第9話
ルアドは小さくため息を吐いた。男爵一家殺害事件と町長夫人殺人事件が、恐らく同一人物の犯行であるところまでは推理出来たが、それ以上何の進展もないのだ。未だに宝石類は見つからず、町の店も家も全て捜索させたが、欠片すらも出てこない。犯人も未だに四人から絞れてはいなかった。村人ではなく、偶然現れた泥棒という線もまだ捨てきれていない。といっても、殺しの惨忍さからは貴族などの爵位は持っていない者としか判断できない。続いて起こった二件以降、未だにそれらしい事件が起こってないのも気にかかった。もう今日で一週間、同一犯らしい事件は起こっていない。上からは早く報告しろと催促もかかっている。ルアドは再びため息を吐いた。
「モガータ、ため息ばかり吐いていると幸せが逃げるぞ」
ジョンもまた疲れた顔でそう茶化した。宝石も見つからない、犯人の手がかりも一切ない。二人はただひたすらに机上の書類の山と格闘していた。
「た、隊長……!」
息も切れ切れに飛び込んできた兵が、いつもより鋭い眼光を向けた副隊長に縮み上がった。
「何だ?」
その様子を特に気にする風もなく、ルアドが兵に声をかけた。
「と、隣村で、また事件が……今度は二件同時に……!」
音を立てて椅子を倒したのは、ルアド本人だった。
「被害者は?」
「領主のドン子爵ご一家と、そのご両親のシャウエル・ドン伯爵とエルエネ夫人です」
ルアドの記憶が正しければ、子爵と伯爵は別々の屋敷に住んでいたはずだ。ジョンは先程までの苛立ちは何処へやったのか、少し楽しげな目の色をしていた。
「すぐに馬の用意を!
宝石類の捜査をする六班の兵を残し、その他の兵は直ちに支度せよ!」
敬礼をして飛び出していく兵を見送ると、ルアドはジョンからコーヒーのカップを受け取った。
「ようやく犯人が動いたようだな」
ルアドも何処か楽しげだ。プレッシャーから逃れられただけではない喜びが、ルアドにもジョンにもあった。彼らは何処かで待っていたのだ、新たな事件が起こることを。それは上司からのプレッシャーから来る狂った感覚のものではなく、ここまで彼らが悩まされた事件は初めてだったからだ。正体も目的も分からない犯人が、何かしらの位を持った者のみを襲撃、惨殺の後に宝石類を盗んで痕跡も残さず逃走。恋する人もなく、友がいるわけでもなく、いつの間にやら仕事人間になっていた彼らにとって、ある意味好敵手のような感覚が生まれていた。奴が勝つか、俺たちが勝つか。確かに自分たちも多少なりとも、上の人間たちのやり方には納得がいっていないし、だからといって殺していいとも思わない。たとえ相手にどんな理由があろうと、爵位を持つ者を殺したら死罪にするしかない。それでも、一度きちんと奴の顔を拝んでみたかった。久々に自分たちに楽しみをくれた相手だ、どこまでも付き合うつもりだ。ルアドはコーヒーを飲み干すと、ジョンが投げて寄越した上着を羽織った。
「さぁ、出発だ」
隣村についてすぐ、また領主に困らされている現場を目撃した。畑仕事をしていた村人が、領主が通りかかったことに気づかず、挨拶をしなかったというだけで暴力を受けていたのだ。村人の娘と思われる女性が中年の男にひれ伏し、泣きながら謝り続けている。
「ありゃ、どうなるかね……」
「あの爺さん、あんまり体強くないしな
また奪われるんじゃねぇかな、マリアさんもかわいそうになぁ……」
近くの村人がそう話しているのが耳に入る。中年の男は、動かなくなった老人に唾を吐きかけると、ひれ伏していた女性の腕を掴んで、お付きの男に渡し歩き去ってしまった。今回も何かと厄介そうだと思いながら、ビーデルはまた近くの森に入った。手頃な洞窟を見つけ、必要最低限の荷物だけを持って村に降りた。見るからに大きな屋敷の前に急いで先回りし、男が帰ってくるのを待った。案の定、小太りの男は歩くのが遅かったようで、ビーデルが着いてしばらくしてからやってきた。まだあの女性を引きずっている。ビーデルは男に駆け寄った。
「旦那様、私はハウエル・ツェインドと申します
彼女は私の親戚でして、昔から私を可愛がってくれました
その彼女に、一体何をなさるおつもりでしょうか?」
男は舐めるように、ビーデルの頭から足先まで眺め、再び顔を見るとにやりと笑った。
「もちろん、屋敷の下働きにするんだ
こいつの父親はもう爺さんだし、使いものにならないからな」
そう鼻を鳴らした男を、女性がきつく睨みつける。それと同時に、ビーデルが何をするつもりか疑っているようだった。
「旦那様、彼女は少し足が悪いのです
生まれながらのもので、そのうち旦那様のお邪魔をしてしまうかもしれません」
少し驚いたような目をした女性は、すぐに何もなかったかのように振る舞った。ビーデルは、女性をちらりと見て、男に言った。
「彼女の代わりに、私を働かせてはいただけないでしょうか?」
驚いた女性が口を開こうとした瞬間、男は更に口元の笑みを深くした。
「いいだろう……給料はやらんぞ」
「構いません
親戚が旦那様に無礼を働いたのです、当然でございます」
男は楽しげに笑うと、お付きの男たちに頷いて見せた。男たちは女性を離すと、ビーデルの後ろに立って逃げられないようにした。声をかけようとする女性に笑いかけ、ビーデルは男と共に屋敷に姿を消した。潜入に成功したビーデルだったが、屋敷の中は想像を遥かに超える酷さだった。メイド長が下働きの女性を扱き使い、メイドたちは実質、主人やその家族の身の回りの簡単な世話しかしていない。料理、洗濯、掃除、庭仕事。目の回るような忙しさがそこにはあった。同じように連れてこられた男たちは、領主専用の大きな果樹園や畑、牧場で扱き使われていた。日々の仕事で疲れ果て、ベッドに潜り込めるのは深夜、起きるのはまだ日が昇らない早朝だ。寝られる場所も、男は馬小屋や豚小屋、女は地下室だった。ビーデルは日々働きながら領主一家の観察を続けた。働き者で体力もあったビーデルは、すぐに下働きの者たちと仲良くなった。領主の情報も世間話としてたくさん聞かせてくれた。そして六日後に、領主の男の両親が宿泊しに来ることを知った。位は伯爵だ。ビーデルは、この下衆な男の両親の顔を見てみたくなり、その日を楽しみに待った。
伯爵が訪れ、最初に言った言葉は、馬車馬の世話をしようとした男に放った一言だった。
「その汚らわしい手で私の馬に触るんじゃない、この野良犬が!」
それを見て夫人は小さく笑った。ビーデルはそれで分かった。領主を消しても、この両親も消さなければ終わらない。その夜、ビーデルはこっそりと屋敷を抜け出して、洞窟の荷物を取りに行った。すぐに引き返して、他の下働きの女たちと共に地下室に入った。
「その荷物、どうしたんだい?」
メイド長がいなくなったのを確認すると、一人の女性が声をかけてきた。ビーデルはにっこりと笑って返す。
「家族が心配して、私の荷物を届けてくれたんです」
一晩泊まった伯爵夫婦は、翌日の夕方に発つ予定になっている。どうせなら息子一家とばらばらに殺してやろう。ビーデルはそう考えていた。夕方、ビーデルは発つ準備をしていた御者の男に、領主から盗んでおいた睡眠薬を入れた水を飲ませた。そしてその服を自らが着て、自分の荷物を馬車の下に隠した。見送りに出た領主一家と、馬車に乗り込んだ伯爵夫婦が別れを告げると、ビーデルは馬車を走らせて山道に入った。この山を登ったところが伯爵の家なわけだが、ビーデルは途中で馬車を止めた。
「……おい御者、何をしている?
早く出せ、わしはとても疲れて眠たいのだ!」
「申し訳ございません、旦那様」
ビーデルは御者席を降りて、馬車の扉を開けるとにやりと笑う。
「もう、到着しております」
馬車の中で暴れまわる夫婦を殺すと、ビーデルは馬車から一頭だけ馬を外し、繋いだままの馬の尻を思いっきり叩いた。馬が馬車ごと走り去ったのを見届けると、鞄からショールを取り出して残した馬の背に広げる。そこにまたがり、すぐに屋敷に引き返した。屋敷からは遠く離れてはおらず、すぐに戻ることが出来た。数分いなくなったくらいならトイレだと勘違いされる。近くで馬から降りて荷物を置くと、乗って来た馬の尻を思いっきり叩いた。そのうち誰かに拾われるだろう。開けておいた二階の物置の窓から屋敷に入り、ビーデルはすぐに領主たちの寝室に向かった。睡眠薬は全員の食事に混ぜていたので、皆がぐっすりと寝ている。ビーデルは近くの引き出しから夫人のスカーフを取り出し、領主、夫人、一人息子の口にねじ込んだ。
「お前たちはもう要らない」
ビーデルの振りかぶった血で汚れた短剣が、月光を反射して妖しげに光った。
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