第10話

 馬車の中は血まみれで、伯爵夫婦は毎度のことながら、顔が分からないまでの滅多刺しだった。兵たちはようやく見慣れてきた様子で、屋敷に現れた、狂気に包まれた馬車を遠い目で眺める。馬が一頭しか繋がれていない、御者のいない馬車。犯人が御者だったことは誰の目にも明らかだ。次に子爵宅に向かうと、ルアドはため息を漏らした。伯爵家で雇われていたという御者は、今朝使用人が発見していたのだ。馬小屋の道具入れの中で眠りこけていたらしい。御者は、昨夜使用人の小柄な男に食事をもらい、そのまま眠り続けていたと供述している。つまりは、犯人は男ということになる。


「犯人は、ハンス・ロッドハンだな」

「お待ちください!」


 使用人の前に立っていたメイド長が、ルアドの前に歩み出た。自らの名前を名乗って一礼したメイド長に、ジョンが怪訝そうな顔を向ける。


「何かな?」

「実は、先程確認いたしましたら、使用人の女が一人、行方が分からなくなっておりまして」

「名前は? 年齢は?」

「名前はハウエル・ツェインド、年はかなり若いことは分かるのですが、それ以上は……

 ただ、この村の農夫の親戚だということは分かっております」


 ルアドはジョンと目を合わせると、すぐに彼女に農夫の家へと案内させた。農夫とは、昨日畑で暴行を受けた老人のことだった。


「お前の親戚に、ハウエル・ツェインドという女がいるな」

「いいえ、おりません

 私の身内は、娘のマリアだけでございます、兵士様」


 ベッドで動けなくなっている老人と、その横で寄り添う女に、ルアドは鋭い目を向けた。縮み上がる二人に、嘘をついている様子は見えない。


「では何故、見ず知らずの女に調子を合わせたんだい?」

「それは、父がもう体が強いわけではなく、どうしても、屋敷で使用人をするわけにはいかなかったからでございます」


 ジョンに問われたマリアが、まっすぐに目を見て答える。確かに農夫はかなりの年を取っており、暴行を受けただけではここまでダメージを食らうとは思えないほど、衰弱しているらしかった。娘もそれほど若いわけでなく、本当なら夫や子どもがいてもおかしくないだろう。それを問うたジョンに、マリアは悲しそうな目で、二人とも流行り病で亡くしたことを話した。


「つまりは、あの親子にとって、女は救世主だったようだな」


 おどけたように笑うジョンに、ルアドは何も答えなかった。


「まぁ、本人にとっても働くだけで飯も寝床も用意してもらえる上に、仕事もしやすい立場に潜り込んだわけだな」


 ルアドはジョンの話を聞きながら、捜査本部のテントまで戻って来た。御者を眠らせ、馬車を乗っ取った小柄な男。見ず知らずの女の親戚を名乗り、屋敷の使用人に化けた若い女。少なくとも、行方不明になった四人のうち、若いと言えるのはビーデルただ一人。ハンスが小柄だったかは分からない。だが、村一番の色男と言われた男が、小柄というのは少し違う気がしなくもない。すっかり考え込んだまま椅子に座った上司を、ジョンはただ静かに見つめた。きっと彼は今、自分を同じ結論に落ち着こうとしているのだろうと思ったのだ。


「なぁ、オルディス……」

「何だい、モガータ?」

「まだ、あくまで仮定の話だが……犯人が少し大柄な若い女、ということはないだろうか……?」

「私も少し、そう考えていたところだよ」

「うん……まだ、犯人が一人とは限らんが、どうも“小柄な男”というのが気になる

 犯人がエアルドの者だってのは、こう四件続けて起こって、しかもあの村が始まりとなりゃ確かだろう

 まぁ、少しではあるが、全く関係ない人間の犯行という可能性はあるかもしれん

 が、俺の考えが正しいのなら、犯人は恐らく……」

「ビーデル・アステノア……」


 ジョンとルアドはお互いに目を合わせ、そして逸らした。考えたくもなかったのだ。ビーデルはまだ、12歳の幼い少女だったから。自分の失踪後、親友の自殺があり、もし犯人ならば既にその話は耳に入っていることだろう。ルアドは思った。もし、自分の弟妹が自ら命を絶ったことを、離れた場所で人伝に聞いたらどうなるだろう。まっすぐ飛んで帰っただろうか、もう帰れない故郷に。彼女は生まれた時からあの村に住み、村の人々に愛されて育ってきたのだ。村の誰もが、彼女が消えたと知ったとき心配していた。そのビーデルが今、爵位保持者ばかりを狙う暗殺者と化しているのか。


「モガータ、たとえ誰が相手でも、私たちのすることは一つじゃないのか?」


 ルアドの迷いを見抜いたかのように、ジョンが肩に手を置き、そっと声をかけた。


「……うむ、そうだな……」


 憔悴したような顔で、ルアドは力なく頷いた。まだ彼女だと確定したわけではない。きっとそのうち何か証拠が出てくるはずだ。彼女ではないという証拠が出てくることを、ルアドは願わずにはいられなかった。







 ちょうどその頃、畑のそばの切り株を掘り起こしている男がいた。男は自分の畑を広げようと思ったのだった。元からこの場所も男の土地だ、誰も文句は言わない。ましてや、一週間ほど前から支配者を失ったこの町に、誰も男が豊かになろうとすることを、止める者などもういないのだ。鼻歌を歌いながら鍬で掘り起こしていた男の目に、何やら茶色い布が見えた。切り株の少し手前の土の中だ。だがだいぶ深いところにあるようで、一人で掘り出すのは難しそうだった。男は近くで作業していた男を二人呼んできて、一緒に掘り始めた。やがて布に到達した鍬をどけ、三人で丁寧に掘り出す。布はただの布切れではなく、大きな袋だった。


「何だべ、これ?」

「さぁ?」

「分かんねぇけど、とりあえず開けてみようや」


 男が少し大きめの袋を開けると、中にはたくさんの宝石類が詰まっていた。


「な、なんだぁ?」


 袋の下から出てきたのは、血が飛び散って赤く染まった町長夫人愛用のハンカチだった。ハンカチを見て腰を抜かした男二人は、袋の中をもう一度覗いた。するとそこには小さな紙切れが一枚、丁寧に折りたたんで入れてあった。


「『この袋を見つけた方へ

 この宝石を町の人々に分け与えてください』

 お、おい、まさかこれ……」


 男三人は、少し遠くに見える大きな屋敷を見上げた。一週間前、この町の支配者は何者かによって惨殺された。町民たちはやってきた兵士に、散々夫人の宝石類の行方について聞かれていた、理由も教えてもらえずに。三人の男は、もう一度袋の中の宝石類を見下ろした。


「救世主様だぁ……」


 一人の男が呟き、他の二人も小さく頷いた。

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