第8話 反面狂師

「爽、おはよう! 朝だよ」

 美津帆の優しい声に揺り起こされ、爽はゆっくりと瞼を開けた。遮光カーテンの隙間から漏れる陽光の中に、何も身に着けていない美津帆のシルエットが浮かび上がる。

「カーテン開けたら丸見えだぜ」

「分かってるよ。そんなことするわけないじゃん」

 美津帆は少し不満げに否定したが、過去に二回やらかしているのでひょっとしたら目撃者がいるかもしれない。三階の爽の部屋ならまだしも、ここは階下の美津帆の部屋だ。地上に近い分、見ようとするならばこちらの方がリスクがある。気のせいか、最近日曜日の朝のこの時間に、窓から見える川沿いの遊歩道を散歩する人の数が増えたような気がする。

 爽と美津帆は、彼の実家に行って以来、週末はお互いの部屋を行き来してお泊りをする生活を送っていた。

 不思議なことに、あれだけ頻繁に行き来していた異界への召喚もここのところは無く、その間に二人は瀬里沢に関わる人物の調査に没頭していた。勿論、香純と小夜についてもだ。だが、依然として瀬里沢の居場所は掴めず、香純と小夜についても同じで、手掛かりは全くなかった。これが、全国的に有名な大企業ならば、倒産に関わる様々な情報が週刊誌に取り上げられ、紙面を騒がすことになるのだろう。いくら地元では有名な企業でも、あくまでも地方都市の一企業でしかない故に、そういった紙面に載ることはなく、メディアからの情報はSNSも含めて全く期待出来なかった。

 彼らが自らSNSで取り上げて騒ぎ立てjることで情報が得られるのではないかとは考えたものの、プライベートな面に関わることなので、身を潜めている関係者の生活に影響が出ても申し訳ないからと断念したのだった。

 かろうじて知り得たのは、彼が卒業した大学と就職先だ。爽も美津帆も出席しなかったのだが、昨年あった高校時代の同窓会の幹事に問い合わせて漸く入手したのだ。

 だが、その就職先も今年になって退職しており、住居も変わったらしく、そこから先は不明となっていた。

 爽がぼんやりとまどろんでいる間に、美津帆は生成りのカットソーと紺色のショートパンツといった室内着を身に着け、カーテンを開けるとキッチンに向かった。

 その部屋の主が食事を準備すること――それが、美津帆との間で決めた約束事だった。将来的にも家事を分担する為に、今のうちから交代制をとることにしたのだ。いずれ、これに育児も関わってくるのだろう。

 爽はベッドから立ち上がると衣服を纏った。

 幸せだった。信じられないくらい、幸せな日々が続いていた。正直、もう異界と関わりたく無いとも思っていた。

 でも、疑問を残したまま実生活に浸るのも何となくすっきりしなかった。

 ただの都市伝説で終わらせたくはなかった。

 解明し、全てがすっきりしたら――。

「朝ごはんの準備出来たよおっ! 」

 キッチンから美津帆の声がする。

「ありがとう、今行く!」

(と、その前に、顔を洗わないと・・・)

 爽はバスルームの横の洗面台へと向かった。






「久々の召喚かよ・・・」

 爽は吐息をついた。

「せめて朝ごはん食べてから来たかった・・・」

 美津帆が悲しそうに呟く。

 二人は巨大な白い蒲鉾型の建造物の前に立っていた。

 見知らぬ場所じゃない。慣れ親しんだ、今は懐かしい高校の体育館だ。

 ここの所、未知の場所に召喚されていたのだが、久々の既知のステージだ。

 それも、全ての始まりの地。

「二人とも何しているの、早く体育館の中に入りなさい」

 懐かしい声に振り向くと、高校二年時の担任教師、二階堂祥子が立っていた。ショートヘアーに銀縁の眼鏡。異様に大きな黒い瞳が二人を捉えている。黒い上着に黒のタイトスカート。元々スレンダーな体躯が上下黒で固められた装いによって更に細さを強調している。大学を卒業して二年らしいから、まだ二十代のはずなのだが、その風貌は落ち着いた感じで、かなり経験を積んだ大人の雰囲気を醸している。

 二階堂は無言のまま、じっと二人を見つめている。

 起こっても笑ってもいない。無表情ではあるが、生気はある。ただ事務的な台詞を声に綴っただけの様だった。

「行ってみるか」

 爽に促され、美津帆は黙って頷いた。先に進まないことには、何事も始まらない。

 とりあえず、進むしかない。

 それがどういう展開になったとしてもだ。

 重い扉を開け、二人は体育館へと足を踏み入れた。

 同時に、異様な光景が二人の視界を埋め尽くす。

 カーテンが引かれ、照明の落とされた薄暗い空間には、折り畳み式の椅子がびっしりと並べられており、そこには制服姿の男女が隙間なく着席していた。私語どころか衣擦れすら一切せず、異様に無機質で重い沈黙が広い空間を完璧に制御していた。

 二人の前にはメインの通路が真っ直ぐ演台にまで続いている。

「そのまま前に進みなさい」

 二階堂の声が背後から二人に指示を飛ばす。

 二人は並んで真っ直ぐ演壇に向かって進んだ。中程まで進んだところで、通路沿いに席が二つ、横並びで空いているのが見える。

「あなた達はそこに座りなさい」

 二階堂に促され、二人は席に着いた。彼らが着席したのを見届けると、二階堂は厳しい表情を浮かべながら、真っ直ぐ演壇に向かって歩き出した。

「何が始まるんだろ? 」

 美津帆が不安げに爽を見つめ、囁いた。

「さあ、なんだろな」

 爽は声を潜めて答えた。

 学校集会にしてはおかしすぎる。こんなに光を遮断することはまずない。

 それに、この異様な静けさは何なのか。

 息遣いすら聞こえない沈黙に支配された空間に、爽はとてつもなく違和感を覚えていた。

 演壇が、スポットライトで照らされる。

 舞台の袖のカーテンが揺れ、一人の人物が姿を現した。

 二階堂だ。彼女は緊張した面持ちで演壇に立つと、不意にとってつけたような笑みを浮かべた。

「皆さん、おめでとうございます! 今日は、皆さんにとって最高の一日の始まりになります」

 周囲から一斉に拍手が沸き起こる。二階堂は満面に笑みを浮かべながら、満足げに何度も頷いた。

「皆さんは今日から御方様の会社で働かせて頂けることになりました」

 どっと歓喜の声が沸き上がる。

「えっ? 」

 爽と美津帆は呆気にとられた表情で互いに目を見合わせた。

「御方様って言ったよな」

「うん。瀬里沢のことよね。あいつの取り巻き達もそう呼んでたけど・・・」

 美津帆が首を傾げた。

 思いもよらぬ展開だった。異界だけに、何が起きてもおかしくないのは想定できるが、こんなエキセントリックな上に妙にシュールなステージは、二人の思考を遥かに超越していた。

「全員起立! 」

 二階堂の号令と共に、周囲の生徒達が一糸乱れず一斉に席から立ち上がった。

慌ててそれに倣う二人。

「社訓唱和! 」

 二階堂の声が、雄叫びの様に館内に響き渡る。

「ハタラケ! 」

「カイシャノタメニ、ハタラケ! 」

「カイシャノタメダケニ、ハタラケ! 」

「キュウカナド、アルトオモウナ! 」

 割れんばかりの大合唱が、館内の空気をびりびり震わせた。

 何が何だか分からなかった。

 余りにも滑稽で在り得ない、理不尽な内容だった。現実世界でこのような内容の社訓があれば、間違いなく労働基準監督所がすっ飛んでくる。

 二人は無言のまま、この異常な集団の中で立ち竦んでいた。

「着席! 」

 二階堂の声に、一斉に着席する生徒達。

 少し出遅れながら爽達もそれに追従した。

「先生! 」

 不意に、爽の隣の女子生徒が立ち上がる。

「どうしました? 」

 二階堂は優しい口調で女生徒に語り掛けた。

「この二人、社訓を唱和していませんでしたっ! 」

 女生徒は正面を向いたまま、左手で爽達を指差した。

 爽は驚いて彼女の顔を見た。

(見覚えのない子だ。こんな子、いたっけ・・・ん? )

 彼女の突然の告発に焦りながらも、見覚えのないその容姿が見慣れた容姿であることに気付く。

「ありがとう。よく教えてくださいました。席におつきなさい。あなたは生徒の鏡です。特別に評価を上げておきます」

 二階堂はうれしそうにその女子生徒を称えた。同時に、周囲からも彼女を称賛するどよめきが沸き起こる。

「ありがとうございます」

 女子生徒は深々とお辞儀をすると、誇らしげな表情を浮かべながら着席した。

「爽、隣の子の顔、見た? 」

「うん、見た。そっくりだよな」

「やっぱりそう思う? 」

「ああ。気持ち悪いくらいに似ている――ていうか、そのままだ」

 爽は頷いた。美津帆も彼が思ったのと同じことを実感していたようだった。

「そこの二人! 何こそこそしゃべっているのっ! 立ちなさいっ! 」

 二階堂がヒステリックな声を上げると、演壇から爽達を指差した。さっきまでの笑顔とはうって変わって、怒りにこめかみをぷるぷる震わせている。

 二人は仕方なく席から立ち上がった。

 爽は何気に周囲を見渡すと、そっと美津帆に囁いた。

「隣の子だけじゃない。みんなそっくり――おんなじ顔だ」

「何これ、きもい」

 美津帆は完璧に引いていた。

 この館内の生徒達の顔は、男女の隔てなく、皆、二階堂そのままだった。顔だけでなく、眼鏡までもが。

「あなた達、輪を乱しては困ります。これからみんなで力を合わせて御方様の為に働くと言うのに」

 二階堂は口元に笑みを浮かべながら、諭すような口調で二人に語り掛ける。だが、瞳孔が開ききった目は真っ直ぐ二人を見据えており、恐らく公の場で取り乱してはならないと無理矢理怒りの感情を抑えているのが分かる。

「先生、俺達は従わないよ。ていうか、瀬里沢んとこの会社、去年倒産したんだろ?  そもそも働くこと自体無理なんじゃ――」

「やめてえええええっ! 」

 二階堂は絶叫を上げ、爽の言葉を強引に断ち切った。

「御方様の名を軽々しく口にするなああああっ! それも呼び捨てるなんてゆるせなあああああああいいいいいいいいっ! 」

 悲鳴を上げ、泣き叫ぶ二階堂を爽は呆気にとられて見つめた。

「論点がずれてるよ。肝心のはそこじゃないでしょ」

 美津帆が冷静に二階堂の態度に突っ込みを入れる。

「大丈夫よう・・・まだ大丈夫・・・まだなんとかなるわよう・・・先生が、なんとかしてあげるからああ・・・」

 二階堂は肩を震わせて壇上につっぷすと、大声をあげて泣き崩れた。止めどもなく流れ落ちる涙と鼻水で、厚く塗られた化粧が徐々に流れ落ちていく。

「美津帆、ここを出よう」

「そうね、その方がいいかも」

 二人は目配せすると、列から離れ、出入り口目指してメイン通路を進んだ。

「待って・・・そうはさせない」

 二階堂は壇上からゆっくりと顔を上げた。憤怒に歪む顔は、元々端正なだけに、より凄まじく殺気に満ちた鬼女の風貌へと変貌を遂げていた。

「みんな、二人を捕まえてっ! 御方様の取り巻き衆に三名の欠員が出来ています!

二人を捕まえた先着三名を私から御方様に推薦します! いいですか、三名だけよっ! 」

 周囲から地響きのような歓声が湧き起こる。ガタガタと椅子を倒しながら、生徒達は一斉に二人に襲いかかる。

「まずいっ! 走るぞ! 」

「うん! 」

 爽の声に美津帆が頷く。が、既に通路の前後は生徒達で埋め尽くされ、退路は断たれている。

 不意に、何者かが爽の左腕を掴んだ。さっき二階堂に爽達の社訓不唱和を報告した女子生徒だ。栄誉を手中にいれたと確信したのか、得意気な笑みを口元に湛えている。

「うわっ、離せっ! 」

 爽は腕を振り回して女子生徒の手を振りほどく。バランスを崩したのか、女子生徒は尻餅をついたが、即座に立ち上がると再び爽にとびかかろうと――止まった。彼女の背後に立つ男子生徒が、少女の細い首に両手を掛け、締め上げていた。その横から抜け出して爽達に飛びかかろうとする男子生徒に、別の女子生徒が飛びかかり、更にその背後から別の男子生徒が伸し掛かる。

「どうなってんの、これ」

 美津帆が呆れた感じで爽を見た。

「仲間割れっていうか、あさましいっていうか・・・欲望の暴走の果てだな」

 爽は殺気立つ集団を見渡した。

 最初に爽の腕を掴んだ女子生徒以外は、誰も二人には触れていない。もう少しで手が届くところで、後続の仲間に足を引っ張られて実現しないでいるのだ。それが連鎖的に繰り返され、もはや目的は二人の捕獲ではなく、競争相手を妨害することに取って代わっていたのだ。最初は一気に詰め寄られ、至近距離にまで包囲の手が近付いたものの、それも徐々に後退していき、二人の周囲には結界でも張ったかのような円形の無人空間が生じていた。

「お前達は・・・! 」

 一向に二人を捕獲できないばかりか、仲間同士で足を引っ張り合う愚かな姿に、二階堂は虚ろな目線を中空に泳がせた。制御出来なくなった感情が、意識を混濁化させ、思考を麻痺させていく。

「お前達は・・・お前達は・・・お前達は・・・」

 二階堂は呪詛のように繰り返しながら呟き続けた。

 突然、二階堂は含み笑いを浮かべると、大きく息を吸った。

「お前達、全員クビだあああああああああっ! 」

 絶叫が、館内中に響き渡る。

 刹那。

 全てが、停止した。

 互いに足を引っ張り合いながら乱闘を繰り広げていた生徒達の動きが、そして息遣いまでもが停止していた。

 最初に爽に襲いかかった女生徒は、既に絶命していた。苦悶に表情を歪め、男子生徒に吊り上げられた状態で顔をうなだれたままぴくりとも動かなかった。

 彼女を締め上げている男子生徒も、またその後ろに続く生徒達も、かっと目を見開いたまま、生気を失った視線を中空に漂わせていた。

 爽は生唾を吞み込んだ。

 死んでいる。

 みんな、一人残らず。

 二階堂の渾身の叫びが、滅亡の言霊となって彼らの魂に痛恨の一撃を喰らわせたのだ。それも、一気に肉体とのつながりを断つ程の。

 彼らにとっては、瀬里沢の下で働くのが生甲斐だったのだろう。それを断たれた今、彼らは今生に存在する意味を見失ってしまったのだ。

 爽は演壇上に目を向けた。二階堂は恍惚の笑みを浮かべながら、虚ろな目線を力なく泳がしていた。決して言ってはならない禁忌の言葉を発してしまった背徳感が、絶望に裏打ちされた自虐的な快楽を伴って二階堂の精神を弄び、蝕んでいた。

 不意に、視界の端に動く人影。

 小夜だ。

 小夜は、落ち着き払った足取りで放心状態の二階堂に近付くと、容赦無く黒刃の剣を振り下ろした。

 一瞬にして二階堂の身体が黒塵と化し、消えた。

 同時に、爽達を包囲していた生徒達の姿も一斉に消え失せた。残ったのは、乱雑に倒れた沢山折り畳み式の椅子だけ。

 ほんの一瞬きの間に、事は終幕を迎えていた。

 まるで何事も無かったかのように、静寂だけが淡々と時を紡いでいる。

「消えた・・・そうか、あの生徒達は二階堂が創り出した幻影だったのか」

 美津帆の呟きに、爽は黙って頷いた。

「でも、何故? 」

 爽は演壇を見上げた。

 小夜は黒い刃の剣――黒太刀を鞘に納めると、しなやかな身のこなしで舞台をおり、二人の元へ近付いてくる。太刀を納めたのは敵意が無い現れなのだろう。実際、今までも彼女が爽達に黒太刀を向けたことは一度もなかった。

 敵ではない。

 それは、うすうす感じていた。今までも瀬里沢の取り巻き達の攻撃から彼女は爽達を助けてくれたのだ。

 たまたま彼女の目的と一致しているだけかもしれないが。

「君は、何故二階堂を? 」

 爽は至近距離にまで近付いた小夜に尋ねた。だが、彼の問いには答えず、彼女は二人の傍らを通り過ぎようとする。爽は唇を嚙んだ。積極的に引き留めて聞き出したいのはやまやまだった。だがそれは触れてはならない禁忌の行為であるかのような気がして、今一歩踏み出せないでいたのだ。

 根拠はない。小夜の全身から迸る気が、爽の本能にブレーキを掛けさせているのかもしれない。

「あいつは、番外」

 すれ違いざまに、小夜はぽつりと呟いた。

「番外? 」

 爽が慌てて聞き返す。

「そう言えば、小夜さん、取り巻きを倒すごとにカウントダウンしてたよね。あと何人って」

 美津帆が記憶を遡りながら小夜に話し掛ける。

「本来の目的は、瀬里沢の取り巻きってこと? じゃあ、二階堂を消したのは、予定外・・・俺達を助けてくれたってこと? 」

 爽の問い掛けに小夜は立ち止まり、振り向いた。

「結果そうなったけど、それだけじゃない。彼女は私にとって邪魔な存在だ。そして、瀬里沢にとっても」

 小夜が抑揚のない声で爽に答えた。

 爽は言葉を失った。

(小夜が質問に答えてくれた? )

 驚愕と感激が交差し、次の言葉が紡ぎだせずに唇が空回りしている。聞いてみたいワードいっぱいあり過ぎて、爽は自身の思考を整理出来ずに混乱しかけていた。

「それって、どういうことなの? 」

 爽に代わって美津帆がすかさず彼の代弁をする。

 小夜の顔に苦悶の表情が浮かぶ。彼女にとっては振れて欲しくないことなのか、続くかと思われた会話に沈黙が生じる。

 が、小夜は小さく頷くと、意を決したかのように重い口を開いた。

「二人には、言ってもいいかな・・・高校生の時、二階堂は、瀬里沢と関係を持っていた」

「えっ! 」

 爽と美津帆は顔いっぱい眼を開くと、ぽかんと口を開いたまま小夜を凝視した。

「瀬里沢は愛に飢えていた。それも、年上の女性にね。母親との関係がうまくいっていなかったのが原因かもしれない」

 小夜の言葉の一つ一つが、二人の思考を激しく揺さぶっていく。

 信じられなかった。高校時代、そんな噂は少しも流れてはいなかった。二階堂の瀬里沢びいきは有名だったものの、他の教師でも同じ傾向は見られたので、男女の関係にまでは誰も詮索しなかったのだ。

「それで、二階堂は彼女なりの方法で瀬里沢の会社を立て直そうとしたのか。やり方が無茶苦茶だけど」

 二階堂の常軌を逸した行動が示す闇の意図が、爽の思考の中で朧げな像を結びつつあった。

「あなたは、瀬里沢の今カノなの? 」

 美津帆が小夜に大胆に切り込む。

「そうじゃないよ。彼を愛してはいるけど、そんな関係じゃない」

 小夜の口元に、仄かな笑みが浮かぶ。

 爽は食い入るように小夜を見つめた。衝撃的だった。今まで無表情だった彼女が、感情らしき一端を、それも笑みを浮かべるなんて。

(流石、美津帆! )

 爽は目を細めて嬉しそうに美津帆を見た。

「小夜さん、君は何故、瀬里沢の仲間を消そうとしているの? 」

 今度は爽が小夜に問い掛けた。彼らが気になっていたことでもあり、恐らくは異世界に召喚される彼らのクエストにも、大きく関わっているに違いなかった。

「今の彼には不必要だから。というより、あってはならない存在だから」

 小夜はそう答えると、踵を返し、出口に向かって歩き出した。

 不意に、体育館の扉が開き、眩いばかりの白い光が館内に流れ込んでくる。

 白い光の中に浮かぶ小夜のシルエットが、やがて光と同化し、消えた。






「いいとこで戻ってきちゃった」

 美津帆が残念そうに呟く。ここは現実世界。彼女の部屋だ。

「驚きだったな。小夜が俺達の問い掛けに答えてくれるなんて」

 俺はキッチンのテーブルに腰を下ろした。こじんまりしたテーブルだが、二人で使うには申し分のない大きさだ。

「朝ご飯を食べたら作戦会議ね」

 美津帆が珈琲をカップに注ぐ。仄かに立ち上がる白い湯気が、平和な日常を物語っている。メニューはマーガリン&チーズトーストとハムエッグにポテサラ。デザートはヨーグルトとグレープフルーツ。

 一仕事終えた後だけに、俺達は会話のないままに食事に取り組んだ。黙々と食べ進む真剣時間を終え、珈琲カップの取っ手に指を絡めた頃には、彼らはお腹も心もゆとりタイムに満たされていた。

「瀬里沢の話は初耳だったな。驚いたよ」

 爽は珈琲を飲み干すと、名残惜しそうに空になったカップをテーブルの上に置いた。

「私も。でも、取り巻き達は知ってたのかな」

 美津帆は珈琲を一口、口に含んだ。

「どうだろうな。知らなかったんじゃないかな。もしばれてりゃ香久山が執拗に二階堂をマークするだろうから」

「確かにそうよね」

 爽の答えに美津帆は腑に落ちたのか、納得した表情で満足げに頷いた。

「二階堂に聞いてみるか? 瀬里沢の事」

 爽が身を乗り出して美津帆に言った。

「残念! 前に電話したけど、連絡網の電話番号は現在使われておりませんだって」

「そっかあ・・・新たな捜査網の糸口になるかと思ったんだけどなあ」

 爽は顔をしかめるとがっかりした表情で苦笑を浮かべた。

「異界で小夜が言ってたことの中で、すごく引っかかっていることがあるんだけど」

 美津帆が少し目を細めながら爽を見た。

「何? 」

「取り巻き達や、二階堂もそうだけど、瀬里沢にとっていちゃあいけない存在の様に言ってたでしょ。あれって、何なのだろう」

 確かにそうだ。瀬里沢を「御方様」と呼んで崇めへ面合う連中は、彼にとって最高の味方のはずなのだ。自分の都合に合わせて身を挺して動く、瀬里沢にとっては将棋の駒の様な存在のはずだった。

 それが、今の彼には必要無いどころか存在すら悪の様に語られている。

「小夜が瀬里沢を独り占めしたいからなのかな」

「でも、そんな関係じゃないって言ってたでしょ」

「確かに・・・そう言ってたよな」

 爽は低く唸った。

「何か調べる手掛かりはないかな・・・」

 美津帆は頬杖を突くと、所在投げにカップの珈琲を見つめた。

「うーん、こうなったらあいつの会社絡みの情報でもあさるか」

 爽は苦笑を浮かべ――ふと、我に返る。

「美津帆、会社絡みの情報なら図書館に行けばあるぞっ! 」

「図書館って、市の図書館? 」

 美津帆が疑わし気な目線で爽を見る。

「違うよ、実家の方の図書館! 確か地方限定的な経済誌があったよね」

 爽は美津帆に同意を求める。と、美津帆は我に返った表情で大きく首を振った。

「あったなあ。あんまり興味なかったから素通りしてたけど、確かに図書館の郷土ブースにあった」

「行ってみるか! 」

「行こう! 」

 美津帆は目を輝かせながら、室内着を脱ぎ始めた。

「ちょっとまったあっ! 」

「え、何? 」

 爽が発した突然の停止命令に、美津帆は不機嫌そうに答える。ぎろりとにらみつける彼女に、爽は申し訳なさそうにぽつりと一言。

「カーテン、開けっ放しじゃなかったか? 」


 


  

 



 

 

 


  




 



 

 



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