第5話

 お互い忙しい日々を送ることであっという間に一カ月が過ぎて札幌へ行く日が近付いた。僕は静香が好きな風来坊の手羽先を買って持っていくことにした。そろそろ名古屋名物が切れて元気がなくなる頃だろう。

 長年静香と一緒に暮らしていたが、僕は静香にアクセサリーをプレゼントしたことがなかった。何かの小説で出てきた話で、男が結婚の意思が固まったら彼女にネックレスをプレゼントし、結納の時に婚約指輪を渡し、結婚式の時に結婚指輪を交換するというものがあった。今回の旅行で少しばかり気が早いが静香にネックレスを渡すつもりでいた。出発の前日、千種の輸入雑貨店で銀製の羽に石が入っているペンダントトップがついたネックレスを買った。


 僕が札幌に滞在する期間は八日間。チケットを購入した時点で静香の休みの日が何曜日かわからなかったので、八日間もいれば一日ぐらい仕事が丸々休みの日があると思ったからだ。出発当日初めて名鉄で中部国際空港に行った。中部国際空港へは車では何度も来ている。しかし送迎デッキで夕日と飛行機を眺めたり、併設の温泉を利用したりしか使用しておらず、僕自身今まで飛行機というものに乗ったことがなかった。アルバイトの仲間に飛行機は土足厳禁だとかドリンクをもらったらチップを払うことが常識だと騙され、飛行機に乗る寸前に靴を脱いで下駄箱の場所をキャビンアテンダントに聞いて苦笑いされた。そういう苦労をしながらなんとか新千歳空港に到着した。

 五月とはいえ札幌はまだ冬だった。名古屋では考えられないことだが、ゴールデンウィークに雪が降ることなんて普通にあることらしい。それに道産子の強さを感じたのは服装。この寒さなのにやたら薄着だ。観光客か道産子か一目でわかる。空港からはJRで札幌に入る。できれば静香に空港まで迎えにきてもらいたかったが、仕事のキリがつかず札幌市内で待ち合わすことになった。

 札幌駅構内のカフェを待ち合わせ場所に指定され、到着するとすでに静香は座っていた。一か月ぶりの再会だったが、普段と変わりなく二人でコーヒーを飲んで静香のマンションに向かった。


 ……警察では詳しく出火の原因を調べる方針です。次のニュースです。

かすかに声がする…。テレビのニュースだ……。

この声で僕は目が覚めた。

「あ、おはよう。ごめん、テレビの音うるさかった?」

「おはよう。別にうるさくなかったよ」

「よく寝れた?身体痛いところない?」

昨日は静香のマンションに荷物を置いて早速札幌観光をした。時計台・羊ケ丘展望台など定番スポット巡りだった。見るもの全てが感動だった。いやそれは観光客としての感動ではなく、恋人と一緒に過ごす時間に対しての感動だろう。ただ、はしゃぎすぎてやはり失態を犯してしまった。サッポロビール工場で買ったビール味のゼリーを食べて微量のアルコールで酔っ払って倒れたようだ。

「大丈夫、もう元気だよ。それにしても北海道の朝ってもっと寒いものだと思っていたけど、全然寒くなかったよ。むしろ名古屋の方が寒くないかな」

「私もそう思っていたけど、窓が二重になっているし、一日中部屋に暖房が入っているから薄着でも平気だよ。もう朝ごはんできているよ。不動君起きるの待っていたんだから」

「今何時?」

「八時をまわったところ」

「久々だなぁ、静香の料理」

「久々といっても一カ月とちょっとでしょ。もう大袈裟なんだから」


 僕が「久々」と思うのは仕方がない。何せ大学時代ずっと一緒に、毎日食事していた訳だから。静香がそう思わないことは静香の強さなのか、僕に冷めてしまったのか、と考えてしまった。まったくこの性格は自分でも嫌いだ。

「今日はどこへ連れて行ってくれるのかな」

「小樽に行くつもり」

「じゃあ寿司食べようよ」

「いいねぇお寿司。じゃあすぐ準備して。ちゃんと歯磨きしてよ」

「へぇい」

 それからすぐ準備できた。といっても服を着替えただけ。もちろん歯磨きもして。


 静香のマンションは中心地より南にある閑静な住宅地。地下鉄の終着駅の真駒内という街で、札幌オリンピックの時に選手村になっていたそうだ。二人で手をつないで歩くのも久しぶりだ。あの失態のせいで昨日は手をつないだのか覚えがない。

 JRに乗って小樽まで行く。小樽は明治時代「北のウォール街」と呼ばれ、海運業で栄えた街。有名な小樽運河はかつて海運船で埋め尽くされていたそうだ。今では役目を終え街のシンボルとして残っている。最近では、充実したお土産屋と寿司やスイーツの店が軒を並べ年中観光客が途切れない。

 僕らは正午前に小樽に入り寿司屋を探した。たまたま歩いたところが、「寿司屋通り」というところだったので、寿司屋を探すというよりどの店に入るかで悩んだ。結局寿司屋通りを過ぎてから見つけた綺麗な寿司屋に入ってセットものをオーダーした。今まで食べた寿司の中で明らかに一番おいしかった。中でもボタン海老の握りは絶品だった。手で持った時は固体だが口の中に入れると液体になると言っても過言ではない。海老のミソで軍艦握りも作ってもらい完全にほっぺたが落ちてしまった。僕が北海道に住んだら絵に描いたメタボリックな身体になる。そこだけは名古屋にいてよかったと思う。

お土産屋を一軒ずつ入ってみた。アイヌの民芸品や海産物、ワインにガラス製品など様々なジャンルがあり、どんな観光客の好みにでも対応していた。僕らは「オルゴール製作体験」の看板が気になりやってみることにした。お気に入りの曲を選んで箱に取り付けるだけの簡単なものだったがいい記念になった。

 そのまま小樽の居酒屋で食事をし、真駒内に戻る途中で静香の携帯電話が鳴った。北海道神宮の神主さんからで、重要な話があるので神社へ来るよう言われたそうだ。とりあえず静香は神社へ行き、僕は札幌駅で時間をつぶすことになった。

 カフェで持っていた観光ガイドを参考に明日以降の計画を考えていた。すると静香からメールが入った



 部屋に戻ってください



ただそれだけだった。静香は用事を済ませてもう部屋に戻っているなら先に連絡をくれればいいのに、と少し不機嫌になってマンションに向かった。スペアキーを預かっていたのでカギを開けて中に入った。しかし電気が消えている。まだ静香は帰ってきていないのか。電気をつけて部屋を見たらテーブルの上に置手紙があった。



不動君へ ごめんなさい。 私は遠くへ行かなければいけなくなってしまいました。せっかく札幌まで来てくれたのに、もっといっしょにいたかったのにそれができなくなってしまいました。本当にごめんなさい。どうか理由は聞かないでください。



静香はこういう冗談を言うタイプではない。びっくりして電話をかけてみたが電源が入っていないし留守番サービスにもつながらない。メールを送ったが宛先不明で戻ってくる。ただ僕はショックで動くことができなかった。

 次の日、改めて置手紙を読んでみたが全く意味が分からなかった。筆跡は間違いなく静香のものだ。部屋をよく見ると簡単な荷造りの跡が見られた。変わった様子もなく、神主さんから呼び出されて忽然と姿を消す。まさに神隠しだ。その日はどこにも行かずに静香の帰りを待ったが帰ってこなかった。電話をしてみたが相変わらず電源が入っていない。

数日間ずっと待ち続けたがやはり帰ってこないので、北海道神宮へ行って神主さんに直接聞いてみることにした。しかしどの神主さんが静香と連絡をとったのかわからず、シフト表には静香の字で「出張」と書かれている。しかも行先と期限は書かれていない。

 このままでは何もできず、仕方なく帰宅する日を早めて名古屋へ帰ることにした。スペアキーを持ったまま。

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