第3話
三
「この前の老人のことが何か気になるんだよ」
「それってだれだっけ?」
「豊川稲荷で会った老人」
僕たちは豊田に向かっていた。
秋が深まっていく中、やっぱり僕は内定を出すことができなかった。焦りを感じてイライラすることも日に日に増え、そんな姿を見て静香が
今週の平日、どこか一日予定を空けて私を喜ばす日を作ること
とお題を立ててきた。
普通は元気のない彼氏を何とか奮起させるために、彼女がサプライズ的な企画を考えて彼氏を喜ばせるものだと思うのだが僕らの場合は違っている。僕が彼女に尽くして喜ぶ顔を見ることで喜びを感じる、僕はいわゆる「М」らしい。
二人で過ごせる日の終わりは確実にやってくる。静香に尽くすことができる日が残り少なくなってきている。今まで二人の記念日は全てお祝いしてきた。旅行も行った。今回で最後になるかもしれない「静香を喜ばす日」に何かいいアイディアがないか考えていた。静香の思惑通り、こういう企画を考えていると嫌なことを忘れいつの間にか喜びに代わっていた。たまたま企画検索中に目にしたものがある。
豊田市の山間部で秋に桜を咲かせる「四季桜の里」というところがあるそうだ。紅葉を迎えたモミジの赤と薄いピンクの四季桜のコントラストが素晴らしい。ということで静香に見てもらおうと豊田市の山間部にある小原へ行くことにした。
僕が運転する車で今までどれだけドライブに出かけただろう。
「この前の老人何か言ってた?」
「豊川稲荷が本来あるべき姿だって言ってた」
「そんなこと言ってたっけ?」
「うん、言ってた」
「ゼミの教授に聞いたけど、豊川稲荷って明治維新の神仏分離令のとき、神仏混交の寺として問題になったんだって。でもここで祀られている仏様が仏法守護の善神ってことで分離を免れたらしいよ」
「あの老人はそのことを言っていたのかな」
「さぁ……。不動君にしては珍しく人の話に食いついてるね」
少し僕のことをからかっている。これも静香の気遣いだ。
確かに僕は他人に興味がない。でもあの老人だけはやたら印象に残っている。
豊田の四季桜は前評判どおり素晴らしい景色だった。山全体をピンクで染めようとしたが一部濃く染料が染みて、その部分だけが赤いモミジによるアクセントとなっていた。
静香の予想をはるかに超えていたようで、あまりの美しさにため息が出ていた。
「へぇ、不動君が私に見せたかった景色はこれだったのね。本当にすごいよ。ありがとう不動君」
うっとりした静香の笑顔。
「喜んでもらえたかな」
僕はこの笑顔が見たくてサプライズな企画を立てている。今回も成功だ。
四季桜の里は平日であるのに観光客でにぎわっていて秋の桜のころ真っ盛りだった。世界のトヨタを有する豊田市であっても四季桜が広がる小原は車の工場はなく、のどかな山林地帯の田舎町で普段は観光目的ではあまり人が近付くところではなさそうだ。この地域は古くから和紙で有名だったそうだが、四季桜は数年前から村おこしのツールとしてアピールされ、最近ではマスコミやSNSの力も手伝ってまるで盆と正月の活気がこの時期に固められたようだ。近くの広場ではイベントがやっていてお土産や軽食の屋台がたくさん出ていた。
僕らは桜とモミジのトンネルがある遊歩道を抜けベンチに腰掛け五平餅をほおばった。
しばらく無言で景色を眺めていたら静香が聞いてきた。
「あそこだけ何で色が違うの?」
「さぁ」
静香が聞いてきたことは目の前の山、遊歩道から少し上がったところだけピンクの色が不自然に明るくなっていた。僕は植物学者ではないのでわかる訳がない。しかし不思議に感じたので近くまで見に行くことにした。
すると、その方向に人の群れが慌ただしく移動し始めた。何か物々しい。桜の花を包むように煙が上がった。
「え!山火事?」
「せっかくの桜がダメになっちゃうよ」
僕は心配というより野次馬根性が勝ってしまい煙の方へ走って行った。煙はたくさん出ていたが炎は肉眼で確認できないぐらい小さなもので、被害は最小限で収まりそうだった。係員たちが消火器を持って走り、周りにいた観光客もバケツを手にして一斉に消火活動に入った。僕らの周りにも焦げた匂いが漂っていた。この一大事の時に僕はこの周りにチーズを置いたら桜の香りがするスモークチーズができるのかと不謹慎なことを考えていた。
「あ!」
思わず声がでてしまった。豊田の端の田舎町に先日豊川稲荷で会った老人が山火事の様子を見ていたのである。
老人も僕らに気付いた。彼も遠くから眺めて山裾の一部の色が違っていたことが気になって歩き始めたところ山火事が発生したそうだ。ただ、豊川稲荷で会った時とは全く別人のような温厚な表情は見られなかった。
「山火事ですかね? びっくりしました」
「この火はただの山火事ではない。故意に火が放たれたものだ」
「放火ですか? こんな人ごみの中で、しかも昼間から……」
静香も景色を楽しんでいたのに人道外れたことをする心ない観光客にショックを受けていた。
「いや、はっきりしたことは言えないが、この山火事はただの序章だろう。私が気になったのは焼けてしまったところではない、この木……」
「この木って…。ソメイヨシノですね」
「ソメイヨシノって……」
「そうです。普通春に咲く桜です」
「こんなこともあるんですね。私たちモミジと四季桜に混じって違う種類の桜の花が咲いていることに気付いて見ていたら煙が上がったんです」
静香は悲しそうな顔をして老人に答えた。
「確かに不自然な話です。この一角だけ春に咲くソメイヨシノがこんな時期に咲くことは明らかにおかしいことです。実は、私も不思議に思って眺めていました。これは何かの前兆のような気がします……」
老人の顔つきはさらに強張っていた。
「これから何かあるのでしょうか?」
僕が尋ねて少しの沈黙のあと
「このソメイヨシノの前にある足跡、ここだけ焦げた跡がなく、そのまわりをよく見るとタンポポが咲いている。ここだけ周りと気候が違うみたいです。このような現象が起こるのは一つしか考えれません」
老人の話にただ僕らは聞き入ることしかできず言葉が出なかった。老人は深いため息のあと何かを決心したようだ。
「豊川稲荷で話したとおり、あなた方はこれからこの国を守る大きな力になります。ここから距離はありますが一度高千穂にお越しください。その時にこれから起ころうとすることを全てお話します」 そう言うと老人は名刺を差し出した。そこには
神々のふるさと高千穂 霊能士 村田山水
と書かれていた。
静香が僕を元気付けるために、僕が静香の笑顔を見たいために来た豊田で、これから何かが起こるという予言を聞き楽しいはずのドライブも気が重くなってしまった。
帰りの車の中は終始無言で、静香はずっと外を見ていた。炎ではなくモミジで燃える山を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます