第6話

 ビーデルは町を出ようとはしなかった。調査兵隊の隊長の顔を拝んでやろうと思ったからだ。これから長い間に渡って勝負する相手の顔を、見ても何も損はないだろう。昼間に出歩くには、ワンピースの方が目立たなくていい。だがいつでも戦えるようにはしておかなければならない。ワンピースの下は白く長いズボンが普通なのだが、ビーデルは洗って乾かしたばかりの短く切った父のズボンを履いた。いつもと違うからか、足元が落ち着かない。太ももに短剣を縛り付け、夫人の家で手に入れたスカーフを頭に巻いた。町の見える木の上で、調査兵隊が来るのを待ち構えた。町民が噂するのが聞こえる。


「誰だかわからんが、正直町長夫人を殺してくれて助かったな」

「あぁ、もし知ってたら俺ぁ家に泊めてやったんだけどな」

「しかし調査兵隊って上流貴族相手じゃなきゃ仕事しねぇんだろ?

 何で町長夫人なんかの調査に来るんだ?」

「隣町の男爵殺しと、犯人が一緒かもしれねぇって兵隊さんらが話してるのを、私聞いたわ」


 昼前になると、少しずつ兵たちが落ち着かない様子になってきた。何処か怯えているようにさえ感じる。少し不思議に思ったビーデルだったが、その理由はすぐに分かった。エアルドの方から馬に乗った一行がやって来たのだ。どれが隊長かと眺めていたビーデルの目に、明らかに雰囲気の違う若い男が映った。鋭い眼光、表情の変わらない、少し怖くも感じる顔。背は普通より少し高いくらいだが、彼の体は大きく感じる。ふと男が馬の上からビーデルの方を見た。が、すぐに目を逸らして通り過ぎてしまう。


「私を見た……のか?

 いや、でも何も分からなかったようだわ」


 小さく呟きながら、緑の葉で覆われた枝に感謝した。この枝がビーデルの姿を隠してくれていたからだ。彼女は静かに木から降りると、体に付いた枝や葉を払い落した。そして、男の向かった町長夫人の屋敷に先回りした。








 町に入った直後から、ルアドは妙な視線を感じるようになった。何処から見ているのかは分からないが、自分を品定めするような嫌な目だ。馬の上から町民を見下ろしたが、怯えて目を合わせない者たちばかりだ。嫌な視線は段々と近づいてくる。気配は見当たらない。ふと近くの店の裏の木の上に、人の気配を感じた。ルアドは直感で、それが視線の持ち主であると思った。しかし、気配はすぐになくなり、射貫くような視線だけが残った。自分の思い違いだったのだろうか。ルアドは自分が寝不足だったことを思い出し、視線の持ち主探しを再開した。屋敷から少し離れた場所で馬を降りると、ルアドはまっすぐに屋敷に入った。兵たちが忙しく動き回りながら、ルアドに敬礼をして通り過ぎていく。案内をしていた兵が立ち止まったのは、奥から一つ手前にあった夫人の寝室だった。


「こりゃまた酷いなぁ……」


 ジョンがルアドの横で、少し間の抜けたような声を上げた。寝室のベッドの上で、夫人は寝間着を着たまま殺されていた。白かっただろうシーツも掛け布団も、何もかもが夫人の血で真っ赤に染まり、あちらこちらに枕から出たであろう羽毛が舞っている。彼女の顔も体も、男爵のように滅多刺しにされていた。金庫は開けられていなかったものの、彼女の宝石箱は空になっていた。


「また宝石は町民に渡ったのか……?」


 うんざりとため息を吐いたルアドに、案内してきた兵が怯えながらに声をかける。


「それが、調査したのですが……町民の誰一人として、夫人の宝石を持ってはいませんでした」


 その言葉にルアドは眉間のしわを深くした。では一体宝石は何処へ行ったと言うのだ。宝石箱はかなりの大きさがあり、使用人の話ではいつも宝石箱から溢れかえるほどの宝石を持っていたと言うのだ。それを持ったまま、別の町まで移動するには重すぎるとしか思えない。


「この町の何処かにあるはずだ

 直ちに探し出せ」


 その場にいた兵たちは敬礼をすると、慌てて屋敷から飛び出していった。ジョンは兵たちがいなくなると、ルアドの肩を支えた。


「お前、ここのところ寝不足で、立っているのもやっとの状態だろう」


 ルアドは反論しようとしたが、その気力すらもなくしていた。大人しくジョンの言葉に頷いて、静かに目を閉じる。


「屋敷を出るまではそうしているといい、ゆっくり連れて行ってやる」


 ジョンはいつもの飄々とした顔のまま、静かに寝息を立て始めたルアドを連れて、ゆっくりと歩き出した。

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