第2話

そんな静香を見かねてか近くにいた一人の老人が声をかけてきた。

年齢は七十歳ぐらいだろうか。身なりや姿勢はしっかりしていて、ゆっくりと聞き取りやすい口調の穏やかで紳士的、どこか神秘的な感じも漂っている。

「参拝の仕方はあるようでないのですよ。大事なことは感謝の気持ちを込めて願い事をすればいいのですよ」

自分が専門家であるプライドに触れたようで静香は少しむっとしていた。不思議なことに、普段他人に興味がない僕だが、温厚な静香をむっとさせたことと、神社とお寺の違い問題であると強引だがどこか素直に納得できる、その老人に惹かれて僕も話をした。

「実は彼女、大学で神学を学んでいて、ちょうど神社とお寺の違いについて教えてもらっていたところでした。しかし、『気持ちが大切』とおっしゃられることが彼女には納得できないみたいです」

老人は微笑んで

「神仏を疎かにする若者が多いのにしっかりしていらっしゃる。あなたがたのような若者がこの国を救ってくださるのでしょうね」

「日本を救うなんて大げさな、おじいさん私たちのことを買いかぶりしすぎですよ」

静香もさすがに老人の話に半分苦笑いを浮かべながら答えた。

「私は高千穂から来ました。老後の楽しみとして日本で有名な神社仏閣を旅しています。お伊勢さんまでは昔来たことがあるのですが、豊川稲荷は初めてです。これが本来あるべき姿だと思うと感無量ですよ」

静香はその話を聞いて何の反応もなかったが、僕は妙に『高千穂』『お伊勢さん』という言葉に懐かしさを感じた。それ以上に気になったことは、『豊川稲荷が本来あるべき姿』という言葉だ。どういう意味なのか……。神も仏もただの飾りでしかない僕にとって初めて抱く宗教的な疑問だった。ただ、その老人に質問する気になれずあとで静香に聞けばいい、そんな程度にしか考えていなかった。

 老人と別れた後、僕はアルバイトの予定が入っていたのでどこにも寄り道をせず帰路についた。


 次の日うれしいような寂しいような、そして虚しい報告を静香から聞くのである。


「不動君、期限付きだけど就職が決まったよ。場所は札幌。北海道神宮。巫女の欠員が出たらしいの。大学で勉強してきたことが生かせるよ。これって豊川稲荷のご利益かな」

その言葉を聞いて、①彼女の就職を喜ぶ ②遠距離恋愛になる ③僕より先に就職が決まった という三つの気持ちが働いた。大学を卒業した後いつか来る「結婚」ということを考えると僕がしっかり就職して静香を安心させて迎えにいくつもりではあったが、また静香に先を越された、そういう気持ちになり ④またまた凹んでしまう という四つの気持ちが心の中で渦巻いた。

 僕たちが初めて出会ったのは高校時代。三年間同じクラスで席はとなり、時代遅れのトレンディドラマに出てくるようなシチュエーションだった。

僕の家は豪酒一家で、水の代わりに酒を飲むような家に育った。両親は枕元に日本酒を置いて寝ていて、夜中に目が覚めることがあると日本酒を飲んで喉の渇きを潤していた。弟は小学生の時から夕食の飲み物に梅酒を飲んでいた。常識では全く考えられない家だ。僕が赤ん坊のころ、両親が酔った勢いで哺乳瓶のミルクに焼酎を混ぜ、僕はそれを飲まされたことがあるらしい。そこでアレルギーにでもなったのか酒というものが全く飲めない。正月にお屠蘇をペロッと舐めて毎年ぶっ倒れる始末だ。

 僕と静香が付き合うきっかけとなったのは、僕が学校を休んだ時に日本史のノートを届けに来てくれたことだ。学校を休んだ理由がまた情けない。両親が外出中、冷蔵庫に封印してあった奈良漬けを僕が食べてしまい、漬物に含まれる微量のアルコールで酔っ払って冷蔵庫の前で倒れて風邪をひいてしまったからである。

後から聞いた話だが、静香は僕の「どこか抜けているところ」が好きだったらしい。彼女にとって母性本能をくすぐる存在だそうだ。

そんな「奈良漬事件」で静香が僕の家に来てくれたおかげで僕も静香のことを意識しだし、静香も僕の世話をしたいと感じてくれていつの間にか関係が近くなった。高校卒業後も二人揃って名古屋の大学に進学し、親公認の仲であることと不景気というこのご時世だからルームシェアリングして今に至っている。ただ、静香の北海道での就職で遠距離恋愛になることが確定している。これから先、静香のいない生活は本当に成り立っていくのか……、僕は心配で仕方なかった。

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