第3話 気持ちの整理が済んでないのにまた異界
「いきなりかよ・・・」
爽は吐息をつくと周囲の風景を見渡した。
目の前に広いグラウンドが広がっている。いつもなら部活にいそしむ生徒達で溢れかえっているはずなのだが、一人の人影も見えない。だと言って授業中というわけではなく、その証拠に教室の窓に映る人影も皆無だ。
また来てしまったのだ。高校時代にそっくりの異界に。
「食後の珈琲飲みたかったのに」
美津帆が残念そうに呟く。
「二人も元の世界に戻ってたんだ」
美津帆の横に佇む香純が二人を見つめた。
「香純も? 」
「うん。夕ご飯の準備をして、そのあとトイレに行ったんだけど。終わってドアをあけたらここに立ってた」
「じゃあ、ご飯食べてないんだ」
「そ。あーあ、パスタが伸びちゃう」
香純が悲しそうに眉をひそめた。
「その心配はないよ。さっきのパターンだとこっちでの時間経過は反映されていないみたいだから」
「良かった♡」
爽の説明を受けて、香純はほっこりした笑みを浮かべた。
そんな彼女の表情に、爽は妙な違和感を覚えていた。ついさっきまで、得体のしれない手の化け物に連れ去られた瀬里沢を目の当たりにして半狂乱になっていた彼女が、まるで醒めた様な妙に落ち着いた感じで接しているのはなぜだろう。一度この世界を離れ、元の世界でのひと時を挟むと感情がリセットされてしまうのだろうか。
有り得ない――ことはないか。
一つの事実がその答えの根源を成している。それは、ここが現実でないことをみんなが認識していること。それとなく感じているのは、何かの節目にまた元の世界に戻れるだろうという設定。その安心感からか、三人とも切羽詰まった悲壮感はなく、セッティングされた舞台に溶け込んで行動しているのだ。
まるで、うたた寝した時に垣間見る、超現実的な夢の様に。あるいは、ネットRPGの世界の様に。
何故この世界に迷い込んだのかは分からない。ただ言えることは、今それを追求しても、答えは出ないという事実を誰もが無意識のうちに認識している。
慌てる必要はない。ここに迷い込んだハプニングを十分楽しみながら展開に応じた対応をとる。それ以外には、やるべきことは何もないのだ。
「香純ってどこに住んでんの? 」
美津帆が香純に問い掛けた。
「私? 地元。就職する時Uターンしたの」
「道理で、元の世界に戻った時に会えなかったわけだ」
香純の答えに、爽が腑に落ちたように頷いた。
「瀬里沢は? 」
「分からない・・・だいぶ会ってないから」
表情を曇らせる香純を見て、美津帆が爽の脇腹に肘鉄を食らわせると、ぎろんと睨みつけた。
(それ聞いちゃだめなやつでしょっ! )
美津帆が爽に向けた怒りの三角目が全てを物語っていた。
「分からないんだよね・・・」
遠くを見るような目で校庭を見つめながら、香純は力無く呟いた。
美津帆がお前のせいだと言わんばかりに爽を睨みつける。
「なんで、さっきあんなに取り乱しちゃったんだろう・・・おかしいよね。もう関係の無い相手なのに」
香純が空間の中に溶け込んでしまいそうな弱々しい微笑みを浮かべた。
「引き摺ってるのかなあ・・・異界に迷い込んだ時、ひょっとしたら彼と会えるかなって思ったんだよね」
彼女は目線を足元に落とした。
「そうなんだ・・・」
爽はふと自分の仮説を述べたい気持ちをぐっとこらえた。もし、さっきの瀬里沢が彼女の心情風景を具象化したものだとしたら、余りにも悲し過ぎるように思えたのだ。好きな人を目の前で奪われる。それも巨大な手で。
恐らく彼女は太刀打ち出来ない強力な存在に、瀬里沢を奪われたのだ。
その背景までは考察しようがない。でも、彼女の心の奥底にその悲しみと悔しさは大きな傷となって残り、未だ苛み続けているのだろう。
「多分、この異界のクリエイターが、私の心の中を盗み見たのかも」
香純のさりげない呟きに、爽は驚きの声を無理矢理呑み込んだ。封印した彼の考察を、彼女自ら告白したのだ。
「どうしてそう思ったの? 」
爽は色めきだった。自分の仮説が的を得ていたことへの歓喜のあまりに、ふつふつとこみあげて来る無節操な探求心を何とか理性で抑えつける。
「なんとなく。あの手を見て分かった」
「知ってるの? あの手が誰のなのか」
香純は黙って頷くと、それ以上語ることはなかった。
それが誰の手だったのか。気になる所ではあったが、爽はあえて問うのをやめた。
それを聞き出すことで、香純は思い出したくない過去に触れることになる――そんな気がしたのだ。
爽には何となく答えが見えていた。爽だけじゃなく、美津帆も同様に察していたようだ。二人は何気に目配せすると、小さく頷いた。
このことには触れないでおこう。
そえが、二人の導き出した答えだった。
「ね、瀬里沢を探そうよ。彼がきっと何かを掴んでいる」
美津帆が急に明るい表情で香純の肩をぽんと叩いた。。
「とにかく進もうぜ。もしこの異界が誰かの心象風景を何者かが実体化したものだとしたら、そのうちまたクリエイターが何かしら仕掛けてくるかもしれん」
爽は脇腹を抑えながらグラウンドへと歩みを進める。
進むしかないってのが厄介だった。あの巨大な手の妖が敵ならば、その正体は馬鹿でかい巨人なのか? よくあるRPGと違って敵の情報もこの世界の情報も皆無。ガイドブックがあったら欲しいくらいだが、それは無理な注文だった。
踏み固められたグラウンドの土は石のように固く、靴底に響く衝撃が足首に不愉快なダメージを与えていた。
「何にも出てこないな・・・出てこられても困るけど」
爽は用心深く周囲を見渡した。せめて皮の鎧と青銅の剣くらいは欲しいと思うものの、そういった防具や武器となりそうなものは一切存在しなかった。
そもそもここは異界であってRPGの舞台ではないのだから、そういったツールは期待出来ないし、してもどうにもならないのは明らかだった。
そうこうしているうちに、三人は魔物や妖に襲われることも、落とし穴やトラバサミなどのトラップに引っかかることも無く、何のアクシデントやイベントに出くわすことも無いままに、校門まで来てしまっていた。
「何だかなあ」
緊張の面持ちで歩み続けていた美津帆の表情が、気抜けした様に緩む。
「何にも起きなかったね」
香純は首を傾げながらグラウンドと体育館を見つめた。
「どうする? 」
美津帆が、くいっと両手指を組んで頭上に突き出すと、体を大きく伸ばした。
「行くしかない」
爽は正面に続く住宅街をじっと見据えた。高校三年間、通いなれた道並みと風景が懐かしい。昔からの住宅地と桜並木の街路樹が、心地良いやさしい記憶を囁いている。この世界の季節は春なのだろう。歩道の桜は満開で、ピンク色の花びらが見事に咲き誇っている。
三人は校門の出ると、桜並木の続く歩道を進んだ。時折、桜の花びらが妖精のように舞い、物音一つしない静寂に満たされたで幻想的な世界を醸している。
平和過ぎる。こんなに何も起きないなんて。
人っ子一人見かけない――それどころか、人の気配すら感じられないゴーストタウン化した住宅街。昼間だからか。住民達は皆仕事に出払っているのかもしれない。
ただ、はっきりしているのは、この世界は決して過去の時間軸のものではなく、あくまでも模倣された世界だという事。単に街の装いだけがコピーされているに過ぎないのだ。
「分かんねえなあ・・・いったい何をしたいんだろ。この世界のクリエイターは」
爽は変わり映えのしない街並みを目で追いながら、所在無げに呟いた。
「クリエイター? いるのかな」
香純は首を傾げた。
「行ったり戻ったりできる異界って、何となくゲームの世界っぽいだろ」
爽の答えに香純は眉間に皺を寄せた。
「うーん、でも誰かが意図的に作ったとしても、どうやって作ったの? 」
美津帆は爽の意見には同意し難いらしく、彼が抱いた疑問を根底から打ち崩す一言で追撃を絶った。
「そこだよな・・・でも自然発生したとは思えないしな。まあいいか」
おいおいそれも分かるだろう――爽はそう自分に言い聞かせ、これ以上、不毛な思考に時間を費やすのはやめることにした。
結局、舞台設定の分析よりも、問題はこの世界での今をどうするかだ。
「建物の影からモンスターか何か出てこないかな」
爽が鋭い目つきで住宅の塀や庭の茂みをつぶさに観察する。
「やめてよ! 出てきてもらっても困るでしょ。私達、武器も無ければ魔法も使えないんだから」
美津帆は困惑した顔で、すかさず爽に返した。
だが、彼女は爽の意見を全て否定しているわけではなかった。この世界でのイベントは、何者かの心象風景とシンクロしている――きっちん椿で彼が語ったこの異界についての独自の見解は、突拍子の無い信じ難いものではあったが、思わず頷いてしまうほどの説得力があった。自分達が想像した事が、ここでは実現化してしまうかもしれない。そんな危機感を彼女は無意識のうちに抱いていたのだ。
不意に、一陣の風が三人の間を擦り抜ける。
「きゃあっ! 」
香純は叫び声を上げながら、風でめくれ上がるスカートを慌てて抑えた。
「爽、見るなよっ! 」
美津帆はスカートを抑えると、妙にきょどっている爽を一瞥する。
「見えねえよ。桜の花びらが邪魔して」
爽は何となく悔し気にぶうたれる。
確かに異常なくらい桜の花弁が舞い散っており、お互いの姿が見辛いレベルにまで到達していた。
「誰かさ、桜が激しく舞い散るところを見たいなんて思った奴いる? うえっ! 」
爽が視界を遮る花弁を手で払いながら叫んだ。刹那、彼の口の中に大量の花弁が飛び込む。
偶然なのかもしれないが、それはあたかも彼の発言を阻止するかの様にすら思える現象だった。
「私じゃないよ――ぺっ! 」
香純が顔を顰めた。彼女の口にも花弁が飛び込んだらしい。
「ぶあたあしいじゃあないよう」
美津帆は手で口を塞ぎながらもごもごもごもご。
「じゃあ誰が。俺の仮説は成り立たないってことか・・・」
爽が口惜し気に呟く。
「私よ」
「えっ!」
爽は驚きの声を上げると、声の主を追い――絶句した。
彼らの数メートル先で佇むセーラー服姿の女子が一人。年恰好は、異界での爽達とほぼ同じくらい。風にあおられてライオンの鬣の様に舞うさらさらのセミロングの黒髪と、一見顔の大部分を占めているかの様に見える巨大な目は、はっきりと刻まれた二重瞼により強調され、見る者の目を釘付けにする。柔らかそうな唇に、やや高めの鼻筋が描くその顔は、計算されたかのような魅惑に満ちた美と妖艶さを兼ね備えていた。
超がいくつも行列を作る程の美少女。ミスコンに出れば恐らくノーメークでも王座を独占するに違いない。
爽は訝し気にその人物を凝視した。
決してその小悪魔的な容姿に魅了された訳ではなかった。爽の関心は、彼女自身の存在についての分析に特化していた。
(誰だろう。見たことがない)
セーラー服も明らかに爽達の学校のものではない。
だが何故か爽には気がかりな点があった。どう考えたって初のお目見えのはずなのに、何処かで見たような気がしてならないのだ。容姿には全く記憶がないのだが、何か気にかかる。それともう一つは、彼女の存在そのものが醸す違和感だ。それが何なのかも分からないし皆目見当がつかない。
ヴィジターなのだろうか。もし彼女が爽達と同じく異界に迷い込んだヴィジターだとしたら、まず最初に感じるのは見知らぬ世界に飛び込んでしまったことへの不安から、彼らを見つけた時点で安堵の表情を浮かべながら情報を求めて声を掛けてきてもおかしくないはず。じゃあ、この世界の住民なのか? それともこの世界を創造した神的存在?
(彼女がこの世界のクリエイターなのか? それとも新たな展開に誘うキーポイントなのか? )
爽は視覚から得られる情報に加え、自分の記憶の深淵に散らばる記憶の断片を一つ一つ拾い集めては解読を進めた。だが、篩に掛けた記憶の断片に、彼女について触れたものは一つもヒットしない。
爽は顔だけでなく、髪形や体躯、服装と、視点を分散させながら、細かに分析を進めていく。
徐に、彼は深い吐息をついた。
彼は気付いたのだ。真新しい記憶の中に、その痕跡が存在していたことを。
手だ。白磁の様に白く、そして長い指。
間違いない。大きさこそ違うにせよ、瀬里沢を体育館の床下へと引っ張り込んだ、あの巨大オブジェの様な手そのものだ。
舞い散る花吹雪の中、彼女は一片の花弁すら身に纏うことなく直立し、腕組みをしながらじっと爽達を見つめていた。
爽はさりげなく香純を見た。
香純は目を潤ませながら、唇をぎゅっと真一文字に閉じ、目前の少女を無言のまま凝視していた。香純は彼女を知っている。そりゃそうだろう。巨大な手を見てそれが誰のものなのか分かったくらいだから。
香純にとっては忘れたくても忘れられない存在なのだ。
自分から瀬里沢を奪い取ったシークなのだから。
小刻みに打ち震える彼女の意識を捉えているのは、恐怖でも驚愕でもない。憎悪だ。心の憶測で息を潜めていた行き場のない憤りが、底冷えするくらいに冷え切った冷気となって、彼女の全身から迸っているのだ。
「これは君が望んだの? 」
爽がさりげなく少女に問い掛けた。
「そうよ」
少女は躊躇いを微塵も見せずにすっぱり言い放った。
「何故・・・ 」
「栄華を誇るものもいつかは散り行くもの。桜の花の様にね」
少女は表情一つ変えずに、淡々と語った。
「どういう意味だ? 」
「いずれわかるよ」
桜吹雪が一層激しく空を舞い、三人の視界を薄桃一色に埋め尽くしていく。
「おいっ! 」
爽は叫びながら少女を凝視した。
いない。
消えていた。
忽然と物音一つ立てずに。
「消えた」
香純が忌々し気に呟いた。
不意に、強烈な風が爽達の間を吹き抜ける。
「ひゃあっ! 」
美津帆が素っ頓狂な悲鳴を上げる。風の威力に耐えかねた二人の少女のスカートが大きくめくれ上がる。
と、同時に爽の視界は白一色に染まった。
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