ったのなら、画像だけ添付すればいいのに。挨拶はメールの本文に打てばいいんだから。なんでわざわざエクセルに貼り付けて保存したんだろ・・・もしかして・・・あっ! 」

「どうした? 」

 突然、驚きの声を上げた美津帆を、爽が訝し気に見つめる。

「見て、これ」

 美津帆に促されてパソコンを覗き込んだ爽の顔が驚愕に引き攣る。

「これ、マジかよ・・・」

 爽は嘆息をついた。

「そうだ、今から食堂に行って小夜に凸しようよ! いつも食堂の片隅で、ぽつんと一人で食事しているから」

 美津帆は興奮した素振りで勢いよく椅子から立ち上がった。








 

 

 

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