第6話 忌の意味は根深い

「このタイミングってのは無いだろ」

 爽はフライドチキンに手を伸ばした。

 川沿いの遊歩道。散歩にいそしむ老夫婦。飼い犬の柴犬に引き摺られるような格好で散歩させられている中年の男性――ベンチに腰掛けて朝食を摂る爽の目には、先程と何ら変わらないのどかな風景が映し出されていた。

 異界に飛んでいる間、こっちの世界はやはり全く時間が経過していないらしい。

 爽は美津帆が作った朝ご飯のお弁当をご馳走になっている最中に異界に飛ばされたのだが、その間に鴉や鳶に食事を略奪された感じは無い。

「予想通りの答えだったね」

 爽はフライドチキンにかじりつきながら呟いた。

「うん。聞くまでも無かったかも」

 川の流れを眼で追いながら、美津帆は微かに困ったような笑みを浮かべた。

 異界のキーパーソン的な存在の少女の名前は霜月小夜しもつきさやだと分かった。二人が何となく予想していた通り、香純の元カレ――瀬里沢を略奪した相手だった。これが同じ学校で、同学年なら卒業アルバムをひっくり返せば見つけられそうだが、見たことが無い制服を着ていた点から、爽達の近隣の学校ではなさそうだった。       恐らくは大学で知り合った他県出身者の可能性がある。

 香純にせよ、爽達の知る限りでは在学中に瀬里沢の近くで見かけたこともその名を聞いたこともなく、二人が付き合っていたのもたぶん大学時代での話だと思う。

 そうそう考えてみると、色々と謎めいたことが多い。

 霜月小夜だけじゃなく、香純本人も。考えれば考える程、二人ともヴェールに包まれた不可解な存在だった。

「霜月小夜の制服から、どこ出身でどんな人物か分からないかな」

 爽がぽつりと呟く。

「うーん、どうかな。結局頼りは私達の記憶しかないし・・・ねえ、気付いてた?」

「ん? 何が? 」

 美津帆が突然話を方向転換。爽は戸惑いながら彼女に問い返す。

「異界に行ってる間って、スマホが無くなっちゃてるのよ」

「え? まさか」

「私、何回か異界の風景を画像に撮ろうとしたんだけど、その都度スマホが消えたってて撮れないんだよね」

「気が付かなかった・・・」

 呆けた表情の爽を見て、美津帆がくすりと笑った。

「ねえ、爽は卒業アルバムとかこっちに持ってきている? 」

「ないな。実家におきっぱだ」

「私も。ねえ、これから確認しに行かない? 」

「えっ! 確認って? 」

 呆気に取られる爽をよそ目に、美津帆はいそいそと朝食の片づけに取り掛かった。

「1時間後にマンションの入り口集合ね」

「分かった」

 そう爽が答えた時には、彼女はすでにマンションに向かって足早に歩き始めていた。

 爽は目を細めた。高校時代、得体の知れない不思議ちゃんだった彼女が、こんなに積極的で行動力のある人物だったとは。突拍子のない決断するや否や、迷うことなくきびきびと動く美津帆に、爽はじわじわと惹かれつつある自分に気付いていた。

 




 

「爽、彼女連れて来るんだったら最初に言っとけよ! 」

 ドアを開けるなり、姉の美晴みはるが拳で爽のあたまをぐりぐり。でも顔は思いっきりにんまり笑っていた。姉は昔、を長く伸ばしていたのだが、出産を機にばっさりと切ってしまい、それからずっと座敷童カット。その後ろには、二歳になる双子の姪っ子がママのコンパスの様な細い足にしっかとしがみつき、恐る恐る美津帆を見ている。

「こんにちは」

 美津帆は少し屈みながら姪っ子達に微笑みかけた。すると二人の姪っ子は恥ずかしそうにママの陰に顔を引っ込めてしまう。

美玖瑠みくる笑魅瑠えみる、ご挨拶は? 」

 ママに促されて二人は足の陰からそっと顔を出すと、はにかんだ笑みを浮かべながらぺこりと頭を下げた。

「かわいい! 動きがシンクロしてる」

 美津帆は二人のちびちゃんにきゅんきゅんしたらしく、目じりを下げて身悶えしている。

「双子あるあるだよな」

 爽には見慣れた光景なのか、ただ淡々とつぶやいた。

「美津帆さん、私どっかであったことあるような気がするんだよなあ」

 美晴は首をかしげながらまじまじと美津帆を見つめた。

「あ、覚えてられました? 私、同じマンションの下の階の」

「思い出した! やっぱりそうよね! 見たことあると思ったよ。ひょっとして、大学も一緒だった? 」

「はい、高校も2年まで同じクラスで」

「でも彼女、医学部なんだ」

 爽が、何気に補足した。

「えっ! バリ優秀じゃん! それに何かラノベのラブコメみたいな展開よね。じゃあ高校の時からずうっとか――凄いな。全然気付かなかったよ。て言うか、爽! 彼女がそばにすんでんなら、もっと早く紹介しなよなっ! 」

 美晴の勝手な解釈に否定をしようとした爽だが、気が動転してか口をぱくぱくするだけで言葉が続かない。焦りながらちらっと美津帆を見ると、顔を真っ赤にしながら困惑顔で笑みを浮かべていた。

「さ、上がって上がって」

 姉にせかされ、爽は美津帆に目配せする。美津帆は黙って頷くと、爽と一緒に靴を脱いだ。

「父さんと母さんは? 」

「いつもの通りよ。友達とパワースポット巡りに昨日から行ってるよ。帰ってくるのは今日の夜になるな」

 趣味といっても特に拘るものが無かった両親だったが、ここ何年かパワースポット巡りと御朱印集めにはまり、暇があるとあちらこちらの神社仏閣詣に勤しんでいるのだ。ひょっとしたら婿養子のまーさんが羽を伸ばせるように気を使っているのもあるのだろう。とは思うものの、そういった良き爺婆の心意気を匂わせながら、それを理由に遊び歩いているようにも見える。

「爽ちゃん、嫁さん連れて来たってえ?」

 キッチンからエプロン姿の長身の青年が顔を出す。姉の旦那の優裕まさひろだ。短髪に口髭。しゅんとしたシャープな顔立ちをしていて、一見厳つそうだがいつも笑っている人ような人だった。仕事は爽の両親とともに整体師をしながらそちら系の専門学校の講師をしている。趣味が料理ということもあってか、しょっちゅうキッチンに立っているらしい。

「まーさん、また何か作ってんの? 」

 爽は平静を装いながら優裕の突っ込みをさり気なく交わす。

「うん、今日はそばを打ってる。もう少しで出来るから、ゆっくりしてって」

 優裕ことまーさんは嬉しそうに麺棒を振り回しながら再びキッチンに消えた。

 爽は恐る恐る美津帆を見た。明らかに困惑と戸惑いの表情を浮かべ、顔面を硬直させている。

 彼女を家に連れて来たのは間違いだったかもしれない。単に香純や小夜のことを調べるのに、姉に聞いたり卒アルをひっくり返したりするのに二人で行ったほうがよいかと軽く考えていたのだが。それも、最寄りの駅からは爽の家の方が近かったという理由からの行動だった。ただ、冷静に考えればこうなる展開というか、大きな誤解をを招くのは当然予想出来た事だった。

「・・・大丈夫? 」

 爽はそっと美津帆に声を掛けた。

「え・・・うん・・・大丈夫」

 美津帆は心ここにあらずといったぼおっとした表情で頷いた。

 一抹の不安が、爽の心を過ぎる。

(美津帆の奴、ひょっとして心に結界を張ったのか? 人を寄せ付けなかった高校の時みたいに)

 重く淀んだ意識に苛まれながら、爽は彼女を自分の部屋に招き入れた。六畳一間の

洋室。セミダブルのベッドと本棚があるだけの、シンプルな部屋だ。

「何にもない部屋だろ。とりあえず俺が独身の間は最低限寝泊りできる様にキープしてくれてるみたいだけど、ゆくゆくは姪っ子達の勉強部屋になるみたいだ」

 爽は美津帆にベッドに腰かけるよう勧めながら、さり気なく彼女に話し掛けた。

 美津帆は興味深そうに部屋をきょろきょろ見回しながらベッドに腰を下ろした。

「美津帆、あのさあ」

「ん、何? 」

「姉達が色んなこと言ってごめん」

「え? あ? ああ・・・大丈夫。大丈夫だから気にしないで」

 美津帆はおろおろした態度で無理矢理張り付けたような笑みを浮かべた。

 が、安心出来る訳がない。

 彼女の言葉とは相反して、爽の胸の内は果てしなく重暗い不安の濁水で満たされていた。

 明らかに、強気にがんがん進む進化系美津帆ではないキャラが彼女の思考を支配している。自ら張った結界に身を潜め、存在を消していた高校時代の彼女に舞い戻ってしまったのか――彼女の手作りの朝ご飯に今までにない充実感を感じていた今朝のワンシーンが、まるで遥か彼方の出来事のように急速に色褪せ、現実味を失っていく。

「卒アル、見てみようよ」

「あ、うん」

 美津帆に促され、爽は本棚から濃紺の分厚い冊子を取り出した。

「実はさ、俺、卒アル見るの今日が初めてなんだよな」

「あ、私も! どうせたいして写ってないから」

「俺もそう思ってさ。卒業式の時、早々に見た奴がさ、行事の写真見ても決まった顔ぶれしか映ってないってぼやいてたから」

「そんな気したんだよね。あれ、担任が撮った写真使ったんでしょ? 先生もあいつらに肩入れしてたもんね」

 決まった顔ぶれが誰なのか。名は出さなくても二人には共通の人物しか浮かんでこなかった。

「初の御開帳だな」

 爽は分厚い表紙を捲った。

「香純って、何組って言ってたっけ? 」

 爽の問いかけに、美津帆は眉間にしわを寄せた。脳内の記憶の引き出しを引っかきまわしている最中なのだろう。

「確か、二組って言ってた」

「二組か・・・」

「でもそれ二年の時だし。三年の時は変わってるかも」

 美津帆の意見は確かに言いえて妙だった。二人はページをめくり、クラス順に写真を目で追う。

「いない」

 爽が眉をしかめる。異界での自分達は高二の時の時間軸に戻っている。当時二組であっても三年生になったら進路によっては多少の変動はあるものの、理系か文系かの方向性は二年進級時にほぼ確定しているから大きくは変わらないはずだった。

「もう一度見てみようよ? 」

「うん」

 美津帆に促されて、爽は再び卒アルの頭からゆっくりと写真を追っかけた。二人は肩を寄せ合い、それこそ頬が触れ合く位に顔を寄せ合って、写真の一枚一枚をくまなく追っかけていく。

 が、二人の懸命の調査にもかかわらず、香純の姿や痕跡は全く見つけられなかった。

「香純、嘘ついてたのかな」

 信用していた人物の思いもよらぬ不可解な展開に、美津帆は悲しそうに中空を見つめた。

「学年が違うのかもな」

 落胆する美津帆を慰めるように爽がぽつりと呟く。

「そうよね。年下かもしれないし、年上かもしれないし――そうだ! ねえ、爽のお姉さんって、高校どこ? 」

 美津帆が至近距離で爽を見つめる。

「俺たちと一緒――あっ! 姉ちゃんの卒アル? 」

 爽の目に希望の光が灯る。

「お茶持ってきたよー! 入っていい? 」

 ナイスタイミング。姉だ。

「いいよう! 」

 爽が上ずった声で返事をすると、ドアを開けた。

「もうすぐご飯だから、ちょっとだけど。保住さん、お蕎麦大丈夫?」

 姉は爽に珈琲とクッキーをお盆ごと爽に渡すと、美津帆に声を掛けた。

「大好きです。食べ歩きするくらいなんで」

 美津帆が弾んだ声で答えた。嬉しそうな目の輝きから、決して社交辞令ではないことを物語っている。

「姉ちゃん、悪いんだけどさ。姉ちゃんの卒アル見せてくんない? 」

「え、何でよ急に」

 恐る恐る尋ねる爽を、美晴は訝し気に見据える。

「ちょっと、人を探してて」

「分かった。特別だかんね。持って来るからちょっと待ってて」

 美津帆がいる手前か、意外とすんなり返事をすると、美晴はどたどたと慌ただしく消えた。数分後、美晴は濃紺の分厚いアルバムを大事そうに抱えて現れた。

「汚さないでね」

 美晴は爽に卒アルを手渡すと、彼の耳元でボソッと何やら囁く。

 一瞬、引きつった表情を浮かべる爽だったが、部屋を後にする姉を見送る際には苦笑いに替わっていた。

「どうしたの? 」

 美津帆が心配そうに爽を見つめた。

「レンタル代として姪っ子達のクリスマスプレゼントとお年玉をお願いされたよ」

「しっかりしてる」

 美津帆がくすっと笑った。

「よし、見てみるか。なんだデザイン俺たちと一緒じゃん。あの高校の卒アルって、歴代同じ装丁なのか」

 爽は眉間に皺を寄せると、貴重な秘書を取り扱の様な手つきでゆっくりとページを捲った。

「あっ・・・」

 美津帆が小さく声を上げた。

 微妙なその声のトーンに、爽は驚きの余り、じっと美津帆を見つめた。

 軽く閉じられた唇が目と鼻の先にある。

 激しく脈打つ心臓の拍動に動揺しつつも、爽はぶっ飛びそうな理性の箍を必死に抑え込んだ。。

「どうしたの? 」

 からからに乾いた唇を無理矢理引きはがすと、爽は己の衝動的感情を悟られないように必死で平静を装いながら美津帆に尋ねた。

「この写真、お姉さんよね」

 美津帆は姉が何人かのクラスメートと一緒に映っている写真を指差した。今とは違って髪が長いせいか、一見別人のようにも見える。

「ああ、この頃はまだ髪長かったもんな。あ、でも大学生の時も長かったから、美津帆は知ってんだっけ」

「うん。で、この人」

 美津帆は姉の後ろの方で何気に映っている短髪でぽっちゃり顔の男子生徒を指差した。

「この顔、どこかで見たことがある・・・あっ! 」

 爽は驚きの声を上げた。

「ひょっとして、まーさん? 」

「うん。たぶんそう。目と鼻と口が似ている。顔のベースもぽっちゃり感がなくなったらビンゴでしょ? 」

「ほんとだ。知らなかった・・・同級生だったのかよ」

 彼の姉は家を継ぐつもりで大学に通いながら通信教育で整体師の資格をとったのだが、その時の実技講習でまーさんと出会い付き合い始めた聞いていたのだ。

 こうなれば何だか事実と違う。姉の方こそ高校時代から付き合っていたのでは。

「ん・・・肝心の香純の姿はないよね。まあ、そううまくはいかないか」

 思いもよらぬ疑惑噴出に爽の意識が飛びそうになるのを美津帆が慌てて引き留める。

 二人は何度も爽と美晴の卒アル探索に没頭したが、手掛かり一つ得られなかった。

 唯一得られたものは、美晴とまーさんが高三の時に同級生だったと言うくらいだ。

「こうなったら瀬里沢に直接聞いてみるか」

 爽が勢いよく卒アルを閉じる。

「えっ! あ、そうか・・・それが一番早いかも。あーどうしてこんな簡単なことにに今まで気付かなかったんだろ。やるじゃん、爽! 」

「てへっ! 」

 目をキラキラ輝かして羨望の眼差しで見つめる美津帆に、爽は照れ笑いを浮かべながら右手の親指を立てた。

「確か、クラスの連絡網が残ってたはず――あった! 」

 本棚に無造作に突っ込んであったファイルを取り出すと、淡い水色のA4サイズの用紙に書かれた体系図の様なものを取り出した。高三の時の緊急連絡網だ。いくつもに半分けされたクラスの面々が順々に伝達事項を連絡する仕組みになっている。載っている番号は基本家電だが、一部携帯の番号も交じっている。瀬里沢はといえば担任の超お気に入りだったので、最後に連絡を受けてその旨を報告する役割を担っていた。その方が担任との会話時間が長いのだ。

 瀬里沢の電話番号は家電だった。

「掛けてみる」

 爽は手早くスマホのキーを叩いた。

 緊張に表情が強張る。が、次の瞬間、それは力なく緩んだ。

「現在、使われておりません――だって」

 落胆した表情で呟く爽の声に、美津帆は天を仰いだ。

「振り出しに戻る、か」

「こうなりゃ・・・取り巻き連中にもかけてみるか。流石に今でも本人とは連絡とってんじゃないかな」

 異界での不快な再開がフィードバックしそうで躊躇い気味ではあったが、爽は意を決して取り巻き立ちに片っ端から電話を掛けた。連絡網の電話が家電のナンバーだったせいか、通じても家人のみで本人は不在がほとんどで、かろうじてヒットした相手も瀬里沢とは連絡を取っていないし連絡先すら分からないとの回答だった。

「手掛かり無し。高校時代、あんなに人気者だったのに、電話通じた奴らは何か素っ気ない態度だったな」

 爽は吐息をついた。

 あれだけのクラスの中心人物だったのに、その取り巻きですら現況を掴んでいないとは――不自然な位に不条理な現実を目の当たりにしているようで、爽にはどう考えても納得出来なかった。

「お蕎麦出来たからおいで! 」

 姉の声が階下から響く。

「あ、はーい」

 爽は姉に返事をすると、美津帆に目配せをする。

「やった! 手打ち蕎麦! 」

 美津帆の目が波目になって緩んでいる。蕎麦好きは社交辞令ではなく本物だったようだ。

 二人が居間に向かうと、せいろに盛られた打ち立てのそばとてんこ盛りになった天婦羅の大皿、レタスとオニオンスライスを添えた蛸とサーモンのカルパッチョが並んでいた。

「凄い・・・ 」

 美津帆が目を真ん丸にして簡単だが感嘆の呟きを漏らす。

「まーさん、これ全部一人で作ったの? 」

 爽が驚きの声を上げる。まーさんの料理好きは知ってはいたが、今日は一段と力が入っている。

「いやあ、まあね。在りもので作ったからこの位しか出来ないけど」

 まーさんは照れ笑いを浮かべながら頭を搔いた。

(そういえばこのメニュー、前にも見たことがあるな――そうだ、去年のお盆だ)

 爽はふと料理の記憶を思い浮かべた。あの時は姪っ子達がもっと小っちゃくて大変だったのを思い出す。

「この人、私が手伝おうとすると怒るんよ」

 姉が苦笑を浮かべる。

「俺が料理楽しんでる間に娘見ててくれてるから助かってる」

 さり気なく姉をフォローするまーさんに、爽はほっこりした温かいものを感じていた。

(こんな温かい家庭、俺も築けるのかな)

 ふと、何気に美津帆を見つめる。と、美津帆は爽の視線に気付き、首をかしげて彼を見つめ返した。

「さあ、食べましょ! 二人ともお腹空いたでしょ」

 姉に促され、二人は不穏?な時の経過を刹那に切り替えると、席に着いた。

 美津帆の蕎麦好きは本格的なもので、まーさんに蕎麦粉の比率やら打ち方やらを事細かに聞き出し、更には蕎麦湯を啜りながらマニアックな食べ歩き情報をやり取りしていた。二人とも相当コアなレベルで食べ歩きをしているのらしく、爽が知らない店の名前がばんばん飛び交い、もはや完璧に会話から取り残されているものの、当人達の会話は途切れることなく続いている。

「さっきさあ、人探しだって言って私の卒アル見てたけど、誰探してたの? 」

 二人の会話についていけなくなった姉が、爽にそっと尋ねた。

「姉ちゃんさあ、川添香純って人、知ってる? 」

「知らない」

「じゃあ、霜月小夜って人は? 」

「うーん、知らないわ。パパは知ってる? 」

「え、何? 」

 不意に姉に話しを振られたまーさんは目をぱちくりさせる。

 すかさず爽がさっき姉に問い掛けた二人の名前を出してみたが、まーさんも困った顔をして首を傾げた。

「聞いたことないなあ・・・」

「あ、そうそう! まーさん、姉ちゃんと同じクラスだったんだね。卒アルに載ってた」

 爽が思い出したようにまーさんにふった。

「ばればれだな。でも卒アルのあの写真でよく分かったな。あの頃の俺、ぶよぶよだったから。整体のスクーリングで美晴と再会した時、彼女ですら俺だと気付かなかったんだぜ」

 まーさんはさも愉快そうにけらけらと笑った。

「その二人、どんな関係なの? 」

 姉が興味津々に爽に尋ねる。

「色々あってさ。俺の高校の時の同級生の瀬里沢って奴がいたんだけど、そいつと関係があるみたいで気になって調べてた。なんせ瀬里沢本人と連絡が取れなんで」

「瀬里沢? 瀬里沢って・・・瀬里沢グループの? 」

 まーさんの表情が強張る。彼の顔から一瞬にして笑みが消え、暗い陰りが顔を支配した。

「どうしたの? 」

 爽は怪訝な表情でまーさんを見た。

「先月倒産したんだ。経営不振でさ。この辺じゃあ一時その話題でもちきりだった」

「じゃあ、瀬里沢の家族とかは・・・」

「創業社長の会長は何年か前に亡くなってたんだけど、その息子が社長に就任した辺りから雲行きが怪しくなってきてさ。その二代目社長も一年前に急逝して奥さんが社長になってから、経営が一気に傾いたんだ。家も会社も手放して奥さんや家族も音信不通になったらしいよ」

 まーさんは言いにくそうに眉を顰めると、伏目がちに語った。瀬里沢が爽たちと同級生ということもあってか、彼は事実を咀嚼しながら言葉を選びながら話しているようだった。

「まじかよ。知らなかった・・・そんなことになってたなんて」

 呆然とつぶやく爽の横で、美津帆が黙って頷いた。

「まあ、仕方無いよ。ここから離れると、こんなローカルな話はなかなか届かないわよね」

 美晴は爽達を慰めるかのように、ぽつりと語った。

「んじゃ、気を取り直してデザートに行きますか! 梨のソルベを作ったんだ 」

 まーさんはそう言い残すとそそくさとキッチンに消えた。

「ちょっと家に電話入れておくね。ちょっと遅くなるからって言ってはあるんだけど」

 美津帆はスマホを取り出すとテーブルを離れた。

「あ、お母さん。夕方には着くから。いつって、今日の夕方だよ・・・えええええええええっ! 」

 ひそひそと話していた美津帆の声が一気にマックスに跳ね上がる。

「えっ? 」

 爽は驚いた表情で美津帆を見た。

「うん、そう・・・分かった。じゃあ一晩止まって明日帰るから。いいよ、急に帰るって言った私が悪いんだし。それじゃね 」

 美津帆は電話を切ると、はああっと吐息をついた・

「どうしたの? 」

 爽は心配そうに項垂れる美津帆の顔を覗き込んだ。

「お母さんとお父さん、旅行に行ってて留守だって。出る前に電話した時、私が帰って来るの来週だと思って家にいるって返事したらしいの。仕方がないから勝手に鍵を開けて――ああっ! 」

 美津帆が悲痛な叫びを上げる。

「大丈夫か? 」

「大丈夫じゃない・・・鍵、忘れた」

「鍵? 」

「うん、実家の鍵」

 呆然と立ち竦む美津帆の肩を、美晴がぽおんと叩いた。

「うちに泊まってけばあ? 」

「え、でも・・・」

 戸惑う美津帆に、美晴が満面の笑みで答えた。

「大丈夫! 遠慮しなくてもいいから。ほら、娘達も慣れて来たみたいだし」

 ふと気が付くと、爽の姪っ子二人が物珍しそうに突っ立ったままの美津帆の足を指でつんつんしている。

 美津帆は恥ずかしそうに顔を赤らめながら爽を見た。

 思いもよらぬ展開にきょとんとしたままの爽だったが、すがるような美津帆の瞳に困惑しつつも、断り切れない状況にただぎこちない笑みで頷くのが精いっぱいだった。






「ごめん、疲れただろ」

 爽は天井を見つめながらベッドの上の美津帆に話し掛けた。

「ううん、大丈夫・・・ごめんなさい、私のせいで、こんなことになっちゃって」

 美津帆ははにかみながらぼそっと呟くように答えた。

 爽の両親が帰ってきてからが大変だった。両親は舞い上がり、美津帆のご両親に挨拶は済ませたのかとか式はいつ頃だとか、まだ付き合ってもいないというのに両親の妄想は暴走し、果てしなく飛躍し続けてお祭り状態になったのだった。

 爽も美津帆も否定する余地すら与えられないままに話が進み、気が付けば一日が終わろうとしていたのだった。

 それも、家族の配慮? で、二人は爽の部屋で寝ることになったのだ。流石にベッドで二人して寄り添い寝るのはまずいだろうと、ベッドは美津帆に譲り、爽はフローリングの床に布団を敷いて寝ることとなった。

「迷惑、だった? 」

 美津帆の思いつめたような声が、爽の胸に突き刺さる。

(どういう意味なのか)

(美津帆自身、本心とは真逆の展開に、迷惑で不愉快な思いをしたから爽に同意を求めているのか。それとも・・・)

 爽は苦悩の表情で天井を見つめた。答え方一つでこれからの接し方ががらりと変わってしまうだろう。答えるにも、言葉の一つ一つを慎重に選ばないと。

(美津帆の本心はどうなのだろう)

 内向的で他人との接触を取ろうとしない、何となく近寄り難い存在だった高校時代とはうって変わってフレンドリーに様変わりしたのは意外だったが、本心を掴み切れないのは高校時代から変わっちゃいない。

 爽の得意とする心理学的見解から彼女の言動、行動を見ても、こればかりは答えが出せない状況にあった。

(違う、違うだろ)

(問題は、俺の本心だろ)

(どうなんだ、俺)

(はっきりしろよ、俺)

 爽は自問自答を繰り返した。これ以上、返事を先延ばしするのも良くない。

 爽は意を決した。彼の唇が、ゆっくりと開く。

「ごめん・・・」

 爽が、呟くように答えた。

 天井を見つめていた美津帆の目が、大きく見開く。見開いた瞳がゆらゆらと揺らめいた。

「全然、迷惑じゃない」

 爽は、はっきりとそう言い放った。

「えっ? 」

 美津帆はベッドから体を起こすと、床の布団に横たわる爽を見つめた。

「俺、本当にそうなればいいと思った」

 爽はじっと美津帆を見つめた。

「美津帆、俺と結婚してくれ」

 爽はストレートに思いをぶちまけた。付き合ってくれ――と、だったのだが、彼の中で鼓舞した感情が天空まで舞い上がり、思わず言葉となって口から迸っていたのだ。

 思いっきり飛躍した表現ではあるものの、彼にとってそれが本心中の本心だった。 

 異界へ飛ばされるようになって再開してから、まだ日は浅いのだけれども、爽は高校時代のイメージを覆す美津帆の行動力に圧巻し、彼女の生き生きとした姿に心底魅入られていた。高校時代の結界の中にいつもいた彼女からは想像のつかない立ち振る舞いのギャップが、爽の心に一気に火をつけた要因なのかもしれない。

「いきなり問題発言よね」

 美津帆がくすくすと笑った。

 爽が表情を強張らせる。

(やらかしてしまったか)

 うようよと押し寄せる後悔の波に動揺しながら、爽はすぐにでも現実逃避の航海に出たい気持ちに苛まれた。

「お受けします」

 美津帆は微笑みながら、爽にぺこりとお辞儀をした。

「私も、そうなればいいなって思ってたから」

 美津帆の瞳がキラキラと輝いている。

 涙なのか。

 うれし涙。その答えが真実であることを裏付ける証。

 爽は布団から身を起こした。

 二人の顔が、ゆっくりと近づいていく。



 

 


 








 








 


 








 

 





 

 




 

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